ウィリアムとクーパー靭帯・1
どうしてこうなったのだ。
布で区切られた狭い個室の中で、ウィリアムは葉月とふたりきりだった。
「いいから、じっとしてて」
真剣な顔で、そう言って目を覗きこまれてはウィリアムとしても黙らざるをえない。
葉月はウィリアムの、裸の鎖骨に頬を寄せ、両腕を背中に回してきた。
彼女の、あまり筋肉がなくほっそりとしているからだつき。フォークより重たいものを持ったことがないのではと思ってしまうほどの頼りない腕の、柔らかい、滑らかな質感。頬を寄せたせいか、腰のあたりにむにりとした感覚があった。
ああ、主張している。ささやかなのに、ここにあると主張しているものが、その場所にふれている。
頭のなかが熱を持ったようにぼうっとしてくる。
上げたままの両手の下に、葉月の黒髪が流れている。
ひとすじぐらい、触っても罰は当たらないのではないか。
おそるおそる手を伸ばした時、葉月の囁くような声が聞こえた。
「……くっ、どう考えてもあたしより、大きい……」
ぐいと、紐が強く回されてウィリアムの胸を締め付ける。
たわわな、柔らかい肉のかたち。
女性化したままのウィリアムの胸の大きさに歯噛みする葉月を見ながら、ウィリアムは声を出さずに呻いた。
――本当に、どうしてこうなったのだ……?
街道を通って王宮へと出向く際、最後に宿泊するのに丁度良い場所としてアッデンは知られている。いわゆる宿場町と呼ばれる類の街だ。二日以上の休暇を手にした兵たちが羽目をはずしたい時、城下町で知った顔に会うのは気が引けるとして来ることが多く、ウィリアムも兵をしていた頃には何度か足を伸ばしたものだ。酒をおぼえたのもこの町だったように思う。
日が暮れ、街に着いてしまってから、ウィリアムは今更ながらに自分が随分と強引なことをしたと、心中で頭を抱えるはめになった。宿はとれた、今日は安心して眠れるだろう。だがそのかわり、この宿場町は、夜になればちょっとした歓楽街の顔も見せる。今のウィリアムにとって、この街は誰と来ても落ち着かない街であることは、少し考えればわかることだったのに。
――否、ひとりでも、やはり落ち着かなかったはずだ。
うっかり兵の頃の知人にでも出くわしてみろ。顔は同じなのにまるで違う見た目を、どう説明すればいい?
ウィリアムはそう考えて、自分が失念していたことが多いことを自覚した。
この宿は晩の食事を用意していないというので外に出て食事をしていたわけだが。
アデルバートは煌々とした紫の灯りを見かける度に、鼻の下の伸びた顔でウィリアムをちら見する。
さすがにどうしたものかと思っていたのだが、しかしアデルバートは食事の後「すぐ戻る」というなりふらりとどこかへ姿を消した。
だからと言って葉月と歩くにも、あの灯りは何と聞かれるたび返答に詰まってしまう。
何より、あの灯りが何なのか知っているということを、葉月には知られたくないと何故か思ったのだ。
「あれは?」
「冤罪符を売っていますね」
今度は答えられるものを聞いてくれた。
胸をなでおろしたい気持ちで、ウィリアムは道端の人だかりの正体を答える。
それを聞いて葉月は妙な顔をした。
「免罪符じゃなくて? ていうかカトリックなの?」
葉月が首を傾げると、髪がさらりと流れた。夜風が少し吹き始めているのだろう。
「かと……? よくわかりませんが、免罪符もありますよ」
「待ってほんとうに意味がわからないんだけど」
眉間に皺を寄せ、葉月が唸る。
よくわからない風習なのは確かなので、ウィリアムも苦笑いを交えて説明した。
答えたくないのは確かだが、かと言って知らないままでいさせても良いことはあるまい。
「さっきからたまにある、紫の魔術光は、その……この先は風俗街だということの、看板なんです。
正確には、看板を出してはいけないからこその魔術光なんですが」
「……まあ、推測はついてたけど……それが?」
しれっと納得されて、若干返答に窮した。
世界が違うというのは、習俗や生活環境だけでなく倫理観なども違ってくるということなのかもしれない。
「そう言うところを利用するのは、罪なんですよ。一応。だので、冤罪符です。
利用した人はあれを買って、自分のやったことは罪ではないと主張していいことになっています」
納得行かない顔をした葉月にどう説明したものか悩んでいたウィリアムは、後ろから声をかけられた。
「おぉ、ねえちゃん。あっちの店のひとか?」
「……は?」
「あれ、違うのか。なんだ……残念だなあ」
何のことかと、怪訝そうに振り返ったウィリアムを見知らぬ男が随分近い位置から見下ろしていた。
――鼻の下が伸びきった、ゆるんだ顔。
しかし男は、きょとんとして見上げるばかりのウィリアムに目を瞬くと、頭をかきながら去っていく。
「遅かったか」
いつの間に戻っていたのか、その様子を見ていたらしきアデルバートが神妙な顔をしながらウィリアムに紙袋を押し付けてきた。どこで買ってきたものか、中に入っていたのは女性物の服らしき布地。
――ぶわ、と。嫌な汗がウィリアムの全身の毛穴からふきだし始めた。
さっきの男があっち、と示した方を見ると、店の前に立って笑う女性――看板を出すのが禁止されているから、人間が看板代わりを果たしている。例えばこの店はこういう女性を多めに集めていますよ、とかの意味で。小柄な彼女の服装は、だぶついた男性物だ――と目があった。少し不思議そうな顔をしているのは、もしかして。
「あんな子、うちにいたかしら……?」
聞こえてしまった呟きが、その考えを補強した。
「あの辺に残りの服売ってるはずの店があるから、葉月ちゃん、ちょっと付いてってやってくれるかな。
このままだとちょっと、全方位的に目の毒というか」
「そういえば……ウィリアムの服って、男性の時のままだから、下着が」
ウィリアムは顔を押さえてその場にしゃがみこんだ。
もし人間が恥ずかしさで死ねるなら、多分今頃死んでいたと確信しながら。
――そして現在、ウィリアムはぶらじゃーなるものを買うために、計測している次第なのである。
次は17日、水曜日。




