赤い夢を見て
謎のサイレンに、謎の夢事件。それらを調査する主人公のキクトと、幼馴染の佐倉。二人にはひそかに練っている計画があって……?
三十二世紀、日本。
けたたましいサイレンの音で、目が覚める。
ウーとアーの混ざった地の底から響くような、不快な音だ。
キクトは胸を強く押さえながら身体を起こして、窓の外を眺める。サイレンは羽切山の方で鳴っているようだった。
なぜ、僕はここにいるんだろう―――
物心ついてからずっと心のどこかに居座り続けているこの疑問は、最近いくらか存在感を増してきたように感じる。ふとした瞬間に、自分の生活がまるで自分のものではないように感じるのだった。
「キクト、おはよー!」
扉を開けて元気よく話しかけてきた色白の女の子は、いわゆる旧人類にあたる普通の人間である。透明感のある白い肌が陽の光を反射して輝いている。色素の薄い彼女の風貌は、力強い性格とは反対にどこか儚げだ。
「おはよ、佐倉」
その時、再びサイレンが鳴った。
「……また、鳴ったね」
「やっぱり、街の外で何かが起きてるんだわ」
佐倉は一瞬で眉間に皺を寄せた。
一年ほど前から鳴り始めた謎のサイレン。二人はそれについて調べていた。
サイレンのことを聞いても、周りの大人たちは何も教えてくれなかった。佐倉は「やっぱり新人類に聞いても仕方ないんだわ」と憤った。キクトはその発言に少しだけ顔を顰めたが、何も言えなかった。
たしかに、日頃会うことのできる旧人類は、同じ学校に通う生徒たちとたまに視察に来る中央庁の人だけで、身近にいる大人のほとんどは新人類だ。
そういう意味では、子どもたちにとって〈大人〉は絶対的で不可侵の領域を持つ存在であると言えた。
「で、『紅事件』の方は? 何かわかった?」
佐倉は急に声を潜めて言う。ぐっと寄せられた体から少し距離を置きながら答える。
「うん。集団で同じ夢を見ることは偶然に起こることもあるみたいだけど、やっぱりサイレンも含めて、竜人類と関係があると思う。サイレンの鳴ってる位置を計算した。で、どうやらその近く、要は羽切山の方にひとつだけ今も竜人類の集落があるらしいんだ」
佐倉の言う『紅事件』とは、学校で過ごす生徒の多くが似たような奇妙な夢を一年ほど前に見たという謎の現象のことである。ちょうど同じ時期にサイレンが鳴り始めたことも相まって、その不気味さは子どもたちをこれでもかと言うほど震え上がらせた。
「羽切山に住む竜人類ね……。本当に、こんなにすぐ近くにいるのかしらね。あまりにも実感とは遠いわ」
佐倉は椅子にもたれかかって羽切山を眺めた。それを目で追いながら、夢の光景を思い出す。
羽切山に向かって、森の中をひたすら走っている。
何かに追われているような、追っているような、どちらともつかない焦燥感。そして怯えと、わずかな期待や不安といった感情を重ねながら、ただ走る。
自分の息遣い。足の覚束なさ。夢特有のぬるぬるとした動き。
突然、青かった空が燃え上がるように、一瞬にして血の色に染まる。
この世のものと思えない不可解な景色に、夢の中とは言え言葉を失う。知らぬ間に涙を流している。自分がどういう感情を抱いているのか、自分のことながら判別がつかない。涙を流しながらただ呆然と立ち竦む自分を、何か恐ろしいものが羽切山の方からじっと見つめている………
そんな夢だった。
キクトは今でも時折、その夢を見る。
その夢について何の気なしに話したら、佐倉も似たような夢を見たというのだ。下級生に尋ねると、驚いたことに多くの子どもたちが似た夢を見ていた。いくつか異なる点もあったが、共通しているのは「羽切山の方角の空が赤く染まる」という部分だ。
多くの人間が同じような夢を見るなんて俄かには信じがたいが、それは動かしようのない事実だった。
「これは何か、おかしなことが起きてる証拠よ。『紅事件』と名付けましょ」
この奇妙な現象に対して、大人たちも不可解なことだと不審に思った様子だったが、新人類の中でも有事の際に対応すると位置付けられている戦闘に特化した部隊、Dedが混乱に陥りそうな事態をあっという間に沈静化させた。
以降、新人類の大人たちは「例の件か。Dedに任せておけば大丈夫だ」の一点張りになってしまった。子どもたちは口を閉ざすしかなかった。
そういう経緯で、二人は独自に情報を集めていたのだった。
「竜人類は少数集落だし。そもそも僕たち旧人類とはもうかなり長い間完全に関わりを絶ってるらしいから、情報がアップデートされてない可能性もある」
キクトは昔からこの竜人類という存在に興味関心があった。旧人類と違って非常に長寿だという竜人類は、まさに歴史の方舟ではないか。
「教科書でも少ししか紹介されてないからなぁ」
キクトは教科書に目を走らせる。
ーーーーー
【竜人類】
はるか昔にヒトから分岐した少数民族。尖った大きな耳と、鋭い犬歯が特徴的である。千年前まで人類との接触がほとんどなく、山奥の秘境と呼ばれる地でひっそりとその血を繋いでいたらしい。二十一世紀後半(シンギュラリティと呼ばれる技術革新以降)、世の中の様相が急速に変化していき、その後は交易から始まり共同生活にまで至ったようである。
【その後の様相】
シンギュラリティ以後、身体的にも知的にも優れた遺伝子を持つ竜人類の血を引く者の割合が増え始めたことによる更なる技術革新、技術的特異点到達時に誕生した人型AIの台頭、生活様式の多大な変化など、目まぐるしく時代が移り変わっていく。様変わりした世界の中で、旧人類は淘汰される存在になりつつあった。
その後、それぞれの人類は己が生き延びるために武器を手に取る。二十二世紀には人型AIや竜人類を中心に、歴史上類を見ないほどの規模で第三次世界大戦が繰り広げられ、世界人口は大幅に減少する。(*当時一〇〇億だった世界人口は、その0.1割ほどまで減少したと言われている)
人口の減少に伴い、人類の進歩は明らかにその歩調を緩めた。遺された人類は、真の意味で自らの過ちに気づき、ようやく罪に向き合ったのだ。
人類は「本当に」平等で統制の取れた世界を築かねばならなかった。二十三世紀には、厳密な人口調整や遺伝子組み換えが日常的に行われる社会制度の基盤が創られた。不利益な遺伝子や不要な情報の一切を取り除き、感情や制度を精錬させることで、心身ともに本当に暮らしやすい究極にシステマチックな世界をつくり上げたのだ。
それらは平和を担保するために欠かせなかった。人々は旧時代から離れ、過去を捨て去ることで未来へと前進したのだ。
ーーーーー
「ねえ、先生は街の中にいたら安全だから気にするなって言ってたじゃない。それって、逆に言えば街の外は危険ってことなんだわ。何かが起きてるのよ。それを知る権利くらい、私たちにだってあるでしょう」
「そうだね」
「やっぱりあの作戦、そろそろじゃない?」
佐倉はやる気満々のようである。キクトはその意味を察し、ゆっくりと頷いた。
思い返せば、キクトたちの歴史はここが始まりだったのかもしれない。
きっと、誰かはこう言うだろう。
彼らは街の外に興味を持つべきではなかった、大人しく与えられた平和を享受していればよかったのだと。確かに、彼らが街の外に出ようだなんて思わなければ、未来はまったく違うものになっていたことだろう。
しかし、彼らは街の外に出る。
大人たちが彼らに植え付けてきた〈恐怖〉は、〈好奇心〉に打ち勝つことができなかった。
※
二人は中央図書館に着くと、データ検索も駆使しながら早速歴史書に目を通し始めた。そこで気になる見出しを見つける。『第三次世界大戦後の軍事力の実態』という見出しだ。新人類だけで構成される部隊についての記載がある。
「佐倉、ここ見て。『号笛は戦闘時あるいは避難時に使われた合図』。てことは、やっぱりサイレンが鳴った時に、Dedは何かと戦っているのかな……」
キクトは言いながら顔を顰めた。何とも言えない、もやもやとした不安が胸中に広がり続けている。対して佐倉は興味津々といった雰囲気である。自分も写真付きの冊子を持っている。
「この写真。この耳が尖っている人達が……」
それは古い新聞記事の切り抜きのようだった。そこには筒状の号笛と、その下に何人かの耳の尖った人の姿があった。
「竜人類、だね」
「この号笛が今鳴っているサイレンと同じものだとしたら、竜人類と関係があるという話にも頷けるわね」
「そうだね」
キクトは言いながら、その姿をじっと見つめる。尖った耳に、和装とも洋装ともつかない独特な装い、何人かの手の先にはモヤモヤとした半透明の物体が写り込んでいる。
「これは……なんだろう」
佐倉はもう別の資料に目を向けている。白く細長い指がページをめくった。
「とにもかくにも」
佐倉はバタンと音を立てて本を閉じた。
「実際に行ってみるしか方法はないわ。そこで竜人類に会って、答えを見つけるの」
知りたいことは山ほどあっても、解消されるのは極わずかだ。キクトたちは他の子どもたちと違い、知に飢えていた。
密度の高い、雄大な自然の中に佇む深い山と森。こちらからは、その内側で起きている出来事は何一つとしてわからない。二人にとって世界とは、閉ざされたこの街と、図書館の中に広がる実体のない想像だけだ。
二人はあの夢を見てから、街の外に出ることを密かに考えていた。
「ここまで来て、何もわからないまま蓋をするなんて嫌。私、『紅事件』には絶対何かあると思うの。夢だって馬鹿にするもんじゃないわ。全員が同じ夢を見てるのよ。潜在意識に働きかける何かが羽切山のほうにあるとしか思えない。キクトだって、気になってるでしょ」
佐倉はごそごそと鞄を漁った。
「実はいい情報があるの。なんと羽切山付近が詳細に記された地図を見つけたの。とても古い文献だった、こっそりコピーを取って、ホログラムで写せるようにしたわ。これで道に迷わないはずよ」
佐倉は目を輝かせていた。キクトたちが習ってきた歴史では、新時代が幕を開けたここ千年は動きのない平和な千年だったから、佐倉は古い情報にも価値を見出していたのかもしれない。
キクトは頷いて、しかし、とまた考える。
「ひとつ心配なのは、竜人類に関わるのは禁忌だってことだ」
佐倉はその言葉に、ぐっと眉間に皺を寄せた。
「それも、よく考えたらおかしな話じゃない? なんで禁忌なのかしら……」
「うーん、第三次世界大戦以降、竜人類は激減して残された少数で暮らすようになったから、とか?」
「人口が激減したことそれ自体が、竜人類と関わることを禁じられる理由となるのは少し不自然な気がするのよ。禁忌とするのには、何か別の理由があってもいいはず」
底知れぬ好奇心が彼女の行動原理だが、どんなことにも首を突っ込む図々しさが彼女の活発さを助長させていると言えた。
「とは言っても、竜人類は野蛮だとか、好戦的だから、とか。取ってつけたような理由はあてにならないわね。子どもを寝かしつけるための方便と同じような気がするわ」
キクトは心の中で溜息を吐いた。やはり知りたければ、自分たちの足で行くしかない。
「ひとまず、羽切山から聞こえるサイレンの正体を掴みましょうよ。サイレンの傍に竜人類がいるかもしれない。計画は私が練る、とにかくフィールドワークの日にどうにかして、音のする方に行くの」
「……怒られないかな」
「馬鹿ね。怒られたってなんだって、行くべきなのよ。疑問があったら飛び込んで、疑問を解消する。私、ずっと気になっていたの。物心ついてから、ずっとよ。この世界はなぜ、こうなったのか。どんな歴史を辿って今の形となったのか。その背景を知りたいの。当たり前の日常に疑いの目を向けたとき初めて、人は己の異常性に気がつくのよ」
聞きながら、またか、と思った。佐倉の弁論癖は幼少期の頃から変わらない。
「私たちは多分すごく狭い世界を生きているわ。もっといろんなことを知りたい。なぜ、竜人類と人類は接触を絶ってしまったのか。なぜ、先生たちは何も教えてくれないのか。羽切山のサイレンが、今回の『紅事件』の鍵を握っている気がするから……」
佐倉はそう言って、唇を噛む。艶やかな唇にほんの少し赤みが増す。キクトはそこから目を逸らし、羽切山の方を見つめた。
「わかったよ、行こう」
キクトは諦めたように首を振った。佐倉は嬉々とした様子で何度か跳ねた。
「来月にあるフィールドワークで、どうにか計画実行ね!」
キクトは、佐倉の笑顔に弱い。楽しそうな彼女を前に、ノーを出せなかった。困ったように笑うだけに留めておく。




