邂逅と逃避
決意を固めたキクト。周囲に気遣われながら、リアンと話をする。そこで、突然ポケットに入れていた笛が光り出して……
滝壺の近くに戻ると、サイノと佐倉が駆け寄ってきた。
「結構長かったな。覚悟を決めてきたのか」
サイノは軽口を叩いた。彼なりの優しさだろう。
「キクト、ごめんね。……でも私、何も気の利いたこと言えない」
佐倉は沈痛な面持ちで言葉を絞り出した。それだけでよかった。
「もう大丈夫。世界を救うなんて、そんな大それたことを言える立場じゃないけど、僕にできることはやるよ」
キクトはそう言って笑って見せた。その言葉に二人は安堵したような表情になる。
セリと蘭もやってきた。蘭は大きな瞳でこちらを見据える。
「たまたま来てくれたキクトに全部を背負わせるのは申し訳ないけど、その言葉にウチらは賭けるよ」
「そーだね。ここまで来たら、私たちでやるしかないかぁ」
「ウチは万が一、儀式が失敗しても、それこそ三種の人類関係なく最後の一人まで戦ってラヴィッジを殺せばいいと思ってる。まあ、リアンが無理ってんなら無理なのかもだけど、それならそれまでの話」
二人はそれぞれ折り合いをつけたといった表情で口々に言う。サイノも複雑な表情で頷いた。
五人で他愛もない話をしながら滝の裏手に回ると、ちょうどいい大きさの石の上にキムが目を瞑って座っていた。
「瞑想中か、キム。らしくねーな」
サイノの声に目をゆっくり開けたキムは、キクトの姿を認めると息を吸った。
「……まぁ、あんな話を聞いたあとじゃね。リアンは何も私たちに教えてくれてなかったんだなぁって思ってさ」
全身に巻かれた痛々しい包帯の先が、滝によって起こされる風でハタハタとなびいている。どこか物憂げなその姿は、キクトに憐憫の情を起こさせた。
キムの言葉に、能力付きの三人は複雑な表情で黙った。
「……あんたのことは絶対に死なせないよ。信用してもらって構わない」
キムは初めてキクトに向けて柔らかな笑顔を見せた。キクトはしっかりとその瞳を見て頷く。
「リアンは、今どこに?」
「上さ」
キムは崖の上を指さした。キクトはついてこようとする佐倉を制して、一人で階段を登っていった。あたりは暗くなり、見上げると星が出てきていた。
崖の淵に、リアンはいた。
ベージュ色のマフラーをたなびかせ、足を崖下に放り出すようにして座っている。その背中は何も語ってこない。孤独の香りが強かった。
「リアン」
声をかけると、リアンはゆっくりと振り返った。風がリアンの長い前髪を揺らしている。隠されている右目は、いったいどんな目なのだろう。
「怖いか」
リアンは尋ねた。キクトは困ったように笑って頷いた。そしてリアンと同じように崖下に足を投げ出し、隣に座った。
「色々、驚くことばかりだっただろう。すまなかった」
「ううん、僕らの生活があまりにも閉鎖的すぎたのがいけないんだ。まさか、街の外にはこんな世界が広がっていたなんて……なんだか、別世界に来たみたいだなって思った」
「そう感じるのか」
「うん。僕は今まで、与えられた平穏を当たり前のようにただ貪ってた。でも、その平穏を守るためにも、僕がやらなきゃいけないんだよね」
半分は自分へ言い聞かせていた。恐怖を振り払い、明日に立ち向かうためにも。
リアンはじっとこちらを見つめている。
「オレのことを、信用できるか」
見返すと、深く暗い縹色の目に不安げな表情の自分が映っている。
「……信用、したいって感じかな。信用に足る根拠なんて、正直どこにもないよ。でも、僕はリアンを信じたいって思ってる。理屈じゃない」
「そうか」
それきりリアンは黙った。何か言いたいことや、言わなければならないこと……それは山のようにあるのに、何も言葉として出てこない。そんな感じだった。
星が降ってきそうな夜だった。滝が真横を通って落ちてゆく。足元には、子どもたちの走り回る姿や佐倉の姿が見えた。サイノが佐倉に近寄ると、佐倉は顔を覆ってサイノの胸に飛び込んだ。サイノは少したじろいだようだが、優しく佐倉の頭をさすっている。
「……佐倉は、サイノを気に入ったみたいだな」
リアンは優しく言う。
左目には柔らかい光が灯っていた。キクトは「そうだね」と呟き、自分の中にある形容しがたい思いの輪郭を必死に捕まえようとした。今の佐倉には、彼女を支える人が必要だと思う。自分ではそれが不十分なのもわかっていた。
心は存外、穏やかだった。この一週間ほどでこれまで生きてきた十七年間が一度宙に消えて、自分は別の世界に迷い込んだかのような浮遊感がある。
風が頬を撫でる。湿った空気を風が運んで、気持ちがいい。
「キクト、お前が疑問に思っていることは何だ。言ってみろ」
唐突に聞かれ一瞬言葉に詰まったが、膨大に積まれた疑問はするすると口から出ていった。
「え、と。まず、僕は竜人類と旧人類のハーフってことだけど……僕がリアンのお姉さんから生まれたなら、どうして街の中で育てられたのか。だって、生まれることが管理されている街の中で、僕が普通の子どもと同じように生きているのは、変だよ。
あとやっぱり、ラヴィッジって結局どういうものなのか知りたい。儀式も、正直よくわかんなくて怖いし……
それから、どうして竜人類と旧人類、新人類は不可侵なのか。あの『紅事件』……みんなで見たあの奇妙な夢は何だったのか。
Dedはどうやってクリーチャーと戦うのか。あ、あとクリーチャーとラヴィッジの関係は? ……それから、旧人類は体外受精で、新人類の作った施設で生まれるけど、新人類はどうやって生まれるのか……」
「たくさんあるな」
リアンは柔らかく言った。マフラーで見え隠れする口元が、少し微笑んでいる。笑ったところをきちんと見たのは初めてかもしれない。
「大体答えられそうだが、何から知りたいんだ」
「教えてくれるの?」
「お前が望むなら、な。ただ、知って後悔することもあるかもしれない」
「うーん……。でも、全部同じくらい知りたい」
「貪欲だな」
「人間の知的欲求ほど欲深いものはないよ」
「間違いないな。それがお前たち二人をここまで連れてきたわけだからな」
「教えてくれる?」
「いいさ。どうせすぐわかることだ。まず、お前が街の中で育った理由だが……」
リアンが言いかけた瞬間、ポケットの中の笛が震えて辺りが眩い光に包まれた。
突然のことに固まっていると、リアンが獣のように鋭い目で後ろを見つめている。
振り返ると、こちらから十メートルほどのところに女性が立っている。腰辺りまである長い銀髪、切れ長で何の感情もない、魚を想起させる冷たい目が印象的だ。真っ白いワンピースのような布で身を包んでいる。
キクトはあまりに突然のことに言葉を失ったが、リアンは既に臨戦態勢を取っている。
女性はぼんやりとした淡い光に包まれている。よく見ると、キクトのポケットから落ちた笛で映し出されたホログラムだ。
『キクトさん、リアンさん。お初目にかかります。私は恒星会を束ねております、マザーコンピューターのフォウと申します。新人類の祖、と言った方がわかりやすいでしょうか』
その言葉にリアンの目が恐ろしく光る。今までのリアンからは想像もできないほど、激しく燃え上がった炎のように熱く、しかしすべてを凍てつかせるほどの冷たさも併せ持つような激情がその瞳には宿っている。
キクトはただただ、激しく困惑した。
(恒星会の新人類……それも、そのトップ? マザーコンピューターって……いや、新人類の祖、と言ったか。まさか、初めて自発性を獲得した初代の人型AIか!? ということは、千年以上前から生きていることに……?)
『そんな顔をなさらないでください。我々は敵ではありません。リアンさん、少し話をしましょう』
フォウは陶器のように冷たく白い顔をしている。キクトの知る身近な新人類とは違い、表情に色がない。機械じみた冷たい声だ。
フォウの言葉にリアンは眉間に皺を寄せた。マフラーに顔を埋めるようにして、下から睨み続けている。
キクトは自分の手に滲んだ汗を握った。脈打つ鼓動がまるで時間を刻んでいるかのように絶えず動き続けている。
時計の針は、もうとっくに動き出していたのかもしれない。
※
『キクトさん。まずは、このような形でお会いすることになったこと、また真実を告げねばならなくなったことを深くお詫び申し上げます。こちらとしても色々と悩み、思考し、演算し、結局このタイミングとなってしまいました。キクトさんはこの五日間でいろいろなことを見聞きし、さぞ驚かれていることでしょう。また、街の中で普通に育ってきたあなたにとっては、世界の外側を知るというのは苦しいことだらけだったことでしょう。そうさせてしまったこと、本当に申し訳ないと思っております』
フォウは無表情のまま話し出した。キクトとリアンは、まずは黙って聞いている。
『リアンさん、あなたはずっと、なかなか情報を出してはくれませんでしたが、「器の少年」であるキクトさんと出会えたことでようやく動き出してくれましたね。こちらもようやく核心に近づけたと自負しております』
リアンは物凄い形相でフォウを睨んでいる。
『端的に言いましょう。リアンさん、あなたの知っていること及び行おうとしていることの内実をすべてこちらに提供してください。三つの人類は、共にこの世界の危機を脱却すべきです。不可侵不干渉の約束は反故にした方が全人類のためでしょう。本当はもう少し早くコンタクトを取るべきでしたが、恒星会の中でも様々な意見や演算が飛び交っており、人類の方向性を決めかねておりました。しかしこれだけは言えます。我々は協力すべきです』
「その理想的な考え方には賛同できるが、はっきり言って新人類は信用できない」
『なぜです。私たち新人類は人類の益となることしか選択しません。それが千年前の約束ですから』
「その結果が旧人類を街に閉じ込め、嘘ばかりを……偽りの家族を与えるこの現実か」
『それは捉え方次第です。旧人類、新人類共に誰も偽りの家族などとは思っていません。あなた方とは基本的な価値観がまったく異なるのです。リアンさん、真実を知ることばかりが幸福でしょうか。我々は真実を伝えることが人類の平和や幸福に必ずしも直結するとは限らないと考えています。実際、不要な情報を切り捨てることで、新時代では世界平和を実現できました』
「屁理屈だな。人間はそんな合理的な考えだけでは生きられない」
『だからこそ、新人類が旧人類に代わって合理的な判断を下すのです』
「……」
リアンは黙った。激情が走っていた表情から、無感情な表情に戻っている。キクトは懸命に二人の言葉を追い続けた。嫌な緊迫感が全体の空気を支配している。
『話にならないとお思いなのでしょうが、それはあなたが竜人類だからです。古い価値観に囚われている証拠です。
新時代が幕を開けてからは、旧人類には新しい価値観、思想がきちんと根付きました。あなた方竜人類は、長く生き過ぎているのです。新人類に設定された五十年という寿命は、価値観の更新や技術の発展に大きく寄与しました。【生きる】、それを望むなら【死】を用意しなければならない。新人類は【生きる】ことで世代を超えて学習及び経験を培っていきました。
その一方で、あなた方竜人類はどうでしょうか。一個体の生存期間が長くなればなるほど、種全体としてのアップデートは他の生物と比べてどうしても遅くなるでしょう。生活様式にしても、価値観にしても、何にしてもです』
リアンは黙ったままだ。
『また、街の中で生きるというのは人類を永らえるために必要な選択です。見境なく人を襲うクリーチャーが出歩くディザスター的な世界となってしまった以上、致し方ないことです』
矢継ぎ早に繰り出されるフォウの言葉に、キクトの頭は真っ白になった。フォウは淡々と続ける。
『それと、竜人類との接触が絶たれ始めたのはちょうど千年前ですが、これは新人類の意図したことではありません。あなた方竜人類が、自ら人類との接触を絶ったのです。その理由については、あなたにも心当たりがあるはずですが』
フォウは冷たい瞳を少しだけこちらに向けた。ぎこちない動きだが、こちらを見ていることだけはわかる。リアンは諦めたようにふっと息を吐いた。
「……わかった。今はこんなことで議論すべきではないな。オレの知っていることを提供しろとのことだが、大方こちらの状況は全部筒抜けだろう。これ以上、何が知りたいんだ」
リアンの言葉にフォウはいくらか目を細めた。どういう感情なのだろうか。
『あなたのしようとしていることについてです。リアンさん、あなたは明日、キクトさんを使って何をしようとしているのですか』
「何をしようと、だと。何を今更……」
『我々の得た情報すべてをつなぎ合わせた上で立てられた予測では、明日行われるのは〈封印の儀式〉ではありません。あなたは我々の目を欺くために、嘘をついています。また、他の竜人類にも何かを隠しています』
「どういうことか、わからないな」
『あくまでも白を切るつもりなのですね。わかりました。千年の時を経て、世界の危機に直面してようやく共生への道が開けると思っていたのですが……残念です』
フォウは淡々と言い放つ。
『では、キクトさんを解放し、街へ今すぐ帰していただけませんか。彼を明日、あなたの計画に組み込ませるわけにはいきません』
「何を言っている……キクトがいなければ、世界は滅ぶだけだ。新人類こそ、キクトを連れ帰って何をしようとしている」
リアンの瞳にはまた、獣のような鋭さが宿っている。怒り、とは違う。まるで獲物を狙う鷹のような、相手に対する憎しみが最大限に籠っているような、果てのない敵意に満ちた目。ピリピリと嫌な空気が流れ続ける。キクトは気付くと呼吸をするのさえ忘れていた。冷や汗が頬を伝っている。
ふたつの人類の間で戸惑い続けるキクトを、フォウは色のない瞳で捉えた。陶器のような肌。唇にも色がない、生気のない顔。
『キクトさん、騙されてはいけません。この方はあなたに嘘をついています。どうか我々を信じ、街へ帰ってきてください』
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんなことが言えるんですか。三つの人類が共生することは不可能なんですか」
『かねてより、我々恒星会の予測では共生は難しいという結果が出ていました。しかし、僅かに可能性は残されていました。その可能性が、キクトさんとそこにいるリアンという一人の竜人類の行動にかかっていたのです。しかし、結果は残念なものになりました。リアンさんが本当に人類の未来を思って、ご自身の行動を選択していただければ良かったのですが、リアンさんには協力の意志はおろか仲間を欺いてでも……人類すべてを敵に回しても、成し遂げたいことがあるようです』
「リアン……!」
キクトは哀願するような声色でリアンを振り返った。しかし、リアンは何も言わない。
(いったい、どういうことだ……。封印じゃない? 何か、僕は何か、見落としていたのか……でも、どう考えても、今のこの状況はチャンスだ。どうにかして、三つの人類が協力できれば、新しい時代がやってくるんじゃないのか。僕が、なんとか橋渡しできれば)
キクトはここにきてそんな淡い希望を持ち始めていた。逆境は人を前向きにする原動力になり得る。しかし次のリアンのセリフで、それがいかに安易な考えだったか気付かされた。
「……キクトを帰さない、と言ったら?」
低く、すべてを拒絶するような恐ろしい声でリアンは問う。フォウの表情は変わらない。
『多少の武力行使はやむを得ません。全人類のためです』
フォウがそう言った瞬間、リアンは今まさに飛びかからんとする姿勢をとる。
「待ってください! 争いはダメだ! リアン、なにか隠しているなら教えてほしい。じゃなきゃ、僕は明日安心して命を預けられない」
キクトは二人の間に立って叫んだ。
「キクト……オレは、ただ、すべてを守りたいだけだ」
リアンは顔を歪め、痛切な表情を見せた。
初めて見る悲痛な面持ちに、キクトは強い憐憫の情を抱いた。これが、身につまされる思いというものなのだろうか。
『埒が明きませんね。キクトさん、千年前の第三次世界大戦でラヴィッジと呼ばれるものが出現したのは事実です。世界人口を当時のわずか一%にまで落とす歴史上最悪の災害でした。あれ以来、私はラヴィッジについて研究を続けてきて様々なことを知りましたが、確実に言えるのは、あれが再び目を覚ますようなことがあってはならないということです。わかりますね?』
「なら、三種の人類が協力してラヴィッジを封印すればいいんじゃないんですか! どうして争う方向にいくんですか!」
『仰る通りです。ラヴィッジを封印すればいいのです。キクトさん、はっきりと申し上げます。ラヴィッジは………に………っているのではなく、………に………………です』
風が強く吹き、恐ろしい唸り声のようなものが山中に響き渡った。
フォウの声は今、何と言ったのか。咄嗟に咀嚼こそできなかったものの、キクトの耳にはきちんと届いていた。
「なん、て、……」
言葉を失うキクトの横で、バタバタと階段を駆け上がってくる足音がする。
「リアン! 数体のクリーチャーの匂いが、こっちに向かってきて……」
サイノが言いながら崖の上へ姿を現した。後ろには息を切らした佐倉もいる。
二人はフォウの姿を認め、壁にぶつかったように立ち止まった。
「なっ、なんだお前!」
叫ぶサイノ。
「……ホログラムだわ、笛で投影しているのね……やっぱり、恒星会は私たちを監視していたんだわ」
肩で息をしながら佐倉は言う。
「ってことは、新人類か……!」
サイノは隠されていない切れ長の右目を見開いた。
『仲間がいらしたようですね。キクトさん、早まらずに一度街へ戻ってください。竜人類を連れてきていただいても構いません。むしろその方が好都合です。三種の人類で話をしましょう。平和への道は対話あるのみです。本当に人類のためになることは一体何か、共に考えることが大切です』
フォウは目を細めて言った。笑っているつもり、なのだろうか。
『さて、クリーチャーですが、こちらへ五体向かってきています。いずれもキクトさんを狙っているのです。道中で人に会えば、見境なく襲うでしょう。リアンさん、まずは集落をお守りください。北北東より一体、西北西から一体、南南西から一体です。Dedは南東の方向、この崖の裏から来る二体を既に目視で捉えています。あと二分でこの崖の裏で対峙するでしょう。キクトさん、そして佐倉さん。どうか、人類の未来を考えた選択をなさいますように……』
フォウはそう言うと姿を消した。ホログラムが切れたのだ。
振り返ると、リアンの吸い込まれそうなほど暗い縹色の目は、どこか一点をただ見つめていた。




