イズギタ村の子どもたち・5
「何よ、あれ……」
葉月が口元を押さえ、青い顔をした。
粉挽き小屋がある川の、上流。ウィリアム、アデルバート、葉月の三人は夕刻からずっとここに隠れていた。
小屋の中にはランタンをひとつ、火を付けたまま残しておいた。あかりが消えたのは一刻ほど前のことだったはずだ。
既に寝入ったと判断したらしい村人たちが、男に指示されるままに火を着ける準備をしていたのも、一部始終、すべてここから見ていた。
小屋から立ち上った煙を吸ったものが、その身を変じさせるのも。
その瘴気が、粉挽き小屋の薄黒い汚れによるものだと、彼らは気がついただろうか。
村人に、彼らが来るまでの間に小屋を掃除させても、天井の掃除までは気が付かなかったのだろう。
多くの場合、粉挽き小屋で行われるのは小麦粉の製粉などだ。小屋内部の構造も、そのための形をしていた。
だが、白い粉が舞うはずの場所が黒く汚れているのは不自然なのだ。
それに気がついた時点で、彼らは急いで外に出た。
――ある種の穀物は瘴気に飲まれると黒く染まり、種をなさずに葉や茎が膨れ上がり、やがて水を含んだまま枯死する。
それを砕いて練った物を噛み続けると、一時的に麻酔のような効能を発揮するのだ。
怪我人への麻酔として使われることもあるが、間違って葉ごと飲み込めばそれは中毒性の高い麻薬になる。
森の深い場所などには時折、時期に関わらず瘴気が発生することがある。
それ故に、狩人の子として育ったウィリアムはその植物について見聞きしたことがあったのだ。
それを焼けば、溜め込んだ瘴気を煙にして放つことも、知っていた。
「あれが異形化だよ。……できた。この中から出ないようにね」
「異形……モンスターに、人間が……話には聞いてたけど……」
アデルバートがは魔法陣が書かれた羊皮紙を四隅に置いて魔力を通し、簡単な結界を作る。
瘴気が流れてくるのを防ぐためだ。瘴気は発生した場所にしばらく漂うものだからこんなところまで届きはしないだろうが、対策するに越したことはない。
「あの場にいる人を助けることは難しそうですね」
「ああ」
ひとのかたちを失った異形たちがひと通り暴れ疲れるのを待とう。
そう判断したウィリアムが、アデルバートに同意を求める。アデルバートにも異論はない。
「なに、え」
葉月は、違った。
「見捨てるの? あの人達を」
「何が理由かはわかりませんが、彼らはさっき殺された賊に従っているように見えました」
「理由があるなら、仕方ないじゃない」
――彼女は何をとぼけた事を言っているんだろう?
若干の苛立ちがウィリアムの頭をかすめる。
彼女のいた世界は、争いで人が死ぬことが少ないらしいとは、わかっていた。
けれど、どうにも、これは。
「……葉月さん。わかってますか?
さっき、彼らは私達を――あなたも含め、殺そうとしていたんですよ」
危機感が、なさすぎる。
「あなた、まさか『もしかしてまだ、自分は死なないとでも思ってるんじゃないか』とか言いたいわけ?」
「何でやたら低い声で言うのかわかりませんが、概ねその通りです」
葉月が見上げるようにウィリアムをにらみつけ、ウィリアムは可能な限りの無表情でそれを見下ろす。
アデルバートはとりなすでもなく困った顔でそれを見ていたが、二人が黙った間を見計らったかのように――実際見計らっていたのだろうが――言葉を割り込ませた。
「このままだと皆殺し待ったなしだろうけど、回避する方法が皆無ってわけじゃない」
「何かあるの!?」
「あの剣を抜くんだ」
アデルバートの意見に飛びつきかけた葉月が、物凄い嫌そうな顔で固まった。
「あの剣」
「あの剣」
ウィリアムの腰の宝剣を指さして、葉月の言葉は確認のもの、アデルバートの言葉は肯定のもの。
「異形化した獣はその剣を嫌うらしい。これはだいぶ前からわかってることなんだ。
ついでにあの光。あれに気がつけばきっと血相を変えて剣に向かってくると思う」
「初耳です、それ」
「そりゃ、昔の資料に書いてあったからな。
こないだ剣のことを知ったばかりのお前と違って、俺には調べる時間があったんだよ」
さあどうする? とばかり、アデルバートは両手を広げた。
さっきまでウィリアムを睨んでいた葉月の目は地面を見つめ、唇を噛んでいた。
ウィリアムが粉挽き小屋の方に目を向けると、異形化した賊が逃げ惑う男を捕まえたのが見えた。
悲痛な叫び声に、葉月がはっとしてそちらに目を向ける。
――見るな。
静止したかったが、ウィリアムはそれをこらえた。
「――!」
またひとり、ひとつの死体になる。
その様を目のあたりにした葉月はどう思っただろうか。
青褪めた顔を抑えた掌が、縮こまった肩が、震えている。
「少しはこの世界の現実を、理解してくれましたか」
ここはこんなにも、ひとが傷つき、いのちを落とす世界なんです。
そう言葉にする代わりに、葉月の肩を抱き寄せた。
「まだ、彼らを助けたいですか?」
嫌がられる前に、拒否される前に。
ウィリアムはそう囁く。葉月は目を見開いて、ウィリアムを見上げた。
恐怖のせいで潤んだのだろう瞳が、僅かに伏せられた後、しっかりとウィリアムを見返す。
両手を握りこぶしに変えて体の横に下ろすと、彼女は確かに頷いた。
「――あなたが望んだんですからね、葉月さん」
言い訳がましくそう口にして、ウィリアムは葉月にくちづけた。
「え、おまえら、何してんの……?」
アデルバートは突如始まった二人の世界にどん引きしていたが、すぐにその顔を引き締めた。
ウィリアムが引き抜いた宝剣が、眩い光を放っていたから。
次は8日、月曜日。




