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ウィリアムとクーパー靭帯・6

少し残酷な描写があります。

「うん……」

「起きたぁ?」

「まだ寝てる……」


 甘ったるい臭いに鼻をくすぐられ、葉月は小さくうめき声を漏らした。

 かけられた声に寝ぼけた反応を返して、


「!」


 飛び起きて、葉月は周囲を見回した。

 毛足の長い絨毯が敷かれた、そう広くはない部屋の中。

 一枚毛布をかけられただけの状態で、葉月は眠っていたようだ。

 隣には、明るい桃色のドレスを纏った女性がにこにこと笑いながら葉月を見ていた。

 膝を曲げて座る彼女は、はっきりした目鼻立ちが小顔にバランスよく配置されていて、美しい顔立ちをしている。だというのに。

 その女性の、どこか壊れた、クマの濃い笑顔。

 葉月はそれにぎくりとしたが、女性には敵意めいたものはなさそうに見える。

 もう一度室内を見回したが、部屋の中には絨毯と毛布の他にはほとんど物がない。窓さえもなく、ランタンの灯りだけが部屋の隅に置かれている。

 葉月は状況を理解しようとした。

 窓から外に出たところで、何かが上から聞こえてきて、見上げた後のことは覚えていない。

 うなじがずきずきする。

 触ってみると、痛みが走った。


「あーあー、まっ青になってる。触らないほうがいいよー」

「青く……? 打ち身になってるの?」


 女性が首を伸ばして葉月のうなじを覗きこみ、そう言った。

 痛いことに気がつくと、更に痛くなってくる。よくある話だが、今の葉月はまさにその状態だった。

 手を首の後に回し、ここはどうかそこはどうだと突っついてみる。

 それを見ていた女性が、「さわらないのー」と、ケラケラ笑いながら葉月の両腕を捕まえた。


「わっ」


 そのまま、葉月は絨毯へと押し倒される。ふわりと受け止めるような柔らかさのある絨毯は、葉月の頭を打ち据えたりはしなかった。

 目覚めた時から感じていた、あの酷く甘い匂いは、女性からしていることに気がつく。


「あの……?」

「いいから、聞いて」


 ケラケラと笑っていた女性が、突然酷く理性的な声で囁いたことに驚き、葉月は黙り込んだ。

 その女性は、早口に、小声で続ける。


「あなた、何者かわからないけど。逃げようとか思わない方がいいわ」


 ぞくりとしたものが、葉月の背筋を走る。

 その忠告が、心のそこから葉月を心配したものだったから。


「竜に乗った男が、あなたを連れてきた。とっても上機嫌で。

 ――あの男、たぶんあなたが逃げようとしたら、すぐに殺すと思う」


 合間にクスクスと笑い声をはさみながら、女性は葉月のスカートの裾に手を潜り込ませてきた。

 慌てて身を捩ろうとした葉月だが、腿を絡めとるように触れてきた女性の足の感触に、はっとして彼女の顔を見た。――酩酊しているかのような顔と声の女性の、その目はまるで酔ってなどいなかった。

 足が、明らかに短い。その女性のふくらはぎ辺りから先がなく、先端にはざらりとした感触がある。


「やぁだ、逃げないで? きもちいいことするだけじゃなぁい」


 葉月の肩に顔をうずめて甘えたような声をあげた後、押し殺した声で女性は続ける。


「――斬られたわ。両足。それから焼かれて、炭になって、もう血も出ないの」


 それが、彼女が忠告する理由だと理解するのに、時間は必要なかった。

 竜に乗った男に、葉月は心当たりがある。

 近衛隊長をふたつに割いて殺した男だ。

 葉月は目の前で晒された死に様を思い出してしまって、胃の中の物が上がってきそうなのをこらえる。

 女性がひとり逃げそうだというだけで拷問のような真似をするのも、何も不思議だと思わなかった。


「……痛くない?」


 首筋を舐めてくる女性に、葉月は囁いた。その行為をやめてほしかったのもある。

 だが、女性はやめようとしなかった。

 くすぐったいような、ささやかな感触がむずむずと葉月の中をかけまわる。


「ちょ、ちょっと!」

「女王はそういうのが好みか」


 低い声に、血の気が引いたのがわかる。

 葉月は目を上に向ける。

 反転した視界の中で、見覚えのある男が絨毯の上のふたりを見下ろしていた。


「おんなのイイところはねぇ、おんなのほうが知ってるのよ?」

「ひゃあ!」


 そう言いながら女性が、葉月の胸へと手を伸ばしてくる。葉月は胸を隠そうとしたが、片腕はしっかりと絨毯の上で留められているままだ。


「人の趣味をどうこう言う気はない」


 ガンゲツはそう言って、懐から何かを取り出して絨毯の上に放り投げる。

 木片がふたつ。なにかと思って目を向けても葉月にはよく見えなかったが、その片方を、葉月の上に馬乗りになりながら、女性が手にとった。


「冤罪符。買ってきてくれたのねぇ」

「お前たちの分まで管理する気はない。自分で持て」

「うんー、ありがと。これがなきゃ、外に出られないもの」


 女性は膝立ちになって――乱れた裾から酷い火傷が見えて、葉月は思わず目をそらした――スカートの裾を踏んでは転びを繰り返しながら、男の膝へと擦り寄った。


「ねえ、おくすりは? おくすり。さっきから、痛いの。足が痛いの」

「それが最後だ」


 酷く倦んだ顔を見せたガンゲツは腰帯に付けた袋を外し、放り投げる。

 女性は袋に飛びつくともどかしげに紐と格闘し始める。

 破りそうなほどムキになりながらもようやく開いた袋の口からは、どこかおぼえのあるにおいがした。

 中の物を見るやいなや、女性はがっつくような勢いでそれを手に取り、むさぼるように口にする。


「……クスリに溺れたか。こうなっては救世の女王も形無しだな」

「薬」


 身を起こした葉月が小さく呟いたのを、ガンゲツは耳ざとくも聞いていたようだ。


「農村で作らせた。だが作らせた奴が倒されたらしい。

 村の奴に話を聞いたが――女。お前たちが。あの剣が関わっているんだろう?」


 葉月の顎を砕かんばかりに掴んで、ガンゲツはニイと笑いながら無理矢理に顔を覗きこんできた。

 ――楽しくて楽しくて、仕方ないという顔。

 妙だと、葉月は思った。


女王をひょほうほ――」

「ん?」


 葉月が何か言おうとしていることに気がついて、ガンゲツは手を緩める。放すことはしなかったが。


「女王を探してたんでしょ」

「クニからは連れて来いと、そう言われている」

「じゃあ剣がなんだって言うの」


 顎が割れた、と葉月は思った。

 ガンゲツは葉月の顎を掴んだまま、横に投げ飛ばしたらしかった。


「お前たちは本当に、あの剣の価値を知らない。オレのクニさえも」


 不快感さえ滲ませた顔で、ガンゲツは立ち上がる。

 ついでのように女性を抱え上げ――女性はさっきまで時折見せた理性など失ったかのように呆けたような顔をしていた――、部屋を出ようとし、扉を閉める前に顔だけを葉月に向けた。


「あの剣があれば、世界だって手に入る」


 ばたん、と締めた音に続いてかちゃりという音がする。

 鍵をかけられたのだろうことは、考えるまでもなかった。

 絨毯の上に投げ出されたままの木片を手にする。

 冤罪符、だと言っていた。

 つまりここは女性を売り買いする店、なのだろう。

 窓がないから外は見えないが、もしかしたら、葉月たちが泊まるはずだったアッダンとかいう街から離れていないのかもしれない。

 投げ飛ばされたままの格好だったが、誰もいないのに気にする理由もない。絨毯の上に身を投げだして、葉月は今いったいどういう状況なのかを考えようとしたが、うまくまとまらない。

 ただ言えるのは、自分は今、ガンゲツに捕まっているということ。

 そしてさっきの女性をガンゲツは女王と呼んだ、ということ。


「……どうしてあたし、異世界に来たのにチートとかないの?」


 そんな力があったら。

 鍵を壊して外に出られたかもしれない。

 あの男をぶっ飛ばしてやることもできたかもしれない。

 回復特化でもいい。そうしたらさっきの女性を治療できるかもしれなかった。

 どんな力でも良かった。

 きっと今なら、どんな使えない系能力だろうと活用方法が思いつくような気がした。

 だけど現実には、こうして何もできずにいる。

 今頃、ウィリアムたちはどうしているだろうかと、葉月は考える。

 葉月を探してくれているだろうか。

 もしかしたら葉月がいなくなったことに、気がついてさえいないかもしれない。

 ……だけどそれも、仕方ないことかもしれなかった。


(だって、あたしには何もない)


 女王でもない。魔法使いでもない。

 賢者でもないし、戦士でもない。


「異世界に来ても、あたしは邪魔者、かぁ……」


 自分に力があれば。

 せめて蝶番とかうまいことやって外せないかな、とさっきガンゲツが出て行った扉に目を向けても、外開きだ。この部屋の中に蝶番はない。

 部屋の中は、何度見回しても何もなかった。

 ランタンがひとつ、置いてあるだけ。

 他には何も。

 その灯りが、ふっと消えた。

 油が切れたんだろうか。葉月はその仕組すら知らない自分に気がつく。

 今、例えば逃げ出すことができたとしても、お金も持っていない上に生きていくための方法さえわからないのだということに思い至ったのだ。

 壁のスイッチをパチパチすれば電灯が点いたり消えたりするわけじゃない。

 料理をするにも、火はどうやってつけたらいいのだろう。

 今着ている服だって、正直そろそろどうにかしたいが、洗濯機なんてあるはずもない。

 洗剤入れて水道ひねる、それだけのことも、この世界ではできない。

 そこまで考えた時、葉月はふと、イズギタで出会った少年、ケンのことを思い出した。

 その時は、しっかりと筋肉のついた子供だと思った。

 そうではなかったのだ。

 この世界では、子供でさえ、葉月が元いた世界ほど楽に生きていくことはできないのだ、きっと。

 葉月は、自分が邪魔者なのは当然だ、と思った。

 こんなに何もできないのに、誰かの役に立てるかもなんて、考えることもおこがましかったのだ。

 足手まといなだけの自分が憎くて、涙がこみ上げてきて、葉月はしゃくりあげた。

 その泣き声を聞く者は、誰もいなかった。


 そのまま、朝まで葉月は泣いた。

次は7月2日、木曜日。

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