困惑の先に待つもの
竜人類の集落にたどり着いていた二人。少しずつ明かされるあの化け物や、街での暮らし。いったい世界で何が起きているのか? 二人は少しずつ知ることになる。
目を覚ますと、目の前には佐倉の真っ白な顔があった。
「さ、くら」
「キクト! よかった、よかった……ほんとに……」
佐倉は鼻を啜った。目には涙が溜まっている。珍しいこともあるものだ。キクトはぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。
寝ていたのは、土の香りの近い茣蓙の上だった。
意識がはっきりしてきて飛び起きた。ついさっきまで起きていたことを思い出して、思わず胸の当たりを押えた。この上なく気分が悪かった。
(そうだ、右腕が……!)
痛みを思い出して鳥肌が立った。しかし、見るとそこにはいつも通りの右腕があった。
「あれ……僕、右腕が」
「それなら、キムが治したぜ」
急に背後から声がした。驚いて振り向くと、程よく筋肉が付きながらも華奢で色白な人物が立っていた。かなりの長身である。高めのポニーテールで、声は低く男性のように感じたが、見た目はスタイリッシュで中性的だった。左目は長い前髪で見えない。耳が尖っていて、長い犬歯が勝気そうに結ばれた口から覗いている。
(あ、耳が……! まさか、竜人類……!?)
怯えながらも、条件反射で口を開いた。
「あ、ありがとうございます……」
「だから、俺じゃなくてキムが治したって言ったろ」
「キムさんなら、奥よ」
佐倉に言われるがまま部屋の奥を見ると、黒髪におかっぱ頭の少女が腕を組んでこちらを睨んでいた。その体は包帯だらけである。右腕の包帯は赤く染まっていた。こちらも耳が鋭く尖っている。
「チッ、なんで私がこいつの傷を治さなきゃならないわけ」
「まあまあ、リアンの言うことは大人しく聞いとけよ。細かいことは後で聞こうぜー」
ポニーテールの長身男性が宥めるように言う。キクトは彼を男だと認識したが、今一つ自信がない。そしてキムと呼ばれた少女の敵意溢れる眼差しが、この上なく居心地が悪かった。
「じゃ、お前、まだ混乱してるだろーから。俺らは一旦退散するわ。自己紹介は、またそのうちな」
ポニーテールの長身男性はそう言って外へ出て行った。
「ふん、あんたを治したのはリアンに頼まれたからだからね。勘違いすんじゃないよ!」
キムはそう怒鳴ってキクトを睨みながら部屋を出て行く。キクトは訳がわからず、何も言えなかった。酷く混乱していた。
二人だけになって、ようやく佐倉が口を開いた。
「キクト……私たち、竜人類の集落に来たのよ。キクトの言った通り、竜人類の集落は羽切山の奥にあったわ」
佐倉の言葉に、キクトの心臓は大きく波打った。
(やっぱり、あの尖った耳や犬歯……あれは、本で見た、竜人類の特徴のひとつだ。……僕たち、本当に、竜人類に会ってしまったんだ)
「でね、あのバケモノを倒してくれた人が、リアンさん。気を失っているあなたと、混乱している私をこの集落に連れて来てくれたの。リアンさんはこのリードリールという集落の酋長らしいわ。さっきのポニーテールの人は、サイノさん。口は悪いけど、とってもいい人よ。で、キムさんはキクトの腕を治してくれて……」
「ちょ、ちょっと待ってよ佐倉。全然話が入ってこない……」
「あ、ごめん。まだ、混乱してるわよね」
「僕らが会ったあのバケモノって、なんだったの」
「それは、私もわからないわ。最近あれがこのあたりで出没しているとしか聞いてないの。詳しいことは、この後リアンさんに聞いてみましょ」
「リアンさんって……あの人、僕の名前、知ってた」
心にあるのは研ぎ澄まされて剥き出しになった恐怖だった。佐倉は一瞬困ったような顔をしたが、すぐに凛々しい表情になる。
「……キクト。あのね、私たちは多分、あまりにも世界のことを知らなすぎるんじゃないかと思うの。私は本に載っている生物なんかはだいたい頭に入ってる。けど、さっきの化け物、あんなのは見たことがない。あまりにも恐ろしくて、私は、……なにもできなかった。怖かった。正直、全然平常心ではなかったわ。でも、それでも、《あれ》が何なのか、それをただ知りたいとも思ったわ。私は知りたい、この世界のすべてを」
佐倉の言葉はキクトの心に染みた。
知りたい。その気持ちはキクトの中にもずっとあった。生まれてからずっと持ち続けていた燻る思いが、世界に対する疑念が、自分に対する不安が、自分をここに呼んだのだと言えた。
キクトの表情の変化を見て、佐倉はにこりと笑った。
「さ、大丈夫そうだったら一度外に出ましょ。街の中にはなかった世界よ、ここは」
佐倉の言葉に頷いた。
(そうだ。ここまで来て、引き返すことはできない)
二人は立ち上がり、薄暗い部屋を出た。部屋は、街にはない雰囲気のものだった。木目調の天井に、素材が不明な壁。床は板張りになっていて、なんだか史実で学んだ旧学校の教室のようだと思った。
外に出ると、まず目の前には水のカーテンがあった。部屋にいた時から水音がどこからかすると思っていたが、その正体はこれだった。
(滝か……? すごい、滝の裏の崖の中に、いくつも部屋があるのか)
「すごいよね。私たちがいたのは、もしかすると旧時代の建物か何かじゃないかしら。そこに堆積した土が固まって、崖のようになっているのかも。でもたかだか千年でここまで堆積するものなの? ……もしかしたら、竜人類の人たちが人工的に作ったのかも。まぁ、私の憶測だけど」
「滝、だよね。生まれて初めて見た」
「そうね。ここにある多くが、街の中にはない、全部教科書や本の中でしか見たことのないものだったわ」
「すごいね……僕たち、本当に竜人類の集落に来たんだ」
「ね……古典的だけど、合理的な暮らしぶりに感じたわ。不思議ね」
「崖下には、どうやって降りるの」
「こっちよ」
佐倉に案内されるままに、壁伝いに進んだ。道幅はある程度あるとは言っても、滝の方に近づくのは少し怖かった。佐倉は三つ目の扉を開くと、「ここ、階段があるわ」と言って中に入っていった。キクトも続いた。タン、タン、と足音が響く。踊り場には松明が灯してある。これもまた、本でしか見たことのなかったものだ。
下まで降りると、水音でかき消されていた虫の音も聞こえ始めた。蝉だ。街の中にいたときよりも、音が近い。みーんみーん、じじじ、と、水音に負けないように全力で大合唱をしている。
滝の裏からは見えなかったが、滝つぼの横には畑がこぢんまりと広がっていた。視界に新緑の青と、土の茶色が飛び込んでくる。教科書で見たことのある、大きな歯車のようなものもあった。確か、水車といったか。
「お、起きたか」
畑の横にある倉庫の前で、薪を縛っているさっきのポニーテールの……サイノは、こちらに気がつくと「よっ」と手を挙げた。慌ててぺこりと会釈する。サイノの横にはあからさまに不機嫌な表情のキムが、サイノと同じように薪を集めていた。
「リアンさんとお話がしたいのだけど、彼は今どちらに?」
佐倉は何も気にしないといった風に訊く。キムは肩を竦めたが、サイノは優しく答えた。
「リアン、もうそろそろ戻ってくんじゃないかな。さっき、クリーチャー倒してたんだろ? アレを埋めてんだよ、たぶん」
(クリーチャー……? さっきの化け物のことか? で、リアンという僕を助けてくれた人は、あの化け物を、……埋めている?)
キクトはなんとも言えない気味の悪さを覚えてしまった。先程の痛みが蘇る。キムが治してくれたと言っていた。右腕の傷は完全に消えている。どうやって治したのかは全くもって不明だが、礼を言わねばなるまい。礼をもって、礼節を尽くす。
「あ、あの、キムさん。……その、僕の腕、治してくれて、ありがとうございました!」
キムの表情に怯えながらも、精一杯の誠意を込めてそう言った。キムはこちらを睨んだままだ。サイノはやれやれと言ったようなため息を吐く。キムは組んでいた腕を下ろすと、綺麗に切りそろえられた髪を軽く揺らしながらこちらへ近づき、
「……あんた、何者なの?」
と挑むような目で訊いてきた。「おいおい……」とサイノ。
「こいつは旧人類の子どもだぞ。まだ、何も知らないウブなんだぜ。あんまりいじめてやるなよ」
「……何も知らないって。そんなの私たちだって一緒じゃん。私たちだって、何も知らないただの竜人類でしょ」
「あーあー、これだから回復タイプは嫌んなるぜ。こいつはお前の言う《何も知らない》俺たちより、もっと何も知らないっつってんだ。第一、こいつらが竜人類について何を知ってるってんだ。箱の中で過ごしてただけの奴らが」
キクトは二人の会話に顔を顰めた。箱というのは、街の中のことを指しているのだろうか。何にせよ、侮蔑的な表現をされていると感じた。しかし、佐倉は表情を崩していない。
「ふん、こいつがリアンの言っていた奴なの? まったく、なんで今になって出てくんのさ……。何年探しても見つからなかった『器』が、それも街の中にいたなんて」
「運命ってやつだと思えよ。実際、クリーチャーだって最近増えてきてんだ。お前ももう少し戦えるようになってくんねーと、困るんだって……」
と、サイノがそこまで言ってハッとしたように言葉を切る。
「…っと、ごめんな。こっちの話ばかりしちまって。お前ら、竜人類に会いに来たって言ってたけど、理由は?」
「単純に、興味があったからよ。あなたの言っていた通り、箱の中で本を読んで過ごすのは退屈だったから」
佐倉の皮肉った物言いにサイノは少し驚いた目をした。
「はは、結構威勢がいいんだな、旧人類も」
「他種族にバカにされたくないだけよ」
「その、なんか、見た目からは意外だな」
「よく言われるわ」
佐倉はシニカルに笑った。サイノはおどけたように肩を竦めたが、どこか楽しそうだ。二人の雰囲気はよく合っていると思った。
二人の会話に割り込むようにしてキムが口を挟んだ。
「……で、あんたら、単純な興味本位だけで街を出たってワケ? 正気じゃないね。あのサイレンが聞こえないの?」
「そ、そのサイレンについても知りたくて。あれって、なんのサイレンなんですか?」
キクトの問いに、サイノは切れ長の目を見開いた。
「お前ら、それも知らずに街の外に出てここまで来たのかよ……」
呆れた、といったように言われて、二人はバツが悪そうな顔をしたが、すぐに佐倉が「知るために街の外に出たのよ。あれは、一体何なの?」と言う。
するとサイノとキムは一瞬目を合わせた。少しの沈黙。そしてサイノがふっと息を吐いてから言う。
「……あれは新人類の奴らが鳴らしてるんだ。だから俺らも詳しいことは知らねーけど、お前らクリーチャー見たんだろ? あれが街の中に踏み入った時に鳴るみたいだな。中に入ったクリーチャーは、多分新人類の奴らが片付けてるぜ」
その言葉に二人はいくらか衝撃を受けた。
(あれは戦いのサイレンだったんだ。旧人類が街の外に出るのを止めるものじゃない、逆だったんだ。しかも、新人類の人たちが戦っているのがあの化け物だったなんて……)
キクトはあのおぞましい生物を思い出して体を震わせた。佐倉の目にも怯えの色が宿る。
「あの、クリーチャーっていうのは、一体、何なんですか? ……多分、僕を、狙っていました。……まさか、人間を食べるとか……」
キクトの言葉に、今度はキムが反応する。
「食べたりなんてしないよ。……でも、人を襲う。だから戦うんだよ。新人類のやつらも、私たち竜人類も」
キムの言葉に、全員が黙った。風が一際強く吹く。
辺りは暗くなり始めていた。滝の落ちる音と、虫の音、風の音が頬を撫でている。サイノがまとめていた手元の薪は、気づいたら堆く積まれていた。キムは腕を組んで黙っている。沈黙の気まずさに冷や汗をかき始めていた。よく見たら、奥の方からこちらを興味深そうに伺う子どもたちが三人ほど、それを制するお母さんらしき人が一人見えた。皆、耳が尖っているのが遠くからでもわかった。
自分は今、竜人類の集落にいる……そう思った瞬間、いくらか恐ろしくなった。彼らが『良い人』であることに間違いは無さそうだが、幼少期から据え付けられた禁忌を破っているという事実に、些か怖気付いたというのもまた事実だった。
(……何にせよ、クリーチャーは人を襲うんだ。そこに人種は関係あるのかはわからないけど、新人類の人たちが戦っているというのは、きっと事実だ)
キクトはぼんやりとそんなことを考え始めた。
(クリーチャーの存在を大人たちは知っていて、子どもたちが怖がらないように何も教えてくれないとか……)
そこまで考えたところで、いや、と思い返した。
(父さんも母さんも、街の外については本当に何も知らないようだった。先生たちは何か知っているかもしれないけど、僕らがいらぬ心配をしないように何も教えないという学校の意図はわからなくない。やっぱり、新人類の中でも持っている情報にかなりの差があるような気がする……)
キクトの親は、穏やかな人だった。キクトが温厚な性格になったのは、二人の影響がかなり大きい。キクトももう十七歳になる。新人類である二人と過ごせる時間は、あと二十三年だけだ。新人類に定められた短い寿命はこの世の中の常識ではあったが、大好きな両親の約束された死に対して、寂しさを感じずにはいられなかった。
(そういえば、ここは街からどれくらい離れているんだろう。地形もよくわからない。竜人類のこともクリーチャーのことも、……何もわからない。いや、よく考えてみれば、自分の街のことだって、僕は何も知らないじゃないか。父さんや母さんを始め、先生たち、新人類のことも……)
キクトが思考に耽っている間も、佐倉とサイノは他愛もない話から竜人類の生活についてまで、幅広く話し続けていた。時折二人は笑った。佐倉の紅潮した頬から、楽しそうな様子が伝わってくる。サイノも優しい色の目を佐倉に注いでいる。なんだか二人を纏う雰囲気が先刻とはいくらか変わった気がした。
キムは倉庫の中で何か作業をしている。淡々と作業をするその後ろ姿は、どこか近寄りがたい。滝の奥にいた子どもたちはこちらへの興味を失ったのか、花のある池で水遊びをしていた。よく見ると、子どもたちのうちの一人は眼帯をしている。片方の目を隠すのは、何か特有の意味でもあるのだろうか。
考えながらキクトは歩く。
(なんでだろう……水音のせいかな。こんな状況なのに、すごく落ち着く……。不思議だ)
キクトは少し辺りを散歩することにした。滝の横から集落の中心に向かって歩くと、畑で作業する人々の姿がちらほら見えた。こちらに気がついたのか、妙に驚いた表情をしている。キクトは慌ててぺこりと会釈する。
するとどうしたことか。何人かの竜人類が、一斉に頭を下げ出したのである。キクトは変に気まずくなって、その場を離れた。
少し離れたところから村を見渡すと、やはりかなりこぢんまりしている印象を受けた。まず目を引くのは幅十メートルほどの滝だ。落差は二十メートルほどだろうか。滝の裏側は緩やかな崖伝いではあるが、ギリギリ歩くことのできる幅がある。それに沿って、扉がむき出しの状態で十個ほど見えた。それはやはり旧時代の学校の校舎を思わせる様相だった。その学校が岩や土で覆われているような形だ。
滝壺から森の方まできちんと水が引いてあり、灌漑という言葉をキクトに思い出させた。中心には簡単な橋がかけられており、左右には畑がいくつかある。農作物は既に収穫されているようである。
このあたりの木はどれも背が高く、外からではこの集落を見つけるのは容易ではないと感ぜられた。唯一滝が目印のように思えたが、方角的に反対の方から来たキクトたちからはやはり見つけるのは困難だったと言えた。左右にも意図的に切り崩されたような山肌が見えており、自然に囲まれるような形の小さな集落……独自の生活様式にキクトはただただ感心するばかりだった。
(これまで習ってきた歴史上の竜人類は野蛮で好戦的だったけど、僕らを助けてくれたり、色々教えてくれたり……案外優しい人種のように感じる。そういえば父さんも母さんも、人種の差なんて瑣末なものだとよく言っていた)
新人類の親を持つ旧人類にとって、種の差というのは身近にある常識のひとつだ。
集落の端……森の方へ行くと、その奥は鬱蒼としていて、得体の知れないものが飛び出してきそうな雰囲気を持っていた。キクトはじっと目を凝らしてみたが、木々の奥には何も見えない。黒よりももっと深い暗闇が、大きな口をこちらに向けて開けているように感じた。
キクトが佐倉たちのいる方へ戻ろうとしたその瞬間、森の奥から何かの気配がした。
(……!)
あのクリーチャーを思い出し、キクトは後退った。感情が塗り替えられる。恐怖。それが身体中を縛り付ける。
水音、虫の音、風の音、獣たちの音に交じって……がさ、がさという、草をかき分けるような音。
ふっと、淡い光が見えたような気がして、キクトは声にならない悲鳴を上げて走り出した。




