もし飛ぶことができたなら
ラヴィッジを倒すことができたその先に待っていたのは、新人類による『竜人類掃討作戦』だった。フォウと話すキクトだったが、うまく言葉にならない。そこにリアンがやってくるが……
「はるか昔にラヴィッジが人間の祖となる哺乳類に産み付けた卵が孵化しなかったか、あるいは突然変異等によってラヴィッジの卵を細胞あるいは遺伝子にうまく組み込めた存在が起源と考えるのが妥当です。あなたも薄々感づいていたのではないでしょうか」
「そんな、そんなことって…………」
キクトは俯きながらぼそぼそと呟く。それに対して、自分の心の中にいる佐倉が言う。
『ありえない話ではないわ。寄生した細胞が宿主の細胞に取り込まれて、共生したのかもしれない』
キクトは心のどこか冷静な部分で愚かな自分を自嘲する。自分でこの悲しく苦しい事実を認めたくないから、脳内にいる佐倉に託すなんて、なんて、愚かで情けない。ひどく混乱している。人は受け入れたくない事実が心に入り込んできたとき、心を守ろうとしてしまうのか。
「もちろん実際に竜人類を解剖して調べられたわけてはないので、確証があるわけではありませんが、細胞内共生など似たような例も実際多くあります。
身近なものでは、旧人類の身体を構成する細胞の中にあるミトコンドリアがその代表的な例です。ミトコンドリアは細胞の中でエネルギーの源を生み出す大切な役割を担っていますが、元々は別の生物だったと言われています。そのように恩恵をもたらす存在だったため、完全に消失せずに共生したというのが通説です。
さて、ラヴィッジの細卵によって竜人類の得た恩恵とは何でしょうか。それはもうあなたもご存知のことと思います。
異常なまでに強度の高い細胞、優れた知性や身体能力、長寿であること、特に能力付きと呼ばれる個体の持つ奇妙な特質は、ラヴィッジの特性に似通っている部分があります」
フォウはやけに饒舌だった。
「二〇四五年のシンギュラリティ以降、隆盛を極めた竜人類たちは、おそらく千年前……二一二〇年の第三次世界大戦及びラヴィッジの災厄で気が付いたのでしょう。
『自分たちはラヴィッジを起源としている』
その、恐ろしい事実に。
だから生き残った竜人類たちは、旧人類や新人類と関わるのを辞めた。そこにどんな感情や思惑、政治的要因があったのかは不明であり、また複数の予測が立てられますが、もはやそこを追及する意味はありません。
竜人類たち自身がその判断をしたということにこそ、意味があるのです。彼らのその判断は、我々の予測が正しいということを裏付ける根拠となり得ます。
正直、千年前の第三次世界大戦時に自然と竜人類は消滅すると我々は考えていました。しかし、想像していた以上に竜人類の個体の生命力が強かったようです。あの時の生き残りがいようとは夢にも思いませんでした。
竜人類は、人類と呼ぶにはあまりにも異様です。先日お話しした通り、人類は薄氷を履むが如くしてその命をつないできました。リスクを排除し続けることで、今の世界を構築したのです。わかりますか? 竜人類は我々にとってリスクそのものです。その芽を摘み続けることが、ユートピアを維持するコツです」
しまいにフォウはどこか恍惚とした表情になる。キクトは憎悪に似た塊が、腹の奥底で鈍い音と共に生まれたのを認めた。どこにも向けようのない、感情。それを感情と呼ぶべきかもわからない。身体が重くなり、血の匂いが濃くなった。呼吸が浅い。
(なんだ、これ……。僕らの生活は、……)
今までに脳内を過ぎ去っていった言葉たちが、多くの人々の声が、また全身を駆け巡っている。
差別じゃなく、事実よ。……
世界がどこにあるのか、不安になるときが……
私、たまに自分がわからなくなる。……
ミミナシ様と、……つまり、オレの兄と同じ顔を……
彼も生まれたから、彼なりに、生きていただけだから……
ただ、知って後悔することもあるかもしれない……
で、これが完璧な社会? クソ喰らえだわ。……
全部、人間の真似事だろ。……
だってあんた、感情が全然ないもん。ラヴィッジを殺したいだけ、全部がそれだけだ。……
今の生き方は、まるで、………実験動物ね……
生きていれば、辛いこと、苦しいこと、思い通りにいかないことがたくさんあります。……
どうして、こんなことになっちゃったんだろうね。みんなそれぞれ、生まれたから、一生懸命、生きているだけなのに……
「話が逸れましたね。
我々がどうして竜人類を殲滅するよう命令を下したのか。答えは簡単です。竜人類の存在は、人類の未来に不利益を与えることはあっても、益をもたらすという予測は立てられなかったからです。
ラヴィッジ自体が地球上の生物ではないのですから、竜人類もまたこの地球上に存在していいものではないでしょう。恒星会は数百という人格を話し合わせて最適解を算出しますが、竜人類の存在に対しては大多数が否定的でした。
もちろん、彼らなりの思想や彼らなりの文化を守るべきだという意見も少数ながらありました。しかし、もうご覧になったでしょう」
キクトは、フォウの言いたいことがよくわかった。
「顕現化による暴走や彼らの持つ特別な能力など、我々と共生するにはあまりにも脅威となるリスクを内包しています。力あるものは自然と上に立つ、支配する側に回る……これは歴史において例外の無い絶対的な法則なのです。リアンさんの持つ圧倒的な力の前に、皆が歯向かうわけかなく、自然と従っていたでしょう。それがいい例です」
キクトはいつも最終的にはリアンの決定に従う、竜人類のメンバーを思い返した。
「リスクの芽をいつ摘むべきか、ずっと懸案事項だったのですよ。ラヴィッジが再び目覚めるこのタイミングこそ、竜人類を一掃する最大の好機だったのです」
耳を覆う手を緩め、赤くなった両手を見つめる。身体の芯が熱くなり、今にも燃えそうな感覚を味わう。
「そんなこと、許されるはずがない……」
そう反発してみるものの、胸の内には深い絶望と悲しみの波が押し寄せていた。
「我々の下した判断に対する異議申し立ては一意見として取り入れはしますが、世の中には自分の思い通りにいかないこともたくさんあるものです。キクトさん、どうかそれをお忘れなきよう……」
その瞬間のことだ。
窓ガラスが激しく割れる音がした。目の前に立っていたフォウが、背中に付けている大きな白い球体ごと視界から消え去った。
リアンだ。
直感する。どうやってここまで来たのかはわからない。だが、リアンはここへ来た。咄嗟に頭を庇った手を下ろすと、キクトから十メートル程先の所にリアンが立っていた。左手でフォウの首を押さえ上げている。
どこか傷付いたのか、小さな稲妻が何度かフォウのその細い身体の上を走った。
「リアン……」
掠れた声で呼びかけると、リアンは充血して真っ赤になった左目をこちらに向けた。リアンはなぜかDedの戦闘服を身にまとっている。
長い前髪の隙間から、渦状の目が見える。
時が止まったかのようだった。
「……キクト、無事で、良かった」
リアンはぼんやりとした調子で呟いた。よく見ると、頭からも血が流れている。それだけではない、右の肩から下……右腕がない。剥き出しになった肩から、ダラダラと血が流れ続けている。
「リアン、その……手が……」
キクトの顔から一気に血の気が引いていく。
リアンは「ああ、これなら大丈夫だ」とだけ言って、フォウの首を左手で強く握った。バキバキと嫌な音が鳴り、フォウの首はおかしな方向に捻じ曲がってゆく。
フォウは瞳を少し動かし、口を開く。
「まさか、ここまで来られるとは。A―5038が協力したようですね。本当に、あなたには驚かされてばかりです」
リアンは鼻で笑う。
「オレも驚かされてばかりだったよ。まさか、こんなことになるなんてな。……やはり信用すべきではなかった。お前ら新人類は人じゃない、人の皮を被っただけの化け物だ。化け物だ……」
リアンは恐ろしく敵意に満ちた声色で繰り返す。
「あなたは千年も生きていながら、まだそんな陳腐なことを仰るのですか。では、あなたは何をもって生き物を定義するのですか。何が人と人以外を分かつのですか」
「はは、オレたちのことも人じゃないって、そう言いたいのか」
リアンは乾いた笑い声を上げた。くつくつと肩を揺らす度に、赤黒い血が床に流れ落ちてゆく。
「じゃあキクトは一体なんなんだ、お前らにとってキクトは半分だけでも旧人類だから、プログラム上守らざるを得ないって、それだけなのか」
「あなたに新人類の思考は理解できないでしょう」
「ああ、できないさ。当たり前だろう、お前らは人間じゃないからな」
憎しみのこもった声。しかしそこには、どうにも救いきれない悲しい響きがあった。
「人間ごっこは、楽しかったか。ままごとを千年もできて、十分だろう……」
フォウは何も言わない。リアンの左手はフォウの首を捻じ曲げ始めた。
「オレがここに来たことが意外だったみたいだが、新人類の中でもやはり色々あるんだな……。A―5038が身を賭して助けてくれたおかげで、正気を失っていたオレの顕現化が解けて元に戻り、生きたままここへ来ることができた。……道中で右腕をくれる羽目になるし、見たところリードリールも全滅だったがな」
その言葉にフォウは目を細めた。
「その右手を失ってもA班を全滅させ、ここまで来られるというのはさすがとしか言えません。恐ろしいことです」
「まさか、最初からこれが目的だったとは言わないだろうな」
「さあ、答える必要があるのでしょうか」
キクトは何か言わなければと思っても、結局二人を眺めることしかできなかった。
「リアンさん、この手を離してください。でなければ、あなたはキクトさんと共に死ぬことになります」
振り返ると、割れた窓の外側から何人ものDedがこちらに手や武器を向けていた。一瞬で射殺されるのかもしれない。全身から汗が吹き出てくる。純粋に生を希求する衝動が、激しい動悸となって現れる。
対して、リアンはどうでもいいと言うように薄く笑った。
「やってみろ……お前も道連れだ」
「私はそれでも構いませんが」
「嘘だな。お前が完全に壊れたら、新人類は困ることになるだろう」
「では先に、キクトさんを殺しましょうか」
(何が……どういう、ことだ……)
混乱していると、知らぬ間に自分の首に冷たい剣が当てられていた。真後ろに人の気配がする。
リアンはこちらをちらりと見ると、恐ろしく敵意に満ちた炎をその瞳に宿した。
すかさずフォウは言う。
「さあ、この手を離してください」
嫌な緊張感で、部屋の空気が張り詰めている。
どれくらい時間が経ったのだろう。
リアンはふっと力を弛めて、諦めたように目を伏せた。見ると、右肩から床にドバドバと血が落ちていく。
フォウはそれを銀色の目で眺めながら呟く。
「……その傷では、もう長くないでしょう。それに、あなたは私を殺そうと思えば最初の一瞬でできたはずです。最初から、私を殺すためにここまできたわけではなさそうです」
リアンは暗い目で「ああ」とだけ答える。
「オレは、……最期に、キクトと話がしたかっただけだ」
「構いません。気の済むまで話すといいでしょう」
フォウはそう言うとDedに目配せをした。首を押さえていた冷たい感触が消えると、キクトは弾かれたようにリアンに駆け寄った。窓の外にいたDedも皆ゆっくりと離れてゆく。
リアンは立っているのがいよいよ辛いらしく、力が抜けたように崩れ落ちてひざまずく姿勢となった。それを支えると、焼け焦げたような黒い香り、蒸れたような血の匂いが混ざって鼻を刺激した。華奢な体が小刻みに震えている。
「酷い傷だ……」
「キクト……本当に、すまない……」
「どうして、謝るんだよ……リアンのおかげで、僕は生きてる。リアンが戦ってくれたおかげで、僕はここまで来れてるんだよ。むしろ、謝らなきゃいけないのは僕だ……僕が、コールドスリープに入っていれば、こんなことにならなかった)」
言いながら、涙が溢れ出てくる。セリの最後、安否の不明な佐倉。リードリールのみんな。
「僕のせいで、みんなが、傷ついた……。取り返しのつかないことに……取り返しのつかないことに、なっちゃった……」
キクトは言いながら嗚咽を漏らした。涙と一緒に言葉を零していく。胃のむせ返りそうなほどの鈍い後悔。
しかし、リアンは弱々しく首を振った。
「いや、全部オレの選んだことだ。お前は悪くない」
左手をキクトの手に重ねた。真っ赤に染まっていた。
「……オレの中に『よりよき未来』なんてものはなかった。キクトを守ると言いながらも、結局すべて、自分の利己心だ。要は、オレのエゴなんだ。キクトを救うことで、かつて救えなかった兄と姉を救いたかっただけかもしれない」
利己心。
それはどこから発現するものなのだろう。世界に自分一人しかいなければ、それはきっと存在しない。
それは、他者との関係性の中でのみ発露するのだろうか。だとしたら、その本質はいったい何なのだろうか。何が私たちを動かしてゆくのだろうか。
「……いや、違うな。オレはそうすることで、何もできなかった愚かで幼い自分から、逃げたかった。何もできなかったあの日々への、罪滅ぼしでしかなかった。オレは唯一殺したくても殺せない幼い自分から、……ただ、逃げたかった。呪い続けたあの日々を、この手で終わらせたかった。全部オレの、我儘なんだ……」
リアンは自分に言い聞かせるような口調でゆっくりと繰り返した。
「オレはただ、ただ生きて、そして、ただ死んでいくことしかできない……」
リアンは顔を歪め、苦しそうに言った。
「それしか、……それしか、できないんだ……」
「そんなことないよ……」
キクトは辛うじてそれだけ言ったが、無力感に打ちひしがれた。そんな言葉にどれほどの意味があるのだろう。千年という途方もない時間を過ごしてきた相手に、いったい自分が何を言えるだろう。
「いつだったかな……遊んでいるんだ。どこかを、走っている。オレは無邪気に笑っていて、太陽がきれいに森を照らしている。緑がすごくきれいだったから、夏だったように思う」
リアンは肩で息をしながら唐突に語り出した。
「……さわさわと、風が木々を揺らして流れていくんだ。オレは誰かと走っている。でも、気がつくとオレは一人でいて……
緑だった森は、焦げたような匂いと、噎せ返るような、むっとした血と肉の匂いがする赤い森になるんだ。森だけじゃない、暗い空から降る雨が血みたいに赤くて、オレは怖くて泣いていた……
目に見える全部が、歪んで見える。歪んでいて、ざらつく粒子が、オレを取り囲んでいるんだ。
その粒子を自分は壊したり、自由に動かしたりできたから、オレは必死に右手を振っている………………」
「リアン……?」
頭に流れ込んでくる言葉たちが意味のあるものとして弾まない。
不審に感じ、リアンの顔を覗き込んだ。どきんと心臓が飛び跳ねた。
その顔を見て一瞬、息が止まる。
リアンはどこか遠くを見るような、心ここにあらずといった、ぼんやりとした表情になっている。急な変化に戸惑いを隠せない。しかし、リアンはぼそぼそとした調子で続ける。
「……でも、あれ、……おかしいな。
右手がもう、動かないんだ。
あんなに自由自在に駆け回っていたのに、気づくと『わたし』は一人だ。誰の声も聞こえず、ただ耳の奥で地球の鼓動だけが響き渡る。
……視界が暗くて、『わたし』はどこかに閉じ込められているんだと気付く。
蔵、みたいな場所で、わたしはこう、膝を抱えてうずくまっているんだ。
見上げると、格子状の小窓がひとつだけある。そこから弱い陽の光がさして、『わたし』をぼんやり照らしている。
なんだか上手く言えないが、わたしはそこでずっと何かに怯えているような気がするんだ。ずっと何かを待っている。ひとりは怖い。ひとりは嫌だ。
……でも、どうしようもない。『わたし』はひとりで、ただ果てのない恐怖に震えている………」
「リアン!」
キクトは聞いていられなくなり、強く肩を揺すった。しかし、リアンはこれといった反応を示さなかった。焦点の合わない目がゆるゆると泳いでいるだけだ。
「はは、……もう、『ぼく』は一人になってしまった。……いや、違う、違うんだ……。最初から一人なんだ……。孤独っていうやつだ。わたしたちは、本質的には、みんな孤独だ。
ほら、見てよあれ。あれが孤独の味だよ」
リアンは急にからからと笑い出す。肩を揺するたびに、その欠損した右肩から血が流れ落ちていく。キクトは自分の身体がまるで笑っているかのように震えていることに気がついた。
見ると、隣にフォウが立っている。
「もういいでしょう、キクトさん。見ての通りリアンさんは精神に異常を来たしています」
キクトは静かに泣き、項垂れた。何度かしゃくりあげるように泣きながら、子どもがいやいやをするように首を振った。
嫌だ。こんな、こんな終わり方では、あまりにも悲しすぎる。リアンを死なせたくない。リアンを一人にしたくない。
どうにか、できないか。まだ、いなくならないで。お願いだから、僕を一人にしないで。まだ助かる。きっと、僕が何とかする……
キクトの心の声に呼応するように、リアンはその暗い目をふっとこちらへ向けた。
「……キクト、孤独は嫌か。誰といても、孤独か。……この広い宇宙で、オレたちは、わたしたちはみんな、みんな独りだ。怖いだろう。ほんとうは、何も無いんだ。
ここには、何も無い。
怖いさ。だって、何も無いんだ。何かがあるように、見えているだけだ。
何かある、そんなのは嘘だ。言葉が隠しているだけだ。言葉が邪魔だ……ほんとうの世界は? ……いったい、世界は、どこにある?」
その言葉は段々と支離滅裂になり、表情も笑ったり戸惑ったり、急に沈んだりしている。ただ、冷や汗と動悸だけが、身体が限界だということを暗に伝えている。
「リアン、落ち着いて……僕は、ここにいる。世界は、ここにある。僕も世界も、どこにも逃げやしない」
キクトはリアンを抱き締めるが、また、自分の無力さを叩き付けられる。どうしてこれほど、自分は無力なのだろう。
リアンはキクトの言葉を聞いてか聞かずしてか、ハッとしたようなり表情になった。
「そうだ、逃げなきゃ。ミミナシ様……兄さんを、連れて来なかった。早く、早くあの山に助けに行かなきゃ……」
リアンはそう言って唐突に顔を歪めた。その瞬間、ゴボッという音を立てて口からも鼻からも血が溢れた。
キクトの腕を掴む左手に力が篭もった。皮膚が引っ張られる感覚。
「キクトさん、もう解放してあげましょう」
首がおかしな方に曲がっているフォウは、静かにこちらに近付く。キクトの思いは声にならない。ただ、首を振るしかない。
その瞬間のことだ。
世界が、その歩みを止める。
時間が、完全に止まったかのような。
キクトの目にはすべてがコマ送りのように鮮明に見えている。一秒ずつ、写真を見ているような感覚。声は出ない。自分はただ観察者のように、黙ってそのコマ送りを見ているだけ。
俯いていたリアンの目がカッと開かれる。
そして物凄いスピードで立ち上がる。
目の前にいたフォウを左腕で抱え込み、後ろ向きに倒れ込む。
倒れ込んだ先は、割れた窓の外。
窓の外は、暗い。
暗い空から、大粒の雨が送り出されている。
その窓から、二人は暗闇に引っ張られるようにして、真っ逆さまに、落ちていく―――
コマ送りされた世界で、キクトは目を零れ落ちそうなほど見開いている。絶叫しているような気がしたが、声は出ていない。身体が金縛りにあったように動かない。
今まさに頭から窓の外に向かって落ちようというその瞬間、リアンのその目が最後、こちらに向けられる。
暗く、深い海のような色の目。慈しみ、全てを愛すような。哀しみも虚しさも、喜びも辛さも、醜さも嬉しさも、美しさも感動も、憎しみも恐怖も、すべてを、この世のすべてを寛く包み込むような、果てのない慈悲に満ちた目。
フォウは一瞬驚いたように目を開いたが、すぐにその銀色の目を細めた。
笑っている……?
フォウの背後にくっついていた白い球体ごと、一緒に落ちていく。
キクトは反射的に割れた窓ガラスに駆け寄り手を伸ばすが、自分の手や足はまるで夢の中のように思いどおりに動かない。
窓から下を覗いた。
意味もなく手を伸ばす。肩から腕が抜けんばかりに伸ばしても、二人に届くはずがない。二人は淡い光の粒子となって溶けるように消えていく。
最後に振り絞ったらしい、リアンの能力だった。
「っ……ぁぁ、……」
声に、ならない。




