25 対決
「母さん、カサイです。篠塚家のお二人を我が家へご招待したので、会っていただきたいのですが」
カサイが、まずは中へそう声を掛ける。
すると少しして「どうぞ」と声が返ってきた。
カサイはカエデたちを一瞥すると、障子を開けて中へ入る。
そこそこ広い和室の中に、カサイとよく似た風貌の女性が座っていた。
「……あら、カサイ。仕事が早いですね」
彼女はちらりとカサイの方を見た後、すぐに目を逸らした。そして座卓の上に置いてあった湯呑みを両手で持ち上げ、品のある仕草で口をつける。
まるでお前には興味が無いと示しているような態度だ。カエデはカサイの方を見るが、彼は慣れているのか涼しい顔のままだった。
「二人には術を掛けてあります」
「……そう。それならば、次へ進みましょう」
「次というと、ナデシコと篠塚アズマの結婚ですか?」
「ええ」
「ですが篠塚アズマはすでに、従者と籍を入れていますよ」
カサイがそう告げると、キキョウはため息を吐いて「術を掛けているなら、離婚手続きをさせれば良いでしょう」と言った。
一応、そういう段取りは踏むようだ。
カエデは睨むことを忘れずに、鋭い眼差しを二人へ向けていると、
「それで、その子はどうするつもりです? ナデシコの傍に置いておくのは危険そうで嫌だわ」
危険人物扱いされてしまった。
まぁ、カエデがナデシコを止めるためにしたことを報告されていれば、こういう反応になるのは当然だろう。
(それはそうと、アズマさんは良いんですね)
しっかり嫌味を言ってナデシコから嫌われていたアズマだったが、篠塚家の当主ということで判定は緩いらしい。
ついでに先ほどのナデシコの言葉を思い出すと、顔立ちは彼女の好みに合致しているようだ。
嫌な部分に目を瞑れば結婚出来る、くらいには思われているらしい。
「ご安心を。彼女は私が娶りますので」
そう考えていたら、カサイまで何やらとんでもないことを言い出した。
腕の中でアズマが思わず反応しかけていたし、カエデもぎょっと目を見開いた。
「あなたが?」
「ええ。以前から気になっていましたし。護衛としても助かりますから」
「ああ……あなた、前からそんなことを言っていましたね。……そうね。好きにしたらいいのではないかしら」
「ありがとうございます」
カサイは胸に手を当ててにこりと微笑んだ。
キキョウの反応は、カエデには意外に思えた。危険そうで嫌だと言うくらい、カエデへの印象が悪いのだから、てっきり反対するものだと思っていたのだが。
(それだけカサイさんをどうでも良いと思っている……? いや、それにしては……)
興味がない素振りを見せるわりに、キキョウはカサイの言葉は覚えている。
どうでも良い相手のことなんて、真っ先に記憶から消えていくものだ。
それなのにキキョウはそうではなかった。
もちろんキキョウがそう振舞っているのは、今は亡きミノリがそうであったからだ。ミノリがナデシコを溺愛したから同じようにしたし、カサイから距離を取ったから自分もそうした。
そこにキキョウ自身の意思があるかないかは、カエデに推し量ることはできないが、彼女がミノリとして振る舞っているのであれば、今の言葉は不自然である。
これではまるで、カサイの意思を尊重したとも取れるではないか。
(――あっ)
その時、カエデの頭に一つの仮説が浮かび上がった。
(ミノリさんはともかく、キキョウさんはもしかして、カサイさんにもナデシコさんにも幸せになってもらいたいと思っている……?)
経緯や行動を考えれば、それで幸せになれるかは甚だ疑問だ。
しかしそう願っているのであれば、理由としては繋がるのではないだろうか。
「それと、母さん」
「まだ何かあるの?」
「ええ。山で、奇妙な物を拾いまして。見てもらえたらと……」
「奇妙な物?」
キキョウは首を傾げる。
カサイは頷き、彼女にゆっくりと近づいた。そして着物の袖に手を入れて、何かを探る。
「これなんですよ」
そしてキキョウの目の前まで来た時。
カサイはそれを取り出し、キキョウへ見せた。
――その瞬間、カッ、と強い光が手のひらの上から放たれた。
「っ⁉」
あまりの眩さにキキョウは思わず目を瞑った。
同時に、
「おねぇさん、勘が鈍ったのちゃいますか?」
ツバキの声が聞こえたかと思うと、パッと姿を現した彼女はキキョウの首を掴み畳の上に押し倒していた。
カエデたちが何度か見た人の姿だ。猿のお面を相変わらずつけている。
「それとも妖力の使い過ぎでっしゃろか」
「ッ、ツバ、キ……⁉」
ぐっ、とキキョウの顔が驚愕に歪む。
「どうして……どこに……いたの⁉」
「私の袖の中ですよ。鼠の姿になっていてもらったのです」
キキョウの疑問に答えたのはカサイだった。
彼は涼しい顔で、右の手のひらを見せつけるようにひらひら振る。
「もっとも、気付かせなかったのはアズマさんのおかげですが」
「な……っ」
キキョウは目を見開いてカエデの方へ顔を向けた。
するとアズマがぱちりと目を開けて、にっこりと笑って見せる。
「術に関しては得意なもので。いやぁ、さすが僕ですよ。すごかったでしょう?」
そして自信満々にそう言ってのけた。こういうところがアズマである。
その言い方が癇に障ったのか、キキョウがキッと睨みつけてきた。
「……ナデシコから聞いていた通りですね」
「それはどうも」
「アズマさん、挑発しないでください。下ろしますよ」
「ええ、どうぞ」
アズマに了承をもらったので、カエデは彼をそっと床に下ろす。
自分の足で立ったアズマはキキョウに近付き、サングラス越しに三白眼の焦点を彼女の目に合わせる。
「さて、それではそろそろ正体を見せてくれませんかね。ツバキさんのお姉さ
ん?」
「…………」
キキョウはぎり、と歯を食いしばり、アズマへ鋭い眼差しを向ける。
「ああ、そう。――そう、もしかしたらと思っていたけれど、バレていたのね。ツバキが伝えたのかしら」
「ちゃうで。カサイはんが自分で気付いたんどす。遠ざけとったのに残念どしたなぁ」
「……そう」
キキョウはほんの一瞬、目を伏せた。まるで痛みを堪えているかのようなそぶりだ。
「そう」
そして、もう一度同じ言葉を零す。
その直後、キキョウの形の良い唇が、歪に弧を描いた。
「それじゃあ、忘れてもらうしかないわね」
「!」
キキョウが手で畳を叩いたかと思えば、そこから雷が迸り、周囲へ音を立てて広がった。
反射的にカエデはアズマを庇い前へ出る。
(雷、見た目と違って細かい……!)
放たれた雷は、太く見える数本の陰に隠れて、糸のように細いものが幾つも存在していた。
太い方はまともに受ければ深手になるだろうが、同じくらい細い方が厄介だ。小さな痛みと痺れが積み重なって、じわじわと体の動きが削がれていく。
特に、キキョウの首を今なお掴んだまま動きを封じているツバキが、一番その影響を受けていた。猿の面の下の表情は見えないが、彼女の小さなうめき声をカエデの犬耳が捉える。
そしてその声は、近くにいるカサイにも聞こえたようだ。
「ツバキさんっ」
「だいじおへん。我慢比べは昔からようしとった。なぁ、おねえさん?」
恐らく笑いかけたのだろう。ツバキが明るい声で投げかければ、キキョウは眉を寄せる。
(術を止めるには……)
カエデはそう考えながら、周囲をぐるりと見回した。
彼女の部屋はよくある和室だ。床の間、座卓、障子に襖――この屋敷が建てられてからずっと大事にしてきのだろうということは、綺麗に整えられた室内を見れば分かる。
(ん?)
そこでカエデは、室内の被害がやけに少ないことに気が付いた。
キキョウの放つ雷は強力だ。実際に術が発生しているキキョウ周りは、畳も酷い状態だった。
しかし、周りを見れば被害は意外と限定的だ。
床の間なんて、ほぼ無事な状態である。
(避けている――?)
そこに何があるのか、カエデがじっと目を凝らす。
目立つものは掛け軸くらいだ。花や鳥、人の絵が描かれた――それが目に入った時、カエデはハッとした。
(ああ、やっぱり)
カエデは床を蹴って宙を飛び、掛け軸の前に着地する。そして掛け軸をそっと取り外し、キキョウの方へ振り返る。
「……っ!」
キキョウの目が大きく見開かれた。
「それに触らないでっ!」
「では雷を止めてください。このままでは当たりますね」
カエデは掛け軸を前に突き出しながらキキョウへと近付く。
キキョウがぐっと歯を食いしばる。
雷はまだ止まらない。しかし、明確にカエデを――掛け軸を避けるようになった。
「……っ、ナデシコから聞いていた通りね。本当に、危ない犬だわ。それに意地が悪い」
「従者は主に似ると言いますから。私もそれだけ長く一緒にいるんですよ、あなたと同じように」
「ちょっと、遠まわしに僕の意地が悪いと言うのやめてくれます?」
アズマから抗議の声が上がったが、カエデもキキョウも素知らぬ顔だ。
カエデは、また一歩彼女に近付く。
するとキキョウは、いよいよ雷の細かな制御が難しい位置まで近付いたからか、忌々し気な顔で術を止めた。
「……場所が悪かったわ」
「そうでしょうね。カサイさんとツバキさんの作戦勝ちですよ」
もっとも、想定していたものとは違っただろうけれど。
そう思いながらカエデは掛け軸を見下ろす。
「この絵、画家の名前はありませんが……もしかして八森ミノリさんが描いたものなのではありませんか?」




