融和する心
リアンとDedか戦闘になりそうな緊迫した雰囲気の中、キクトは双方の間に立って「街に一度戻って対話しよう」という姿勢を見せた。自分の選択に慎重になる中、キクトの心には様々な思いが溢れ出てくる……
「キクトさん、散開しているDedがじきにこちらへ集まります。そちらにいるリアンという竜人類の持つ能力については我々も把握しており、相当な脅威であることはわかっていますが、こちらとしてもマザーの命に背くわけにはいかないのです。
そうなると、お互い無傷では済みません。衝突は避けられないでしょう。しかしそれは、新人類の望むところではありません。
どうか穏便に、ご同行願えるようあなたから説得していただけませんか」
A―5038はリアンから目を離さずに早口で言う。警戒しているのだとわかった。
「リアンさん、一度街へ行きましょう! 対話なしでは何も生まれないわ」
佐倉が震える声で叫ぶ。
「キクトも佐倉も……何を言っているんだ。新人類との対話がどうして可能だと考える? 奴らはただの計算機だ。集めた言語情報から、字句や構文、意味を解析して、そこから感情じみたもの、言葉じみたものを生成しているに過ぎない」
リアンは顔を歪めた。A―5038は眉間に皺を寄せながら首を傾げる。
「随分と偏った見方をなさるのですね。人種差別的な思想です。我々Dedはクリーチャーと戦うためだけに生まれたとはいえ、きちんと思考や特性を持ち合わせています。新人類は皆、それぞれの思考と特性を持っています」
「全部、人間の真似事だろ」
リアンは、珍しく苛立ったように言う。
キクトは聴きながら、愕然としていた。
数日前の佐倉との会話が思い出される。自分は心の中で、確かこう唱えていた―――はるか昔に排斥された典型的な新人類に対する差別意識だ。新人類は人の手を介した……つまり《人工》というだけで、中身や持っているものは旧人類と変わらない。
ニューラルネットワークによる思考、感情、アイデンティティ、自発的な問い……全て揃っている。《人の手を介しているから》などという「些末な」理由はもはや人種差別的な思想の火種として、はるか昔に排斥されていった。
だから【新人類】という新たな括りがはるか昔に生まれたのではないか。
そもそも同じ地球上で発生したものに、優劣があると思う方がおかしいのだ。たとえば、そうだ……クローン。クローンに人権は無い、と言っているようなものだ。だって、そんなはずはない。それははるか昔から倫理的問題として取り上げられ、当然クローンにも人権が与えられるべきという考えがマジョリティの側にあった。
同じ遺伝子を持っていても、環境や時代によって全く異なる人格になることなど常識だ。もともと自分は遺伝子という空っぽの容器で、そこにどのような中身を注ぐのか、どのような用途に使うのかなどは、その時の状況次第だ。自分にどういう事象が作用するか、それ次第なのだ。
その様々な作用によって生じた多次元的なひとつの結果を、我々は〈個性〉と呼ぶ。そしてその〈個性〉は当然、新人類にもある。新旧の人類に事実として多くの差異こそあれ、それを論拠に差別する意味はいったい何なのか。
キクトは、リアンの拒絶反応をどう受け止めればよいかわからなかった。
しかし、今重要なのはそこではない。三つの人種が共生していくためには、今自分がどういう立ち振る舞いをするかが鍵となるはずだ。
キクトは興奮と焦りと緊張で自分の頭に血が上り、顔が熱くなっていることを認めた。
「……リアン、僕は街へ戻る。きちんと話をしよう。問題は対話が可能かどうかじゃない、まず僕はこの世界のことを知りたい。知らなきゃいけない」
(なぜリアンがここまで新人類を敵視するのか、わからない。ただ、僕の言動が三種の人類の今後を左右する気がする……。落ち着け、とにかく争いを避けるんだ)
リアンは左目だけをこちらに向けた。
まだ、黙っている。しかし、リアンの目に若干の逡巡の色が垣間見えた。キクトはチャンスだと思った。
「リアン、僕は竜人類も、新人類も、旧人類も、全部救いたい。だから、お願いだよ」
リアンは少し目を開いてから、諦めたように瞳を伏せた。キクトの必死の思いは言葉に乗り、きちんとリアンにも届いたようだった。
「……わかった」
ふうと息を吐いて、リアンはそれきり黙った。
A―5038はにこやかな顔を作り、「よかった、これで僕も死なずに済みます」と、ふざけているのか本気で言っているのかわからないことを言う。首に浮かぶ緑色のラインを手早く操作し、白い円盤に乗った。恒星会へ連絡を取ったのだろうか。
「キクトさん、他のDedがもうじき来ますから、こちらで待っていてください。空走機で街へ送ります」
彼の言葉にキクトは頷いた。
気がつくと、崖下は静かになっている。すべてのクリーチャーを殺したのだろうか。
「リアン、行こう」
キクトはリアンの前にそっと立った。暗く感情の灯らない瞳が、僅かに揺れている。
リアンの考えていることは結局何なのか、皆目見当もつかない。自分の選択が本当に正しいのかもわからなかった。不安が胸中を占有する。
しかし、正しい選択などそもそもあるのだろうか。我々は生きている限り、常に選択を迫られる。それは二者択一という簡単なものではない。
右へ進むか左へ進むか、無数に枝分かれしてゆく無限の世界の中で、常にどれかひとつを選ばされる。無限の選択肢が目の前に連綿と拡がっているのだ。そこに正しい選択肢があるなどと、どうして言えよう。
「リアン、僕は君に命を救われた。だから、僕もリアンを助けたいんだ……こんな言い方も、エゴでしかないけど、でも、僕らは『家族』なんでしょ」
キクトのその言葉に、リアンはようやく笑った。マフラーで口元を隠す仕草がいかにも儚げで、だからこそ美しかった。
正しい選択をした……!
キクトはそう感じた。しかしその瞬間、思考は心の中に仄暗い影を落とす。
本当にこれが、正しい選択なのだろうか。そもそも正しさとは、何を基準に言うのだろうか。いつだって、自分が選択してきたものを正解だと思い込むことで、自分の人生に折り合いをつけるしかない。折り合い、嫌な言葉だがそうするしかない。誰も自分の選択を間違いだと思って選ぶわけではない。
だから正解を選ぶのではなく、自分の選んだものを正解にしていくことが大切なんだ……などと、そんな綺麗ごとばかりが心に浮かんでは泡沫のように消え去ってゆく。
キクトは思考する中で、心が何度も右往左往するのを感じた。正しさ、正義、正解、選択、正しさ、正義、正解、選択。
いや、違う、無限の選択肢が目の前に拡がっているというのは幻想だ。この世の総てが作用の延長線であるという考えを尊重するなら、そもそも世界は枝分かれしない。パラレルワールドなんて存在しない。すべてが作用のもたらした《結果》に過ぎないからだ。だから、『選ぶ』という言葉などあってないようなものだ。誰もが、選んでいるような気になっているだけ。
「キクト?」
佐倉の心配そうな声に、ハッとした。
キクトは自分が酷く混乱していることに気がついた。
周囲は静かになり、ただ滝の落ちる音と、森の音……風が木々を揺らす音だけが、現実のそれとして降ってくる。水の音。ざあざあと、滝はただ、落ちてゆく。重力があるから落ちてゆくのだし、水がそこにあるから滝になる。
キクトは一度、深く呼吸をした。
(……とりあえず、街へ行くべきだ。そして、話さなきゃいけない。ラヴィッジに関わることだけじゃない。この世界がどうなっていくべきなのか、この世界を僕たちはどうしていくのか。それを、自分たちの価値観を脱ぎ去って、真っ向から話さなきゃいけないんだ。そこにどんな背景があろうと、僕らは対話をやめてはいけない。生きているんだから、生きている限りは、進んでいくしかないんだ)
決意を固めて、キクトと佐倉、リアンはDedの用意した空走機に乗る。ついに三種の人類が不干渉の約束を越え、話し合う時が来た。世界が動き出すのだ。それを心の奥で噛み締める。
※
散開していたというDedが一斉に集まってきた時は、その威圧感に圧倒された。目視でも五十人ほどいただろうか。皆が同じ制服に身を包み、ヘルメットをしているためか、異様に機械じみて見えた。街の外でクリーチャーを殺すために生まれた統制の取れた部隊。限界まで抑制された自発性、疑問を持たない思考傾向。
キクトと佐倉はここでもまた、ショックを受ける。しかし、ここで挫けていては始まらない。二人は肩を寄せ合い、支え合いながら街へと歩を進めた。
向き合わなければならない。
二人は激しい緊張と恐怖、逃げ出したい衝動と戦いながら、同時に妙な使命感に絆されつつあった。平坦な暮らしから離れ、知らなかったことを知ることの背徳的な快さ。それも、世界の秘密だ。いつの時代も、人間は退屈に耐えられないらしい。
自分の感情の中に、高揚がまったくなかったとは言えない。
好奇心は、恐怖を凌駕する。
刺激は、平常を低廉なものへと変容させる。
キクトの心では、様々な感情が融和しつつあった。自分の心がマーブルになっていく感覚を味わう。平穏を称揚する心とは反対に、何かの当事者になることを心のどこかで希求していたのかもしれない。
リアンはただ黙って二人の後ろを歩いた。Dedは状況を既に把握しており、手早く三人を案内する。リアンをかなり警戒しているようだが、当のリアンはDedを見向きもしない。諦めたような、それでいて何の隙もなく、何物も寄せ付けない、頑なな雰囲気。
「狷介な方なんですね」
Dedの一人がキクトを案内しながら、あっけらかんと言う。
「狷介って?」
「自分の信じる部分を守ろうという気持ちが強いんだ。他人に心を開けないってことさ」
後ろにいた別の一人が優しく教えてくれる。そこに他意はなさそうだったが、キクトは何とも言えない気持ちになる。
当たり前のようにDedと会話をするキクトを、佐倉は奇妙なものでも見るような目で見てきた。
キクトには佐倉の考えていることももはやわからなかった。
話し合いの場へは、崖下で戦っていた蘭とキム、そしてセリが同席することになった。ピリピリとした空気の崖上に、最初にかけ登ってきたのは蘭だ。すぐにキムが追いつく形で入ってくる。蘭は両手に紫色の鱗のついた大きな剣を握り締めていた。剣はどちらも血だらけになっていた。
事情を説明すると、二人はすぐに動き出した。セリを呼んで血まみれの身体を簡単に洗うと、すぐに空走機へ乗り込んだ。キムとセリは険しい表情で黙っているが、蘭は初めて見るDedに興奮し、子どものようにはしゃいだ。
どんな風にクリーチャーを殺すのか、ウチの剣でその武器は切れるのかといった、物騒な話が多かったが。
サイノは顕現化を解除し、上裸で皆を見送った。顕現化するときに、着ていた服はびりびりに裂けて散っていったようだ。サイノの煩慮するその目は佐倉へと注がれていたが、佐倉は身体を震わせながら目を合わせず、俯いているだけだった。
サイノは酷く傷ついた表情をしていたが、キクトはそれに気付かないふりをした。集落の他のメンバーはそれぞれが複雑そうな表情を浮かべたまま、彼らを見送る。
それぞれに思うことがある。
ただ、同時に誰もがこの世界の行く末を案じている。それだけが事実として存在していた。




