表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/41

エル・ウィエルダ・1

クライマックス突入。


※7月7日早朝、サブタイトル変更。

(切り替わりを一話分早くずらしただけです)

 朝からずっと、ウィリアムはその場所に立っていた。

 アッダンの入り口を背にしていくらか歩いた場所。

 そう遠くはなく、大きな声で騒げば何か言っているのが聞こえるだろう程度の距離だ。

 結局一睡もしていない。

 眠れなかった。

 二日続けての徹夜は流石に堪える。日差しが目に突き刺さってくるような錯覚を覚える。

 だからといって苦痛を訴えることもできない。したくない。

 ただ、少しくらいの呪詛を吐いても許されるはずだ、とウィリアムは自分を納得させた。


「――許すものか」


 人質を取られていること。それについては何の不満もない。勝率を上げるための工作を非難できるほど潔癖な生き方などしていない。

 何より、ガンゲツという男はおそらく、この場で戦いを挑んでくるだろうが――それにあたって人質を盾にはしないだろうという妙な確信があった。

 それはただの直観でしかない。

 だが、葉月という『鍵』が相手の手にある以上迎え撃つ他ないウィリアムたちにとって、ほんの少しの希望だった。

 陽光は徐々に、足元の影を短くさせていく。

 そしてとうとう、その時が来た。

 ばさり、と。

 翼が風を打つ音がした。

 その音のした方を見て――確かに近づきつつある竜を見て。

 ウィリアムは奥歯を噛み締めた。

 声の限りで、叫ぶ。


「ガンゲツ――あの男!」


 竜の背に、ガンゲツはいなかった。

 ただそこにある鞍に、ひとりの女性が縛り付けられているばかり。

 裾を引きちぎられた桃色の、ドレスだったと思しき布を纏った女性は、自分の置かれた状態をわかっているのかいないのか、うっすらとした笑いを顔に貼り付けている。

 見覚えのある顔だった。

 リタだ。

 酒場の女給の。

 だが、それしかいない。

 葉月もいない。ガンゲツはこの場に、来なかったのだ。

 どこにいるのだ――素早く周囲を見回そうとしたが、目の前の存在がそれを許そうとしなかった。

 竜はウィリアムを見た。

 いつ見ても爬虫類を思わせる顔だ。

 それが、ニィと――まるで竜の主たる男を思わせるような形で――尖った歯の、牙の覗く口だけを大きく歪めた。

 その口を大きく開き、竜の腹がぼこりと膨れ上がる。


「ブレスか!」


 数日前の王宮で、ウィリアムを瀕死にしたあの炎だ。

 激しい熱が、地面を転がるようにして躱したウィリアムの髪を揺らし、周囲の草を焼き払う。

 緑の草が多くとも、これだけ強い炎に晒されてはひとたまりもない。しかし、延焼はしなかった。

 地に降り立った竜が、地面を見つめて顔全体で首をかしげる様な仕草をする。

 ――湿っている。

 夜の間にウィリアムとアデルバートが大量の水を撒いていたことなど竜には知る由もなかったが、泥まみれになった脚が若干不快なようで、片脚を上げてはブルブルと振って泥を飛ばし、また片脚を上げては泥を飛ばしを数度繰り返している。もっとも、脚を下ろせばまた泥濘ぬかるみに踏み込むのだが。

 もちろん、ウィリアムの服ももう泥だらけだ。

 だが、汚れや足場の悪さなど、森で暮らしてきた彼にとって忌避するほどの問題ではない。

 ウィリアムは剣を抜き放ち、竜に向けて大上段へ振りかぶった。


「あはははぁ……」


 うつろな笑い声がする。

 鞍の上で縛られたリタのものだ。

 ぎくりとして思わず手を止めたウィリアムの耳に、リタの声は絡みつくような響きを持って届いた。


「ウィリアムさんだわぁ、ひさしぶりねぇ」


 間延びした声。もっとしっかりと喋るはずの彼女の声は、陰気な夢を見ているかのようだ。

 否――今のウィリアムは女性の姿だ。見た目でそうとわかったはずがなく、おそらくリタは正しく夢を見ていたのだろう。

 ともかく。このまま剣を振り下ろせば、リタまで切ってしまいかねないと判断し、ウィリアムは剣を下ろして飛び退る。


「異変が起きてからぁ、あまりお店にー、来てくれなかったからぁ」


 クスクスと笑う彼女が見ているのは、幸せな夢なのか、それとも悪夢なのか。

 ウィリアムを追おうとしたか、竜が一歩を踏み出す。だが、自重が災いしたのだろう。ひときわ柔らかくなっていた場所に踏み込んだらしく、体が傾ぐ。驚いたのだろうか、竜はウィリアムへ向けてただ咆哮した。


「だからアタシ、女王になったのぉ」


 咆哮にまぎれて聞こえてくるリタの言葉に一貫性はない。

 だが。


「リタさん」

「……助けて」


 呼びかけた声への返答は、はっきりとそう聞こえた。

 短くなった裾からは、膝から下のない足が見えている。

 ――おそらくは、痛みを止めるための麻酔の影響。

 それによって朦朧としているリタは、それでもまだ、死にたくないと震えていた。


「少しの間、眼を閉じて、できれば眠っていてください」


 剣を振り上げて。

 ウィリアムは顔をしかめた。

 リタを見殺しにして、このまま剣を振り下ろせば終わりだ。

 だけど。


「アデルバート!」


 そんなことをしたら、葉月に合わせる顔がない。

 奥の手を使う理由には、それで十分だった。


「お前……後悔しても、知らんからな!」


 誰もいなかったはずの背後、少し離れたところから声がした。

 強い風が吹く。

 うっすらと、黒い服を着た男が風の中心からにじみ出る。

 それはすぐに、アデルバートの姿になった。


魔工精霊風種シルフ、頼んだ!」


 今の今までアデルバートを覆い隠していた魔工精霊が、小さなつむじ風を尾にした少女の形になって走りだした。そのまま、猛スピードで竜の鞍に飛びつくとリタを縛る縄を切り裂いて消える。いくらかはリタの肌にも傷を負わせたようだが、かすり傷程度で済んだはずだ。

 ウィリアムは急いで走り寄ると、竜の背からリタを抱き上げる。竜が翼を叩きつけてくるのが少し痛いが、耐えられない程でもない。むしろリタを攻撃されないように、ウィリアムが自分から当たりに行って勢いを削いでいたくらいだ。

 だが、剣一本で何度も縄を切るために挑むよりはよほど安全で、早く済む。

 ウィリアムがリタを抱えて離れたのを見て、アデルバートは膝をつき、べしゃり、という泥の感触に嫌そうな顔をした。

 魔工精霊は臨機応変な動きができたり応用がきく代わり、消費する魔力が激しいのだという。


「もう後は、石投げるくらいしかできんからな!」

「十分です。リタさんをお願いします」


 歩くことはできないだろうリタを引き受けて抱えながら、アデルバートがそう言って唸る。

 ウィリアムとて、援助攻撃をしてほしいなどとは思っていない。

 竜を相手に放たれるような術に巻き込まれれば、色々とややこしいことになりそうだからだ。

 泥にはまりこんでいた竜にには、尻尾がない。あればバランスを上手く取って、とっくに泥濘ぬかるみから抜けだしていただろう。結局抜け出すために、一度飛ぶことにしたようだ。

 翼をガシガシと叩きつけるように動かして、僅かに地面から離れる。


「ゴアアアア……!」


 もう一度ウィリアムを見て、竜が吠えた。

 更に地面から離れ、急降下するような姿勢であぎとを開き牙を向けてくる。

 ――いける。

 王宮で同じ竜と対峙した時にはなかった確信を持って、ウィリアムは剣を構える。

 首筋が冷えるような感覚と、腹の奥から沸き起こるような熱の感覚。


「おい……ウィリアム、避けろ!」


 アデルバートの声が、ウィリアムにはまるで届いていない。

 口の端をあげ獰猛な笑みを浮かべ、構えた剣の先に当たる風すらわかるかのような感覚の中で、ウィリアムはそれを横薙ぎに一閃した。

 竜の口腔が、深く裂けたように広がって、ウィリアムの体をくわえ込む。

 ――しかし、ウィリアムの細い、少女のかたちをした体が噛みちぎられることはなかった。

 鱗に覆われた口が避けたように見えたのは錯覚ではなかったからだ。

 ウィリアムの手の中で、剣は恐ろしく細いくさびのような形に姿を変えていた。

 下顎を失った竜が転げるようにのたうち回っている。

 あまりの切れ味に、情景に。アデルバートは目を疑うかのように瞬きした。

 何度見なおしても、その状況は変わらず、吹き出す竜の血を浴びながら、無傷のウィリアムが獣のような笑みを見せて立っていた。

次は6日、月曜日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ