いのちの足音
ラヴィッジの正体は殺戮を尽くす生命体? そしてそれはキクトに寄生している? 残酷な真実を前に、キクトはどのような判断をするのか。そして、それを聞いた新人類は……?
部屋に戻り、佐倉はベッドに勢いよくダイブした。ふかふかの感触が自分を包む。ここ数日で疲れが極限に達している。全身が悲鳴をあげているが、何よりも肌が痛い。日に当たる時間が長かったからだろうか。色素の薄い自分の肌には、相当な負担だったのかもしれない。
佐倉はリアンの言葉や様子を頭の中で反芻した。
「『ミミナシ様』の前は、どんな器だったんだろうな。キクト自身については、オレも完全にわかっているわけじゃない。
……キクトは、兄のクローンとも言えるのかもしれない。それか、もしかしたらフォウの言っていた不死の生物……成体から幼体に戻るというベニクラゲのように、寄生を経て何度もその人生をやり直しているのかもしれない。だから確かに、見方によってはキクトはラヴィッジそのものだと言えるかもしれない」
「でも、オレにとってそれは瑣末なことだ」
「それに、ベニクラゲにだって死は訪れる。あれは『理論上』不死というだけで、あくまでも被食者なんだ」
「……それがどういうことか、わかるか。ベニクラゲは不死じゃない、ちゃんと死ぬんだ。どんな時に死ぬか。もうわかるだろ」
「それは、こちらが『殺した』ときさ」
「ラヴィッジにも同じことが言えるはずなんだ。キクトを救うには、ラヴィッジを殺すしかない。真相について考えるのは、その後でいい。正直、オレは真相に興味がない。なんだっていいんだ、オレはラヴィッジをこの世から消しさえできれば。キクトを、救えれば、もう、なんだって……」
リアンはそう言った時、酷く顔を歪めた。初めて見る、苦悩の表情だった。佐倉はもう、何も言えなかった。
周囲にいたDedもいくらか困惑した顔をしていた。A―5038は眉を八の字にしながらも、「最終的に、キクトさんはどちらかを選ばざるを得ないでしょう。恒星会やマザーがキクトさんの選択をどう判断し、そしてその後どうするのかは、我々もわかりませんが……ですが、マザーはとても柔軟なお方ですから。話しましょう。世界の危機に、三種の人類で立ち向かいましょう」と意気込んだ。
そこからは、誰も何も言わなかった。
何を言えばいいかわからなくても、何かを言わなければ……そう思っていたが、キクトのどこか遠くを見るような目が佐倉を黙らせた。
キクトは佐倉と目が合うと、ふやけたように笑った。
どうして、こんなことになってしまったのか。そんな疑問は何の意味も持たない。私たちは、流されることしかできない。佐倉はやり切れない思いで、キクトから目を逸らした。
一度部屋に戻ったらまた本部に集まるように言われたが、佐倉はベッドからなかなか動けなかった。
知りたいと願い続けたはずの世界だった。
ただ知りたいと無垢な心で願い続けた世界は、自分が思っていた以上にはるかに血腥くて残酷で、だけど想像していたよりもずっと雄大で、不謹慎かもしれないが素晴らしく美しいとすら思えた。感情はグラデーションとはよく言ったものだ。今の感情はあちこちにベクトルが向いている。佐倉は掴みきれない自分の心を必死に奮い立たせる。
大切な家族であるキクトが、これから選択を強いられる。その時、誰よりも彼の隣で彼を支えることのできる、そんな立ち位置にいられるのだろうか。
佐倉は枕に顔を伏せながら、ひたすら自問する。
※
「さて、皆様。各々お話はできたでしょうか」
フォウは相変わらず波のない口調で言う。表情もなければ、発する声に色もない。
千年前の人型AIは、みんなこんなに機械的だったのだろうか。
本部に集まった時、リアンたちは左右に広がる傍聴席のようなところへ座らされた。キクトは証言台のようなところに立たされている。
深い青と紺の混ざったような色だけで作られた、大きな部屋だ。部屋というより、講堂と呼ぶ方が適切だろうか。
フォウは腰まである銀色の長髪を柔らかく揺らしながら、キクトへ音もなく近づいた。白いワンピースの後ろには、円形の巨大な機械がくっついている。あれは一体何なんだろうか。
フォウは陶器のように艶やかな肌を少しも動かさぬまま言う。
「キクトさん、あなたの決意をお聞かせください。あなたは今後、どうすべきだとお考えでしょうか」
キクトは黙っている。表情はよく見えない。
「……僕は生まれてからずっと、自分がここにいていいのかわからなくなる時があった。不安だったんだ、何もかもが。……でも、その理由が分かった気がする」
すう、と一呼吸置いてからまた言葉が放たれる。
「僕は今まで、与えられた平穏を訳も分からず意味も知らず、その背景にあるものについて何も考えずに……ただ、貪るだけだった。世界の広さを知らない、哀れな子どもだった。
……でも、守られるだけは、もう嫌だ。問題を先送りにするだけじゃだめだ。僕がコールドスリープに入ったとしても、ラヴィッジの脅威が完全になくなるわけじゃない。僕はもう、逃げたくない。……いや、逃げない」
皆が黙って耳を傾ける。講堂にはキクトの声しか響いていない。
「……リアンの計画は、人類の最善策ではないかもしれない。もっと言えば、僕のエゴかもしれない。たった一人で何千、何万という時を生きるのが怖いという、僕の醜いエゴ。
……僕は弱いから、一人じゃ嫌なんだ。狡い人間だ。そんな狡い自分も嫌だよ。……でも……それでも僕は、リアンを信じたい。リアンに賭けたい。ラヴィッジをこの世から消し去りたいというリアンの気持ちに応えたい。リアンと一緒に戦いたい……リアンは僕の、『家族』だから」
言った、と思った。
キクトは顔を崩し、目に涙を溜めて、声を震わせながらもはっきりと言い切った。みんなが黙る。どうなる。
佐倉はあちこちに視線を送った。
固唾を呑んで、成り行きを見守る。
フォウはゆっくりと銀色の長い睫毛を伏せた。
「そうですか」
トーンは変わらない。思考に時間がかかっているのか、沈黙が長い。
やがてフォウは伏せていた目を少し開き、キクトをじっと見据えた。
「あなたは人類の未来を破壊する可能性があっても、地球上のすべての生命が脅かされても、その選択をするのですね。あなたの大切な人たちの命を危険にさらしても、それを選ぶのですね」
フォウは繰り返し尋ねる。キクトは意を決して、ゆっくりと頷いた。
「……残念です」
フォウの言葉に竜人類たちは一気に構えた。戦いになるのか。ある程度は予想していたが、本当に竜人類と新人類の間で戦争が起きてしまうのか。佐倉は絶望的な気持ちになった。
だが、予想に反していつまで経っても何も起きない。竜人類も緊張させていた身体をふっと緩ませる。
「……フォウさん。僕を無理やりコールドスリープに入れたりは、しないの?」
キクトは上目遣いの窺うような目付きでゆっくりと尋ねた。フォウは目を細め、わずかに口角を上げている。笑っているのだろうか。
「もしそれが可能なら、とっくにしていますよ。そんなことをしようとしたら、我々はそこにいる竜人類のリアンさんの手によって一瞬で塵と化すでしょう。あの方はそれほどの力を持っています」
フォウは薄く笑った。
「無論、それは新人類の望むところではありません。それに今は人類同士で争うことほど無益なことはありません。リアンさんがその気になれば、この街の秩序や機能はすべて奪われるでしょう。竜人類の皆様も、落ち着いてください。我々に争う気はありません」
フォウは穏やかな口調で言う。トーンが一定で機械じみているせいか、竜人類としてはどうも落ち着かないようだが、キクトや佐倉はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「……ただ、キクトさん。あなたがその選択をするというのは意外でした。きちんとお話をして、ご理解いただけた上で同意していただければと思っていたものですから、まさかこのような展開になるとは、正直驚きでした。しかし、私たち新人類は、人類のために生きる……これは動かぬ真実です。こうなってしまっては仕方ありません。さあ、リアンさん、ともに戦いましょう。人類の未来のために」
リアンはベージュ色のマフラーに顔を埋めながら、ゆったりとした歩調でこちらに歩み寄る。
「……合理的な判断をしたな。必ずこの手でラヴィッジを葬り去ることを約束しよう」
リアンがそう言うと、フォウは白い手を差し出した。リアンはその包帯に包まれた手で握った。ひんやりと冷たいが、見た目に反して柔らかくさらさらとした手だ。
三十二世紀、日本にて―――
実に千年ぶりに三種の人類が手を結ぶことになる。歴史的瞬間に違いない。
キクトは自分がそんな瞬間に立ち会うことに胸躍る感覚が微かにあった。自分が中心にいる話なのに、どこか他人事な眼差しを注ぐ。
(信じるんだ。すべてはうまくいく。……うまく、いかせなきゃいけない。僕の中にいるラヴィッジを、消すことができたら、きっとまた新しい時代がやってくる)
キクトは心の中に温かな何かが灯ったように感じた。
(絶対そうだ。新しい時代が来るんだ。本当に平和で、本当に幸せな、美しく新しい未来が……)
「では、具体的な作戦会議といきましょうか」
今、世界がその重い腰を上げようとしている。
※
作戦会議が終わった後、キクトは一度家に帰ることを望んだ。誰もそれを止めるはずはなかった。キクトは佐倉とともにアークパレスに帰ることになった。学校を回って、二人で色々な話をしながら、遠回りをして帰る。しっかりと手を繋いで、歩く。
移動の時間というのは、改まることなく自然に人が人と関わることのできる時間だ。時にそれは大切な思いを生むから、どこでもドアはなくていい。
「ねぇキクト、全部が終わったらどんな未来になると思う?」
「三種の人類が共生する未来がやってくる。今とは違う全く新しい社会体制が作られるんじゃないかな」
「そう、かしら」
「なんで? 絶対そうだよ。僕ら、物凄い歴史的瞬間に立ち会ったんだ」
キクトはそう言ったものの、佐倉の複雑な表情を見て首を傾げた。
「佐倉は、そう思わないの?」
「うーん……」
佐倉は言うか言うまいか悩んでいるようだった。佐倉の考えていることがなんとなくわかりそうで、キクトはそこから目を逸らす。すべてを押しやるように、明るく言う。
「それにしてもさ、フォウが協力体制を選んでくれてよかったよね」
キクトが話を逸らしたのは佐倉も分かったに違いないが、むしろそれに安堵したような空気が流れる。
「そうね、一時はどうなることかとヒヤヒヤしたけど」
「リアンたちとDedが争う可能性があるときが一番怖かった」
「キクトは、その、思ったより落ち着いてるのね」
「なんか、自分のことって感じがしないんだ。全部僕の周りで勝手に進んでいくから」
「私はなんだか、置いてきぼりにされた気分だったわ」
二人は翌日に決行されることについては触れない。
「ね、お父さんとお母さんには、なんて言うの」
「何も言う気はないよ。明日また、佐倉と郊外に行くって言っとく」
「それだけ?」
「だって、全部が終わったらまた家に帰るだろ」
「リアンさんとは?」
佐倉の言わんとすることはなんとなくわかったが、キクトは首を振った。
「自分が何者であろうと、僕の家は母さんと父さんのいるあの家だよ。佐倉は違うの」
「私は一人で暮らしたいわ。クリーチャーの脅威もなくなるなら、山奥とかにでも」
佐倉は努めて明るく言った。それを否定する材料を、キクトは持ち合わせていない。
「佐倉」
キクトは言わなければ、と自分を奮い立たせた。
「なに?」
佐倉は疑問調で返事をしながらも、キクトの言いたいことはどこかわかっているような雰囲気だった。二人でずっと考えてきた時間が、二人をここまで運んだ。今までずっと、一緒にこの世界を生きてきた。
すれ違うことはあっても、お互いに大切な人であることに違いなかった。
「全部終わったらさ、一緒にまた、いろんなところに行こうよ」
その言葉に、佐倉は心の底から嬉しそうに笑った。白い肌、艶のある長い髪が夕日に照らされてきらきらと煌めいている。ほんのりと紅潮した頬が、彼女の中を流れる血潮を強く感じさせた。キクトは佐倉を、いつ見ても美しいと思う。
二人は長く歩いてから、それぞれの家へ帰った。
父と母は案の定、一週間近く家を空けたキクトを心配していたが、彼の帰宅を心から喜んだ。キクトの表情の変化に気が付いたのか、二人とも心配そうに色々尋ねてきたが、キクトは笑って誤魔化した。言わなければならないことも、伝えたいこともたくさんあったが、言葉として形容することはできなかった。二人を心配させたくなかった。二人はその目に嵌められた虹彩レンズをぎゅうと絞って、表情の機微を読み取ろうとしてきていたが、キクトは頑なに大丈夫だと言い張った。
夜遅くに父は寝室に入り、横になっているキクトにそっと語り掛けた。
「キクト。俺と母さんはお前のことだけを想っている。……これは絶対なんだ。親が子を想うことに、理由なんてないんだ。俺たちはお前が幸せに、笑顔で生きてくれさえいれば、それだけで俺たちは生まれて良かったと思える。生まれてきて良かった、生きていてよかったと。それがたとえ、俺たちが作られたときに備え付けられた感情をただ反射的に……プログラム通りになぞっているだけだとしても、俺たちは、俺たち自身が感じたことだけでしか生きていけないんだ。感じられること、感じたことだけが俺たちのすべてなんだ。だからそこには嘘も真実も、善も悪も何もないんだ……。
……たまに、俺も母さんもどうしていいかわからなくなるときがあるよ。世界がわからないんだ。俺たちはどうしてこの世界を生きてしまっているのか、俺たちがいる世界は一体どこなのか、不安になるときがあるんだよ。これは備え付けられた感情じゃない。これまでの新人類の歴史で、俺たちのログに眠る先人たちが、様々な経験と学習の中で形成あるいは発現させてきた複雑に折り重なった感情だ。
だから、新人類の中にも現体制に疑問を持つ者がいる。もしかしたら、本当はもっとより良い世界にできるのかもしれない。……だがな、今の俺たちは与えられたものを使って、反射的に生きていくことしかできない。それが制約なんだ。魚が水の外では生きられないように、俺たちも自分たちの持つ性質の外では生きられないんだ。新人類に生まれるっていうのが、そういうことなんだ。
……話が逸れたな。何が言いたかったかって言うと、俺たちにとっての絶対は、お前が大切だということだ。そこに至るまでにどれだけ複雑で様々な思いや過程があったとしても、俺たちの核にあるのはそれだけだ。キクト、お前は俺たちの大切なたった一人の息子だ。お前が生まれたから、俺たちは親になれた。
……キクト、生まれてきてくれて、本当にありがとう」
キクトは寝たふりを続けた。すうすうと寝息を立てるキクトの頬を父はそっと撫でると、音を立てずに部屋を去った。キクトは何故かわからないが、涙が止まらなかった。
自分を大切に思ってくれる存在に対して、自分もその思いに応えたいと感じる。愛や心なんて、目には見えない。しかし、確かにそこにあるような気にさせられる。 いや、きっと、ある。
それは決して、理屈ではなかった。




