手のひらをかざせば
集落に伝わる「言い伝え」について、セリから聞いた二人。セリの口から、千年前に起きた【ラヴィッジの災厄】というものの存在を聞くが、その「千年前」という部分に違和感を二人は覚える。集落に帰着したリアンと再会し、ラヴィッジについて尋ねるが……
思い返せば、キクトたちが暮らすのは学校と街の子どもたちの家であるアークパレス、図書館、近くの自然だけだった。アークパレスから学校はトラベレーターですぐだったし、図書館も学校に併設されるような形で建っている。
学校では下級生たちとの交流の場が多く設けられている。新時代の学校は、前時代のようなカリキュラムに縛られた形態ではなく、フィールドワークや実践演習的な授業が多かった。
キクトがまだ六歳ほどの頃のことだ。朝起きると、父母とともにアークパレスの中庭―――吹き抜けのようになっている―――を散歩するのが日課だった。そこで花壇にある花に水を遣りながら、昨日の出来事や今日の授業について語るのだ。
「昨日のフィールドワークでね、変な生き物を捕まえたんだ! 昔の『カエル』ってやつらしい。この辺じゃ珍しいって先生が言ってた!」
目を輝かせながら言うキクトに、母は「へえ、ちょっと検索してみてもいいかしら?」と言って、首についているチョーカーのような部分を操作する。この首輪のようなラインが、その人が新人類である証である。すべてのデータはここに入っているのだ。人々はこの首にあるラインによって、その人が旧人類か新人類かを見分けていた。
母は検索した『カエル』のホログラムを、右手の上に出した。
「へぇ……これが『カエル』ね。なんだか、気味の悪い生き物ね……。キクト、これを捕まえたの?」
「気味悪くなんかないよ! 結構かわいいよ。ぴょんぴょんって、ジャンプするんだ!」
「キクトは勇敢なんだな。今度、持って帰ったらパパにも見せてくれよ」
嬉しそうな顔の父と、困り顔の母。
「先生にもよく見つけられたねっていっぱい褒められたんだよ。佐倉はね、怖がって一番最初に逃げちゃってさぁ……」
楽しそうに語るキクトを見て、両親は二人寄り添いながら、いつも穏やかな笑みを湛えていた。その笑顔を見ると、キクトは満ち足りた心持になる。
街の中にある遊技場や公園、図書館に連れて行ってくれていたのも両親だ。親によってはそういったことを好まないそうだが、キクトの両親はキクトの知的欲求を満たすことをいつも優先してくれていたように思う。
「キクトが私たちのところに来てくれて、本当によかったわ」
母はよくそう言っていた。親として生きる新人類は、子どもを選ぶことができない。人口調整のため、選りすぐりの卵子と精子がそれぞれ掛け合わされ、遺伝子上問題がないと認められた受精卵だけが生まれることを許される。そのようにして人工的に生まれた赤ん坊の持つ形質によって、中央庁や恒星会が新人類の親を選定する。
親としての生を受けた新人類は、生まれてからの十年間で父あるいは母となるための反復及び学習、訓練を受けるのだ。その結果や形質でパートナーが決まる。そうして、アークパレスで与えられた子どもを二十年間、愛情を注いでひたすら育てる。子どもたちが成人し、働き始めてからは、子どもたちの『帰る場所』として隣の街で静かに暮らす。そして子どもたちが中年期に入ったとき、親はその生涯を閉じる―――
『親』として生まれた新人類の人生は、そう決まっていた。
「本当に。俺たちは幸せ者だよ」
にこやかに笑う父。キクトは二人を幸せにしているということに欣喜する気持ちを感じていたし、そのような優しい両親の許で生活できることはキクトにとっても確かに幸福だった。
しかし、いくら厳密な精査によって選定されたとは言っても、関係を構築していく中でズレが生じる家庭も少なからずある。
実際、下級生の中には親と喧嘩ばかりで家を飛び出してしまい、行方不明になったという子がいた。その子は見つからなかった。街の外側は深い森だ。どこかで怪我をして動けなくなったのかもしれないし、今もどこかでひっそりと暮らしているのかもしれない。それは誰もわからなかったし、どこかその話題は皆が避けた。そして、その子の親はアークパレスの一室から、唐突に姿を消した。
荷物は何もかも置きっぱなしだったようだった。キクトは学校から帰ってきたときに、自走型清掃AIが無感情に家具を運び出しているところをたまたま見てしまった。その時期は学校でもいくらか噂が飛び交った。新人類であるキクトの親でさえもこの件ついて話していたのが印象的で、よく覚えている。
暑苦しさに目を覚まし、トイレに行こうと立った時だ。部屋の外から、両親のひそひそと話す声が聞こえてきた。
「……斜向かいの部屋の子、結局ひと月経っても見つからなかったってね」
「うーん……無事だと良いんだが」
母の言葉に父がわずかに唸る。母は落ち着かない様子で言葉を続ける。
「無事でいる可能性ってあるのかしら。もし街の外に出てしまったら、もうその子のことは探せないんでしょう?」
「ああ。街の中なら、子どもたちがどこにいても恒星会によって居場所がわかるって話だが」
「じゃあ、やっぱり街の外に……」
「でも、あんな子ども一人で街の外に出られるものなのか?」
「……そうよね。じゃあ、やっぱり街のどこかで、今も隠れているんじゃないかしら」
「これだけ大人たちの目のある街の中で、ひと月もか? ……それも考えづらい話だな」
「昨日、清掃AIがあの部屋を空っぽにしていたわ。親たちも、どこかに行ってしまった、っていうことよね」
「……恒星会に、どこかへ連れていかれてしまったんじゃないか」
父の言葉に、母が酷く怯えた表情をしていたのを覚えている。
「そんな……。怖いわ」
「向かいの部屋のお父さんが言っていたよ。俺たちは『親』失格になったら、終わりなんだって……」
父の痛切な声に、母は泣いていた。
「ねえ、私、たまに自分がわからなくなる」
「……自分がわからない、だって? そこに思考力を注ぎ込むのはよくない。危険だ。無駄な思考傾向を持ったログを生んでしまう」
「そんかの、わかっているわ。でも考えてしまうの。きっと、生まれたときから私のログはそういう思考傾向にあるわ。私のログを持っていた歴代の人々が、どこかで発芽したこの疑念を少しずつ育てていったんだわ」
「おい、俺たちは新人類だぞ」
「それは、わかっているのよ……でも」
「やめないか。俺たちはキクトの『親』として生きる……それだけだろう」
「……そうね。だめね、私たちは、キクトが幸せになるように……それだけのために、生まれてきたんだから」
「……泣くなよ。俺たち新人類は、自分に与えられた役割を全うして生きるものだ。それが俺たちの幸せなんだ。余計なことは考えちゃいけない。いいかい、はるか昔に新人類に思考の自由が許されたのはあくまでも旧人類のためであって、決して自分たちのためではないんだ。そこに疑問を持ってはいけない。俺たちは、『親』として生まれてしまったんだから、『親』として生きるんだ。自分の役割を見失っちゃいけないよ……。さ、もう休もう」
父は母を宥めるように言った。
まだ幼かったキクトは、足音を立てないようにしてそっと自分の部屋に戻った。
―――うまく、やらなければいけない―――
そんな思いが無意識のうちに心のどこかにあったのではないかと訊かれれば、そうかもしれないと答えるだろう。
うまく言えない。
新人類は、旧人類とは異なる人種だ。
でも、キクトにとっては大切なたった一人の父と、たった一人の母だった。
※
バチバチッと強い音を立てて焚き火が弾けた。キクトはハッとして顔を上げた。セリがこちらをじっと見ている。
「……ねえ、キクト。この集落にはね、とある言い伝えがあるんだよ」
神妙な物言いに、キクトは思わず姿勢を正した。
「言い伝え、ですか」
「やだなぁ。敬語なんて堅苦しいのはさ、やめようよ。一応、同じ『人間』でしょ?」
キムとは違い、セリは懐に飛び込んでくるタイプのようだ。キクトはぎこちなく頷いた。
「私たちはね、この集落しか知らない。キクトたちは街の中しか知らないだろうけど、それはこっちも同じこと」
セリの言葉に、キクトはキムの『私たちだって《何も知らない》ただの竜人類でしょ』という言葉を思い出した。
「でね、その言い伝えっていうのが、今この世界が危機的状況にあるっていうのとリンクしていると思うの」
「その、危機的状況って、どういうこと?」
「さっきの話、もしかして聞いてなかった? ラヴィッジの復活、だよ」
セリは少し困ったように笑って言った。ラヴィッジ……聞き馴染みのない単語だ。キクトは黙ってセリの次の言葉を待った。佐倉は考え事をやめたのか、真面目な顔でセリの話に耳を傾けている。
セリも真剣な調子を崩さずに言葉を紡ぐ。
「ラヴィッジっていうのはね、はるか昔……千年くらい前に、世界を滅ぼそうとした神様のことだよ。めちゃくちゃでっかい龍なんだって。でっかすぎて、姿全体が見えないくらい」
セリは両手を広げて大袈裟にジェスチャーをした。
(ラヴィッジ……世界を滅ぼす、神様? ……千年前?)
セリは続ける。
「私が小さかった時、まだ生きてた親から聞いたんだぁ。ほら、竜人類は子どもを産んだらすぐに死んじゃうからさ。あんまり親のこと、覚えてないんだけど。その話だけは、忘れちゃダメだって言われたのを覚えてるんだよね」
ぱちぱちという焚き火の音と、セリの滔々とした口調に、二人は引き込まれていた。
「……私の一族はね、千年前にほとんど死んじゃったの。ラヴィッジから人類を守るために肉の盾となって死んでいったんだって。で、そこで生き残った竜人類は、旧人類や新人類と関わるのをやめて、ひっそりと暮らすようになったの。なんでだろうね。もしかしたら、どうせ別の種だから共生する意味はない、なんて思ったのかもしれない」
共生しなかった理由。二人は自分たちの知りたかったことだ、と目を合わせた。しかしセリもそれはわからないようだった。
「三つの人類は共生しない道を選んだわけだけど、それは正解だったのかな。……私は、本当はもっと三つの人類が一緒に暮らせたらよかったのになって思ってるんだぁ。なんで今、こんな風になってるんだろうって、小さいときからからずっと思ってたの。
ほら、新人類は寿命が短いからさ、古典的な竜人類と違って世代が変わるごとにどんどん社会の様子も変わっていったらしいんだけどね。竜人類はまだ、千年前から三世代程度しか経ってない。竜人類はきっと、種全体で見たときに、新人類や旧人類ほど立ち直れていないんじゃないかな。
……って言っても、千年も前のことだから、実際にラヴィッジを見た人は、竜人類の中にももういないんだけどね」
あはは、とセリは寂しく笑った。二人は何も言えなかった。
「その点、新人類はすごいよね。突如として誕生して、前時代とは全く違う新しい世界をあっという間につくったって、親が言ってた。あ、私の親はね、ラヴィッジと戦った最後の防御タイプの一族で、唯一の生き残りの子どもだったの。小さい頃、親にはずっと、血を絶やすなって言われた。私には一応兄が一人だけいるんだけど、別の集落で暮らしてるんだ。なるべく多くの場所で血を残したほうがいいからってことでね」
セリはどこか遠い目をしている。佐倉は何とも言えない表情だった。
「あ、それで、言い伝えっていうのはね、さっき佐倉が『同じ夢をみんなが見た』っていう現象について話してたでしょ? それ聞いて、言い伝えを思い出したの。その言い伝えは……
『空が赤く染まるとき、世界は再び破壊の渦に呑み込まれる』
……っていうものなんだけど」
セリの言葉に二人は衝撃を受けた。
(空が赤く染まる……? 『紅事件』のことか……!?)
「私ら竜人類はそんな夢見てないけど、旧人類の多くが見たんだよね? じゃあ、やっぱりこの言い伝えってほんとなのかも。長生きのお爺さんが、子どものときに聞いたらしいんだよね。最初聞いた時は何言ってんだかって思ったけど、実際、最近やたらクリーチャーが多いし。なんだか森がザワザワしてるんだよね」
セリは険しい表情になっている。
「前まではね、かなり遠くまで行かないとクリーチャーには会わなかったんだけど、ここ十年くらいで急激に増えたの。しかも凶暴化してる。……リアンはね、ラヴィッジの復活が近いからだって言ってるの。あのサイレンも、ここ最近やたらと聞こえるようになった。新人類も街の外でクリーチャーと頻繁に戦うようになったってことでしょ? だから、集落のみんなも不安がってる。……世界はもうすぐ、地獄になるんじゃないかって」
セリはそこまで言って、ふうと息を吐いた。キクトは今のセリの話を必死に咀嚼しようと努めた。
世界を滅ぼすというラヴィッジとは何なのか。赤く染まった空の夢。凶暴化するクリーチャーと呼ばれる謎の生物。新人類のサイレン、そして旧人類の知らぬところで密かに行われている戦い。
空恐ろしさを感じずにはいられなかった。佐倉も同じ様子だった。
しかしその恐ろしさをどう形容し、言語として空気中に放出すればいいかわからなかった。キクトはただ黙っている。
と、そこへ一人の人物が現れた。ベージュ色のマフラーに、ショートカットのシルエット、尖った耳に鋭い犬歯、右目を隠した長い前髪―――
「あ、リアン! おかえりー!」
セリはまた柔らかい雰囲気に戻り、明るい声色でリアンを抱き締めた。リアンはそれに対してこれといった反応は示さず、こちらに左目だけを向けた。その表情も色も何もない眼差しにキクトは妙に吸い込まれた。
そして奇妙だったのは、リアンの持つ雰囲気に強烈なデジャヴュを抱いたことだ。なぜかはわからない。何も言えなかった。
リアンはキクトを数秒間見つめた後、セリが離れるのと同時に呟いた。
「……クリーチャーを四体、埋めてきた。……やっぱり相当、増えているな。集落の周りも一応周って見てきたんだ。遅くなって悪かった」
「四体も? ……ここももう、安全な場所じゃないかもね」
「ああ」
リアンはそれだけ答えると、ふっと息をついて言う。
「……セリ、オレは二人と少し話すから、外してくれるか」
「うん、もちろんだよー! じゃ、二人ともまた明日ねっ!」
セリは何も気にならないといった風にひと際明るい声で言うと、「あ、そうだ、これ返しておくね!」と、笛をキクトに手渡して去っていった。
セリの姿が見えなくなると、佐倉は胸を大きく上下させるように深呼吸をしてから呻くように尋ねた。
「リアンさん。…………ラヴィッジって、なに?」
その問いかけにリアンの暗い瞳がほんの少し揺れたのを、キクトは見逃さなかった。




