滝の音のする場所
竜人類の持つ「能力」を目の当たりにし、その暮らしぶりや実態を理解していくキクトと佐倉。募る違和感と、新たな謎。新たに加わったセリの口から語られる「この集落には、言い伝えがあるんだよ……」の意味とは?
キクトの慌てぶりに、話し込んでいたサイノと佐倉はどうしたのかと訝しんだ。
「な、なにかがこっちに来る!」
怯えているキクトを横目に、サイノは「ああ……」と困ったように頭を掻いた。キクトの見た淡い光。その正体は松明だった。
「っはーーー、やっと戻ってきたよお。たっだいまぁ!」
明るく間延びするような声を発して、森の方からやってきたのは髪を片側で高く結い上げている、派手な女の子だった。ニッカのようなワイドタイプのズボンに、薄い布で胸元だけを隠した大胆な服装。うっすら腹筋に筋が入っている。派手だ。
「セリ……集落に近づいたら松明は消しとけって何度も言ってるだろ。クリーチャーに出くわしたら、どうすんだよ」
サイノは呆れたように言う。こちらに気づいたセリと呼ばれた女の子は、サイノの言葉を無視して駆け寄ってくる。
「えっ、えっ、……ええええぇえ!? なに、旧人類がいんじゃん!」
「は、初めまして……」
「なになになに、なんで!? やばくない!?」
「いや、セリ、あのな、これにはワケがあって……」
「ひゃあぁ、初めて見たよぉ! ん、でも君、なんか変わった匂いがするねぇ」
物凄い勢いでキクトに近づくセリ。くんくんと首元の匂いを嗅ぐ仕草に、キクトは慌てた。
「匂い!? すみません! ちょっと、匂い嗅ぐのやめてくだ」
「さ」を言おうとしたその瞬間、バンッという強く鈍い音がした。倉庫にいたはずのキムが一瞬でセリに近づいたかと思うと、セリの首をめがけて回し蹴りを放った……
この一連の動作が、キクトのこの「さ」だけに詰まっていたのだからそれだけでも驚きなのだが、キクトと佐倉がもっと驚いたのは、その回し蹴りをセリが右手一本で止めていたことである。それもセリは自分の右側に向かって右手を開いているのだが、その右手の先十センチほどのところに、うねるように輝く薄い光の壁のようなものがある。それは見方によっては虹色にも見える。
(な、なんだ、これ……バリア、みたいな……)
唖然とする二人を前に、キムは舌打ちをすると軽い身のこなしでセリから数メートル離れた。しなやかな身体が宙に舞う。困惑の中に感嘆する心持があった。
「……こりゃびっくり、久々に帰って来たと思ったら、キム、なかなか腕上げたねー!」
セリは無邪気な様子で喜んでいる。キムは肩を竦め、ふんと鼻を鳴らした。
「お前らな……、こいつら、驚いてんだろ」
サイノは気怠げに言い放つ。佐倉は今見たものの脳内処理に時間がかかっているようで、頭上に「Loading……」が浮かんでいた。キクトもまた、目の前で起きたことに思考が追いついていない。
「ごめんごめんっ、私の名前はセリ! この集落のアイドルだよ〜!」
ニコッと笑いかけるセリに、「そういうことじゃねーだろ……」と呆れ顔のサイノ。そこへ「セリ姉ちゃんだ!」と子どもたちが駆け寄ってきて、セリは「じゃっ、またあとでね!」と言ってそっちへ行ってしまった。
そこでようやく我に返った佐倉は嚙みながら尋ねる。
「サイノさん、キムさん。い、今のは、な、なに?」
キクトも加勢するように頷く。竜人類のことについて、自分たちは何も知らなすぎた。
キムとサイノは目を合わせると、なんとも言えない表情をした。少し間があってから、サイノが答える。
「……広場で火をおこすから、二人も手伝ってくれ」
放たれたその言葉に、二人は内心ほっとしていた。
夕暮れが彼らを照らす。風と葉擦れの音をかき消すような滝の音が、集落を包んでいた。
※
「さっきのはアイツの能力さ。防御に特化した血筋の、ね。不意打ちなら一発食らわせることも可能だと思ったんだけど……やっぱり、悔しいけどまだ無理だった」
そう言ったキムは、いくらか悔しそうな表情をしている。落ちていた枝を拾って、焚き火の中にくべた。
「あれは竜人類全員が持ってる力っていうわけじゃない。それぞれの一族が特別に持つ、細胞を使った不思議な力だ」
「細胞を使う……? バリアみたいに見えたわ」
「そーだなー。バリアというか、シールドというか。あいつの能力のおかげで俺らは安心して戦えるってのが本音だ」
「戦うっていうのは、あの化け物と?」
「そーそー。クリーチャー、な。アレは元々一定数いたんだが、ここ最近やたら多いな」
「あんな気持ちの悪い生物、初めて見たわ」
「あれは、俺らが生まれるずっと前からあちこちで生きているらしい。謎の化け物さ」
サイノはさして興味もなさそうに言った。佐倉はその物言いに、あの化け物については何も得られる情報はないと思ったのか、キクトの方をちらりと見て『あんたも何か聞きなさいよ』とでも言いたげな目をした。キクトは慌てて気になっていたことを聞いてみる。
「あの、竜人類は長寿だって言われてますけど、どのくらい生きるんですか?」
「もちろん個体にもよるが、大体、四百年くらいじゃねーかな」
サイノはなんてことない、というふうに言ったが、その言葉に佐倉もキクトも目を丸くした。四百年後の世界など、想像もつかなかった。
「ちなみに、二人は何歳なの?」
佐倉はどんどん質問を繰り出してゆく。
「俺は百三十一歳。キムは九十歳になったばかりだったか? 俺らは竜人類の中では若手になる。畑で働いてる人たちはみんな二百歳くらいだし、集落一番の長生きジジイはもう三百歳近いんじゃねーかな」
キクトは先程、畑にいた人たちの姿を思い返した。見た目は三十代から四十代ほどだったが、外見の変わらない新人類や同世代としか関わらない旧人類と暮らすキクトや佐倉にとって彼らの年齢など推し量れるはずがなかった。
「子どもたちもいたけれど、彼らは?」
「ガキたちは、生まれてまだ十年ちょっとだな」
「ええっ、もっと小さく見えたわ。やっぱり、旧人類よりも成長はゆっくりなのね」
「そうだな。でも、二、三十年経てば、しばらくは大人の姿なんだぜ」
子どもたちは四、五歳あたりに見えていた。サイノはキクトには二十代後半辺り、キムは同い年ほどに見えている。
あの子たち、可愛かったよね、と佐倉は無邪気に笑った。キクトは佐倉の順応力の高さに感心するばかりだった。
「そういえば、この集落にはあまり人が住んでいないの? かつて、竜人類は世界に十万人ほどいたということだったけど」
「はぁ、今そんないるように見える?」
キムは鼻で笑った。佐倉は表情を崩さずに答える。
「見えないわ、この集落だけでは、とてもね。せいぜい四、五十人ってところかしら。部屋数や畑の大きさを見るに、それくらいが限界な気がするけど、実際はどうなのかしら」
「いい線だぜ。今、この集落には三十六人の竜人類が暮らしてる。つっても、今集落にいるのは裏にいるガキ三人と、親役が二人、長生きジジイに、畑作業メンバーが十何人くらいか。あと俺とキムとさっきのセリ。他の奴らは、数日から数ヶ月、集落を離れて食糧を取りに行ったり、他集落の奴らと物々交換しに行ったりしてる。全員で集まるのは半年に一回の集会ん時だけだな」
「たった三十六人で……この集落で暮らしてるのね」
「まーな。どんな生き物でもそうだと思うが、長寿な生き物は増えにくく、短命な生き物ほど一度に多く子を産むものだろ。俺らは前者だってだけさ」
「他の集落以外に、竜人類は?」
「どーかな。ひっそり、隠れて生きてる奴はそこそこいると思う。俺ら竜人類は、一個体としての生命力が他種に比べて強いんだろうな。だから、あんまり協力して生きていくって感じがないんだ。社会性がないって言えばいいかな」
「なるほどね、分かる気がするわ」
佐倉は感心したように言った。今度はキクトが口を開く。
「あ、あの。竜人類の人たちは、具体的には旧人類と何が違うんでしょうか。知的にも身体的にも旧人類に比べて優れている、ということくらいしか聞いたことがなくて」
その質問にキムは目を丸くした。
「あんたらが学校とかいう場で学んでるっていうのは、一体何なの? 旧人類と竜人類は、遺伝子の一致率がたったの八十%……何もかもが違いすぎる。旧人類の亜種、とか言われたりもしていた時代があったみたいだけど、根本的に別の種じゃん」
「そんな言い方したってわかんねーだろ」
サイノが諭すと、キムは不貞腐れた。
「悪いな。こいつ、お前らのこと警戒してんだよ。なんてったって、俺らにとっても初めて見る旧人類なんでね」
「遺伝子の一致率がそんなに低いというのは初めて知ったわ。見た目は、耳と牙以外は旧人類と大して変わらないのに」
佐倉の言葉にサイノは頷いた。
「見た目はな。中身の部分がかなり違うんだろーな。例えば、竜人類には能力付きとそうでない者がいる。能力付きはさっきのバリア張ったセリっていう女みたいに、普通の竜人類と違ってある能力について特異な形態を示すんだ」
(ある能力について特異な形態を示す……まるで、新人類みたいだな……)
キクトはサイノの言葉にハッとした。新人類はひとつの能力に特化した生き方をする。先生たちは、先生として教育についての能力が非常に高いため、教育に携わる仕事しかしない。親は、子どもたちを立派に育て上げる親としての性格や素質だけ。そして各種労働者は従事するその道にだけ特化する。そして、Dedは戦うことにだけ特化しているのだ。
「能力付きって、具体的にはどういう能力があるの?」
佐倉は興味津々といった風に尋ねる。先程みんなで準備した焚き火が、ぱちぱちという小気味よい音を立てている。
サイノはキクトの右腕を指差した。色の白い華奢な指だった。
「例えば、キクトの腕。キムが傷を治しただろ? キムは回復タイプってやつで、他人の傷を癒せるのさ。どーいうメカニズムかは知らんが、相手の傷を自分に移せるみたいだな」
相手の傷を自分に移す……キクトはその言葉にぎょっとした。つまり、彼女の右腕の包帯が赤く染まっているのは……
「そ、そんな。僕のせいで……」
「あー、鬱陶しい。大したことないから、気にしないでもらえる? 旧人類と違って、体力も回復力も何もかも桁違いなの。あんたにとっては激痛でも、私にとっては日常だから」
キムは赤く染まった包帯の右腕を上げ、手をヒラヒラさせて見せた。これがきっと彼女の精一杯の優しさなのだろうと、キクトは受け取った。
「それで、さっきのセリさんは防御に特化している、ということ?」
「そ。アイツの能力もメカニズムがよくわかんねーんだが、自分の細胞を極限まで硬くしたものを、一瞬で空気中に大量に放出する、みたいな感じらしいな」
「放出された細胞がシールドに見えたのね」
「ああ。意味不明なチート能力さ。シールドの形はある程度は自由が効くらしいから、使い方によっては武器にもなる」
「サイノさんには、どういう能力があるの?」
佐倉はいくらか前のめりになって尋ねる。
「俺は、んー……、何から言えばいいかな、俺ら竜人類はさ。その名の通り、『竜』なわけさ。だから本来の姿は、多分『竜』の方なんだ」
竜。多くの文献で見たその姿を必死に頭に思い描く。言われてみれば、先程のセリが見せたバリアは鱗に似た輝きにも思えた。艶やかな、光を反射するような薄い壁。
「でも、いつの時代からか人間じみた姿でいることが普通になっちまったんだろーな。竜人類の多くが生涯を人間の姿で過ごすんだが、俺はその『竜』に姿を変えられるっていうのが強みだ」
サイノは得意げに言った。キムは若干不貞腐れながらも、「『竜』になるって言っても、サイノが姿を変えるのは基本的には身体の一部さ。手とか足とかね、鉤爪になるとなんでも簡単に切り裂けるから、便利なのさ。うちらは、それを《顕現化》って呼んでる」と丁寧に教えてくれた。
「産まれた時にさ、既にこっちの目が『竜』だったんだぜ。でもこっちの目を使うのは体力の消耗が激しいから、普段は使ってねーんだ」
サイノは前髪で隠している左目の方を指差した。キクトも佐倉も、情報量の多さにただひたすら困惑していた。世界は、やはり街の中だけで終わるはずがなかった。
「それにしてもよ、お前ら旧人類って新人類に守られてるって言っても、箱の中でこんな基本的なこともなんにも教えてもらえないんじゃ、あまりに自由がないというか、何と言うか。……こう言っちゃなんだが、規格化された商品みたいだな」
サイノは呆れ顔で言う。言葉を選んだつもりなのだろうが、どうにも厳しい言葉だ。キムも険しげな顔で頷く。キクトは打ちひしがれつつも、その通りだと思った。自分たちにはまるで情報がない。今まで自分たちがいた世界の大きさは、今となっては果てしなく小さく感じる。
「やーやー諸君! 何の話をしてるんだいっ」
子どもたちを寝かしつけたのか、セリがやってきた。
「お前の能力についてだよ」
「ええっ、私の能力は秘密だよ〜! トップシークレットなんだから」
セリはおどけたが、すぐに真面目な顔になって言う。
「っていうか、ほんと、なんで旧人類がここにいるの? 旧人類って、街の中でしか過ごさないんじゃなかったっけ?」
サイノとキムは面倒そうな顔をしながら、「かくかくしかじかで……」と事情を説明した。佐倉も時折補足をしていたが、キクトはただ黙っているだけだった。
キクトはまた、みんなの会話をよそに思考に耽る。
(図書館の本に竜人類の生態について詳細に記されたものはなかった。竜人類の生活についてなんて、学校の噂話程度でしかなかったけど、どうして竜人類は山奥でひっそりと暮らすことになったんだろう。接触が禁忌となった理由は、今のところ何もわからない。竜人類は、旧人類と関わる必要がなかった、とか。とすると、禁忌となった問題はむしろ旧人類の方にあるのか? それとも行政……つまり、新人類の方に何か意図があったのか。でも、旧人類が竜人類と関わることで生じる問題……ってなんだ)
佐倉が何かを言っている。セリは何度か頷き、笑った。サイノも口を挟み、佐倉も楽しそうに笑った。時折見せる真剣な表情も、焚火に照らされて美しく輝いている。
(『紅事件』については結局何もわからないままだ。僕らが見たあの夢は、一体何だったのか……)
「なるほどねえ。じゃ、早い話がキクトたちはこの『外の世界』について知りたいってことね」
セリはにんまりといった風に笑った。剥き出された長い犬歯が、焚き火に照らされて鋭く光っている。
「ちょうどいいじゃない。私たちもそろそろ街の人間たちと話さなきゃいけないタイミングだったんだし。キクトや佐倉に仲介人になってもらおーよ!」
ぽかんとするキクトをよそに「そうだな」と頷くサイノやキム。佐倉はキクトにこそっと耳打ちする。
「……あんた、また上の空だったでしょ。私たちが思っている以上にこの世界は、危機的状況にあるみたいよ。私たちもあと三年もしたら中央庁に入るかもしれない身でしょ? ここはひとつ、竜人類の人たちに保護されたっていう体で恒星会には報告しましょ。……あー色々わかってきたけど、その分、謎もまだまだ多いわね!」
なぜか嬉しそうな佐倉を横目に、キクトはまた胸の奥底がざわざわするような感覚を味わっていた。
(……危機的状況? さっぱりわからない、けど……)
「あっ、そういえば、森の中でこんなのを拾ったんだよね~。白い、何かの機械? かな」
急に思い出したようにセリは言った。ポケットの中から出されたそれは、キクトが大切にしている笛のお守りだった。
「あ、すみません、僕のお守りです。クリーチャーに襲われそうになったときに落としたのかな、拾ってもらえて良かった」
「お守り? にしては、機械じみてるね」
セリは首を傾げた。
「小さい頃、学校の先生がくれた笛です。何かあったらこれを吹けば、大人が……つまり新人類が、助けてくれるっていう……」
言いながらキクトは冷や汗が出てくるのを感じた。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。今のこれは、自分の居場所を特定させるための物でしかない。全員、同じことを思ったようだ。竜人類の三人の表情はいくらか険しくなった。
「……じゃあ、Dedの奴らには完全にこっちの動向がバレちまってるだろーな」
とサイノ。セリは困ったような笑顔で、「まあさ、よく考えたらキクトたちがここにいる時点で、色々バレてるだろうから逆にちょうどいいんじゃない? これ吹けばいつでも新人類に会えるってことで」と言う。キムは、「……別に、不干渉の約束はあってないようなものでしょ。元々監視されてるに決まってる。明日にでも吹いてもらっちゃえば」と小声で言う。
三人の会話の意図がわからず、キクトは焦り出した。横に座っていた佐倉がキクトの横腹をつねる。
「……聞いてなかったの? 旧人類と竜人類だけじゃない。Dedと竜人類も、暗黙のルールで接触していないんだって。でも、セリさんの言う通り、私たち旧人類の位置はきっと恒星会が監視しているわ。だから、もしかしたらDedの人たちも近くにいるんじゃないかしら……」
その言葉にキクトはぎょっとした。子どもたちにとってはDedも想像上の存在だったからだ。それが近くにいる。不安がまたキクトを襲った。
竜人類の三人は何やら話し込んでいたが、ふと話が途切れる。
「……それにしても、リアンの奴、遅いな」
サイノがぽつりと言った。そういえば、とセリやキムも反応する。セリはくんくん、と匂いを嗅ぐ仕草をしながらあたりを見渡した。そしてある方角を向いたとき、「あ」と声を上げた。
「もうすぐ帰ってきそうね。クリーチャーの匂いに混じってリアンがこっちに向かってる」
「おー、じゃ、グッドタイミングだな。そろそろ俺らもお暇しよーぜ」
サイノは大きな欠伸をした。キムはその言葉を合図に片手を上げると「お先に」と言って滝の裏へ姿を消した。
佐倉は「匂いでわかるの?」と驚いたように問う。
「ああ、俺ら竜人類はどうやら鼻が相当利くらしいな。だからキクト、お前の匂いにもすぐ気付いたぜ」
何気ないサイノの言葉の意味がわからず、キクトはいくらか戸惑った。
「ど、どういうことですか?」
「あ、んー……」
サイノはしまったというふうに言い淀んだ。
「……二人ともさ、急いで答えを知ろうとしなくていいと思う。多分、嫌でもわからなきゃいけないタイミングが、そのうち来るからな」
サイノの意味深長な言葉に、二人は黙った。今はまだ、教えてくれないということだ。
「じゃ、俺も自分の部屋に戻るから。セリはリアンが戻るまで待っててやれよー」
「何それー。ま、いいけどぅ」
間延びした声でセリが言うと、サイノも滝の裏に行ってしまった。焚き火の音が強い。佐倉はじっと焚き火を見つめながら、何やら考え込んでいる。
キクトがセリの方を見ると、焚き火越しに目が合った。改めて見ると、大きな瞳に筋の通った鼻筋、薄桃色の頬。彼女はかなり整った顔をしている。ニコッと笑いかけてきた彼女から、思わず目を逸らした。
わからないこと、不安なことだらけでも、今のこの状況はどこか自分の胸を高鳴らせる、誤解を恐れずに言えばわくわくさせるような雰囲気を纏っていた。緊張、不安、期待、困惑、すべてが綯い交ぜになった複雑な紋様の心が、まるで焚火の炎のようにゆらゆらと揺らめいている。ぱち、ぱちち、と音を立てながら、弾けたように火の粉が飛んだ。
暗がりに浮かぶ炎。
キクトはその炎の奥に、セリの目がじっとこちらを見ていることに気がついた。何かを言おうとしている。思わずごくりと唾を呑んだ。
「……ねえ、キクト。この集落にはね、とある言い伝えがあるんだよ」
セリは先ほどまでとは打って変わって真剣な調子で言葉を放った。セリの色素の薄い黄土色の目の奥に、自分がゆらゆらと映っている。吸い込まれそうだと思った。
時間はわからなかったが、真夜中であるような気がした。頭上で輝く星たちは、今にも降ってきそうな勢いだ。風がしなやかに吹いている。土の香りが近い。長い夜になると、漠然と思った。




