もふ31 つるつるのお願い
以前は、賢者セルバンテスの仕事の手伝いをしている時以外はブラシを持ってドン・サンチェスを追いかけているだけのアンドレアだったが、最近は、時間があれば頻繁に城の図書室へ通っているようだ。
図書室の司書、セニョリータ・モニカは、賢者セルバンテスと同じくイタチのような姿をしているが、全身の毛は薄い茶色で、雫型の瞳の上に、眉毛のような白いしみがちょこんとついている。
「オラ・ドニャ・アンドレア、先日はレアル様に濡れ衣を着せられてとんだ災難でしたね。」
セニョリータ・モニカはいつものようにつるつる身体をくねらせアンドレアを出迎えた。
賢者セルバンテスと孫娘の努力により、若い世代の魔族の読書の習慣もかなりついてはきたものの、まだまだ魔族全体の書物への関心は薄い。
セルバンテスの監督の下、ダークエルフ族が長い時間をかけて収集したこの城の蔵書数は、人間の王立図書館と肩を並べる程だと言うのに、ダークエルフ達はとうの昔に本を読み尽くしていたし、訪れる者はアンドレアの他は、人間の魔女が一週間に一度あるかないかだ。
故に、ここでひとりきりで詰めている司書セニョリータ・モニカにとっても、アンドレアの訪れは楽しみだった。
「いいえ。私がひとりで読めなかったばかりに、サンチェス様に可哀想なことをしてしまいました。」
長毛ちゃんを卒業するために変なおまじないに手を出し、長い間お風呂に入れず、ほったらかしにされた捨て犬のようになってしまったドン・サンチェスの哀れな姿を思い返すと今でも心が痛む。
「どうしてサンチェス様があんなに長毛ちゃんを嫌がるのかわからないわ。とってもかわいいのに。」
覚えたての言葉「長毛ちゃん」を駆使しつつ、アンドレアは言った。
「ずっと戦が続いていたから、男子は特に、動きやすくて絡まりにくい短毛が理想的な戦士とされたんでしょうね。最近は長毛がまた流行り始めてるって聞くわよ。今は世の中も平和になったし、また流行も変わっていくんじゃないかしら。」
「確かに。長毛ちゃんには平和が似合いますね。」
セニョリータ・モニカの言葉に、アンドレアは大きく頷き、新しく借りた『図解・モード史・獣人、竜人編』を手に、図書室を後にした。
ʕ•ᴥ•ʔ
「私、ここへ来るまではこちらの人々の生活について考えたこともありませんでした。」
仕事中はほとんどムダ話をしない賢者セルバンテスに、図書室通いについて問われ、アンドレアは答えた。
「それまでは、自分の周りのことにしか関心もなくて、狭い世界で生きてきて、カミラさんみたいに人間がこちらで生活している事も知りませんでした。
お孫さんの貸本屋さんでは、いろんな種族の女の子達がいて、違う『ジャンル』を『推し』ていても、バカにしたり、否定したりしないで、みんな仲良く本を選んでいました。もちろん、私はここへ来るまでは貸本屋さんなんて行ったことはなかったけど。
とにかく、もっとここの人達のことや、歴史を知りたいと思っているんです。写本をしていても、よくわからないところも出てくるし。」
「そうかね。わしはお前さんが……おや、どうしたのかね?」
雫型の瞳をきょときょとさせて、申し訳程度にちょこんとついている小さな鼻をひくひくさせながら、つるつる動き回っている小動物の一人称が、
「わし」!
アンドレアは胸が熱くなり目頭を押さえた。
「……まあ良い。わしはお前さんがそんなふうに思ってくれて嬉しいよ。何と言っても、フリオの小僧とお前さんとの縁組を進言したひとりじゃからの。」
「まあ、そうでしたの?」
思いもよらない言葉に、アンドレアの声ははずんだ。
世離れした賢者セルバンテスが、自分とドン・サンチェスの仲を取り持ってくれた張本人だったとは。
「セルバンテス様は私の恩人です!」
アンドレアは賢者セルバンテスをつるんとすくい上げると、ぎゅ〜っ、と、抱きしめた。
「こ、これ、やめなさい。」
賢者セルバンテスはアンドレアの腕の中でつるつると身体をくねらせた。
それにしても、「フリオの小僧」とは、ドン・サンチェスの事だろうか?
先代首領がまだ少年の頃から教育係として仕えていた賢者セルバンテスにとって、ドン・サンチェスは孫のようなものなのだ。
名君と名高いドン・サンチェスも、彼にかかればまだまだ未熟な青二才なのだろう。
「今の私の幸せに、たくさんの方々が関わって下さっていた事に改めて感謝していますわ。皆さんにお礼ができれば良いのですが、私、何も持っていないし……。セルバンテス様、私に何かできることはありますか?」
「特にないよ。」
「そ、そうですね。すみません……。」
賢者は素っ気なく答えたものの、
「いや、そうじゃ、ひとつだけあるよ。」
大分時間が経ってから、ぽつりと言った。
「まあ、それは何ですか?」
「魔族は人間と違って結婚の誓いはしないが、それでも、わしからも頼みたい。どんな事があっても、いつも変わらず、あやつ、フリオ・サンチェスを愛してやってくれ。わしの願いはそれだけじゃ。」
「もちろんですわ。」
当たり前の事を言われ、アンドレアは拍子抜けしてしまった。
改めて言われるまでもなく、アンドレアは今もこれからも、何があっても大切な夫、ドン・サンチェスを愛し続けると心に誓っているのだ。
自分のこの幸せの為に命を捧げることをも厭わぬと言ってくれたドン・サンチェスを愛し続けると。
健やかなる時も、病める時も、
喜びの時も 、悲しみの時も、
富める時も、貧しい時も、
敬い、慰め合い、共に助け合い、
その命ある限り真心を尽くすと。
お読みいただきありがとうございます。
引き続きお楽しみいただけると嬉しく思います。




