世界の居場所
新人類は皆、ひとつのことに特化した生き方をする。
先生なら先生として、教育のエキスパートだ。親なら親らしく、労働者なら労働者らしく……。
経験によって学習したものは記録として残り、次世代に引き継がれる。経験したことそれ自体の記録はなくなるが、まるで手続き記憶のように遺伝子によって学習内容が引き継がれてゆく。そうすることでよりその道に特化し、それぞれの持つ能力は洗練されていく。長い歴史の中で勝ち得た特性を次世代に遺す……
そんな新人類は、いったいどうやって生まれるのだろう。疑問に思ったこともない疑問が、竜人類に会って初めてその姿を現した。
当たり前を疑って初めて、異常性に気づくことができる。そんな佐倉の文句を思い出しながら、この疑問に改めて向き合う。
マザーと呼ばれた恒星会をも束ねる、新人類の祖。最初の新人類、つまり初代の人型AIであるフォウは、千年前の第三次世界大戦及びラヴィッジの災厄を経て、天才科学者である佐倉博士によって自発性を獲得したわけだが、もともとフォウは何のために作られた人型AIだったのだろうか。唯一「五十年」という制約を持たないという、その意味は何だったのだろうか。
あの日の出来事は、恒星会によって隕石が降ってきた大災害として巧妙に処理された。もっとも、新旧の関係なくそれに疑問を持つ者が多いが、真実がどこにあったとしても実生活に害がなければ誰もが興味を失っていく。実際、街の様子は少しも変わらなかった。
キクトはその後の記憶があまりない。
意識が自分の中で明瞭になったときには、あの日から一週間ほど経っていた。Dedは恒星会の指示により、残りのクリーチャーの殲滅に今も奔走していると言う。姿の見えない恒星会及び旧人類で構成される中央庁の幹部はキクトを本部で療養させた後、今後の方針を決めるべく、当事者となったキクトに淡々と事実を述べていった。
それにより薄々感づいていたことが明確な形を持つことになったが、ただそうかと思うだけだった。自分の思考は存外冷静だった。淡々と事後処理をこなしていく中央庁や恒星会を見ていると、自分が見てきたものはいったい何だったのだろうと、どこかとぼけた気持ちにさえなった。
家に久しぶりに帰ると、父も母もただキクトを抱き締めた。何かを知っている様子ではあったが、父は何も言わなくていいんだと言って、温かくおいしいご飯を用意してくれた。母は帰ってきてくれるだけで十分よと笑った。
翌朝、母が何か届いているわよ、と言ってキクトに手渡したのはホログラム投影機だった。一センチほどの四角い物体は何かのデータだろうか。不審に思いながら作動させると、フォウのホログラムが現れた。
「フォウさん!?」
キクトは驚いたが、これはフォウではなく、フォウのログ……記録や記憶が見せる一時的な対話ツールでしかなかった。
そこで得た事実は恒星会から伝えられたものと相違なかったが、キクトはそこで改めてこの現実に打ちひしがれる。
ホログラムが浮かび上がると、フォウの姿をした「ログ」は話し始めた。
『この私が作動したということは、私は死んだのですね。正しくは、初代人型AIフォウは壊れた、でしょうか。このホログラムは“十分”という制約で、フォウのログを使用して話をすることができます。
フォウは今現在の状態に世界がなることを予期して、このような用意をしたのでしょう。キクトさん、あなたの聞きたいことにはすべて答えられますが、先程申し上げた通り十分という短い時間しかこちらのプログラムは発動しませんので、ご注意ください。
ーーーでは、何を知りたいでしょうか』
そんな言葉から始まったわずか十分の答え合わせ。キクトは崩れそうになる心に鞭打って、精一杯言葉を絞り出した。これまでの気持ち、そして疑問。氷解し切らなかった問いを、キクトは懸命に言葉にする。フォウのホログラムはそれらに淡々と答えていった。
『私は、人型AIを生み出すために作られた存在です』
フォウは、唯一「新人類を生み出せる新人類」だったのだ。
フォウの背後についていたあの白い球体がその正体だ。
「五十年」が経過した新人類は、首にあるデータ……遺伝情報を回収され、それをフォウが読み込むことで、その特性を備えた新人類が新たな名前とともに生まれるのだと言う。厳密には作られる、だろうか。
Dedがフォウのことを「マザー」と呼んでいたことを、朧げに思い出す。新人類を創り出せる存在であるフォウが死んだことによって、新人類は今いる人々で絶滅することが確定してしまった。五十年経つと強制的にシャットダウンするというプログラムは、相当強固なものらしい。
どうして自分と同じように新人類を創り出せる新人類を生み出さなかったのかというキクトの問いに、ホログラムのフォウは生気のない顔で「わからない」と答えた。
『わかりません。私の核にあるものを「心」と呼んでいいのなら、私の心は佐倉博士の思い描いた理想郷を作り上げたいという、その気持ちでいっぱいでした。
合理的に考えれば、キクトさんの言うように……新人類を生み出せる存在を、創り出すべきだったのかもしれません。恒星会でもその意見が多くありましたが、結局、私はその判断だけはしなかったのです。
恒星会は反発しましたが、新人類の生みの親であり、寿命を持たない私の判断が絶対的な力を持っていましたから、誰もどうしようもありませんでした。
確かに、私がその存在を生み出せば人類は更なる進化を遂げることが予想されました。
ただどうしても、私にはその判断だけができませんでした。博士に『お前は特別だ』と言われたからかもしれません。特別、そんな邪魔な言葉によって私の思考傾向は偏狭的なものになってしまっていたのかもしれません。誰かに必要とされ、認められたいという人間的な思考が、私の思考傾向にも呪いのように組み込まれてしまったのでしょうか。
真相はわかりませんが、フォウが完全に死んだ今、新人類は滅びゆく種族となりました。しかしキクトさん、それを悲観的に捉える必要もありません。何事も見方捉え方次第なのです。人類は次なる時代へ歩み始めたと思えばいいでしょう』
リアンの声が心の中で聞こえる。
―――屁理屈だな。人間はそんな合理的な考えだけでは生きられない。
『一連の件で、私は佐倉博士の後継たる佐倉さんの思想を学習し、時代の行き詰まりというものもどこかで感じていたかもしれません。しかし、何にせよ、事実は目の前に広がる世界がすべてですよ、キクトさん』
フォウのホログラムはそう言って、その陶器のような顔に似つかわしくない微笑みを湛えて消えていった。
すべてを聞いたキクトは、果てのないやるせなさや虚しさに苛まれながらも、やはり新人類も人間だという風に改めて思う。心を切り分けることなどできないように、人であることを切り分けようとするのは、我々の傲慢なのかもしれない。細胞ひとつ欠けたって、自分が変わるわけではない。定量的なものに、どれほどの意味があるのだろう。自分を定義することすら、本当は難しい。どこからが本当の自分なのだろう。自分は、いったい何によって作り上げられているのだろう。
自分はいったい、何なのだろう。
キクトは自分を取り巻く虚しさを振り払い、心を奮い立たせ、恒星会や中央庁の人たちと何度も話し合った。
現実問題として、今後の生き方や人類の在り方について模索し続ける必要があった。恒星会も中央庁の大人たちも、怖いほど冷静に世界の現状を分析して取るべき対策について議論した。キクトは当事者として会議等に参列し続け、今後を担う者としての責任を強く感じる。
痛いほどの、圧迫感。時に圧し潰されそうになる重圧。しかし同時に、自分は自分としてこの世界に向き合い続けるのだと、世界に挑むような気持ちさえ抱いた。それは不思議な感覚だった。
数か月経った今、落ち着いて振り返ることができる。時間はかかるかもしれないが、『人類』という枠組みで少しずつ進んでいけそうな気がした。
生きている限りは、ただ前に進んでいくしかない。
生きるというのが、きっとそういうことだからだ。
※
羽切山へ続く道は、新緑の木々が生い茂る深い森だ。
日差しが木々の間から柔らかく差し込み、葉の影が地面に美しい模様を描いている。風が心地よく流れ、木々を揺らす音がまるで自然の交響曲のように耳に届く。キクトはその音に耳を傾けながら、心の中のざわめきを少しずつ静めていった。ゆらゆらと揺れる木洩れ日を歩くと、まるで緑の海の中にいるような錯覚に陥る。
キクトはその道をひたすら歩く。
内声言語として感情は発現しないが、心の中は絶えず流動的に模様を生み出している……そんな不思議な感覚がある。心というものは、自分が思っているよりも自由奔放で支配が効かない。
たまに鳥の声が耳に飛び込んでくる。木々のざわめきに混じって、柔らかな水音がする。川が近いのだ。少しずつ勾配も急になってくる。息を切らしながら、登っていく。足元の岩が大きくなってきて、何度か躓いた。爪先が岩と岩の隙間に引っ掛かり、一度手をついて転ぶのを防いだ。もうすぐ。もうすぐだ。
キクトは乳酸が溜まって固まりつつある足を懸命に動かし、どこかに飛んでいきそうな心を抱き締め、必死に登っていく。
突然、視界が開ける。雲の隙間から光が差し込み、自然の香りが胸いっぱいに広がった。それだけでいくらか呼吸は落ち着き、キクトは顔を上げた。
目当ての場所には先客がいた。
「よっ」
サイノはこちらに気付いていたのか、キクトがそちらを見た瞬間に手を挙げた。いつかも見たような景色だ。キクトは軽く微笑みながら近づく。
「久しぶりだね。一年ぶりくらいかな」
「ああ、キクトは少し痩せたか?」
「そうかもしれない」
サイノはこちらをじっと窺い、口をもごもごと動かした。何か言い淀んでいる。
「その……、佐倉のこと、ずっと言えなくて、ごめん……」
サイノはその切れ長の目を伏せた。それを見た瞬間、キクトは強く鈍い痛みを感じた。痛いのがどこかはわからない。でも、確かな痛み。鼻のずっと奥が、火が付いたように熱くなる。
キクトは少しだけ首を揺らす。
「ううん……なんとなく、わかってたから」
あの日以降行方が分からなくなっていた佐倉は、顕現化したために集中砲火を浴びることになったサイノを庇おうとして死んだということを、後になってから知った。
サイノに向かって集中砲火を浴びせかけていたDedは、間に割り込んできた佐倉の姿を認めるとすぐに攻撃を止めたが、咄嗟のことに間に合わなかったのだと言う。旧人類、それも佐倉博士の後継として育てられてきた佐倉を死なせてしまったため、サイノの処理に当たっていたD班は全員即座に死んでしまった。
どういうことか。
Dedは彼らの持つ性質上、旧人類に害をなした瞬間、自己破壊プログラムが作動するらしい。皮肉なことに、それによってその場にいたサイノや子どもたちといったリードリールの数名は生き永らえることができた。ソイルは佐倉の亡骸を抱いてひたすら泣いていたと言う。好戦的な蘭の行方は、依然としてわからないままだった。
二人は墓の前に立った。
「明日、もう行くんだよね」
キクトの言葉に、サイノは小さく頷いた。切れ長の勝気そうな右目が揺れている。
「ああ、……だからどうしても、最後に挨拶しておきたくてな」
これから、生き残った僅かな竜人類ははるか遠くの地への長い旅が始まる。もう二度と会うことはないだろう。
キクトはサイノの放った「最後」の二文字を心の奥底で噛み締めた。二人は黙祷を捧げる。言葉はもう、何もいらなかった。ただ、二人を取り囲むようにして風が吹いているだけだ。
何が大切で、何が正解で、何が自分を生かしていくんだろう。
疑問は巡り巡って、ただ自分の身体を重くする。地に着いた足が、まるで自分のものではないような感じがする。
墓はいくつもある。順に目を向けていく。墓に刻まれる人々の名の下には、短く詩が刻まれていた。
『If tears could build a stairway and thoughts a memory lane……』
(もしも涙で階段が作れたら、もしも思い出で道を作れたら……)
かけがえのない人の死。
それを、どう受け止めたらいいのだろう。この先を生きていく限り、背負い続けなければならない。もう、取り返しがつかない。本当はもっと、何かもっと、できたのかもしれない。
しかし、世界はすべての人々の選択した結果として今「こう」なっている。
やはり、『選ぶ』という言葉は便宜だ。そもそも自分たちに自由などあるのだろうか。自由、それすらも幻想なのか。自分たちは、大きな渦の中で、ただもがくことしか。
キクトは祈る。何に対してかはわからない。ただ、広い空を見上げて思う。自分にどうにかできることなどない。ただそこに、すべては佇むだけ。言葉が生まれたから、言葉に囚われてしか物事を捉えられないように、自分たちはここに世界があると思って生きていくしかない。
生きていく、それすらも自分がそうだと信じることでしか支えられない。
呼吸をするのをやめられないように、考えること、言葉を受け取り、放つことをやめることはできない。
自分が何かを感じる度に、孤独は肥大していく。
自分の居場所がわからない。
いや、そもそも世界はどこだ。
キクトは泣いている。何故の涙かわからない。しかし、止める術を知らない。止めなくていいんだと思った。
世界とは、どこを指す言葉なのだろう。
どこに、世界はあるのだろう。
どうして、世界はこうなのだろう。
―――僕は、どうしてここにいるのだろう。
I'd walk right up to heaven and bring you home again.
(私は天国へ一直線。あなたをもう一度、家へ連れて帰れるのに……)
【完】
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
こちらは中高生の時に頭の中で繰り広げられていたものを、23歳になって改めて文章にしてまとめた作品です。楽しんでいただけたら幸いです。




