消された言葉
羽切山の頂上付近に着いた二人は、リアンから更なる真実を聞く。混乱の最中、地面からクリーチャーが這い出てくるが、どこか高揚している自分にキクトは気が付く……
どれくらい進んだのだろう。気がついたら、いくらか開けた場所に出ていた。土や草の香りが強い。
「ここからは歩いて登るぞ。セリ、ここで牛馬と待っていてくれ」
「はいよぉ」
セリは間延びした声で答えた。「よっ」と牛馬から降りると、佐倉の手を掴んで優しく降ろす。佐倉の白い顔が、軽やかな興奮に包まれたように上気している。
三人は牛馬とセリを残して、岩場を歩き出した。頂上まであとわずかというところで、山は急に反り立つような形になっており、かなりの急勾配だ。佐倉はもう息が上がっている。
「は、はぁ……か、かなり急な岩場ね。羽切山の裏側は思っているよりも殺風景な上に、こんな急だったなんて」
「頂上はもうすぐだ。……大丈夫か?」
「だ、大丈夫! これくらいの方が、張り合いがあるってものよ」
佐倉は強がったが、紅潮した頬を見るに、昨日の疲れもあってか身体が悲鳴を上げているに違いなかった。また、色素の薄い人特有の皮膚の敏感さがここに来てネックになっているようである。長袖を着てはいるものの、佐倉は全体的につらそうだ。
遮光してくれるような木々はなく、この辺りは草木も減って、なんだか殺風景で寂しいなとキクトはぼんやり思った。
先のリアンの話が、頭の中を何度も行ったり来たりしている。
……ラヴィッジの復活を防げるのは、竜人類と旧人類双方の血を引く、僕だけ。
「リアン……さっきの話、だけどさ」
「うん?」
「僕にしかできないって、どういう……」
「ああ……まず、ラヴィッジについて話す必要がありそうか」
佐倉はこちらを見て物申したそうな目をしたが、呼吸がしんどいようで何も口を挟まなかった。
「ラヴィッジというのは、千年前に世界を滅ぼそうとした神のことだ。結局世界は滅びこそしなかったが、世界人口の激減、多くの動植物の絶滅、大気汚染や放射性物質の放出など、その影響は計り知れなかった……」
リアンはいくらか遠い目をした。
「あの日を境に、世界は激変した。生き抜くために、みんな変わるしかなかった。それら一連の出来事を『ラヴィッジの災厄』……と、オレたち竜人類は呼んでいる。ただ、新人類や旧人類はラヴィッジの存在を忘れたかったのか、あるいは隠したかったのか、いつからかそれを『第三次世界大戦』と呼ぶようになった」
「……!」
佐倉の目が大きく開かれる。
(ああ……やっぱり、そうなのか)
キクトは失望に似た思いを抱いた。信じてきたものが崩れ音がする。
今まで学んできたことは一体何だったのか。自分の見ていた世界は何だったのか。完全な管理社会、支配…… 佐倉の言葉を思い出す。
「ラヴィッジの災厄は、かつての竜人類たちがラヴィッジの魂を 『器』に閉じ込めることで、なんとか収まったのさ。その『器』というのは、竜人類と旧人類の遺伝子を組み合わせた人工的な、人形……と言っても、生命のようなものなんだが……それにラヴィッジの魂を閉じ込めてあるのさ。その『器』には名前がある」
佐倉はいくらか怪訝そうな顔をした。キクトは黙ってリアンの背中を見る。何も物語らない、悠然とした背中。
「『龍晶』と言うんだ」
急勾配の岩場がいくらか平坦になったと思ったら、また突如として開ける。風が強く吹いている。陽の光の眩しさに目を細めた。
「あれさ」
リアンは立ち止まると、数十メートル先にある祠のようなものを指差した。
キクトたちがその手の先を見ると、紫とも青とも緑ともつかない、不思議な色をした透明の球体の石がそこにはあった。球体の中には、十センチほどの人型の肉片のようなものが入っている。その人型はぶにぶにしているようにも見えるが、部分的に鱗のようなものが張り付いている。顔と思われる部分には、真っ黒な穴が三つある。
(なんだ、あれは……)
気持ちが悪い。心からそう思った。佐倉もやはり不快そうな表情をしている。
「……あれが、『龍晶』と呼ばれるものだ。あの中に、ラヴィッジは封印されている」
風が強く吹いた。
※
「待って、どういうことか、わからないわ。ラヴィッジはあの中に閉じ込めてあるのに、なぜ復活すると言われるのよ。ていうか、そもそも魂を封印って……あまりにも非現実的だわ、意味がわからない」
佐倉は落ち着かぬ様子で聞く。リアンは平常通りといった様子で答える。
「その感覚はもっともだ。街の中で生きてきたお前たちにとって、科学的根拠のないものは信用に値しないだろう。だが、これから見聞きする『現実』はお前たちに痛々しいほど突き付けてくるはずだ、街の中で見えなかった本当の世界を」
二人はゴクリと唾を呑んだ。ざわり、という音が立ちそうなほどに鳥肌が立っている。
「封印と言えば聞こえはいいが、ラヴィッジの持つ不思議な特性によって実際は『龍晶』の中で深い眠りにつきながらゆっくり成長しているだけなんだ。千年前に現れた時は、まだ幼体だったと聞く。『器』はあくまでも器でしかない。その場しのぎに過ぎないんだ。要は、永遠に閉じ込めることはできないということだ」
リアンの言葉に心臓が早鐘を打っている。
「……成体となったラヴィッジにかかれば、今の地球など一瞬でただの石塊となるだろう」
二人はその言葉に絶句した。
「今の『龍晶』には、ラヴィッジを閉じ込めたままにできるほどの力はない。持ってあと一年といったところだ」
(一年……しか、ないのか)
「どうして。じゃあ、世界は……これから……」
佐倉は泣き出しそうになって言う。キクトはそれを遮って言う。
「待って、僕らはこの世界のことを何も知らないままここまで来たんだ。今、急にそんなことを言われても何も信じられないというか、あまりに突飛すぎて……」
その言葉に、リアンはの目はいくらか幻滅したような色を見せた。
「……さっきも言ったが、今はそんなことで議論している場合ではないんだ。ラヴィッジの『器』となることができるのは、『龍晶』を除くと『竜人類と旧人類の血を引くもの』だけ……」
リアンは真っ直ぐにキクトを見つめた。
「お前だけなんだよ、キクト」
佐倉は驚愕の表情で即座にキクトを振り返った。キクトは気まずそうな顔で佐倉から顔を背けた。
岩場の奥でひっそりと祀られている謎の石……その中のぶにぶにとした人型のようなものに、ラヴィッジは宿ると言う。
気味が悪い……!
心に浮かんだのは、そんな不快感だけだった。
「『龍晶』はあくまでも人工的な器に過ぎないが、キクトは違う。完全な竜人類と旧人類の合の子だ。旧人類は脆いからラヴィッジの器になれない。竜人類は臓器移植で拒絶反応が起きるのと同じように、ラヴィッジの生命を受け付けない……。だから前時代の人類は、その能力を駆使して龍晶を……ラヴィッジの器として、双方の細胞を無理やり混ぜ合わせたひとつの生命を造り上げたんだ。しかしそれも限界が来ている。長くあれに頼りすぎたんだ」
呼吸が苦しい。リアンはこちらをしっかりと見据えて言う。
「……何度でも言う。ラヴィッジの器となることができるのは、双方の血を引く者だけだ。だが、種の異なる二つの人類は普通、交わることができない……キクトは例外だった。お前ならラヴィッジの復活を防ぐことができるんだ」
リアンは小さな子を諭すような言い方をした。佐倉は混乱しているようだが、キクトの怯えた様子を見てキッとリアンに言い返す。
「待って、色々疑問があるわ。そもそもキクトが竜人類と旧人類の血を引くって、どうやってわかったのよ。それに、キクトがラヴィッジの器になるのを許したら、キクトはどうなっちゃうのよ! あの玉みたいに、キクトをどこかに閉じ込めるつもりなの?」
必死な物言いにリアンは少しだけ左目を見開いた。が、すぐに元の無表情に戻った。
「……キクトが二つの人類の血を引くと言い切れる理由は、匂いだよ。キクトからするのは、旧人類の匂いだけじゃない。混ざり物の、特別な匂いがするんだ」
その言葉に佐倉は驚いていたようだが、キクトは思いのほか冷静に、サイノやセリに言われたことを思い返していた。
―――『だからキクト、お前の匂いにもすぐ気付いたぜ』…………………
―――『ん、なんか君、変わった匂いがするねぇ』…………………
「それに、ラヴィッジを取り込んだからって死ぬわけじゃない」
リアンは淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「『龍晶』を身体の中に取り込むことで、ラヴィッジをその身に宿すんだ。ラヴィッジは器が壊れることで復活を果たす。だから、常に新しい器を用意してやればいい。要はラヴィッジの住処を龍晶からキクトの身体に移すだけだ。キクトに移したら、またいずれ次の『器』を用意する。それまでの一時保管だ。それだけでいい」
「そ、そんなこと言ったって……あんな気持ちの悪いものを、取り込むって……いったい、どうやって」
「身体に入れるだけさ。キクトがそれをしなければ、世界はただ無惨に死んでいくだけだ。それとも佐倉、お前にこの絶望的な世界をどうにかできるのか」
リアンは今までにない冷徹な声を出した。恐ろしく冷ややかな目をしている。佐倉は驚いたように口を噤んだ。その身体の中心を、強い怯えが走ったのが傍目にもわかった。初めて会った時から直感的に理解していたことだが、リアンはほかの竜人類とは違い、どこか強い圧迫感がある。何がそう思わせるのだろう。
「……」
しばらく全員が黙った。燦然と輝く太陽が、三人の足元に色の濃い影を作っていた。
(……僕は、……)
思考は霧散してしまうが、五感はやたらと鮮明だった。風の流れ、葉音、砂と土の匂い、足裏の岩の感触。ゴロゴロ……と、どこからか雷の音が聞こえたような気がした。リアンはちらりと目だけを音のする方に向けた。
「……今日のところは、ひとまずいい。だが、キクトがこのタイミングで竜人類の集落へ来たことに、オレは強い運命を感じている」
二人は叱られた子どものようにしゅんとした様子で、リアンの話を聞く。
「街の中で得た知識や常識、価値観では、驚くことばかりだろう。混乱するのもわかる。だが、あまり悠長にしていられる時間もない」
その時、ミシ、と、足元が揺れた気がした。地震だろうか。
「そして、クリーチャーの存在もやはり無視できない。クリーチャーはラヴィッジから派生した生物だと考えられるが、ラヴィッジの目覚めが近いからかどうも動きが活発になっている。クリーチャーの様相や形質はピンキリだが、明らかな目的意識を持って活動している」
ゴロゴロ……という、雷のような音が、やはり近くから聞こえる。
「キクト、お前の匂いは特別だからな。おそらくクリーチャーは『器』となり得るお前を狙っているん」
「だ」という音をリアンが発した瞬間、足元の岩場が一気に崩れた。足元が消える感触。
「!!!」
佐倉が倒れそうになるのを横目に見ながら、キクトも咄嗟のことに対応しきれずに身体がぐらりと傾く。
すべてが、一瞬だった。
二人は気がつくとリアンに抱えられるようにして宙を舞っていた。佐倉は訳の分からぬ言葉を叫んでいる。キクトも風の勢いに押され、呼吸をするのさえ忘れていた。
リアンは二人を器用に抱えたまま、セリと別れたところまで一瞬で戻ってきた。セリは唐突な地響きにビックリしている二頭の牛馬を宥めていた。
「セリ、二人を頼む」
リアンはそう言うと、二人を地面へそっと降ろした。佐倉は完全にフリーズしている。
キクトは宙を舞う中、見ていた。自分たちのいた足場から、薄汚れた肌色の、細長い蛇のようなものが湧き出て来たのを……。
(クリーチャーだ……!)
見ると、先程までいた羽切山の頂上付近に、奇妙な音を立ててこちらを窺っている生物がいた。
爬虫類を思わせる顔に、巨大な渦状の目玉、裂けた口からは鋭い牙が覗いている。耳のようなものは後ろに向かって尖っており、手足は太い鉤爪がギラギラと光っている。真っ黒な鬣は一本一本が細く、振り乱したようにあちこちを向いていた。
キクトは思いの外冷静にクリーチャーの姿を観察できた。クリーチャーはぐりゅ、グも、ぷじゃぅっ、というやはり奇妙で不愉快な音を立てている。そしてぐるりと目を回したかと思うと、真っ直ぐにその視線をこちらに向けた。
「……!」
目が合う。巨大な目玉が真っ直ぐにキクトを捉えている。キクトはぎょっとしたが、すぐにその間にセリが立った。
セリの背中越しに窺うと、クリーチャーの背面の鱗は緑とも赤とも青ともつかないどんよりと深い色をしていた。
(やっぱり、龍みたいだ……)
鼓動がうるさい。頭を占めていたのは恐怖がほとんどではあったが、キクトは自分の中に恐怖以外の感情があることも確かに認めた。その感情は―――
「リアン、あれ、一人で大丈夫なの。多分……結構な暴れん坊だよ」
セリの問いにリアンは「ああ」とだけ返した。身体の前側に垂れていたマフラーをさっと後ろへ払うと、軽い身のこなしで木の上の太い枝に瞬時に登った。しゃがんだまま振り返り、こちらを真っ直ぐに見つめる。海のように深く、暗い縹色の目だ。
「キクト、よく見ておくんだ……クリーチャーの『殺し方』を」
その言葉に心臓はなぜか強く波打った。不穏な響きが耳の奥を木霊する。
「コロシ方って……どういう意味?」
キクトの戸惑ったような問いかけに、リアンは左目を見開いた。しかし、すぐに合点がいったというような顔で言う。
「……『殺す』というのはな、今からオレがひとつの命をこの世界から消すってことさ、意図的にな」
いのちを、この世界から、けす。
それも、意図的に。
リアンの放った言葉たちは、異様に禍々しく苦しげな雰囲気を持って迫ってきた。ずしり、と何かが心にのしかかる。
「向こうがこっちを『殺そう』としているから、その前に『殺す』んだよ」
不思議とキクトはその言葉に息が苦しくなるような感覚を覚えた。心臓が強く脈打つのを感じる。
コロス……なんて不穏な響きを持つ言葉だろう。こんな言葉があったのか。いのちを、意図的にこの世界から消すのだと言った。言い換えるなら、主体性を持って対象に死を授けるということなのだろうか。
そんなことが、可能なのか。考えたこともなかった。死は自然から賜るものだと信じて疑わなかったキクトにとって、この言葉は異様なまでに攻撃的で尖って聞こえた。
全身を駆け巡る血液が、ひどく熱い。血。熱いのは、血なのか。……血か。血など、今まで意識したことなどなかった。
キクトはまた自分がぐるぐる思考していることに気がつく。
現代の人々は血のつながりというものに関心がない。というより、そこに関心を払う以前に、そもそも血に意味などあろうはずがなかった。自分たちは新人類の選定基準によって生まれ、新人類を親としてただ定められるがままに生きているのだから。前時代のような血を大切にする価値観ははるか昔に廃れ、自分の中にも微塵もなかった―――はずだった。
キクトは自分の中に生じた奇妙な感覚に戸惑っていた。
……自分の中に流れている、血。それは、この人と……リアンと、同じなのか。
気付く。自分の中にわずかながらも、確実に居座っているこの感情の正体―――
(……こんな状況なのに、どこか高揚している自分がいる。リアンがいれば、大丈夫だって安心感があるからか。それとも、世界のことがわかってきて、嬉しいのか。リアンと同じ血が流れているって知って、自分が特別なんだってわかって、喜んでいるのか。
……不謹慎だ。あまりにも、僕の思考は不謹慎で、下衆だ。でも、それでも僕は、この信じ難い現実を目の当たりにして、色々なことを知れて良かったと思っているんだ……それが、僕なんだ)
弾むように躍り上がる心に気付く。大きく胸を上下させた後、リアンの言葉に遅れながらも大きく頷いた。
その刹那、リアンは満足気に目を細めた。そうして、木をたんっと蹴ると羽切山の頂上にいるクリーチャーに淡々と向かっていく。




