インスタント・クイーン・7
※少々残酷描写・不快描写が入ります。
前話より少し不快寄りになっていますので、お読みになる際は注意をお願いします。
隊長の頭が、左右同時に床を打つ。
一度、口がぱく、と動いたのは何かを言おうとしていたのだろうか。
致命傷を受けた人間は、その傷を負ってからどのくらいの間、意識を保っているのだろう。少なくとも、痛みを感じた顔ではなさそうで、何を期待したのか若干口の端が上がっている顔がそのまま転がったのは、人形を叩き割ったようですらあった。
「ひっ――」
何かを叫ぼうとしたのか、葉月が引きつった声を上げる。
東国の男は片眉を跳ね上げ、そちらに顔を向けた。
――今だ。
「――おおおおお!!」
剣を突き入れる。男にではなく、彼の乗った竜の、その尾に。
どうして断尾したのか知る由もないが、切り離されたその場所には当然、鱗などない。
細くなった刀身は針のように先を尖らせていた。
できれば尾の骨を、その中心を狙いたかったが、さすがに竜の構造はわからない。
腸詰めの縛った端のような肉の断面に、右手で深く突き入れる。相当なものだろう竜の肉の硬さに、手が駄目になる可能性も覚悟の上で、全力。
隊長の仇などは毛の先ほども頭になかった。
ただこの男を、このまま無傷で帰すわけにいかない、その一心で。
せめて竜が動けなくなるならば、この宮からひとりで脱出などできないだろうと。
自分がこの場で、次の肉塊になったとしても。
ウィリアムは下級近衛だ。己や同僚の死と引き換えにしてでも格上の相手を倒さなければならない場面に行き会ったこともあった。
偶、運良く、今まで生き残っていた。それだけのことだと、ウィリアム自身思っていた。
――彼は未だ、自分の価値が跳ね上がったことを理解していなかった。
次の瞬間に襲ってくるだろう腕への反動、そして竜の牙を思い、歯を食いしばる。
しかし。
「グゥオオウウ!」
聞こえたのは悲鳴。
腕に伝わるのは、柔らかい肉を鋭い矢で刺したような手応え。
知らず閉じていたまぶたを開ければ、苦悶に呻いているのは竜だった。
尾に刺した剣も、竜の強靭な筋組織に持っていかれることもなく、ウィリアムの手元に残ったままだ。
東国の男が、鞍の上で振り回されながら竜をなだめている。
さっきまで随分と格上に見えた相手が、振り落とされないようにしっかと鞍や手綱に捕まる様はどこか無様に見えて、自然とウィリアムの口角が上がる。
暴れるのはやめたものの、痛みのせいか落ち着きなくうろうろと小刻みに足を動かす竜の様、そして血が流れ落ちた剣を手にするウィリアムを見て、東国の男は何が起きたのかを察したようだった。
「魔剣――そうか、女。
お前か。『お前だった』のか」
何が一体どう結びついたのか、ウィリアムにはわからなかったが、東国の男は何かに納得したようにひとしきり「そうか」と繰り返すと、獰猛に歪めた顔で、腹の底から響くような哄笑を上げた。
それから。
「ガンゲツ」
唐突に、男はそう言って笑うのをやめた。
「ウィリアム、覚えておくといい。お前を殺すオレの名だ!」
そう言って、男は届かない尻尾の傷を舐めようとぐるぐる回っていた竜の手綱を強く引く。
何かに驚いたような様子の竜は、無理矢理顔を向けさせられたウィリアムの方へと一直線に火を吐いた。
ひとたまりもなく、ウィリアムはその火に巻かれる。
竜の顔は次にアデルバートに向けられたが――葉月を庇うように立つのを見て、興味の失せた顔で竜の手綱を再び引いた。
ばさり、と竜が翼で周囲を打つ。
すさまじい風が起き、その巨躯が浮かんだ。
そのまま、ガンゲツと名乗った男は、訪れた時に壊したのだろう大きな窓――元はステンドグラスがあった場所だ――を竜にのったまま抜けていく。
空を飛ばれては、他の近衛が見つけたとしても追えるまい。
竜の炎で火だるまになったウィリアムも――生きているとは、とても。
絶望的な気分のまま、アデルバートは背後の葉月を見た。
とてもではないが、戦うなどしたことがないだろう少女だ。とっさにかばいはしたものの――今、倒れた隊長を見つめる彼女はさっきの、今や死体となった男相手に見せた強気さや快活さを持つ彼女と同一人物だとは思えなかった。
葉月はじっと、もう動かない男を見つめていた。
泣き別れ。
竹を割ったような。
そんな言葉が、葉月の脳裏をよぎる。
そうして呆然としていられたのは、一瞬だけでしかなかったけれど。
血だまりが、ついさっきまで立っていた場所を濡らして、広がっていく光景を目にして、その意味を理解した頃、彼女は床の上で膝をついてぺたりと座り込んだ。
水のように流れるのに、空気に触れる端からぬるりとした粘着質に変わり始める液体の、赤錆び染みた生臭さ。
――葉月だって女だ。月に一度近く、結構な量の血を目にしている。
だが、それはそんな程度の話ではなく。
ひとのいのちがうしなわれた、そのことを頭に叩きつけられる。軽口で返したけれど、その場所で、血を流しているのは自分だったかもしれないということに思い至って初めて、喉を押しつぶす異物感に、口を手で塞いだ。
「……君のいた世界は、こういうのはあまりなかった?」
見ていられないという顔で首を振ると、アデルバートは葉月の背を擦る。
答えるかわりに頷こうとした葉月は、その動きで限界を越えた。
胃がひっくり返るかと思うような勢いで吐き出した吐瀉物の中に、昼に口にしたゼリー飲料とトマトジュースが混ざっているのを見て、葉月は泣きそうな笑顔を浮かべた。
次は13日、水曜日。




