開かれた戦端のその先で
いよいよ、戦いの火蓋が切って落とされる。キクトを挟むようにして立つリアンとキム。破壊と再生、それによって、ラヴィッジが復活する。
翌朝、キクトは両親の目を盗んでそっと家を出た。
家のすぐ前にDedが迎えに来ており、空走機に乗って移動する。途中で佐倉と合流し、羽切山へと続く道のある街の外側へ急ぐ。空走機はまずリードリールにたどり着いた。そこでリアンとキムを拾って、羽切山の頂上を目指すことになっている。付き人となるDedはA―5038だ。佐倉はそこでサイノたちと待つことになった。Dedはリードリールを拠点に散開することになっている。フォウは本部でその時を待つと言う。皆不安げな表情でキクトたちを見送った。
羽切山の山頂が近い。空走機を使っているので、以前登った時よりも短時間で登れている。
キクトはリアンの隣に座っていた。前の座席には銀色のユニフォームを身に纏ったA―5038とキムがいる。
ヘルメットを被ってしまうとDedはさっぱり見分けが付かないから、と言って、昨日蘭は自身が付けていた羽のネックレスをA―5038に渡した。A―5038は驚いていたが、どこか嬉しそうだった。
空走機から顔を覗かせると、すぐ真下に木々が見える。こちらに手を伸ばしてくるような様子で、新緑の葉が鮮やかに目に映っている。キクトは千年前の様子を必死に思い浮かべようとした。きっとこうなるまで、気の遠くなるほどの時間が必要だったはずだ。
顔を上げると雲一つない青空が広がっていて、暖かな日差しが全身に注がれている。目の前に広がる景色は、あまりにも穏やかだった。
みんな、ずっと黙っている。目をやるとキムはいつも以上に落ち着いていて、穏やかな表情だ。まっすぐに切り揃えられた髪が揺れている。
羽切山の頂上付近に近づいてきた。森が終わり、反り立つように飛び出る岩場だ。その一番端に、小さな祠がある。シルラという科学者の一族が造った龍晶がそこには眠っている。中にいるものもまた、生きていると言える……贄。
「キクト」
唐突にリアンが話しかけてくる。キクトが振り返ると、リアンはマフラーを巻き直しながらこちらをじっと見ている。
「……降りるぞ」
何かを言おうとしたみたいだが、結局言葉にはならなかったようだ。空走機は岩場に着陸し、A―5038はここで待つことになっている。ここからはキム、リアン、キクトの三人だけで徒歩で登る。
誰も多くは語らない。リアンを先頭に、山頂の祠へ足を進める。
祠が近づく。
祠に祀られる紫とも青とも緑ともつかない半透明の球は、艶のある妖しい色を湛えている。中にはぶにぶにとした茶色の物体が黒い穴を開けて、こちらを見ている。やはり、あれもまた生き物なのだ。キクトは全身の毛が逆立つような感覚を必死に押し殺しながら、ただ『その時』を待つ。
「キム」
祠の前に立ってリアンが呼びかけると、後ろに付いてきていたキムは伏せていた顔を上げて自嘲気味に笑った。
「はは、……いざってなると、怖いもんだね」
「……すまない」
リアンは押し殺して言った。顔は無表情のままだ。それを見てキムは少し黙ってから、力が抜けたようにふっと息を吐いた。
「……いつだったか、言ったよね。リアンと会った日を忘れたことはないって」
リアンは小さく頷いた。二人は見つめ合った。
「……あの日、私は身も心も、本当に救われた。今日は、あの日の借りを返すだけ。うまく言えないけど、私、リアンのためなら何でもできる気がする」
そう言って、にこやかに笑う。今この人の中にあるのは、どんな気持ちなんだろう。こんなに晴れやかな表情で誰かに笑いかけるキムを初めて見た。キクトは胸が潰されそうになる。挫けそうになる心を必死に奮い立たせ、何とか平静を保つ。
太陽が真上にある。
地球は、今日も変わらずにここにある。
世界の様相は変わらない。
「やろう」
その声と共に自分の胸に当てられたリアンの手の感触と、背後からそっと支えられるキムの手の感触が、キクトの覚えている最後の記憶だった。
※
キィィィイイン――――――――
あまりにも爆音のために却ってすべての音が遠く離れているような、籠っているような感覚で目を覚ます。痛いほどの耳鳴りが、頭を貫いている。ガンガンと脈打つ頭を押さえながら目を開けたが、真っ暗で何も見えない。いや、語弊がある。煙だ。正しくは限りなく黒に近い灰色の煙を見ているのだ。一瞬、ここがどこか、何をしていたのかもわからず、混乱状態になる。
ドオン、という耳をつんざく爆発音が聞こえ、ハッとする。急いで身体を起こす。ゴツゴツとした感触が背中に残っていた。
羽切山の、頂上にいる。
「……ラヴィッジ、は……どうなってる!?」
そう叫んだ瞬間、一気に視界が良好になった。
爆風が煙を運んだのだ。あまりの風に、息が止まる。砂が入って目を瞑り、腕で顔を覆った。パチパチと砂が全身を叩く。風が止んで目を開け、愕然とした。
自分の目の前には、真っ赤に染まった細長い布が散らばっている―――
キムの包帯だとわかるのに、さほど時間を要しなかった。キクトは口を強く押え、吐き気を飲み込む。手を地について、肩で息をする。
「はぁ、はぁ……っ、くそ……」
無意識のうちに強く地を掴んでいた。もう一度周囲に目を遣ると、岩場が真っ赤に染まっている。一体自分は、どのようになったのだろう。手のひらを見ると血だらけの石や砂が付いているのに混じって、鋭利な白い歯があることに気がつき、キクトは声にならない悲鳴を上げて反射的に手から振るい落とした。ガクガクと膝が震えている。
この状況を考えるに、キムの身体は粉々に……爆散とでも言うように、文字通り飛び散っていったのだろう。
(……わかっていたはずだ。僕の代わりにキムさんが死ぬ可能性があった、いや、きっと死んでしまうんだって、それは知っていたんだ、最初から……)
しかし、心のどこかで上手くいくと……結局誰も死なず、もう一度笑って会えるだろうなどと、安易な考えをしていた。だから最期の言葉も何もない。それを言ってしまったら、まるでキムが本当に死ぬと言っているようなものだ。だから、何も言えなかった。しかし、キムは死んだ。呆気なく、死体も消え去るほど分解されて。爆散したのだ。キクトがそうなったのを、瞬時に自分に移したことで、呆気なく死んだのだ。
キクトは何度か嘔吐いた。深く息を吸っても落ち着けない。鉄のような血の匂いが鼻腔を刺激する。
ドオォオオン……
強い音が再び聞こえ、少し経ってから顔を上げた。揺れている。視界が、揺れている。
「は、は……」
声は知らぬ間に漏れていた。自分が笑っているのか、泣いているのか、怯えているのかもわからない。
キクトの目に映っているのは、この世のものとは思えない光景だった。
あれだけ穏やかに見えていた森が、まるで隕石でも降ってきたかのように所々大きく抉れて地面が丸見えになっている。あちこちから煙が上がり、燃えているのもわかった。今になってやっと認識できたが、多くの唸り声が聞こえる。クリーチャーの声だろうか。何度か砲撃音が聞こえた。
キクトは目を凝らした。はるか遠くに、真っ黒い龍の影が見える。ゆらゆらと空を飛ぶその様は、まるで海の中を泳いでいるようだ。
(あれが、ラヴィッジ、なのか……?)
キクトは呆然と座り込んだまま動けなかった。着ていた服も前側が消し飛んだように破れ、赤黒い血に染まっているのにようやく気が付いた。血は乾きつつある、自分は一体どれくらいの間気を失っていたのだろう。
狂いそうになる心を落ち着かせようにも、何をどうしたらいいか見当がつかなかった。
自分のした選択と眼前に広がる現状を、どういう気持ちで結び付ければ良いか、全くわからなかった。
※
「早く!」
A―5038の必死な声に、リアンは力の限り走った。
ラヴィッジは贄を核として見事に復活した。作戦通りだった。
千年前に見た姿とさほど変わらなかったが、俊敏さや破壊力は遥かに弱まっているように思えた。
勝てる……!
リアンは武者震いする手をめいっぱい広げて、全力で走る。
キクトの身体を細胞レベルで分解しつつ、龍晶を身体の中央に捩じ込んだ。龍晶を纏う石も同時に分解し、キクトの中を流れるラヴィッジのエネルギーの動きを贄の中に移し込む。集中力のすべてを右手の感覚に宿して一連の操作を一瞬で行った結果、シルラの予想していた通りラヴィッジは何かに驚いたように突然復活を遂げた……もちろん、死にかけたキクトではなく手近にあった器、贄を核として。
爆発したようにキクトの顔あたりから真っ黒いラヴィッジが形成されていき、今はまだこの辺りを旋回している。
キムが命を賭して瞬時にキクトの身体を再生してくれたので、キクトに意識はないだろうがひとまず身体は無事だろう。この後、リードリールにいるメンバーやDedが彼の面倒を見てくれるはずだ。あとは自分が、今まだこの辺りを旋回するに留めているラヴィッジを殺せばいい。加勢はいらないと言った。巻き込んでしまう可能性があるからだ。
キムの死は避けられなかった。いくら回復タイプとは言え、気功タイプ後からによってほとんどの細胞を損壊させられては、もうひとたまりもないはずだった。
キクトに手をかける直前、キムは一瞬顔を歪めた。あれは、純粋に死を恐れる気持ちだ。いつ死んでもいいと本当に心から思っていたとしても、眼前に迫る強い死の香りに恐怖しない者などいない。それも激しい苦痛を伴う死だ。
しかし、リアンは少しも躊躇わなかった。
そしてキムもまた、躊躇うことなくキクトを救った。死の恐怖を凌駕するほどの決意と覚悟が彼女の中にあったということだ。
彼女の死を無駄にはしない。絶対にしてはいけない。
リアンはラヴィッジの背の上を顔の辺りから尾にかけて走りながら、右手をその背の鱗に押し付けた。蠢く細胞を片っ端から消し飛ばす。焼け爛れたような皮膚が燃え上がり、どす黒く生暖かい血が吹き出る。ラヴィッジは咆哮しながら大きく旋回した。
リアンはその角度に合わせて地面と水平になりながら尾の方に向かって走る。リアンは走りながら考える。体長はおそらく三キロほどだ。端まで来るのに一分近くかかった。幅は百メートルといったところか。巨大ではあるものの、やはり千年前よりはかなり小さい。
リアンは尾まで来ると飛び降りた。マフラーがバタバタと音を立てている。A―5038が操作する白い円盤の上に着地すると、すぐさま彼に掴まった。
「表層をオレの力で破壊しても無駄みたいだな」
「そうですね。やはりあれくらいでは致命傷には至らないのでしょう。どうしますか?」
「喉元から腹の方に向かって切り込みたいな……内部をやれば、もう少し動きが鈍くなりそうだ。Dedならどうする?」
「内部に入れるように、とりあえず下から貫きます」
「悪くない。それ、頼めるか」
A―5038は頷くと、首元でなにか操作をした。二人はラヴィッジの尾に合わせてピッタリと付いてゆく。
「槍型の砲撃がすぐに来ます。喉元から尾の方へ五十メートルほどいったところに直径十メートルほどの穴を開けます。逆鱗を狙うつもりですが、誤差可能性は二%ほどあります。巻き込まれないように注意してください」
「わかった」
A―5038は一度大きくラヴィッジの内側から回り込み、十メートルほど頭上からラヴィッジを見下ろした。
巨大な龍。
埋め込まれたような目が渦を巻いている。その目をギョロギョロと動かしながら、時折急降下しては森を深く抉った。
その度に、耳が叫んばかりの轟音と大きな揺れ。
木々がなぎ倒され、赤茶色の土が顕わになる。周囲にもうもうと巻き上がる砂煙と、発火してしまったことによる山火事。平穏だった今の時代から見れば、地獄のような光景だろう。
しかしリアンは違った。絶望的な気持ちなど微塵もなかった。勝てる、そう信じていた。高揚すら感じていたかもしれない。生まれてからこんなに執着したのは、後にも先にもラヴィッジをこの世界から葬り去ることだけだ。今、その執着がピークに達している。
リアンはもう一度、ラヴィッジの頭上に勢いよく飛び降りた。
大の字の形で落ちながら、右手を前に伸ばす。風に押されて後ろ向きに着地をしながら、ラヴィッジの鱗を消せる限り消し飛ばしてゆく。ビチビチバチッという火花のような音を立てながら、鱗を形成する細胞を擦り合わせて火をつける。背中に生える鬣が瞬時に燃え上がる。ラヴィッジは痛みにまた咆哮すると、大きく旋回する。
その瞬間、リアンの目の前に下から砲撃が飛んできた。
Dedが狙いを定めてラヴィッジを貫いたのだ。
目の前に巨大な穴が空いている。一段と大きな咆哮。耳を貫く不快な音。吹き飛ばされないように、リアンは鱗に掴まる。
そのままの勢いで、何十万とひしめく鱗を何枚も消し飛ばす。すると爛れた地肌が露見したので、そこに右腕を肩のあたりまで差し込んだ。ぐちゃぐちゃになっているラヴィッジの表層部を、めいっぱい内側から溶解させる。
この巨大だ。この程度では蚊に刺されたくらいかもしれないが、リアンは自分の持つ能力のすべてを解き放つ。
指先を伝って深層部まで溶けていくのがわかった。同時に、リアンは自分の腕の表面が溶けていくような感覚を味わう。抵抗するラヴィッジの細胞が自分の細胞を喰らっているのだと直感する。
「リアンさん!」
穴の下からA―5038が見える。ヘルメットの前方を開けている。心配するような栗色の目がこちらに向けられていた。
「尾の方で待っててくれ!」
リアンはそう叫ぶと、肩まで埋まっていた右腕を勢いよく引き抜いた。何メートルにも血飛沫が上がる。右腕の袖はすべて溶かされ、腕の表面は焼け爛れ、真っ赤に染まっていた。
リアンは気に留めずに、すぐに先程Dedが空けてくれた巨大な穴の側面に手をかけて、血塗れのラヴィッジの体内へ入る。ドロドロとした血や肉片が風に押されて流れ落ちてゆく中、削られたばかりの表面は傷を修復しようとウネウネと動いている。
リアンは火傷している右腕を左手でしっかりと押さえながら前に突き出して、ラヴィッジの抉られた肉の壁に押し付けた。
ラヴィッジの肉体を分解し、燃やし、破壊する。体内の細胞が針のように鋭くなってリアンを攻撃してくるが、まるで何もないかのように、無表情のまま進んでいく。全身が真っ赤だった。もはや自分の血なのか、ラヴィッジの血なのかわからない。
リアンは暗い瞳を右手に注ぎながら、尾の方に向かってまた移動し始めた。体内から大きく破壊されれば、少しは大人しくなるだろう。
リアンはぐちゃぐちゃと気味の悪い音を立てるラヴィッジの体内を燃やしながら移動する。獣の匂い。血の匂い。肉の焦げてゆく匂い。リアンの通ったところだけがごうごうと音を立てながら燃えている。ラヴィッジが苦痛に呻く。蛇行するように飛び回るが、この内部から生じる苦痛は消えないのだろう。身体を森に打ち付け始めた。地響きが森を襲う。
リアンはラヴィッジの体内で、自分の心がどんどん冷えていくのがわかった。
こいつさえ、こいつさえいなければ。
死ね。死ね。死んじまえ。死んでくれ、頼むから。
この世界から消えてくれ。
お前はこの世界にいていい存在じゃない。
お前のせいで、無限の哀しみが生まれた。
砲撃音が再び聞こえた。その瞬間、ラヴィッジの身体が大きく傾く。
核を使用しても殺せなかった存在が、砲撃ごときで身体に穴が空く。体内を燃やされているだけで呻いている。暴れたところで、森を抉る程度しかできない。
……やはり千年前と比べると、はるかに弱い存在に堕ちている。シルラ、オレたちは、やり遂げたんだ。あとは殺すだけ。細胞の最後の一つまで殺してやりたい。ありったけの憎悪をこの手に込めて、嬲り殺しにしてやりたい。
いや、できる、今の自分なら。ラヴィッジを殺せる。自分のこの手で、この世から葬り去ることができる。どれだけこの日を、夢見ただろう。
リアンはラヴィッジの体内で炎に包まれながら、隠されていた右目を大きく開いた。渦状の目。犬歯が炎の光を受け、煌々と輝いている。熱風がリアンの長い前髪をふんわりと捲りあげた。背骨が音を立てて膨らんでいくような感覚。
誰にも見せたことのない、自分の本当の姿。
身体の奥底から蠢く力に呑み込まれながら、リアンは自嘲気味に笑った。
「……皮肉、っていうやつだな」
リアンのその姿が、一瞬で龍へと変容する。




