募りゆく疑念
クリーチャーに襲われた一行だったが、リアンの圧倒的な強さでその命を奪った。集落に戻って食事をするが、疑問や不安は募っていくばかりで……
固い何かが勢いよく壁にぶち当たるような、バンッという強い音。
岩の破片がこちらに飛んでくるのを、セリがシールドで守ってくれている。
両手を前に向かって広げるその先に、うねるような光を発する壁。キクトと佐倉は、目の前で繰り広げられているあまりに現実離れした現実に圧倒され、しばらくは呼吸をするのさえ忘れていた。
「あンのクリーチャー、ちょっと、暴れすぎなんじゃない!?」
セリは文句を言いつつも、キクトと佐倉を自分の後ろへ座らせて何度も勢いよく降ってくる瓦礫から庇ってくれている。防御に特化した一族の末裔……キクトは昨夜の会話を反芻する。
二人は興奮する牛馬を宥めながら、頂上付近で蠢いているクリーチャーを見た。
クリーチャーは長い胴体をくねらせながら、リアンに威嚇するような姿勢を取っている。裂けた口元から涎が流れ落ち、振り乱したような毛はあちこちに向いている。太く鋭い鉤爪をギチギチと不快な音を鳴らしながら動かしており、リアンへの敵意が満ち満ちているのが遠目にもわかった。爛れたような皮膚からは、相変わらず奇妙な音が出ている。
……と、クリーチャーはすごい勢いで弾んだかと思うと周囲の瓦礫を巻き上げながら空高く飛んだ。
リアンは飛んでくる瓦礫を淡々と交わしながら、クリーチャーの様子を窺っている。どうやらあのクリーチャーは相当なジャンプ力なようだ。昨日会ったものよりもずっと巨大で、ずっと凶暴なように見える。
クリーチャーは突然牙を剥き出し、リアンに向かっていく。
「し、しぎゃァァァァあ゛ッヅ!」
鳴き声のようなもの……が、耳にキィイイインと響く。風を切る音。突進するおぞましい巨体。それをリアンは真っ直ぐ正面を向いたまま受け止めようとする。
―――ぶつかる!
目を覆いたくなったが、実際は全く目を逸らせなかった。羽切山の開けた岩場の頂上で、リアンはその巨体の喉元に向かって右手を伸ばした。
一瞬のことだった。
リアンの右手がクリーチャーの喉元に突き立てられたかと思うと、そのまま真っ直ぐその尾の方まで引き裂き、クリーチャーはその裂かれた部分から一気に燃え上がったのだ。橙色の柔らかな炎が、クリーチャーをゆらゆらと焼き尽くす。早送りのように見えていた視界が、その一瞬で炎の色に染まった。
『殺した』のだと思った。
「……すごい」
気がつくとそう呟いていた。圧倒されていた。と同時に、今までに感じたことのない悦楽が感ぜられた。リアンの持つ不思議な雄大さに、キクトの心はこの上なく引き付けられていた。
「リアンは私たち能力付きの中でも特別……というか、異様なの。手で触れた部分を細胞レベルで意のままに変形、あるいは破壊させることができる。気功タイプと呼ばれる珍しい一族の中でも類を見ないほどの繊細な感覚を持った、特異な存在。……間違いなく、この世界で最強の竜人類だよ」
頂上を見上げると、黒煙が上がっている。獣の焼けた鼻を衝く匂いがこちらまで漂ってきた。セリの先導で三人は再び頂上へ戻ると、リアンはもう岩場にクリーチャーを埋め終わっていた。
「……クリーチャーを、どうして埋めるの?」
佐倉の訝しげ表情から発された何気な問いにリアンは少し驚いたような顔をした。が、すぐに平静を取り戻したようだ。
「いや、……特に意味はなかったが、こいつらも生きていたから」
その神妙な物言いに、彼らの間を少し気まずい沈黙が流れた。沈黙を打ち破ったのはセリだった。
「ひゃー、それにしてもどんどんクリーチャー、凶暴化してるような気がするねぇ……。キクトを守らなきゃね」
伸びをしながら言う。リアンもそれに続く。
「……キクト、もうわかっただろ。クリーチャーはお前を『殺そう』と必死なんだ。街の中にいれば安全なのかもしれないが、それでは結局ラヴィッジの復活を防げない。千年前と同じことか、それ以上のことがこれから起こってしまう。……オレたち竜人類はそれを防ごうとしている。長年探し続けていた『器』であるお前がこの集落に現れたのは、きっとそういうことなんだろう」
リアンの言葉に、静かに頷く。まだ鼓動がうるさい。わからないことはまだたくさんある。しかし、今はまだ聞きたいこともまとまりそうになかった。
「今日は、もういい。少し考える時間も必要だろう」
リアンは優しく言った。セリはにっこり笑って、「ほんじゃ、集落の方に戻りますかー!」と言いながら牛馬のいる下の方に向かって歩き出す。リアンもそれに続いた。
「……キクト、本気なの?」
佐倉は後ろから、キクトにだけ聞こえるように耳打ちする。
「……まだ、なんとも言えないよ。分からないことの方が多いんだから」
「そうよね。結局、キクトはどういう経緯で生まれたのかしら。そもそも自由生殖によって生まれた存在が、街の中で生きることなんて可能なの?」
(その通りだ……)
キクトは考え出す。前時代も行政が大衆を管理する形態だったとは学んでいたが、今の社会は前時代よりもっとシステマチックな管理方法であることに疑いはない。建前上の自由は認められていても、佐倉の言う通りすべてが恒星会の支配下にあると、確かに言えるかもしれない。キクトはそれを肯定的に捉えていたが、佐倉のように疑問を持つ者もいるのも事実なのだろう。
しかし……とまた考え出す。自分がそのシステマチックな社会からはみ出ているような、そんな存在だとしたら……そう考えたら、キクトはなんだか自分の存在がとんでもなく恐ろしく思えてきた。
「佐倉……今までの会話で、何か気になったことはある?」
不安を紛らわすように言う。佐倉はその不安の切れ端を掴んだのか一瞬心配そうな目を向けたが、特に言及はしなかった。彼女も彼女なりに気を遣ったようだった。
「そうね……とりあえず、リアンさんが言っていた恒星会に特別視されているっていうのは、キクトの出生について既に恒星会に知られている、ということなんじゃないかなって思ったわ」
「ああ……そうだよね。やっぱり恒星会には、なんでもお見通しか」
「でもそうなると、キクトがどうやって街の中で過ごすに至ったのかがブラックボックスだわ。母親……つまり卵子側が竜人類で、精子側が旧人類なら尚更ね。だってあんた……街の外で生まれたってことでしょ?」
佐倉の言うことは最もだ。生まれてくる赤ん坊、つまり卵子と精子が完全に管理されている状態で、キクトはどのようにして生まれ、今の父母の元へ送られたのだろう。
「……それ、リアンに聞いてみていいのかな」
気がつくと、前を行く竜人類の二人と距離ができている。佐倉はキクトの言葉に吸い寄せられるようにめいっぱい身体を近付け、声を潜ませて言う。
「……本当に、リアンさんの言うことを全部鵜呑みにしていいのかしら。おかしな点が多すぎると思わない? キクトを守るっていうのは本当だと思うけど、まだ教えてくれていないことの方が多い気がする」
「……僕は、どうしたらいいかな」
「ラヴィッジの復活を防ぐ、ってやつね。……正直、そこを判断するには知識も心も、全部が準備不足だわ。ひとまず、集落に戻ったらもう少し情報を集めましょ。親には一週間以上フィールドワークでキャンプするって言ってあるし、恒星会もすんなり街の外に出させてくれてるんだから、少しくらい長引いても大丈夫よ」
「そう、だよね」
言いながらまた、あの不安感に心が押さえ付けられる。何かに追われるような、恐怖に包まれた焦燥感。
(リアンは悠長にしている時間は無い、と言っていた。……竜人類はラヴィッジの復活を防ごうとしている、とも)
佐倉が何か話しかけてきたが、キクトは上の空だった。鳥のさえずりが聞こえる。
(だとしたら、おかしい。リアンのお姉さん……つまり僕の母にあたる人が竜人類なら、街の外で僕を産むしかない。そのまま竜人類のコミュニティで育てれば良かったはずだ。その方が竜人類にとって、都合がいいじゃないか)
そこまで考えたところで、割れるように頭が痛んだ。思わず両手で押える。自分自身の存在が、ひどく不安定なものに感じる。そしてそれを、空恐ろしく感じる。脈打つ鼓動を落ち着かせるように、手で胸を強く押さえた。
(そうなっていないのは、そうできなかったから、と考えるのが妥当か。……それか、何か別の理由があったかもしれない。でも、その理由って何だ。もしかして、街の中にも実は竜人類がいるのか? いや、そんなはずはない、と思う……けど、そう決めるのは早計かもしれない。何にせよ、佐倉の言う通りきっと僕らはまだ何も知らないんだ。この世界のことを、何も)
びゅうと風が強く吹く。前を見ると、竜人類の二人に佐倉が何かを話しかけている。その奥に広がるざわざわと揺れ動く木々を見つめながら、キクトは浅く呼吸を繰り返していた。
※
集落での食事は想像に反して素晴らしかった。二人が集落に戻ってきた時には既に温かく香ばしい匂いが漂っていた。
「ん、いい匂い~! 美味しい炊き込みご飯の匂いだぁ」
その香りにセリが嬉々として反応する。
「ヨダレが出てるぞ……」
リアンは半ば呆れたように言った。滝の裏にある大きめの部屋に入ると、そこでは何十人かの竜人類が席に座って食事の用意をしていて、旧人類である二人はその景色にいくらかたじろいだ。こちらに気がついた何人かの竜人類は、やはり驚いたような訝しむような、それでいて憐れむような複雑な目でキクトを見つめている。
「お、戻ったかー」
サイノはこちらに気がつくと「よっ」と手を挙げた。
キムは子どもたちに配膳の仕方を奥で教えている。全身包帯だらけのままではあるが、昨日まであったはずの右腕の赤みはなくなっていた。サイノの声で気がついたのか、キムはこちらを素早い動きで振り返った。
その顔には昨日からは想像もつかない表情が浮かべられていた。喜びと気恥ずかしさと、悲しさ、嬉しさ、緊張、困惑、……といった様々な感情の入り交じった複雑な表情だ。頬が紅潮している。具体的に言語化するのは難儀でも、キクトと佐倉にはすぐにわかった。
キムはリアンに対して特別な感情を抱いているのだ。
「リアン……! おかえり、大丈夫だった? ……その怪我は?」
キムはすぐに駆け寄ってきて尋ねる。リアンは無表情のまま、「問題ない」とだけ答えた。先ほどまで気が付かなかったが、先のクリーチャーとの戦いで飛んできた瓦礫が左腕に当たったようだった。左肘の下部分の袖が少し破けて、赤黒く汚れていた。キクトは胸に重く何かがのしかかったような気がした。
「食事だけが最近の楽しみなんだよねぇ。くんくん……っはーーー! いい匂いすぎる!」
セリはこちらの様子などお構いなしで、満足気な顔で配膳をしている子どもたちからトレーを受け取る。そのトレーに、野菜やら果物やら麦のようなものやらが乗った大きな器をどんと置く。奥で焼いているのは何の肉だろう。塩気と炭の混ざった香ばしい匂いが充満している。スープもあるようだ。昨夜何も口にできなかった二人は、お腹をぐうと鳴らした。サイノは穏やかに笑って手招きをした。
「旧人類の口に合うかはわかんねーけど」
「ありがとう」
サイノの用意したトレーを受け取った佐倉は感心したように頷く。
「すっごく美味しそうだわ」
キクトもその言葉に大きく頷いた。サイノはその切れ長の目を細め、高く括ったポニーテールを小さく揺らした。
「キクト。食べよーよ!」
セリがにこやかに近づいてくる。どうやらキクトの分まで用意してくれたようだ。
「あ、ありがとう」
キクトは周りの竜人類に窺われながら、セリに勧められるがまま端の席に座った。旧人類に対する好奇の目もあれば、どこか慈しむような、憐れむような、なんとも言えない不思議な目を向けられもした。
居心地の悪い気分ではあったが、セリに勧められるままトレーに乗った野菜たちを口に運んだ。薄味ながらも素材の美味しさの詰まった新鮮な味が口いっぱいに広がっていく。美味しい、と思わず呟いた。その様子にセリは満足気な笑みを浮かべた。気恥ずかしくなって思わず俯く。スープを啜ると、これまた塩気と肉の旨味が絶妙なバランスで美味だった。空腹から、手が意志に反してどんどん動いていく。
ちらりと周囲に目を配ると、佐倉は入口付近でサイノとまだおしゃべりをしている。随分熱心な様子だ。サイノの勝ち気そうな目に優しい色が灯っている。その周りにも目を向けたが、いつの間にかリアンの姿はなかった。
「キクト、さ。色々混乱してるでしょ。まぁ、うちらが混乱させてるのかもしれないけどさあ、ねえ」
セリは少しふやけた笑い方で言う。キクトは曖昧に笑った。
「まだ街には戻る気ないでしょ? 少しゆっくり、理解していったほうがいいかも。ほら、竜人類って君たちより長生きだから。多分、基本的にのんびりなわけ。あまり答えを急がないというか、焦らないというかさ」
「街には……あと一週間くらいは帰らなくても大丈夫です。いざっていうときには笛を吹くつもりでいるんですけど……」
「はいはい、敬語禁止ねー! てか、そうか、笛ね。私は能力付きがこんだけ集まってるタイミングで吹いてもらっちゃった方がいいと思うんだよねぇ」
「それ、昨日も言ってま……い、言ってたね。それはどうして?」
「Dedが……というか、新人類がどこまでラヴィッジのことを知ってるのか、わかんないからさ。ちょっと得体が知れないっていうか……新人類が何考えてんのか、こっちとしては知りたいんだよね。今はもう、不可侵のルールだなんだって言ってる場合じゃないでしょ。世界の危機ってのは、三種の人類全体に共通だよ」
セリの放つ言葉はキクトの心に重くのしかかった。
「新人類の人たちは、この世界の状況を、やっぱり知ってるのかな……?」
「んー、そりゃ、旧人類よりは知ってんじゃない? まぁ私は街の中のことなんて全然わかんないけど……」
セリは少し困った様子だ。
「でも、二百歳越えの人たちはみんな言ってる。新人類は物凄いスピードで世代を超えて学習する、そして思考する。その思考の末、合理的で最善の行動をする……。そうやってどんどん社会を変えていく、そういう存在だって。ほんと、恐ろしいよ」
セリの饒舌な語りを聴いてはいたものの、返事ができずに黙ってご飯を口に運ぶ。セリは気にしないといったふうに続ける。
「新人類は、もしかしたら竜人類よりももっと……この世界について詳しいかもしれない」
セリは少しだけ苦い顔をして言う。そこには怯えとも、憎悪とも、憧憬とも、嫉妬とも取れるような複雑な色が浮かんでいた。
「あの、セリさん。僕が龍晶を取り込めば、世界は救われるんだよね?」
「まぁ早い話が、そうだねぇ」
「なら、僕は協力するよ。躊躇う理由はないよ」
言いながら、キクトはじっと相手の反応を窺った。もはやここまで来てしまった以上、そして俄かには信じ難い様々な事実を突きつけられてしまった以上、こちらももったいぶっている場合ではないと思ったのだ。多少の駆け引きは必要だった。
セリは一瞬ぽかんとしたが、すぐに「あははっ」と声を上げて笑った。
「それ、本気で言ってんの? ……お人好しなんだね」
意外な返答に戸惑いを隠せない。
「な、なんでよ……世界を救えるのは、僕だけってことでしょ」
「そうだけどさ。いきなり全部を鵜呑みにして、全部こっちの言いなりになっていいの?」
セリはこちらを窺うような目付きだ。ほんの隙間もなく空気が凍った気がする。……試したのがバレて、そして逆に試されている。嫌な緊張感が身体を走る。口に入れていたものをごくりと飲み込むが、味がしない。
「そ、そりゃ、信じにくいこともあるけど……でも、街の中でしか過ごしてなかったんだ。僕としては竜人類から出された情報を鵜呑みにするしかないよ」
「ふーん、そっか。もちろん、竜人類からしたらありがたい限りだけどねっ! うちらで世界を救っちゃおー!」
セリはまたからりとした調子に戻った。凍った空気がぬるぬると溶け出す。その寒暖差にどこか居心地の悪い気分になる。
(……何があったとしても、この世界で生き抜くためには、僕らはまず竜人類の話を信じないといけない気がする。そうじゃないときっと、この先に進めない)
気が付くと、セリは他愛もない話をし始めている。しかし内容は意味のある言葉として頭の中に入ってはゆかなかった。
自分の生きてきた世界。生きている世界。目の前に広がる現実感から遠いが確かな現実。今後世界にもたらされる恐怖。この現状に対する違和感。
何が本当で、何が偽物で、自分はいったい何に囚われているのだろう。
ざわざわとした食堂で、気がつくとまた底知れない孤独感に苛まれていた。




