揺れて、笑って
〈儀式〉の内容を聞かされる一同。心が揺れ動くキクトだったが、最終的にリアンの熱い思いにだんだんと決意が固まってきて……
「どういうことなの、リアン」
セリは大きな木に手をかけながらリアンを詰問していた。いつになく真剣で、その口調から酷く怒っていることがわかる。
臨時集会の後、人々はそれぞれがさまざまな思いを抱きながらも、儀式の準備を始めると言って動き出した。能力付きと呼ばれる面々は滝壺近くに集まり、皆険しい表情でリアンを取り囲んでいる。
「どういうことも何も、臨時集会で言ったとおりだ」
にべもない。
「いやいや、いくら何でも急すぎるだろ。そりゃ最後はみんなリアンの意向に従うさ。でもそれにしたって俺たちに何の相談もなさすぎだろーが」
サイノの口調にも苛立ちが滲んでいる。切れ長な目がより鋭くなったように見える。キムは一瞬サイノを睨んだが、反論する材料がないのか困ったように眉を下げ、黙っている。
「お前がどんな思いで、この決断に至ったのか知らねーが、ラヴィッジが本当に復活するって言うんなら、それはもう世界規模の話だろ。新人類との協力なしに物事を進めるメリットは何なんだ」
「サイノ、お前は新人類と対話が可能だと思っているのか」
リアンは無表情のまま、左目だけをサイノに向けた。
(リアンは、新人類との対話はできないと思ってるのか)
キクトはリアンの新人類に対する拒否反応を見てそう感じ、胸が苦しくなった。
「できるだろ。旧人類の佐倉やキクトと対話できたんだからな」
サイノは何を言っているんだとでもいうように肩を竦めた。セリも同調して頷く。
「確かに私たち竜人類と街で暮らす新人類、旧人類は交流がずっとなかった。多くの面でギャップがあるというのは頷けるよ。実際そうだと思うし。でも、対話はできる。……というより、対話しないと始まらない。リアン、何をそんなに焦っているの」
セリの言葉にも、彼女の思いが強く表れている。佐倉とキクトは竜人類たちの会話を聞くことしかできない。リアンは落ち着いた様子のまま淡々と言葉を繰り出してゆく。
「焦っている、か。そうかもしれない。なんてったって新人類どもがキクトを街の中に連れ戻したら、終わりだからな。オレたちは街の中には入れない。あのサイレンが鳴ったあと、新人類たちがクリーチャーをどう殺してるか、わかってるだろ?」
どきりとした。やはり、新人類もまたクリーチャーを「殺す」のだ。
「一歩でも街に足を踏み入れたら、サイレンが鳴ってDedに襲撃されるか、遠くから脳天をぶち抜かれるか、電撃でも喰らって即死だ。だからキクトたちが自分たちの足で外に出ている今しかチャンスがないんだよ。新人類も二人が街の外へ出るのを許している。だから、今なんだ。悠長にしている暇はない。わかるだろう」
リアンの言葉に頷く者が一人いた。
「そだよ。サイノもセリも、なんで新人類との対話にこだわんの? 儀式って言っても、キクトが『龍晶』を取り込むだけじゃん」
蘭と呼ばれる竜人類だ。彼女は旧中国大陸まで渡っていた渡来系の種族で、二十年ぶりにこの集落に戻ってきたのだと言う。色黒の肌にぱっちりとした目、髪を左右でお団子状にまとめており、どこか幼い雰囲気を纏っている。
セリが言うには、そんな見た目とは裏腹にリアンの次に一番クリーチャーを殺しているとのことだった。あまりのギャップにキクトと佐倉は驚いたが、フレンドリーさの中にある冷淡さを垣間見ればさもありなんとも思えた。
蘭の言葉に、サイノは目を伏せた。
「……こんな言い方したくねーけど、正直オレは嫌な予感がしてんだ。明確な根拠は何とも、だ。ただな、こいつらが見た夢も、新人類の行政がこいつらが俺らに会うのを許した理由も、不確定要素が多いだろ。儀式は本当にうまくいくのか? 正直俺らだけじゃ、不安なんだよ。知識にも能力にも限界がある気がしてならない。そもそも『龍晶』から『器の少年』にラヴィッジの魂を移すなんて、今生きているメンバーの誰もやったことがないんだぜ。千年前の話だろ? あまりにも昔のこと過ぎる。それを他の集落の奴らとか、こっそり生きてる一族の奴らとか、新人類の奴らと共有しなくていいのかよ。儀式が失敗に終わって世界が終わるなんて、洒落になんねーよ」
キクトは、サイノの言うことももっともだと思った。リアンも頷いた。
「もっともだ。未知に対して恐怖を抱くのは全人類共通だろう。協力という言葉の良さもわからなくない。それは理想だ。
だが、それでも新人類とは関わるべきじゃない。わかってほしい。
下手に関りを持って拗れたら、全部が間に合わなくなるかもしれないんだ。
……確かにオレは、今まで、全員に黙っていたことがある。だが、今はとにかくオレを信じてくれないか。儀式はうまくいく。……みんなが、オレを信じてそれぞれがそれぞれの役割を果たしてくれたら、な」
リアンはふっと、声のトーンを落とした。翳が差す。キクトはその空気感にどきりとする。
皆が黙った。滝の落ちる音がまた、一段と強くなる。
「……段取りはこうだ。まず、ラヴィッジの魂を『龍晶』からキクトに移すには、キクトが『龍晶』の中にある贄を喰らう必要がある。要はキクトが贄を丸呑みにすればいい。
と言っても、『龍晶』を破壊して中にある贄を取り出そうとしたら、その瞬間に封印してあるラヴィッジが目覚めてしまうだろうな。
だから、キクトが『龍晶』をそのまま丸呑みにしてから、身体の中で龍晶の外身を溶かす必要があるんだが、あの大きさじゃまず呑み込めないだろうし、どうにか上手く呑み込めても窒息するだろう。だからオレは、キクトの身体の中に『龍晶』が入る瞬間、龍晶をキクトの身体ごとオレの手で破壊する。できる限り細胞を壊し過ぎずに、致命傷にはならないように細心の注意を払って、キクトの身体ごと『龍晶』の外身を溶かすんだ。言うまでもなくキクトは死にかけるだろう。その後ろで、キムが同時にキクトの身体を再生させるんだ。そうすれば、キクトは生きたまま『龍晶』ごと贄をその身に取り込むことができる」
溶かす。破壊する。その恐ろしい作戦に全員がぎょっとするが、リアンは淡々と続ける。
「色々考えたが、それ以外の方法はない。ラヴィッジの災厄から、もうすぐ千年だ。いつラヴィッジが目覚めてもおかしくない。誰かがやらなければ、全員が死ぬ。オレはこの命を捨ててでも、この使命を成し遂げたいんだ。キクトは必ずオレが助ける。姉さんが遺してくれた最後の命なんだ。オレにはキクトを守り抜く義務がある。みんなとのこの生活もだ。オレはすべてを守りたい。そのためにも、ラヴィッジを復活させてはならない。あれだけは、ダメなんだ」
全員が黙った。沈黙を破ったのは、キムだった。
「……私はやるよ。やらない理由がない」
その目はある種の覚悟と果てしない優しさで満ちていた。キクトや佐倉は彼女のリアンに対する特別な感情には気づいていたが、それは憧憬とも、恋とも、崇拝ともつかない不思議なものだった。
「……別に、俺も参加しないとは言ってねーよ。リアンがそう決めたなら、従うまでだ。ただ、キクトの気持ちはどうなんだ」
サイノはこちらを見ながら尋ねた。優しい人だと思った。
「僕は……」
キクトは言いかけて黙った。ここまでの話を聞きながら、思考はしても心はどこか遠くに行っているような感覚に陥っていた。当事者でありながらも、まるで自分のいる世界とは別の世界の話のように聞こえていた。
「一択でしょ? 世界を救う、ヒーローに!」
蘭は目を細めて笑った。
「世界は待ってくれないよ。キクト、私は覚悟を決めたから」
キムの鋭い視線が、キクトを射抜いた。
世界。
それは、どこのことを言っているんだろう。
どうして、世界はこうなんだろう。
誰が、世界をこのようにしたんだろう。
どうして僕は、ここにいるんだろう―――
街の中にいるときは、よかった。平和だった。温かな家族。勉強をして、様々なことを知り、美味しいものを食べ、できなかったことができるようになったり、楽しいことを考えたり。
図書館で読む本の中には、それは美しく広い世界が広がっているものだ。疲れたら顔を上げると、いつだって佐倉の真っ白な肌や艶のある髪が目に入る。綺麗だなと思いながら再び手元に目をやる。美しく広大な世界に没頭したのち、尋常な周囲を見渡すときのあの、そぐわない感覚……。
千五百年近く前の明治期の文豪が記したというその表現を、三十二世紀となった今でも容易に自分に落とし込める。人は変わらない、変わってゆくのは技術と世界の有り様だけ。
平和、安全、平等、統制、管理、平穏。完全な世界をつくってくれた先人たちには感謝しきれない。
母の笑顔。父の後ろ姿。
抱き締めたときの温もりは、自分を支える大切な感覚的記憶だ。
世界。
それが、世界じゃないか。
どうして、僕は、こんなところにいるんだろう―――
痛みも、恐怖も、苦しみも感じる必要のない、温かく平穏な世界に帰りたい。
帰りたい。
誰か。誰か、助けて。
遠くで誰かが名を呼んでいる。
父と母、だろうか。
「キクト」
違う。父でも母でもない、誰の声だろう。
微睡みは独特な浮遊感があって好きだ。毛布に包まれるときのあの安心感が好きだ。美味しい食事を噛み締める時の味の広がり。呑み込んだ時の、喉元を通るあの感覚。あれも好きだ。五感をフルに使えば、いつだって人は幸せを感じることができる。特別な幸せなど日常を不幸にさせるだけだからない方がいい。
胸いっぱいに空気を吸い込めば、肺が広がって落ち着くんだ。耳を澄ましてみれば、いろいろな音が聞こえる。雑多なものが多いが、よく聴けば遠くの地にいる人の息遣いだって聞こえる。そこに誰かがいて、世界を通して繋がっているんだという安心感。
「キクト」
名を呼ばれ、声の主を見ようとゆっくりとそちらに目を向けた。
にゅるにゅると自分を纏う空気が溶け出した。滝の音がする。葉擦れの音も心地よく耳に飛び込んでくる。
「キクト、大丈夫?」
佐倉がのぞき込むようにしてこちらを窺っていた。他の面々も、キクトの言葉を待っているようだ。
「うん、大丈夫」
努めて平静に答えたものの、佐倉の心配そうな表情は変わらなかった。
「どうしてそんな顔をするんだよ」
「だって、……心配よ」
「大丈夫だよ。Dedがきっと、何とかしてくれる。恒星会が、何とかしてくれる。すべてが終わったら、早く街の中へ帰ろう」
そう言うと、佐倉は驚きと悲しみの混ざった顔をした。どうしてそんな顔をするのだろうと純粋に疑問に思った。
見ると、竜人類の面々も複雑な表情でキクトを見つめていた。ただ、リアンだけが変わらずに無表情だ。
「キクト、とりあえず今夜は早く寝ろ。見張りは俺たち全員でするから」
「身体洗いたいよね? 崖の上でお風呂でもやろうか。薪、運んどくよっ」
サイノとセリは慮るような口調で言う。同情心か、あるいは純粋な優しさか。もはやどっちでもよかった。
明日、自分はラヴィッジをこの身に宿すのだと言う。そうしたら、まるで自分が忌み嫌われるラヴィッジという存在になりはしないだろうか。
世界を滅ぼす神、それが眠っているというあの気色の悪い『龍晶』を自分の中に取り込む。その時に、身体ごと一度破壊されると言う。リアンがクリーチャーを殺したときのように、あの手で溶かし、燃やし、身体を変形させるんだろうか。キムがそれをカバーするような形で再生させると言うが、つまりキムが死にかけるということなのだろうか。
……訳が分からない。それならいっそ黙っていてほしかったと逆恨みするような気持ちさえ抱いたが、自分たちが知りたいと望んで来たのだ。何かを物申す気すら起きない。周りを見ても、事態はそれどころではなさそうだ。
セリが食堂で言っていた通り、全てを鵜呑みにしていいとは思ってはいない。しかし、全てを一度信じない限り話は先に進まないに違いないと心のどこかでわかっていた。だが、あまりにもこの現実はしんどかった。
(……笛を、吹いてしまおうか)
そんな考えがひょいと頭に浮かんだ。そうして、新人類であるDedが何とかしてくれないだろうか。そもそもラヴィッジの復活なんて、何かの間違いであってくれないだろうか。
キクトは大きく息を吸って、この現実に蔓延る重苦しい空気を噛み締めた。街を出ようと決めた時は、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。逃げてしまいたい。そんな衝動がもう喉元までこみあげている。
でも、もう逃げられそうもない。キクトは周囲が投げかけてくれる優しい言葉に曖昧に頷き、一人で散歩したいと告げた。誰もそれを止めはしなかった。佐倉だけはついてこようとしたが、一人がいいんだと断った。
キクトは何かに追われるように早足で集落の入口へ向かった。暗く、深い森へ続く穴が、大きな口を開けている。森はざわめいて、たくさんの音が重なっているが、Dedの気配など微塵もしない。街の外で監視、パトロールしているというDedだが、本当に近くにいるのだろうか。笛を吹いたら来てくれる、そんな位置に。
キクトはポケットの中に手を入れ、ひんやりとした感触のする笛を握り締めた。
これを使えば、近くにいる大人が助けてくれる。つまり、今はDedだ。新人類の中でも戦闘に特化した部隊であるDedが駆けつけてくれる。Dedは新人類の中でも特殊だ。そもそも街の中にはいないため、誰も見たことがない。Dedはどうやってクリーチャーと戦っているのだろうか。見当もつかなかった。
Dedがもしも先生や親と同じようなタイプの新人類であれば、話をすれば協力が得られそうな気がした。しかし、リアンは新人類との対話は避けるべきだと考えているようだった。理由は間に合わなくなる、というものだったと思うが、そもそも今回自分たちが竜人類と出会えたのは偶然であり、奇跡に近い。サイノやセリの言うように、やはりいくらか急すぎるように感じた。
(それに笛を吹いたからと言って、僕らがすぐに街へ帰るわけじゃない。Dedに事情を話して、儀式が終わるまで待ってもらえるかもしれないし、なんなら協力も……)
そこまで考えて落胆した。結局儀式とやらが済むまで自分たちを待ってもらうという選択肢を選ぶことになるなら、やはり余計な関りは不要だと思われた。また、協力も何も、儀式は自分が『龍晶』を取り込むだけだ。儀式そのもので新人類がどうこうするわけではない。
(流されて、ばかりだ)
キクトはぼんやりとそう思った。そこに良し悪しはない。ただ、この世界に翻弄され続けることだけが事実として自分の心を雁字搦めにしていた。
しかし同時に、自分を助けてくれたリアン……どこか、深い宿命を背負っているような儚さを持つリアンの助けになれたらと、心のどこかで思っていた。なぜかはわからない。これは理屈ではないような気がする。あの人には、不思議な吸引力がある。強く、そして美しく、また崇高でありながら、どこか暗い翳を纏っているあの人に、心のどこかで追いつきたいと願う自分がいた。
「問題は、その先にあるーーー」
リアンの背中を追いかけてみたい。まだ会って間もないのに、羽切山に登ったあの日に心から思ったのだ。
世界のことも、自分のなすべきこととか、複雑な話はよくわからない。ただ、信じてみたい。
巡り巡ってキクトの思考はある一点に帰着する。
信じたい。
血のつながったリアンを、信じてみたい。




