エル・ウィエルダ・2
戦闘につき、残酷描写が含まれます。
※7月7日早朝、サブタイトル変更
(切り替わりを一話分早くしただけです)
どう、と。
血を流しながら倒れ伏した竜の息はもう長くないのが一目でわかる。
ウィリアムは己の手にした剣を――血が滴っている――陽光にかざした。
なんという剣だ。
竜の鱗を、口の内側からとはいえ、切ったというのか。
ぞくぞくとした何かがウィリアムの背を走り抜ける。快楽に似ていた。
唇の端が震えるのを感じる。目尻が否応なく細く引き絞られていく。
剣を握りなおし、振りかぶり、竜を更に刻むべく振り下ろそうとして、
「――ぁあ!」
悲鳴に近い声を上げて、ウィリアムはその剣を側の地面に突き刺した。
深く、濡れた土を切り裂いて深く、剣はその刀身を泥濘に埋める。
荒い息を吐いて、膝をつかぬように両足を広げて立ち、顔にかかった血を拳で拭う。
その顔が、先程までとは打って変わって青褪めているのを、アデルバートは見た。
「なんだこの剣……なんだ、この剣は!」
ウィリアムが叫ぶ。
その声には、紛れも無く怯えが滲んでいる。
「知りたいか」
低い声が、足元からじわりと水が染み出すような不穏さを纏いながら響いた。
場違いなほど楽しそうな声。
以前かわした時と言葉がそっくり入れ替わっていることに気がついて、ウィリアムはゆっくりと目を閉じて、深く息を吸い、吐いて整え、それから振り返り、その先に見え始めた人影を睨んだ。
「……ガンゲツ」
アデルバートは、不快感に眉を潜めた。
美しい女の姿であるウィリアムがその男の名を呼ぶのは、どうにも気に食わなかった。
だが――どう思おうと、今、大事なのはその男がここにいるということだろう。
リタを抱えたまま、アデルバートは立ち上がる。
――相変わらず呆けたままのリタが、少し、震えている。
「逃げずによく来た。その女、女王ではないな?」
張り上げられる声は大きく、しかし僅かにしか聞こえないほど、まだ、その姿は遠い。
はっきりと聞き取れているのは、ただ、ガンゲツの声質によるもののようだった。
あの男は街の中にいて、こちらを見ていたようだった。
遠くに消えたふりをして、同じ街でこちらの動向を伺っていたのだろうか。
ウィリアムは剣呑な色を帯びた目をガンゲツに向けた。
「ガンゲツ。聞きたいことはいくつもある」
「ひとつだけ答えてやろう、ウィリアム」
少しずつ近づく、声。
少しずつ大きく見えてくる、姿。
その姿が十字に近いのは、ガンゲツの抱えているものが大きいからだ。
ちょうど、そう、少女一人分くらいの。
最も優先順位の高い問いは、きっとそれではなかっただろう。
だが、ウィリアムはその一つだけを問うた。
「葉月さんは、無事だろうな」
ククク、と。ガンゲツは笑った。
「無事だ……と言いたいところだが」
ガンゲツは足を止めた。
そのあたりから、水をまいたはずだった。
葉月を存外丁寧な仕草で地面に下ろすと、ガンゲツはあの大きな刀を抜き放った。
ざわりと、ウィリアムの背筋が粟立つ。
無抵抗な少女に向けて振り下ろすことはせず、ガンゲツは抜身の刀だけを手に、歩みを再開した。
「一晩中びーびーと、よく泣いた。初めてだったんだろう」
後から思えば、ガンゲツは意図的にそういう言い方をしたのだろう。
随分と鍛え方の足りない体つきに、危機感の足りない軽率な行動。あの日、王宮で見せた行動だけでも、葉月が『さらわれること』は初めてだろうほどに温い生き方をしていたのだろうことぐらい、ガンゲツにもひと目で見抜けていたのが事実だ。
せいぜいが、この女のいた異世界とは余程安穏な暮らしを許すのだなという呆れを憶えた程度。
その程度だったのだ。
だが。
ウィリアムは、ガンゲツの狙い通りに誤解した。
怒りで頭に血が上り、全身が冷えたような感触がして、ウィリアムはただ口を開くだけのことがこんなにも重労働だったのだと、初めて知った。
それだけの思いをして顎を動かしても、何を音にするのかに迷う。
どんな言葉も、ただ罵倒に色を変えてしまいそうだった。
やっとのことで、音を絞り出す。
「――殺してやる」
ついさっき手放したばかりの剣を、その柄を、躊躇なく地へと、血の泥の中へと膝をついて掴む。
開いた瞳孔に眼の色すら変わって見えるかのような怒りを向けられて、ガンゲツはニィと笑った。
もう二人の距離は、踏み出せば斬りこめる程に近づいていた。
竜はもう顔をあげる力もなかっただろうに、それでも主を見ようと瞳を動かした。
吠えることもできない竜は、最期の力を振り絞ってか翼を大きく跳ね上げ、叩きつけようと振るう。
それを一瞥もすることなく、ウィリアムの手にした剣が切り裂いた。
「もっと憎め。オレを憎め。殺意をエル・ウィエルダに捧げろ」
ガンゲツが何と言ったのか、その時は誰にもわからなかった。
腰を僅かに下げて重心を低くしたガンゲツへと、ウィリアムが跳びかかる。
振り下ろされた剣は、刀ごとガンゲツを切り裂かんばかりの勢いで空を裂いた。
だが、酷く高い、澄んだ音を響かせて、ガンゲツの刀はそれに折られることなく受け止める。
「それでこそ、アビィの仇を取れる」
――きっとそれが、もう二度と動かぬ竜の名だったのだろう。
ちらりとだけ暗い目を竜へと向けた後、ガンゲツは熱のこもった目の先をウィリアムに移し、そのまま竜を見なかった。
止められた剣の弾かれる勢いを利用して後方へと飛び退り、ウィリアムは体制を崩すことなく着地して剣を下げると、低い位置からガンゲツの懐に飛び込むような勢いで踏み込み、剣を振るった。
体が酷く軽いことに、ウィリアムは何の疑問も抱かなかった。
圧倒的な熱が、体の奥から沸き起こり続けている。
その正体は怒りだと、ウィリアムは思っていた。
振るった剣を刀が再び受け止め、ガンゲツは脚を正面から踏み込むようにしてウィリアムの腹を蹴り飛ばした。血泥の中を後転の要領で転がって立ち上がったウィリアムの金髪が、赤黒い汚れを含んで白い頬に張り付いている。
それを拭うこともせず、胸の前で剣を握り、全体重をかけるようにして突き入れたウィリアムに、さすがのガンゲツもこれを横に動いて躱す。
何もない場所を突いたウィリアムにできた隙に、水平に払って斬りかかったガンゲツの刀。
「エルは、剣。ウィエルダは、世界」
金属と金属のぶつかる音の後に、ぼそりと呟いたのはガンゲツだ。
ウィリアムから目を離さぬままゆっくりと一歩離れ、手にしたファルシオンを地面に向けて素早く振ると、刀は半ばから折れ飛んで地面を抉った。
武器を壊されたというのに、ガンゲツは相変わらず、酷く楽しそうな顔を崩さない。
それはまるで、長く恋い焦がれた相手に出会えたかのような恍惚にさえ見える相貌。
「そうだ。その剣の名だ。かつてオレのクニの王が、お前たちのクニに奪われた魔剣の名」
恋唄を歌うような調子で囁くガンゲツの言葉は、しかし。
ウィリアムの耳に、届いているのかどうか。
ガンゲツは短くなった刀を、ウィリアムの首に当てる。
――ウィリアムは動かない。動けない。
倒れこんでいないことのほうが奇跡のような状態だった。
腹は半ば切り裂かれ、血が止まらない。
意識があるのかさえ傍目にはわからないような姿。
「……クソッ!」
少しずつ少しずつ、ウィリアムとガンゲツから距離を取っていたアデルバートにも、それは見て取れた。
二人の戦っている間に葉月の側まで来ることができたところだった。葉月は放っておいてももうすぐに目覚めるだろうと思えたが、リタは歩くことなどできないだろう。
どうしたものかと思っていた、その矢先だった。
悩む暇はなかった。
アデルバートは『石を投げた』。
「砕石雨」
懐から取り出した魔法陣に、残った魔力を叩き込む。
これは銃爪だ。仕込みはすべて、夜の間に終えている。
あの水だ。
「!」
ガンゲツが何かを叫んだ。
ウィリアムたちの足元から、水が凄まじい勢いで空へと舞い上がっていく。
土を、石を巻き込んで吹き上げられた水は、ある高さまで上がったところで重力にまかせて地へと降り注ぐ。
ウィリアムは微動だにしない。
水の影響も、まるで受けていない。
召喚の直後に賢者が見せた、『盾』の効能だった。
「こういう地味な術は、苦手なんだからな……」
あの剣の、鞘を持っている者は魔術の攻撃をほとんど受けつけない。それが『女王』であるなら、なおのことその防護効果は増す。
巨大な魔法陣の中に入っても、鎌鼬の暴れる風を受けても、それが魔術であったがためにウィリアムは無傷だったのだ。
ばざざざざ、どざざざざと、凄まじい轟音。
その音は、さながら滝の側にいるようなものだ。
「ひゃ!」
「よ。起きたか」
飛び散った飛沫が耳にでも飛び込んだか、葉月が跳ね起きた。
状況がまったくわかっていないのだろう葉月に、アデルバートは軽く手を上げて挨拶する。
やがて水がおさまり、音が消える。
あとに残ったのは全身くまなく泥にまみれ、随分と打ち据えられた様子で全身から血を流すガンゲツと、汚れは多くないのに、姿勢がまるで変わらないままのウィリアムだった。
「――まずい!」
致命傷ではない。
ガンゲツのその様子に気がついたアデルバートが叫んだのとほぼ同時だった。
ウィリアムの胸を、ガンゲツの手にした残った刃が貫いたのとは。
次は9日、木曜日。




