138.彼の者
遅くなり、大変申し訳ありませんでした
灰色の天へと落ちる瀑布が如き柱を夜天ごと横に切り裂いた斬撃から黒焔が溢れ出して、宙に裂け目を作り出す。
同時に残存していた【現定錨】が全て火花を散らして機能を停止し地面へと落下する。
裂け目に人影が現れる。其処から滑る様にして出て来た者が放つ圧倒的上位者である事を本能から知らしめる尋常ならざる気配に死色の異形や、奇形の豪雨の最中でも構わず続けられる猛攻に必死で耐え忍ぶ女でさえも、一様に視線を向けた。
其の者は、少なくとも【十三支部】に所属する最近交流があった者ならば、其の顔を見て誰もが彼の事をアルベルトだと云うだろうが、そんな彼等、特にジャンヌや孝義達の様な身近な存在でさえも其の者の事を自信を持ってアルベルトだと断言出来る者はいなかった。
其の者は十三の虹色の油膜の様な光沢を持つ銀の霊球と七つの黒く煌々と灯る火球を周囲に伴い、背部に背負う六枚三対の紅い金属質の鋭角的な骨格と蒼黒の靄で構成された翼膜の翼を羽撃かせて悠然と滞空して、二本の狼にしてはやや細い黒焔の尾を揺らして、地上の職員や死色の異形を血や紅玉の様な左の真紅の猫眼と人を狂わせる妖しい満月の様な右の狼眼で睥睨している。
眠っているのか動かない長く流れる様な癖の無い黒髪の少女を優しく横抱きにした其の者は、鋼の様な鈍い銀色の長髪と漆黒の軍装の外套の裾を風に靡かせてぼんやりとした眼で暫く辺りを見回していたかと思えば、ピクリと何かに気付いた様に下を見て、右手を向けて其の先に霊球の一つを翳す。
瞬間、雷鳴を轟かせて一筋の漆黒の電雷が灰色の柱を表面を跳ね回り、近くに落ちる奇形を拡散する余波が焼き焦がしながら駆け登る。
其のまま其の者が翳す霊球に接触すると其の中に吸い込まれる。そして其の者が右手を動かして霊球を死色の異形へと向けると、今度は逆再生する様に死色の異形に向かって黒雷が一直線に放たれた。
黒雷が死色の異形に当たると爆音を響かせて大きく弾き飛ばし、黒雷自身は跳ねっ返る様に上に上がって、其の姿を帯電する黒い獅子へと変えながら其の場で半円を描き着地する。
其の者は灰色の柱の前から《門》や予備動作等の前触れ無く一瞬で姿を消し、刹那の間に後方に設置された避難所で、消えた其の者を探して見回す【解析者】の横に翼を消した状態で現れる。
「彼女を頼むよ」
「あ!ちょっと待って下さい!!」
其の者は腕の中に抱く少女を有無を言わさずに【解析者】に渡すと再び姿を消して、今度は吹き飛ばされた事で打ち付けた腕や八足の一部が圧し折れながらも立ち上がって黒獅子へと報復しようと動いている死色の異形の側に現れる。先程迄伴っていた黒焔球や霊球は消えて、代わりに其の手には何時の間にか刀身が2mはあろう黒い大太刀が握られており、一目見ただけでも先程灰色の柱ごと夜天を斬ったのは此の一振りであると理解せざるおえない程の力を感じさせた。
「出番は終わりだよ」
無感情にそう一言告げて振るわれた一閃は、丁度直ぐ傍に現れた其の者の姿を視認する為に顔を向け、首を近付けた死色の異形の頸を一切の抵抗を感じさせない程滑らかに音も無く通り過ぎる。
振り抜いた大太刀を其のまま血払いする其の者の姿を視認した死色の異形が真っ先に叩き潰そうと腕を動かそうと考えた時、頸部から噴き出した黒焔が急速に全身へと燃え広がり、瞬く間に内外から焼き焦がす。
黒焔に持ち上げられて僅かに浮かんだ首と残された身体に幾つもある顔が灼熱による苦悶と現界する為の肉体どころか死色の異形――【疫死の蒼白】にとっての魂に相当する情報すらも焼却される事が本能的に分かる絶望に歪み、絶叫する。
損傷箇所を補おうと【疫死の蒼白】の体表が赤く結晶化して覆われていき、体内で大量に発生した結晶体が急拡大して体表の結晶が圧迫されて軋みを上げる。
頭部は落下して地面に転がる頃には完全に結晶化して、半分程が黒焔に焼き熔かされた悪趣味な赤い硝子像の様になり、【疫死の蒼白】の大部分を占める首から下も大半が結晶化していて黒き業火へと呑まれ行くのみである。
【疫死の蒼白】は胴に幾つもある顔を掻き毟る様に擦って赤い結晶の破片をボロボロと溢しながら、其の場で蹌踉めいて不規則に回り、其の者に最期の抵抗として腕を振り回し始めた所で完全に結晶化して硬化した身体が遠心力に引かれて倒れ、ぶつかった衝撃で砕け散った。
其の末路を冷めた眼で見ていた其の者の右手に握る大太刀が黒焔に包まれて鋒から柄に向かって黒い燐光を散らして消えて行く。
柄だけになった所で其の者が手首を返して右手を上に向けて開くと、黒い火球となって浮かび、小さく爆ぜる様に散ると、其処には大きな蛾の様な翅を広げ、先に細長い針を持つ蜻蛉の様に長い蜂の様な黄と黒の縞模様の警告色の胴に胸部から百足の様に無数の節足の生えた、蟷螂の様な逆三角形の頭部に蜘蛛の様な十の単眼と天牛虫の様な大顎をカチカチと鳴らす奇妙な蟲――【ズスティルゼムグニ】と下半身が融合した女の持っていた【屍天蟲】があった。
「【我こそは【伝承も曰くも無き者】、【大罪の抑止にして敵対する者】、【悪平等の追放者】の異名を持つ者也】
【【例外特権】:『【個体名:アリッサ・マクレーン】と【■■■■】。此の者等は資格は無くとも【大罪】に至る事を許可する』】。そして【【強制実行】:『【大罪】に至ったと云う結果を与える』】」
其の宣言が為されると同時に、灰色の噴出する柱は栓を閉められたかの様に唐突に消失し、周囲から身を守っていた蟲の結界が散って顕になった【ズスティルゼムグニ】と下半身が融合した女が代替する依代を失った事で襲い来る代償に苛まれて悶え苦しみ絶叫する。
そして女は身体が蟲となって、砂像が強風に吹かれた様に輪郭が端から崩れて落ちて行き、灰色の柱が噴き出した事で再び開かれた穴からゴポリと大きく気泡が弾ける音が響く。
女が地面に激突すると女の肉体は完全に形を失い、蟲の塊として其の場に積もり衝撃で崩れた部分が地面に広がる。穴からは突沸した様にゴポゴポと泡が沸き立ち弾ける音が加速する。
ブブブブブ、ガサガサガサ、カリカリカリ等様々な羽音や硬い外骨格を節足が掻く音等の一つ一つならば小さな音が蠢き犇めく無数の蟲が一斉に立てる事で増幅されて耳障りなオーケストラの如く音を響かせる。穴からは赤や緑、灰色等の色と手脚や鰭等の生物のパーツが沸き立ち気泡に弾かれて放出されて地面に転がり液状化して互いに混ざり合い、排水口へと流れる水の様に吸い寄せられて穴の底へと戻る。
蟲の山から昆虫らしき硬質な光沢を持つ奇妙な人間の物に近い腕が突き出す。穴からは不定形の様々な色が混ざる原形質が排水口から逆流する様に溢れ出し、其処から倒したペットボトルから流れ出す水の様に職員達に向かって這い出て、先の方から出来の悪い泥人形の様な関節も顔のパーツも無い人型の上半身を模り始める。
今此処に、二人の【魔人】が二体の異形へと転生し、そして……




