負け犬だけど、誰よりも女です
私―――リリア・フランツベルグは、この世界である所の乙女ゲーム『負け犬恋愛』において、何の存在感も持たない少女だった。
その登場シーンはただの一文か二文に過ぎず、立ち絵どころか声さえも用意されてはいない。
私の記憶によると、こうだ。
『ベルディーさん……貴方には婚約者がいるんでしょう?』
『彼女は親が決めた相手で愛はない……僕が好きなのは君だけだよ……』
迫る貴族のベルディーを『負け犬恋愛』のヒロインであるクリスタ・バーチュが互いの身分の違いを考えて、惹かれあいながらもなんとか遠ざけようとする切ないシーンなんだけど、私の唯一の登場シーンである。
――――『婚約者』。
ただその一文だけが、私の存在のすべてだった。
その後の二人の人生、シナリオに何の影響を及ぼすこともなく、誰の記憶にも残らず、ただ消えていくだけの存在。
「悲しすぎるよ……こんなのって、ないよ」
私は自室のベットに寝転がり、そう呟く。
前世の記憶を取り戻してから、改めて部屋を見渡すと、ものすごい豪華な部屋だった。
私が寝転がっているのは、天蓋付のベッドだし、部屋は二十畳くらいありそうだし、明かりはシャンデリアだし、絨毯は信じられない程に肌触りが良い。
それでも、『負け犬恋愛』をプレイした私にとって、この部屋は見知らぬ部屋だ。
私が知っているのは、ヒロインとヒーロー達の事だけ。
しかし、それは今のリリアと呼ばれる私にとっては遠い世界の事のようにすら感じた。
「私は……私だけはリリアの味方だよ……」
私は、リリアであって、リリアではなかった。
同一であり、時に客観的な視点で自分を見ていた。
つまり、私は――――リリアに同情しているのだ。
「そういう事なんだろうなぁ……現状を考えると……」
自分に同情するなんて変な話だけど、そういう他になかった。
私はどうにかしてリリアに幸せになってもらい、そして、それを共有したい。
複雑で、なんか頭がごちゃごちゃってしてるけど、単純な話、私は幸せになりたいという事だ。
「さて、どうしましょうか!」
私はベッドから起き上がり、着替える。
いつもはお付の婆やがやってくれるんだけど、今日からは別だ。
ベルディーには着飾れと昨日言われたばかり。
婆やは歳のせいか、ファッションセンスが保守的すぎて、あまりオシャレとは言えなかった。
それでも、婆やの事は私もリリアも大好きだけどね。
「ベルディーおはよう」
「また君か……」
昨日盛大に振られたにも関わらず、私はいつものように彼――――ベルディー・シィ・グランツの邸宅の玄関で待ち伏せていた。
陽光のような美しい金髪。
長身痩躯に理知的な眼差し。
仕事中に眼鏡をかける事もあるらしく、一度だけチラッと見たその姿に私は一晩身悶えた程だった。
私の顔を見つけたベルディーは目を見開いた後、うんざりしたように大きく溜息を吐いた。
「君は鳥頭なのか? つい十数時間前に言われた言葉を覚えられないのか?」
ベルディーは私を無視して、歩き出す。
私と同じ伯爵家の家柄に生まれた彼は多忙だ。
学園を三年前に卒業してからは、特にそうだった。
それでも、私が学園に行く前に、彼の顔を見るのが、婚約してからの日課だった。
初めてから、かれこれ十年にもなる。
問題は、その十年でベルディーの心を僅かも掴めなかった点にあった。
どうしたものか、考えながら、歩き出した彼の後を、置いて行かれないように速足で追いかける。
「ねぇねぇ? ベルディーは今日も帰り遅くなるの?」
「…………」
無視。
視線一つベルディーは私によこさない。
「無視しないでよぉ……」
ベルディーのスーツの裾を私は引っ張る。
何度か引っ張っていると、彼は「チッ」と貴族にあるまじき舌打ちを一つして、私の手を強引に振り払った。
「痛い……」
強引に振り払われた手は赤くなっている。
私はその場で立ち止まり、ベルディーを涙目で恨みがましく見上げた。
しかし、そんな私を華麗にスルーして、ベルディーはどんどん先へ進んでいく。
どんどん……どんどん……やがて、彼の背中が小さくなった頃、ベルディーは苛立たしげに立ち止まり、頭を掻き毟りながらユーターンしてきた。
「う……うぅ……」
手が痛いよぉ……そんな主張をするかのように、手を抱えて泣く私。
「本当にどうしようもないな……君は……」
溜息を吐くベルディーは、毒づきながらも、私の手を取って、赤くなっている部分を優しく撫でる。
男の人にしては細く、長い繊細な指。
その美しさにドキリとして、私は息を飲んだ。
「まぁ……なんだ、強引に振り払って痛くしたのは悪かった……それと、昨日もほんの少しだけ言いすぎたかもしれない」
「ううん……いいの……」
ベルディーは決して酷い人ではない。
むしろ、人並み以上に優しい一面があった。
昨日の酷い言葉だって、胸の痛みをなんとか押とどめながら、私の将来の事も考えて、あえて厳しく言ったに違いない。
その証拠に、こうして私が弱ったフリをしていれば、いつだって罪悪感に負けて私に優しくしてくれる。
昨日は覚悟ができていたかもしれないけど、今日私がここにやってきたのは彼にとって完全に想定外なはず。
その彼の繊細さに漬け込むように、私はベルディーが近づいてきたのをいい事に、その胸にしがみ付いた。
「昨日言ってたのは……冗談だよね?」
「……リリア……それは……」
原作の時系列を鑑みれば、そろそろベルディーがクリスタ・バーチュを意識し始める頃のはず。
手遅れになりまで、そう時間はない。
「ベルディー愛してる……貴方と婚約を交わしたあの日からずっと……」
「…………」
私のベルディーに捧げた十年という月日を意識させると、ベルディーは何も言えなくなった。
「ベルディーは? ベルディーは私の事……好き?」
「……………………」
でも――――
それでも、ベルディーは、今日も私に愛の言葉を囁く事はない。
愛してると言ってほしい。
たとえ、それが偽りの言葉だとしても……。
分かれ道でベルディーの後姿を見送り、私は納得していた。
とりあえず、私は気になることがあって、昨日までのリリアを模倣するようにして、考え、行動してみた。
こうして、客観的な私の意識があるからこそ、自覚できた事。
私……っていうかリリア……あんた、すんげぇストーカーじゃん!!
十年間、風の日も雪の日も雨の日もベルディーを待ち続けるその姿は、健気を通り越して恐怖だ。
「時間もないし、とりあえずはクリスタとベルディーの接点を少なくする事から始めた方がいいのかも」
そう一先ず結論をだし、私は学園へと向かった。
けっこう黒い感じになりますけど、大丈夫かな?