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逢着

 計画通り、羽切山に向かって森の中を歩くキクトと佐倉。そこで、恐ろしいものに出会い……。

 この世界で、いったい何が起きているのか? サイレンは何のために鳴るのか?

 生い茂った森の中を、軽装備でどんどん進んでいく真っ白な肌。キクトは重たい荷物に体を引っ張られながら、何とも言い難い不安感に苛まれていた。いつも胸に燻っている、この奇妙な感覚。


―――自分はここにいてはいけない。


 現実と自分の存在の微妙な齟齬。急かされるような、焦りに近い不安。


 計画通り、フィールドワーク中にこっそり抜け出すことに成功した彼らは、どうにかして羽切山の麓にやってきていた。


「そんなにダラダラ歩いてたら、日が暮れちゃうわ。早く早く!」


 佐倉はさっきから何度もこちらを急かす。君の用意した荷物が重いんだよ、と文句を言いたくなる。


「闇雲に歩いても、竜人類に会えるかなんて分からないよ」


「山奥に集落があるって、あんたが言ったんでしょ。だから奥に進んでるんじゃない」


 佐倉はいくらかイライラしているようである。無理もない、この暑さの中歩くことかれこれもう一時間なのである。しかし、依然として手掛かりはない。


「竜人類と旧人類はもうずっと交流がなかったって言っただろ。それだけ長い間接触を絶っている存在が、そんなすぐに見つかるわけがないよ」


 ムッとして言い返す。佐倉は「それはわかってるわよ」と言って、ぷいとそっぽを向いた。


「怒るなよ」


 キクトは慌てて佐倉の後を追う。そのとき、木々の間から赤い線のようなものが見えた。


「ねぇ、あれ……」


 佐倉の指差す方を見ると、赤い光が一本の木にぼんやりと灯っていた。よく見ると、木が手を伸ばしていくその付け根の部分に、赤いランプのようなものが埋め込まれている。


「なんだろう……」

 

 二人は訝しみながらも、それに近づいた。好奇心が背中を押している。見ると、それは他の木にもいくつかあった。それぞれを繋ぐと、緩やかなカーブを描く道のようになっていた。何かの結界のようにも見える。ランプはどこまでも続いていた。初めて見る異様な光景に、どこかうすら寒い気持ちになる。


 佐倉は立ちすくむキクトに目もくれず、どんどん近づく。慌てて追いかけ、見上げるようにして木の真下から覗くと、遠目に見ていた時に思ったよりも光度が弱いことがわかった。それは赤いランプというより、ガラス越しに揺らめく炎のようにも見えた。


「……街灯、ってほどのものではないわね」


 佐倉はぽつりと言った。


「なにかの、センサーかな」


「センサーか、なるほどね。これを踏み越えると、街を管理する恒星会か中央庁に通知が行く、みたいな? 子どもたちが勝手に街の外側に出ないようにって? ……やっぱり、先生たちの言うように、街の外はそれほど危険なのかしら」


「ここら辺で引き返す?」


 キクトが尋ねると、佐倉はじろりと睨んできた。慌てて「冗談だよ……」とおどける。


「もしもこれが本当にそういうセンサーみたいな類のものだとしたら、やっぱり竜人類はこれよりも外側にいそうだね」


「そうね……。ということは、まだここは街の範囲内だったのね。……羽切山って、学校から見るとすぐ近くに見えたのに、実際に歩くとこんなにも遠いものなのね……」


 佐倉は苦い顔をした。キクトは増してきた不安を払拭しようと、努めて明るい声で言う。


「そんなもんさ。よし、とりあえずもう少し進もう。この赤いラインを越えてなにか怒られたら、学校の課題のフィールドワークで、たまたま街の端まで来てしまいましたって謝ろう」


 佐倉が頷いた。


 学校ではフィールドワークや体験活動といった実際に見て学ぶといった活動が多く、一番自然な言い訳だろうと踏んだのだった。二人は足を揃えて木々の間を通り抜けた。


 赤くぼんやりと灯る光の粒。木々の間を抜けた瞬間、


 ―――あのサイレンがすぐ側でけたたましく鳴った。


 キクトの心臓はこれでもかというほど跳ね上がった。


 ウー、とも、アーともつかない、重低音と耳を突き刺すような高音が混ざったような、こちらを不快にさせるサイレンだった。ざわざわと心が総毛だつ。


 佐倉が振り返り、叫んだ。


「走って!」


 同時に身体は走り出している。慌ててそれを追いかける。赤い光の灯る木々から離れていく。


 草木が盛んにこちらに向かって手を伸ばしている。様々な植物が繁茂するこの森の中を、二人は必死に走った。佐倉の髪が揺れている。湿った葉を踏む音、どこからともなく鳴り響くサイレン。木々を木霊する呼吸の音、佐倉の走る背中。


 キクトはこの時も、懸命に走りながら考えていた。


 なぜ、僕はここにいるんだろう、と。



 しばらく経って、サイレンはぷつりと止んだ。走り続けることに限界が来た頃、佐倉が肩で息をしながら切れ切れに呟いた。


 「……あのサイレン、あの、赤いラインを越えたら、きっと、鳴る仕組みなんだわ。なぜかはわからない、けど……多分、それで恒星会に連絡がいく、とか……これは噂だけど、街の外だと、恒星会も、私たち子どもを管理できないって」


 恒星会とは、街を自治するいわゆる行政のことである。大多数が新人類から成る会で、この世界のあらゆることはこの恒星会がすべて決めていると言えた。恒星会について話題することは、子どもたちはどこか避けていたように思う。言い換えるなら、子どもたちはこの話題についてタブーじみた感覚を持っていた。


 キクトはかつて恒星会について「親」が話しているのを聞いたことがあった。それはまた後に記すとして、この『ちょっとした僕たちの冒険』は、ちょっとしたでは済まされないような、思想の根幹を揺るがすことになる。


「……確かに、僕らがあのランプを超えた瞬間に、サイレンは鳴り始めた。けど、何のために……」


 キクトは純粋に疑問に思った。わざわざサイレンを鳴らす意味などないように感じたのだ。


「……それはわからない、けど、街の外は恒星会ではなく、Dedの管轄だったはず。今のサイレンで、さっきの場所に私たちがいたことがバレたのは確かね」


 佐倉の言葉を聞き、キクトの中にひとつの仮説が生まれた。


「サイレンは街の外に、人を出さないためのものだっていうことかな」 


 若干の違和感は拭えなかったが、二人はひとまずそう結論づけた。


「サイレンが鳴り始めたのはあの『紅事件』の後からだった。ということは、私たち以外にも何人も、『紅事件』以降にこの街の外に出ているということになるわ」


 何のために……


 キクトはその疑問を言葉として発さず、呼吸を整えることに意識を集中させた。


 この森には、何かがある。


 それは予感というより、実感だった。


 呼吸を整えてから、どちらからともなく再び歩き出す。佐倉は先ほどから黙ってしまった。


 森はうねるように深く、暗く、そして広大だった。土の香りが強い。草花は徐々に大木へ姿を変えていき、鬱蒼とした雰囲気が周囲に漂っている。フィールドワークで森を歩くのとはやはり違った。大木はこちらの行く手を阻むように立ち並び、新緑というよりも深緑の葉が、太陽光を遮っている。


 ぶる、と身体が震えた。ついさっきまで暑かったはずだがいくらか肌寒くなってきた。


「………かなり歩いた気がするわね」


 佐倉が振り返りながら言う。


「うん、あの赤いラインから数キロは来たんじゃないかな」


「も〜、結局何も無いじゃない! サイレンの音の出処、この辺りだと思ってたんだけどなぁ。戦争の跡とか、本に載ってたたけど、それらしいものは何もないわね」


「サイレンは山中に響いてるから音の出処も見当がつかないな。リサーチ不足だったかも」


「今更そんなこと言わないで。行動あるのみなんだから!」


 佐倉は半ばヤケになっている様子で歩き続けた。辺りはだいぶ薄暗い。足元が見えないまま進むのは、かなり危険だ。


(これ以上進むと、今日中に戻るのが難しくなる可能性が高い。街の外で、恒星会の目が届かない場所で野宿するというのは、やっぱり危険な気がする)


「どこかで一度、休憩しよう。さすがに足が疲れてきた」


 キクトの声掛けに、さすがの佐倉も素直に頷いた。ちょうど巨木があったので、その根元に二人は並んで腰を下ろした。持ってきた軽食をつまみ、水を飲むと佐倉が口を開く。


「……疲れたわね」


「うん」


「しかも、結局なにもわかってない」


「うん」


「でも、大人が子どもたちを街の外に出さないのは、何かがあるからだわ」


「うん……」


 キクトは考え込むように黙る。佐倉はちらりと目を向けて、ふうと溜息を吐いた。


「……ま、いいわ。私、いずれ全部わかるって信じてる。大人になったらわかるのかしら。もしも、キクトが中央庁の幹部に将来入るって言うんなら、私も入ってもいいわ」


「何言ってるんだよ。佐倉は将来有望だけど、僕が入れるわけがないよ」


「そんなことない。私たちは他の子たちに比べて、頭がいいもの」


 佐倉はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「大人の目を盗んで冒険するような子どもが頭いいと言えるかは、甚だ疑問だけどね」


 二人で笑った。どちらからともなく肩を寄せ合った。肌が触れ合う。キクトは安心感に包まれたような、心地よい気分に浸る。


「……そろそろ行きましょ、日が傾く前に何とか竜人類の集落にたどり着きたいから」


「そうだね、行こう」


 二人は立ち上がった。自分たちは何を求めているのか、何を知りたいのか。それを知りたい。知らないことを、知りたい。この世界のこと。あの紅事件のこと。サイレンのこと。


 生い茂る草に足を取られなら、二人はまた歩き出した。


 その瞬間のことだ。


 木々の奥から、何かがこちらを見ている気配がした。


「……止まって!」


 キクトは前を歩いていた佐倉に小声で声をかけた。佐倉も異変に気が付いたようだ。


 ざわざわと、木々が揺れる音、風の音、鳥のさえずり……山が発する音に混じって、奇妙な、だが確かな存在感が近くにある。


「……な、なに?」


「なにか、いる」


 キクトの額から、一筋の汗が流れ落ちた。心臓が強く脈打っているのを感じる。


 なんだ、……何かいる!? ……奥だ、あの木の奥の方から……何か、何か音がする。


 その音は、どうにも奇妙だった。


 筋張った肉同士が擦れて軋むような、また歯ぎしりのような、軟骨を噛み切るような…………不快で、気味の悪い音。

 

 もきゅ、ごりゅ……


 それらの音に混じって、ずる、ずると重たい何かを引き摺るような音もする。


「な、なんなの」


 佐倉は後ずさった。キクトは自然と佐倉の前に立った。しかし、膝が震えている。


 何かが、来る。がさ、がさと草の根をかきわけて、こちらへ………


「……!」


 二人は言葉を失った。


 十数メートルほど先にある木々の間から出てきたのは、あまりにもおぞましい生物―――


―――三メートル近い妙に長い胴体。爛れたような皮膚。背中には鱗のようなものも見えるが、鱗の隙間の剥き出しの皮膚は赤黒く火傷した肌のようにじくじくしていた。顔と思しき箇所に、無理やりこじ開けたような穴があり、そこからこちらを覗く大きな渦状の目玉がギョロギョロと動いていた。爬虫類を思わせる顔つきだが、裂けたような口元から覗く牙は爬虫類なんかよりもずっと恐ろしかった。


 それは近づいてくる。ゆっくりとだが、確かな足取りで、こちらへ向かって。


 早く逃げなくては。本能がそう告げていた。しかし、体は鉛のように重く、動かない。声も出ない。

焦っているキクトを前に、《それ》は目をぐるりと回したかと思うと、涎を垂らしながら口をぱくぱくとさせた。手をこちらに向けて挙げた。


「ご、りゅぐぉ……お゛、だら、ざん…………」


 次の瞬間、《それ》は挙げた手を振り下ろしたかと思うと、こちらへ突進してきた。あまりの急な機敏さに驚いて、二人は叫んだ。それをきっかけに弾かれたように走り出す。


 長い爪。牙。グロテスクな巨体。それがこちらに向かって突進してくる。


 キクトはがむしゃらに走った。と、突然木の根元に躓く。危うく転びそうになる。佐倉の悲鳴。自分の呼吸。すべてが鮮明に聞こえる。キクトは振り返った―――


 途端、右腕に熱湯を浴びたような感覚を持った。目が回る。視界の端に泣き喚く佐倉の姿。


「っう゛あ、っづぁぁぁぁああ゛あ゛あ゛ああああ!!!!」


 獣のような叫び声が聞こえた。いや、それは自分のものだ。右腕が真っ赤に染まっている。《それ》の鉤爪が腕を引き裂いたのか。


 遅れて気が付き、燃えるような激痛にキクトはひたすら叫んだ。それでも足は走っている。走る。走り続けている。


 痛みで思考が霧散していく。何かに躓いて派手に転んだ。咄嗟に右腕を庇う。庇ったために左肩から湿った土の上に勢いよく転げ落ち、左肩を強打する。土を身体が抉った。口の中に土の味が一気に広がる。痛い箇所がどこか、一瞬わからなくなる。


「う、う」


 痛みと恐怖で反射的に胎児のような格好になる。キクトは膝を抱えるようにして呻いた。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ……


 思考を必死に集める。しかし身体は激痛のためにただ小さくなるだけで、思うように動かない。


 焦り、混乱、恐怖、そして痛み。


 キクトは生まれて初めて襲い掛かる死の香りに、激しく絶望した。


 霞む視界の中で、《それ》がこちらに向かってきていることだけはわかった。恐怖で全身が硬直する。右腕が異様なまでに熱く、ぬるぬるしていた。右腕の抉られた部分に血が溜まっているのが見える。視界は霞んでいたが、顔の下にある湿った草や枝越しに大きな影が自分に差しているのがわかった。


 (ああ……もう、だめだ。死ぬ。これから、僕は死ぬんだ……)


 呑気に頭を飛び回る言語たちが、唐突に自分に死を告げる。あまりにも唐突な死の予感。しかしその予感を他所に、奇妙な感覚も体に芽生えていた。


 自分の身体の奥底が熱くなり、何かが湧き出てくるような感覚。全身を駆け巡る血が、皮膚を突き破って外に飛び出そうな。血が沸騰しているような感覚。自分が溶け出して、何かが身体から飛び出てくるような。


 その瞬間だった。


 この世のものとは思えない、恐ろしい唸り声が響き渡った。

 

 何が起きたのか、キクトは咀嚼しきれないままだったが、気が付くと視界が真っ赤に染まっている。

木が、根っこが、葉が、真っ赤に染まっている。


《それ》は血飛沫を上げて倒れた。霞んでいく視界の中、木の上から突如飛び降りてきた誰かの手によって《それ》が死んだということだけは確信した。


 一瞬のことだった。


 《それ》を攻撃したその人が振り返る気配がする。


 右腕が異様に熱い。自分の口から、呻き声とも呼吸ともつかない音だけが漏れ出ている。涎と共に、倒れ込んだ際に入ってきた土が口の端から零れ落ちていく。


 だ、れだ……


 声にならない疑問。


 その人がこちらを見つめている。


「……お前、もしかして……キクト、か」


 泥だらけになりながら倒れ苦しむキクトを横目に、その人は呟いた。

 

 ベージュ色の長いマフラーをした、ショートカットのシルエット。特徴的な尖った耳に、異様に長い犬歯。長い前髪で右目を隠している。


 キクトは朦朧とする意識の中、ひとつだけ確信じみた思いを抱いた。

 

 この人は、竜人類だ―――


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