エル・ウィエルダ・3
真っ白な、何もない空間。
ウィリアムがこの場所に来るのは、二度目のことだ。
――自分の姿が、男の体躯であることも、一糸まとわぬ姿であることも、前と同じだった。
ただ違うのは。
「……どうしたら」
ウィリアムが、頭を抱えて立ち尽くしていることだ。
髭の生えた葉月のような見た目の、自称門番が相変わらず玉座にふんぞり返り、杖をくるくると回して遊んでいる。
がつがつと歩み寄り、ウィリアムは門番の肩を掴んで揺さぶる。
「どうしたらいいんだ、僕は、このままじゃガンゲツに勝てない!」
「ぐえ」
手が滑って首を絞めていたことに気がついて、ウィリアムは手を離す。
首をおさえて鼻に皺を寄せた門番はウィリアムを見ようとしなかったが、声は聞こえているらしい。
「このままじゃ勝てないーって。
自分、押入れに居候してる青い猫型機械とちゃうんやで? そんなん言われてもこっちかて困る」
またよくわからないことを言われたが、これはきっと葉月の言う「お約束」と同種の符牒なのだろう。問いただしてもきっと意味が無いこともわかっている。
頭を抱えなおし、白い地面にへたりこむように腰を下ろしてウィリアムは唸った。
「……僕はまだ死んでない。そうですよね?」
「せやで」
門番は、以前と同じ状態であることをさらりと肯定する。
だが、何かを思い出したような顔でそのあとに付け足した。
「せやけど、このまま戻ったかてな、ういる、自分死に続けるで」
怪訝な顔をして門番を見つめたウィリアムの方を、門番は相変わらず見ようとしない。
再度、杖をぐるぐると両手で回そうとして、取り落とした。
からからん、と響いた音とともに転がった杖をじっと見下ろして、門番はそれを拾おうとしなかった。
「相手さんの武器が刺さってるのは、心臓や。
……もうわかってるかと思うけどな、自分、あの剣を持ってる間、ちっとやそっとの怪我はなおる。
せやかて剣が刺さったまんまやったら治るものも治らへん。あたりまえのことやな。
ってなんやその顔。まさか気ぃついとらへんかったんかい! 教えてしもたやないか」
そんな効果があったのかと目を丸くしたウィリアムに、言い過ぎた、とでも言いたげに門番は自分の額を手で軽く叩く。
そしてようやく、ウィリアムへと向き直った。
「自分な。ほんまは、戻りたないんやろ」
低く、言い含めるようにゆっくりとそう発音した門番の目が随分と冷たくさめていることに、ウィリアムは初めて気がついた。
「ほんまにどうにかしたいんやったら、とっくに戻ってるはずや。
何度も死にかけて死にかけて死に続けるような状態でも、死なんとこって思う限り死なへんねやで?
一回であかんかっても、百回も二百回も、何千回でも、あの刃物引っこ抜いたろって試せばええんや。
たった一回でもうまく行けばええんやから。トライアンドエラーやな。
せやけどそんなんめんどくさいんやろ。
とっとといろんなこと終わらせて、楽になりたいんやろ」
相変わらずの奇妙なイントネーションには、断罪の響きすらあった。
「気持ち悪い剣押し付けられて、わけわからん重責突然持たされて。
変なことに巻き込まれたなあ思うてるんやろ。
そないなややこしい話はみーんな、自分の知らんところで片付いててほしいて。そない思ってるんやろ?
いっそこのへんですこーんと脱落してしまえば、あとのことは誰かしら片付けてくれるやろって」
何一つ、間違っていなかった。
ウィリアムはその事実に口をつぐむ。
――責任感の欠如。
――当事者意識のなさ。
うっすらと自覚は合ったし、そのことについてなんと言われても構わないと思っていた。
だって、そうじゃないか。
どうして自分が、わざわざ性別を変えてまで「女王」なんてのをやらなければならない?
そんなことは自分じゃなくて、例えば権力が欲しいアデルバートにでもやらせてみたらいい。
どうして。どうして僕が。
ずっとその思いはあったし、ずっとそう考えていたのだ。
召喚に立ち会い、剣を抜いたその時から。
性別が変わるることさえも「本当は私でなくても誰かが」、その思いを後押ししてきたのだ。
「戻らないと、葉月さんが」
どうだと言うのだ。
言葉にして初めて、それ以上を思いつかないことに気がついてウィリアムは黙り込んだ。
葉月が、なんだと言うんだ。
危ない? どこが。
命を尽くすような戦いを好むのだろうという想像通り、ガンゲツは確かに葉月を盾にはしなかった。
アデルバートは魔法が得意なようだし、斬り合う他に能のないウィリアムよりもずっと護る方策を持っていそうだ。
他の誰かのほうが、きっと自分よりうまく物事を片付けてくれる。
面倒なんだ。
厄介事なんて、全部、自分の知らないところで片付いていってしまえばいい。
それをするのは――自分じゃなくてもいい。
その思考に行き着いた時。
――ふいに。
ウィリアムの中に、葉月の目を閉じた顔が浮かんだ。
『あたしの世界にはね。自分が、自分だけが特別なことなんて、何もないの』
(あの時、僕はなんと答えた?)
確かこう伝えたはずだ。『あなたが必要です』と。
ただ彼女が欲しがっているだろう言葉を探しただけだった。そのつもりだった。
それなのに。
特別な存在になったのに、それを投げ出そうとしているウィリアムを葉月が見たらどう思うだろう。
「……誰も聞いて来おへんかったんやろ。自分はあえて聞くで。
なあ、ういる。自分、何がしたい? どうしたい」
門番が、杖を地面に飲み込ませて新しい杖を自分の頭上に呼び寄せ、掴んだそれでウィリアムを指した。
その質問はさっきウィリアムが門番に向けて発したものとほとんど同じものだったが。
今の彼には、それに答えを出すことができた。
「ガンゲツを倒します」
「それは前提やな。そのためにどうすんねん」
「――まずは引っこ抜くんですよね。僕の心臓に刺さってる剣を」
そう言ってウィリアムは微笑んだ。
門番はまた額に手を当て、「しもた、まぁた教えてしもた」と呟いた。
水と、竜の血と、ウィリアムの血が土と混ざり合ってできた泥。
その中に取り落とされた剣を、ガンゲツが拾い上げた。
「エル・ウィエルダが奪われて、オレの祖先は王の座を追われた。――ついに取り戻したぞ」
その剣を天へと掲げる。
それから初めて、ぎょっとした顔でガンゲツは剣を見上げた。
陽光がその鞘を照らしていた。
「なぜ……」
愕然とするガンゲツの方へと、葉月はふらふらと歩き始めた。
彼女には、まるで状況が理解できていない。
目が覚めたら地面に転がっていて、アデルバートがいて、女王だとガンゲツが呼んだ女性を抱えていた。
そして、目の前で、ガンゲツがウィリアムを刺した。
――状況は見たままなのに、それが葉月の頭にまったく入ってこないのだ。
ただ、ウィリアムが地面に倒れる様は、まるで望遠レンズでも目の中に入っていたような気分になるくらい、いやにはっきりと見ることができただけで。
寝起きの、半分眠っているような頭はそれが事実なのかを確かめようと足に移動命令を出したのだ。
「葉づ――」
呼び止めようとしたアデルバートを、彼の腕の中にいたリタが服を引っ張ってとどめた。
いくらか頭がはっきりしてきたのだろうか。さっきよりはしっかりとした目で、アデルバートを見据えている。
「あの子なら、だいじょうぶ」
少しだけ怪しいままの呂律で、リタはしかしはっきりとそう言った。
聞き返そうとしたアデルバートに、リタは小さく頷いて続ける。
――少しだけ、引きつった笑顔を浮かべながら。
「わたしが、みがわりだから」
意味を悟って、アデルバートはリタから顔を逸らした。
ガンゲツは無防備に近寄る葉月を止めようとはしなかった。
戦えもしない小娘ひとりより、剣が、本来の所有者の一族であるはずの己を受け入れなかったことの衝撃の方がはるかに重大だったのだ。
「ウィリアム……?」
葉月は現実味のないまま泥の中にしゃがみこんで、地面に横たわった人物の頬に触れた。
次は13日、月曜日。
……次辺りで戦闘終わる、はず。




