あの日の続きを
リアンの口から語られる真実と、その心は……
※
「ラヴィッジは世界を蹂躙した後、御神根島に戻ってきた。……ずいぶんと瘦せ細ってはいたがな。多分、核となっている兄の命が限界だったんだと思う。
ゴウンゴウンって、なんだか空気圧みたいな強い音が遠くからするんだ。音だけが空気全体を支配するような感じで、また地獄が始まるんだと幼かったオレは怯えた。
しかし、何も起きなかった。ラヴィッジはオレたちの頭上を何度か旋回すると、突然飛散していったんだ。溶けるような、宙に消えていくような……不思議な感じだった。
それがフォウの言う、厄介な特性ってやつだ。あれはおそらく、身体の密度を極限まで下げて分解し、細胞を空気中に散布させているんだ。あたりには黒雲が立ち込めていたよ。あれはラヴィッジの細胞の群れだったのかもしれない。
そして、見ると姉の周りを暗い光のような、雲のような靄がゆらゆらと蠢いている。姉をこう、包んでいるんだ。それは色が緑になったり紫になったり、黒っぽくなったり…… うねるように、円を描いていた。オレはそれを見て、直感的に悟った。
これは、ラヴィッジの粒子だと。そしてラヴィッジは、……姉のお腹にいる子どもに寄生したんだ、と。
オレはその瞬間、深く、それは深く絶望したよ。オレの未来は絶望によって貫かれてしまったんだ。
……救えなかった哀れな兄と、これからも絶対に救えない、哀れな姉。
絶望するオレとは対照的に、姉はすべてを受け入れたような、どこか恍惚とした表情をしていた。なのに、涙が流れている。
オレはひたすら困惑していた。どうしたらいいか、何もわからなかった。
それから姉は生き残った竜人類に大切に祀られ、千年近く身重で過ごした。……驚くだろう。ラヴィッジが寄生して眠りについているからなのか、いつまで経ってもお腹の子が生まれないのさ!
姉はずっと、死ぬまでずっと……つらそうだった。
いったいどれくらい、あそこで過ごしていたんだろう。生き残った竜人類もだんだんと減っていき、仕舞いにはオレと姉だけになった。オレたちは御神根島から少し行ったところにある簡素な小屋で生活した。何十年、いや、百年以上同じ生活だった。姉は、最初のうちは気丈に振舞ってよく働いていたんだが、お腹が大きくなってくるともう動けなかった。寝床で横たわるだけの日々。ただ息をするだけの、死んだような日々。
オレはある時どうしようもなくなって、姉を置いて少し旅をしたんだ。……旅は新鮮でよかったが、それ以上に驚いた。知らぬ間に街が出来上がっていたから。オレは興味本位で近付こうとしたんだが、それをとある竜人類に止められた。
それが龍晶を作り上げたステラ一族さ。科学者だった家系だそうだ。
その一族にシルラという奴がいたんだが、こいつが群を抜いて天才だった。オレにはなかったたくさんの知識をくれた。ラヴィッジのことも、新人類のことも、竜人類のことも。
オレはシルラに指南され、羽切山のリードリールという集落に身を置き、生活に必要なものと情報を持って姉の元へ急いだ。
オレは集落に所属することで、生きる意味を見出しつつあった。最初にいた面々はもうほとんど亡くなったが、新たに仲間が増えてリードリールは割と大きな集落に育った。姉には集落に身を置こうと提案したが、すげなく断られた。姉はこう言うんだ。
もしもお腹の子に何かあったら、またあの地獄が始まってしまう。他人と関わることはそのリスクを背負うことになる。人の心を惑わすものは、遠く離れた地でひっそりと暮らす方がいい。
今になって言えることだが、姉は自分の子が兄のようになるのを恐れたのではないかと思う。お腹の子に愛があったんだ、きっと。姉はリー教を心から信仰していたわけではなかったんだと思う。
それ以後、オレはシルラに言われた通り『器の少年』を探す必要性やラヴィッジの恐ろしさを集落で説きながら、姉に献身的に尽くした。心のどこかで、姉のことをもう救えないとわかっていたんだ。姉の心も、身体も、もう何も救ってやれない。なにもできない、そんな無力な自分に、オレは毎日絶望していた。オレの持つ力でラヴィッジだけを破壊できないかとも考えたんだが、細胞レベルでお腹の子に寄生しているラヴィッジに、そんな芸当はできなかった。仮にそれができたとしても、もし本当にやるなら姉の身体ごと分解するしかない。そんなこと……できるわけがなかった。
姉は日を追うごとにやつれていった。オレに世界や未来を語ってくれる夜よりも、苦痛や絶望に泣き叫ぶ夜が増えた。悪夢に魘され飛び起きると、焦点の合わない濁った眼がオレを捉える。そして姉はいつも尋ねた。あれから、何年経ったかと。オレはその度に小屋の柱に刻んだ数を教えるんだ。部屋は傷だらけになっていった。オレたちは時間という果てしない刑に処されていたのだろうか。ただひたすらに果てのない時間と、向き合わなければならない。
オレは食糧を取りに行ったり、自分の力を試したり、集落に行ったり、たまにシルラに会いに行ったり、退屈を紛らわす術があったからよかった。姉は……さぞ、つらかったことだろうと思う。
九百年以上経って、姉は死ぬ間際に苦しそうにオレにこう告げた。
『リアン、このお腹の子を助けてあげてほしい。こんな呪われた運命から、解放してやってほしい……』
姉は泣いていた。悲痛な声で、聞いているだけで苦しかった。苦しい。何もできない、何もしてやれない。
自分の無力さを呪っていたのは、オレだけではなかった。きっと姉も、自分を呪い続けていたんだ。何かできたかもしれない、でもやはり何もできなかった。この世界を支配する大きな流れが、大きな渦が、オレたちを包んでいるから。オレたちはこの流れに、抗えなかった。……屈してしまっていたんだ。
そして姉はやがて、涙の中で死んでいった。老衰だったのか、病気だったのか、はたまた別の要因だったのか。もはやわからない。
オレはやり切れない思いで、姉だったものをただしばらく見つめていた。この日々は、何だったんだろう。何のために、息をし続けてしまったんだろう。……どうしてオレは、ここにいるんだろう。そんなことをぼんやり考えながら、ただ姉のことを見ていたんだ。多分、何日か経っていたと思う。
気がついたんだ。姉のお腹が僅かに動いている。
……生きている。
お腹の子は、生きている。
オレはどうすべきか考えた。母体は死んだ。そうなると、普通であればお腹の中の子ももう時期死ぬに違いない。どうしたらいい。オレにはこの子を救う義務がある。……オレは覚悟を決めて、姉の身体に手を当てた。涙が出るなんてことはそれまで一度もなかったが、生まれて初めて涙が出た。何故かはわからない。オレの大切な家族の身体が、オレの手の中で粒になって消えていくんだ。溶けていくんだ。この気持ちをどう言い表せばいいのかわからない。姉のことを思うと、ただ、ただかなしかった。
産声も上げずに生まれたこの子をどうしたらいいかわからなかった。そいつは耳が丸かったんだ。戸惑った。そのときに真っ先に思い浮かんだのはシルラの顔だった。オレは赤ん坊を……キクトを抱いて、彼の元へ急いだ。あの日、雨が強く降っていたのを今でも覚えている。
シルラに今まであったことすべてを話すと、彼は真っ青になった。そしてこう言うんだ。
『おそらくだが、その子が十分に育ったら、またその命を燃やしてラヴィッジが目覚めるだろう……』
どうしたらいいかと問うた。オレはあの日を思い出して半狂乱になって言う。殺すか。やはり殺すべきなのか。必死になって聞くと、シルラはゆっくりと首を振る。
『宿主が死にそうになれば、ラヴィッジは宿主を守る行動に出るはずだ。身体ごとハイジャックされてもおかしくない。宿主が生まれた今では、尚更だろう。ラヴィッジはそんな簡単に殺せるほどヤワじゃない……』
オレは兄のことを思い出した。座敷牢に閉じ込められていた兄。あれは外界から与えられる刺激から兄を守るためか。そして兄が自傷行為のようなものを行っていたのは、もしかしてラヴィッジがその身体を乗っ取るためにさせていたのか。
『……宿主を生かしたまま、ラヴィッジの復活を防ぐ方法を考えなきゃいけない』
シルラのその言葉に、オレはすぐにこう返した。
『必要なのは復活を防ぐ方法じゃない。ラヴィッジを殺す方法だ。どうしたらラヴィッジを殺せるか、それを考えてくれ』
オレはあのとき、どんな顔をしていたんだろう。彼はオレを見て、憐憫と、悲哀と、恐怖の混ざったような……酷く困惑した顔をしていた。しかし最後は吹っ切れたような顔で笑って、仰せのままにと言ってくれた。オレはその時にきっと、彼のことも呪ってしまったんだと思う。
彼はオレの願った通り、ラヴィッジをこの世から消し去るための方法を考えてくれた。ハイリスクだが、オレはその計画に縋るしかなかった。
キクトが街の中で育ったのは、その計画の一貫だ。あの耳では竜人類と一緒には生きられないだろうと思ったし、万が一排他的な奴が竜人類にいてキクトが殺されるようなことがあれば、すべてが終わる。それにクリーチャーのこともある。街の中で過ごす方が安全だと判断したんだ。
そして、キクトを街の中に送ればいずれは新人類が気付くだろう。そうしたら新人類はこっちの意図を測るべく、いずれキクトが竜人類に接触するのを許すだろうと、シルラはそう睨んだ。そしたら、その時にキクトに事情を説明してすべてをわかってもらえればいい。
もし接触できなかったらどうする、キクトが街から出なかったらどうする、というオレの懸念をシルラは笑って受け流した。新人類の立場になってみろ。竜人類が、竜と人のハーフを送ってくるんだぜ……、多分、新人類はラヴィッジの情報をお前ほど持っていない。奴らがそれを知りたければ、竜人類と接触するしかない。だが、どの竜人類がちゃんと情報を持っているかすら向こうは知らないんだ。キクト自身を通して情報を得るってのが一番平和だろ。新人類は『平和』を愛しているからな。
シルラはそう言って笑った。オレはまだ心配だったが、あいつに先見の明があったというのは、言うまでもない。
オレはシルラに指示された通り、Dedの中でも特に情に厚い者に気付いてもらえるよう、キクトを送った。そしてどうにかして街の中で育ててもらいたい旨、街の外で密かに生きていた野良の人間を拾ったと偽り、その手紙にキクトをどうにか幸せに生活させてあげて欲しい旨を記した。優しいDedは見事に街の中へ連れて帰ってくれた。データを詐称したのか、名前まできちんと伝えてくれた。
オレはキクトの名を街の中でも使ってくれたあの人には、直接会ってお礼を言いたかった。でももう、寿命が来てしまっていたみたいだな。Dedの中にあの人はいなかった。あの人のログを引き継いだ個体がどれかも、わからなかった。……残念だ。
話が逸れたが、計画のもうひとつがあの龍晶を使った儀式だ。あれはフォウの言った通り、ただの空っぽの人形で、中の贄はシルラが作ったんだ。旧人類と竜人類の遺伝子を無理やり繋ぎ合わせたものさ。
ただ、その比率が完璧なんだ。
キクトが贄を取り込んだその瞬間、オレの力でキクト諸共龍晶を破壊する。そうしたら、ラヴィッジは旧人類と竜人類の遺伝子の混ざっている贄へと寄生先を変えるだろうと踏んだんだ。
不完全な宿主で、不完全な復活を遂げる。
クリーチャーが、竜人類を母体としているなら凶暴で、旧人類を母体とするなら鈍間なのと同じ原理さ。弱い核なら、オレの手で殺せる……そういう魂胆だったんだ。
……これまで欺いていて、本当にすまない。だが、ラヴィッジを復活させるなど、ラヴィッジの脅威を知っている竜人類なら絶対に反対するだろう。だから、言えなかった。オレがラヴィッジをこの手で殺すには、みんなを騙す必要があった。本当にすまない。
だがもう、それも叶わなくなってしまった今、オレはみんなに頼むしかない。
今一度、オレを信じて手を貸して欲しい。一緒にラヴィッジをこの世界から葬り去るのを手伝ってほしい。
ラヴィッジをこの世界から完全に消すには、さっき言った方法しかない。
オレはラヴィッジを殺すためだけに、自分の持つこの忌々しい力をずっと洗練させてきた。今のオレなら、勝てるかもしれない。……いや、勝てるんだ。
もちろんフォウの言った通り、リスクはある。だが、クリーチャーが宿主の特性に左右されるように、ラヴィッジもまた弱い核によって復活させれば勝機があるに違いないんだ。
オレはこれを成し遂げないままでは死ぬに死ねない。オレは、この手でラヴィッジを消し去るためだけに生きてきたと言っても過言ではない。
手筈は臨時集会でも言った通りだが、まずはキクトの身体に宿るラヴィッジを龍晶に移さなければならない。その時にキクトの身体を、オレが一度細胞レベルに分解する。その瞬間に、キムが瞬時にキクトの身体を再生させるんだ。破壊と再生を同時に行うことで、寄生しているラヴィッジの細胞だけが龍晶の中の贄に移動するはずだ。そしてラヴィッジは復活する。
キム、お前にオレはその役割を頼まなければならない。身体の半分近くを分解されたキクトを、お前の力で治すんだ。
いや、違うな。……キム、お前の力で、それを自分に移すんだ」




