夜明けとともに
リアンに連れられ、とある場所に向かうキクトと佐倉。その道中で、信じられない事実を聞かされ……
街は、どこか腫れぼったい雰囲気を纏っている。陽気さはない。淡々としていて、無機質だ。
しかし、キクトの中にそれを形容する勇気はなかった。幼少期から燻る思いだけを抱いていた。言葉にならなかった思いは、衝動になって溢れ出す。
どこかを、ただ走っている……。
どこかはわからないが、何かから逃げている。急ごうとすればするほど、足はもつれた。得体の知れない化け物が、何かが、自分を追っている。
ハア、ハア、ハア。
自分の呼吸音。見えないものに対する恐怖心と、逃げなければという焦燥感、足の覚束なさに対する苛立ち。
ふと気がつくと、自分の身体が人のそれではなくなっていることに気がついた。ざらざらとした爬虫類を思わせる肌に、太い鉤爪。
なんだ、これは……
そう思ったのも束の間だった。
ふっと足元の感触が消える。
自分はこの世のものとは思えない雄叫びを上げながら、暗く深い闇の底へ、ひたすら落ちてゆくーーー
※
「……!」
目を覚ますと、滝の音が聞こえた。鳥のさえずりも近くから聞こえる。
ここは、どこだ。
咄嗟に視界に入ってきた木目調の天井を見て、自分がどこにいるのかわからないという奇妙な感覚を起こした。
(……そうだ、竜人類の、集落だ)
意識ははっきりしてきたが、気分はすこぶる悪かった。全身が汗ばんでいて気持ちが悪い。ずいぶんと悪い夢を見ていた気がする。全身に張り付く不快さから逃れようと寝返りを打ったが、薄い茣蓙から伝わってくる床はなんだかごつごつとしていて、とても寝られたものではない。昨夜もあまり寝心地が良かったとは言えなかった。
佐倉の姿が見えない。ハッとして身体を起こす。周囲は明るく空気も澄んでいたが、木目調の床や天井がどこかくすんだ雰囲気を醸し出している。
キクトは立ち上がり、扉を開けた。視界が一気に明るくなる。目の前に広がる滝のカーテンからこちらに向かって飛び散る水飛沫を心地よく感じながら、崖下に降りて行く。
広場の方へ向かうと、想像していたよりも多くの竜人類があちこちで働いていた。それらを横目に見ながら、佐倉やリアンの姿を探した。滝壺の裏側へ行くと、その二人の姿が見えてほっとした。
「あ、キクト」
「起きたか」
二人は牛馬に荷物を乗せているところだった。牛馬というのは、その名の通り前時代の牛と馬の遺伝子を掛け合わせてできた新時代の生物である。食用としてつくられたのだが、第三次世界大戦による混乱で野良化した。それを竜人類は荷物を運んだり、移動したりする乗り物としてしつけているようだ。
牛より速く、馬より強靭。図鑑の中で見た知識を必死に頭の中に思い描く。母に聞いたら、ホログラムで原寸大の牛馬を出してくれたのを思い出した。実際に見るのとでは、やはり迫力が違った。
「ね、リアンさんとセリさんが羽切山の頂上へ連れて行ってくれるって」
佐倉は飛び跳ねんばかりに嬉々として言う。学校のフィールドワークよりももっと、冒険心をくすぐられるのだろう。
羽切山は平坦で、裾の長いタイプの山だ。一日あれば登ることはできそうだが、と考えたところで、荷物の準備をしているリアンをそっと盗み見た。露出度の高いセリとは反対に、リアンは裾の広い長袖長ズボン、前時代の着物とかいう服を動きやすく加工したような恰好だった。一晩中、外で番をしていたとのことだったが、疲れを感じさせないどころかむしろ泰然としている。
「キクト、もう出られるか?」
リアンの言葉に、こくりと頷いた。セリは「じゃ、出発しちゃお〜!」とハイテンションである。いつの間に乗ったのか、既に牛馬に跨っている。佐倉はセリに手を引かれながら、その後ろに乗った。
リアンももう一頭の牛馬にひょいと乗ると、キクトの方へ手を差し出した。その手は指先まで包帯がぐるぐると巻かれている。キクトは少しどぎまぎしながら、その手を掴んだ。
ぐい、と引っ張られるようにしてキクトが跨ると、リアンは牛馬の手綱を引いた。そこへサイノがやってきて、「じゃー、何かあったらすぐに鳩を飛ばせよ」と言う。見ると、右肩に白い鳩がちょこんと乗っている。
「ああ。夕方には戻るようにする」
「今日は蘭も戻るんだろ。……少し、今後の方針を固めてくれよな、リアン」
蘭……キクトはサイノから発される人名を聞きながら、残りの能力付きの竜人類だろうか、と考えていた。確か、他にもいたはずだ。
「わかってる。……それと、キムに伝えといてくれ」
「何を?」
「キクトの腕。治してくれてありがとうと」
リアンの言葉にサイノは切れ長の目をぱちくりさせた。そしてふっと、「本人に直接言えば喜ぶのに」と言って笑った。犬歯が鋭く覗く。リアンは特段、何の反応も示さない。
「集落の方は任せたからな」
リアンの言葉にサイノは手を振って答えた。セリ、佐倉、リアンと共にキクトは集落を出た。
勾配の急な山道だった。地面にはシダ植物が生い茂り、徒歩だとかなり時間がかかるであろう道無き道を、二頭の牛馬は軽快な歩調で進んでゆく。その揺れや、鳥のさえずり、木々の擦れる音を聞きながら、キクトは今までにない安心感に包まれていた。リアンの背中を掴むと、想像以上に華奢なことに驚いた。鼓動。リアンの心臓の波打つ音が、心地よい振動となってキクトの指先に伝わってくる。
「あ、あの、リアンさん」
「わざわざ『さん』をつけなくていい。言葉で距離を置かれるのはあまり好きじゃない」
「じゃあ、リアン……。どうして、僕を守ってくれるの? 僕は、何も分からないことだらけで……正直戸惑ってる。でも、リアンは僕の名前を知っていた。それは、どうして? 僕らは、もしかして会ったことが……」
「……」
リアンはどう返せばいいのか、考えあぐねているようにも思えた。キクトは待った。
牛馬のかぽかぽとした歩調が心地よく身体を揺らしている。木々のざわめきも心地よかった。
「……キクトは、生まれた時のこと、覚えているか?」
唐突な反問にキクトはたじろぐ。
「えっ、覚えてない、かな……」
「早い話が、お前はオレの甥……オレの姉から生まれたんだよ」
「うん、……うん? え、ええぇっ!?」
あまりにも唐突な言葉に、キクトは遅れて反応する。キクトが仰け反ると、牛馬がいくらか驚いたように揺れた。
「ご、ごめん」
慌てて体勢を立て直す。まだ意味を咀嚼しきれていない。
「そ、それはつまり、ど、どういう」
「新時代……つまり、二一二〇年以降になってからは、旧人類は自由生殖ではなくなり、生まれてくる子どもは厳密に管理されるようになった。血のつながり、なんてものは人類にとって重要ではなくなった。というより、その考え方、イデオロギー自体が廃れていった……それはわかっているな?」
「え、あ、うん、昔は血の繋がりが重要だったっていうのは知ってるよ。一応、子どもたちの常識だけど……」
「ただ、竜人類はその制約を受けていない。竜人類には今も生殖の自由がある。……竜人類は、新人類の『人類のために生きる』という使命の中にある、『人類』には含まれていないみたいだな。まぁ、旧人類とは種が異なるから、そもそもそうなんだろうが」
話の方向が読めない上に、先程言われたことの意味を理解しきれていないキクトは、またしても混乱に陥っている。
竜人類は街の外で生きる。だから、生殖の自由がある。自分たちのように、決められた生や死がない。
自由……その言葉に、いくらか羨望に似た気持ちが湧いた。昨夜の佐倉の顔が思い出される。
『……サイノさんが言っていたわよね、あまりにも自由がないって。私、それを言われてようやく気が付いたの。私たちが縛られていることに……私たちの生活は、やっぱり前時代と比べてもあまりに異常だってことに』
リアンは淡々と続ける。
「新人類と旧人類は各地にいくつか街を作り、その中で統制の取れた世界を作り上げたが、竜人類は街の外で昔と変わらぬ生活を送っている。互いに暗黙のルール……不干渉、不可侵の約束があった。竜人類の持つ能力が人類全体にとってあまりに脅威だったことや、寿命の差から、きっとはるか昔から互いに反目していたんだろう。竜人類からしたら全体数の多い旧人類も脅威だから、ふたつの人類が距離を置くのは自然なことだと言えた」
がさがさと草をかきわけながら、牛馬は軽快なリズムで進んでゆく。十数メートル先を行く佐倉とセリには、声は届いていない。
「ただ、いかなる時代、いかなる場所でも、例外というものはある。その例外が、キクトだよ。……お前は竜人類であるオレの姉と、旧人類との間に生まれたんだ」
ドン、と殴られたような鈍い感触が、身体中に広がった。
(僕が、竜人類と旧人類の……? ま、まさかそんなわけが)
信じたくない思いと、信じられないという思いが混じり合った。思わず叫んでいた。
「どうしてそんなことがわかるの!? 申し訳ないけど、とても信じられないよ。だって僕は……僕は、街の中で生まれ育った、ただの、……人間だ」
酷く混乱している。リアンは何も言わない。淡々としたままだ。背中から感じる鼓動も、ひとつもズレを感じない。動揺という言葉からは程遠い位置にいる。そう思った。
「キクト、気持ちはわかるが、今はお前が竜と人の合いの子であるかどうかを議論している場合ではないんだ。信じられないと思っても、お前は双方の血を引くこの世界にただひとりの存在だ。それは変わらない。そして問題は、その先にある」
リアンはあくまでも調子を変えずに言葉を放ち続ける。ざらざらとした不快な感覚が全身を駆け巡っている。
「この世界に、再びラヴィッジが目覚めようとしている。それを防ぐことができるのは、竜人類と旧人類の血を引くキクト、お前だけなんだ」
―――自分は、ここにいてはいけない。
いつからか抱えていたそんな不安感が、今になって色濃くその存在感を示している。
明るかったはずの森が、一瞬で暗くなったような気がした。




