139.【無力】と【傲慢】
サボって…なかった…よ?
蟲の山から突き出した昆虫らしき硬質な光沢を持つ奇妙な人間の物に近い形状の腕を中心に、新緑の葉の様な生命感のある、然し其れとは矛盾する様な全てを滅ぼす様な禍々しさを感じさせる明るい緑色の炎が噴き上がり、穴から這い出た関節も顔のパーツも無い人型の上半身を模る不定形の様々な色が混ざる塊からは陰鬱な蒼白と灰緑が入り混じった廃退的な気配を放つ炎を体表に纏わせる。
緑色の炎は瞬く間に蟲の山全体へと燃え広がると、其の炎の存在しない熱に焼き熔かされる様に小さくなっていき、炎の中に何かの影を残して消える。そしてヴゥウウウ~ンと云う重低音が聞こえると燐光を散らして炎が消え、其れは姿を現した。
出て来た其れには最早女性としての面影は無く、頭部は表面に細かい棘が生えた硬質な仮面の様な甲殻に覆われて周囲を鬣の様な暗緑色の長毛で囲み、上部の両端から二本の釣り竿の様な長い触角が伸びて、顔に六角形を当て嵌めた際に其の頂点に中たる様な位置に白目の無い六つの単眼が昏く光を反射していた。
胸部に当たるだろう場所には人間の名残を僅かに残す骨格で一対の腕の他には六枚三対の蝙蝠の様な翼が肩甲骨辺りから生えており、其れで其の場にホバリングしている。胴はドリアンや松ぼっくりの様な突起の付いた涙滴型を逆さにした様な形で、先端に一本の長い穂先の様な針と其れを囲う様に細かい棘が生えており、半透明な淡緑色の突起を揺らす様に蠕動していた。
対する不定形の人型は、腰から下のチューブ状のゼリーの様な物に吊り上げられる様にして上へと持ち上げられ、直立すると一切のパーツの無い顔が縦に割れて其の下から蒼白の瞳孔を持つ巨大な一つ目が現れて、蛇が鎌首を擡げる様にして睥睨する。
聳え立つ身体から空中に根を張る様に細長い物が周囲へと枝分かれしながら拡がって枯れ果てた巨木の様になり、其れと共に数えるのも億劫になる程の夥しい数の大小様々な蒼白と灰緑色の瞳孔の眼が、原形質の体表を埋め尽くす様に開かれ、根本たる穴からは原形質の肉体から形成された蛸や烏賊の様な触腕が天上の満月を掴まんとする様にして上へと伸びて、炎を宿す爪で宙を掻いていた。
「あ、アア、アアアアアアアアアアァ〜〜!?!?」
【怪異対策班】の隊員の一人が絶叫する。彼はアサルトライフルを取り落とすと悶える様に頭を押さえ、動きが止まったと思った次の瞬間に腰からナイフを抜くと数多の眼を持つ原形質の異形に向かって狂った叫びを上げながら駆け出した。
そうなったのは彼だけでは無く、他にも何人もおり周囲の正気を保った仲間が複数人で慌てて押さえ込み、精神医学の心得がある者が治療を試みている姿が信楽の視界の中だけでも複数見られる。
「支部長!!」
「……ウ、グッ!…嗚呼、不味い事になったな」
副支部長の女性の緊迫した声に、信楽は緊張で強張る顔に引き攣った笑みを浮かべて、解除されていた【美徳】の権能を再起動させようとするが、双眸に走る目障りなノイズと激痛により失敗する。
(クソがッ!!只でさえ其れなりに消耗しているのに、此処から【大罪】二体同時は洒落にならねぇぞ……ッ!?其れにアイツはどっちだ?
あの二体とは比べ物にならない様なあんな奴とも殺り合う事になるなら、本部の戦闘員が居ない此の状況はこちらに甚大な被害が出兼ねない……!!)
信楽が高藤が放つ雷渦を一歩も動く事無く涼しい顔で易易と捌き、何事かを詠唱して力を集める彼の者に視線を向けた其の時、信楽を含む全ての【神怪課】職員が装着するインカムに短いノイズが走ると、静かな男性の声が流れる。
『【本部】より総員に通達。現状は把握している。態勢が整い次第支援を行う。
現時刻を以て現れた名称不明実体をそれぞれ、蟲の残骸から生まれた個体を【CSO−6182−JP】、穴から現れた個体を【CSO−6183−JP】と仮称する。総員、死力を尽くして此の場で撃滅せよ。
そして、現れた男についてはこちらの職員であると云う情報以外は秘匿し、口外を禁ずる物とする。仮に明確な敵対行為を確認した瞬間に、【ラタトスク】が鎮圧を行う為、諸君等は与えられた任務を遂行せよ。
以上』
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【神怪課 本部】のオペレーションルームで通信を終えた、年齢が2、30代辺りに見えるフードの付いたブカブカのダークグレーのパーカーを着た一人の男がマイクの傍らに置いていたスマホを手に取る。
一度脱力して体重を後ろに下げて、屁理屈を捏ねて半ば言い包める形で予算で購入したゲーミングチェアの背凭れに寄り掛かりギシリと鳴らすと、酒精か、せめてカフェインの入った飲料を飲みたい気持ちを抑えて男は直前に掛かって来た電話番号をリダイヤルして耳に当てる。数度コール音が鳴った所で男は前置き無く相手に尋ねた。
「此れで良いかい?【傲慢】」
『嗚呼、済まんな。【ラタトスク部隊総長】【フレスヴェルグ】殿』
「……其の名は既に後継者がいる。今は【無力】と呼ばれているよ」
僅かな沈黙の後に感情を抑えた固い声音で今の仕事時の名を告げると、諦念の籠もった疲れた声で続ける。
「其れに問題しか無いがしょうがない。基本的に傍観者である貴方が動くどころか態々口出しして来たんだからね。
まぁ、今回裏で糸を引いていたのが奴だったんだから当然か。今頃は虚仮にされた親やバチカンがブチ切れているだろうね?
其れに家の職員を助けてくれたみたいだしね。」
【無力】がチラリと視線を向けた先には、背後に明らかに相当の訓練が施されたと判る数人の簡素な装備と自動小銃を身に着けた職員に見張られて縮こまって椅子に座り、居心地の悪そうにチラチラと眼で辺りを見回す八重樫があった。
視線を手元にある八重樫が持ち帰った資料に向けると会話を再開する
「彼と、一緒にいた女性の証言と持っていた資料で、既に脱獄囚達や出資者達も全滅しているし、一連の事件がかなり面倒な事になっている事も理解したよ。
所で奴は何だい?」
『【拾なる大罪】の中で唯一【Nidhogg】に指定された世界から抹消された【大罪】じゃよ。』
「は!?」
返って来た答えに【無力】は驚愕の余りスマホを取り落としそうになる。既の所で耐えた【無力】はスマホを持ち直すと、何とか感情を落ち着かせて尋ねる。
「……能力は?」
『知らん。だが無敵じゃ。何せ本来、お主等【美徳】の役割を担う筈だった【大罪】だったんじゃからな』
あっさり言い放たれた否定の言葉に【無力】は文句を言おうとして、直後の言葉で沈黙する。
『本人曰く、【勝利する事が出来ん】と云う代償を背負っておるそうじゃが、裏を返せば勝利条件に引っ掛からなければ、他の【大罪】を九人同時に相手取れると云う事なんじゃよ』
其の時点で敵対する事になれば脅威以外の何物でも無い台詞に、【無力】が何か云うよりも先に【傲慢】が続きの言葉が流れる。
『まぁ、基本的に奴は此方側じゃよ。問題は他にあるしのぉ……』




