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もふ59 サンチェス対エスカミーリョ


 石壁一面に鋭い牙を剥き、目を光らせたクリーム色の短毛の獣人の肖像画に見守られる中、アンドレアは広く冷たい廊下を裸足で駆ける。


「サンチェス様、どちらにいらっしゃるのですか?」



 廊下の先で女達の啜り泣く声がする。


「サンチェス様?」


 アンドレアが急ぎそちらへ駆け寄ると、


「レ、レアル様!? 」


 石の床に身体を横たえたレアルを囲み、魔女達が口々に回復魔法や呪解魔法を唱えているが、レアルはぴくりとも動かない。


「一体、どうしたのですか? なぜ、誰がこのような!」


「ドン・サンチェスがご乱心あそばし……あろうことか、レアル様に……!」


 アンドレアの問いにパパゲーナが絞り出すように答えた。


「サンチェス様が? 嘘、嘘……。」


 一体、何が起こったのだ。


 普段は口うるさいレアルを、さも怖がり、煩わしく言うものの、本心では信頼しているのを知っていただけに、アンドレアは動揺を隠せない。



「……いいえ。」


 気を失っていたかに見えたレアルがあるかなきかの声で囁いた。


「全ては私の不徳の致すところにございます……アンドレア様、どうか、どうか、フリオ様をお止め下さい……。」


「サンチェス様は今どこに?」


「エスカミーリョのところへ……早く、急がなければ、彼も私とお……なじ…………」


 全てを言い終わらぬうちに、レアルの身体を蒼緑色のざわざわしたものが取り巻き、その身体を食い尽くした。


「ああっ!」


 アンドレア他、その場にいた者達はあまりの事に手で顔を覆う。


 リナレスの指輪が一層、強く締めつけられ、アンドレアは我に返った。


「サンチェス様……!」


 レアルを囲んで啜り泣く魔女達を残し、アンドレアは駆け出した。


「サンチェス様……サンチェス様……!! 」





 城の奥座敷の更に奥、居心地は良いが、しかし人目につかず、隠れるように、エスカミーリョの母、ドニャ・アルマの居室はあった。


 ドニャ・アルマとカミラは寄り添うようにしてソファに座っていた。




 来る。




 その傍らに立つエスカミーリョは目を閉じた。


「母上とカミラはここにいて。」


「あなた、お願い、やめて。サンチェス様を信じて。」



 カミラの訴えにエスカミーリョは力無く笑い、愛する妻の額に口づけ、母に一礼をして部屋を出た。



 それが出来ればどんなに良いか。



 父も、実弟ヘルマンの圧倒的な魔力の前に諸膝をついた。


 俺はどこかでたかをくくっていた。


 俺を大好きな優しいフリオが、俺の母を淫売と言った奴を半殺しの目に遭わせたフリオが、玉座などというくだらないものに固執して牙を剥く筈などないだろうと。



 しかし、今は自身の為ではなくアンドレアの為に、俺に挑まんとここへやって来る。



 エスカミーリョが大広間の中央に立つと、天窓からさす月明かりの下、バラの伝うアーチの下で幸せそうに微笑むアンドレアが目に飛び込んできた。


 そして、その傍らに立つ、見開いた鋭い目、耳まで裂けた口が牙を剥くクリーム色の獣人。


「これが俺の真の姿だ。」


 肖像画の中のドン・サンチェスはそう言っていた。




「やあ、エスカミーリョ。こんな夜中にそんな物眺めてどうしたんだ?」


 肖像画に見入るエスカミーリョの背後から声がした。


 エスカミーリョは拳を握りしめ、ゆっくり身体を回して声の主を見た。


「相変わらず、カッコいいな。その目、その口、その黒い短い毛、小さい頃からずっと憧れていたよ。」


 びりびりと凄まじい気を感じ、顔を背けないようにするのに精一杯だ。


 それなのに、フリオはいつもの害の無い人懐こい眼差しをこちらに向けている。それがかえってエスカミーリョの恐怖を煽った。


「何を言ってるんだ?」


「こんな俺より、お前の方がずっと首領に相応しいと、誰もが思っていたのを俺が知らなかったと思うか?」


「そんな事ない、あんたは誰にも出来ない事をしたじゃないか。ヘルマンが強引に統一した魔族を平和的に束ねることができたし、人間との争いも終わらせた。フリオ・サンチェスだからできたんだって、皆わかってるさ。」


「そう言う話をしてるんじゃないんだ。そんな事どうでもいいんだ……。頼むよ、まだまだ時間が必要だ。そうさ、まだ時期じゃない……。」


 もはや、エスカミーリョに話しているのか、独り言なのか解らない。ぶつぶつと不可解な事を呟きながら、足を一歩前に踏み出した。


 フリオは広間の中央に立つエスカミーリョを囲うように、壁に沿って一歩、一歩と足を踏み出し、肖像画の掲げられた壁の下に立った。


 絵の中のフリオの鋭い目と、その下に立つ、ボタンのような黒く丸いフリオの目。


 エスカミーリョは二人のフリオに見つめられた。


「くるな!」


 たまりかねたエスカミーリョは、猫に追い詰められた鼠さながらに、苦し紛れに豪炎を放った。




「無駄だよ。」


 しかし、シールドを発動させるまでもなく、炎はフリオに吸収された。



 かっ、と地表から青白い光が浮かび上がり、次の瞬間、凄まじい咆哮に大地が震えた。


 そこには、全身の毛を逆立てた巨大な獅子が牙をむき、目をギラギラとさせて立っていた。




 いつもお読みいただきありがとうございます!

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