24 八森家の屋敷
「あら、お兄様。その人たち、どうしたの?」
八森の屋敷へ戻ったカサイは、玄関をくぐったところで妹のナデシコから声を掛けられた。
彼女の目はカサイの後ろに向けられている。
そこは目を閉じてぐったりとしたアズマと、彼を両腕で抱き上げた無表情のカエデが立っていた。
「母さんからの頼まれたのですよ。篠塚のお二人をご招待するようにと」
「お母様から? ふーん……。何のご用かしらね」
「さて。お前の結婚の話ではありませんか?」
「えっ、もしかしてアズマさんとの? 嫌よ、その人。意地が悪いんだもの」
ナデシコは露骨に顔をしかめて口を尖らせる。
分かりやすいくらいの嫌がりようにカサイは苦笑しつつ、
「術を掛けているので、大人しいものですよ」
と答えた。するとナデシコはぱちぱちと目を瞬く。
「……どっちに掛けたの?」
「どっちも」
「どっちも⁉ お兄様、さすがね! そう……術……なら私の言うことを聞いてもらえるのかしら。顔は好みだもの。従順でいてくれるなら、結婚してあげても……」
ナデシコが口の端を上げながら、カエデたちの方へ近付く。
とたんにカエデの耳と尻尾が逆立ち、フーッ、と彼女を威嚇した。
近付くなと言わんばかりに放たれた殺気に、ナデシコがびくりと体を震わせて、一歩後ずさる。
「嚙みそうだわ!」
「噛みますよ。ですので、刺激しないように」
「ええ~? 術を掛けたなら、それで大人しくさせてくださらない?」
「嫌ですよ。これ以上、嫌われたくありませんから」
「ああ……お兄様、このわんちゃんにご執心だものね」
思い通りにいかず、ナデシコは少々面白くなさそうだったが、納得して離れる。
それを見てカサイはにこりと微笑むと「母さんは?」と訊いた。
「お部屋よ。……私、先に伝えて来る?」
「いえ、大丈夫。ありがとう、ナデシコ」
気遣う風のナデシコに、カサイは目を細めて首を振る。
我儘で自己中心的なところのある妹だが、家族に対しては優しい一面もあるのだ。
(――だからこそ)
これ以上、ナデシコの人生をおかしくさせるわけにはいかない。
カサイは心の中で呟くと、カエデたちの方を振り返り「ついて来てください」と言って家へと上がる。
カエデは射殺さんばかりの鋭い眼差しを向けたまま、それでも反抗することなくカサイの後ろをついて来る。
(意外と演技が上手い)
カエデのことを好ましいと思っているだけに、演技だとしてもここまで嫌われた態度を取られるのは、精神的にくるものだ。
そんなことを思いながら、カサイは母の部屋を目指して廊下を進んだ。
* * *
(シンプルに不快……)
八森家の屋敷を歩きながらカエデはそんなことを思っていた。
理由は首に掛けられた術だ。
屋敷の中へ入るにあたって「遊びに来ました!」では状況的に疑われる。
それならば、今回の件の報告書作りという理由で良いのではないかと言ったのだが、それだとキキョウと会う理由がない。体が弱いという設定の彼女と、無理に合うのも体裁が悪い。
だからこそ、手っ取り早く「篠塚家の二人を捕まえました」とした方が良いとの話になったのだ。
その証明としてカサイに術を掛けられている。
ただ、これはあくまで見せかけだ。術を発動させても光るだけのもの。
ちなみに裏切られたら困るため、先にカエデに掛けさせてアズマに確認してもらってある。そして同じ術がアズマにも掛けられている。
(一応、万が一には備えてあるけれど)
土壇場で裏切られる可能性がゼロとは言えないので、対処が出来るようにアズマが準備している。もちろんカサイたちには話していないけれども。
そんな事情でカエデとアズマには術が掛けられている。
けれど、いくら見せかけの術とは言え、アズマが他者から術を掛けられたという状況は、護衛役のカエデからすれば落ち着かない。
万が一アズマに何かあったら――それを考えたただけ、体中の血が沸騰しそうだ。
先ほどだって、ナデシコへ威嚇したのは演技半分本気半分だった。
(従順なら結婚してあげるだなんて、アズマさんを何だと思っているんですか)
ナデシコに近付かれたことよりも、彼女の言葉の方にカエデは怒りを覚えていた。
(アズマさんはのびのびとやっているのが一番輝いているんです。それにアズマさんは私の――)
そこまで考えて、ふと、カエデの思考が止まった。
(私の……?)
どうして、そう思ったのだろうか。
カエデは表情に出さないまま、頭の上に疑問符を浮かべながらアズマを見下ろした。
彼は今、気を失ったフリをしている。第三者の声が聞こえるたびに、まつ毛がぴくっと動いており、目を閉じているだけなのもなかなか大変そうなのが伝わってくる。
(……私のアズマさん、なのは、まぁ、結婚したのでそれはそう)
だから別に『私の』と言っても問題はない――はず。
はずなのだが、改めて言葉にすると何だか胸の辺りが変な感じがした。
以前はこんなことはなかった。
しかし、思い出してみれば最近、たまにこういう風になる。
いつからだったかと記憶を辿ってみれば、この妙な感覚が芽生え始めたのは、アズマから「結婚しませんか」と言われてからだった。
いつも通りで構わない、そういう話だった。
自分もその通りにいようと思っていたし、何ならアズマに良い相手が現れたら喜んで離婚しようとまで思っていたのだ。
しかし、あれから少しずつアズマの様子が変わった。綺麗だとか、髪飾りをつけているところが見たいとか、まるで恋人にするような言動が増えていた。
カエデも最初は少し戸惑ったが、アズマの言葉や行動に嫌な気持ちは一度も抱いたことはない。むしろ自分まで照れてしまう時もあった。
「――――」
あれ、とカエデは思って、目を見開いた。
(私……アズマさんのことが好きなのでは……?)
アズマのことはもともと好きだ。主として、個人として、好ましい人間だと思っている。
けれども今気付いた『好き』はそれとは違う。例えば、その――恋というものに属する何かではないだろうか。
これまでにも「もしかしたら」と思ったことはあるが、今はっきりと自覚した。
そのとたんにカエデの顔がみるみる赤くなり、心臓も早鐘を打ち出す。
狼狽えて、あわ、と出かけた声を大慌てで飲み込んだ。
(こ、こんな場所で気が付きますか、私……⁉)
タイミングとしては最悪である。これからキキョウの元へ向かい、彼女を止めるという仕事の途中に気付くものではない。顔に出てしまっている。
とにかく、全部状況的に良くない。
カエデは周りに悟られないように、小さく深呼吸を繰り返し、体の中の熱を外へ出す。
「ああ、着きましたね」
そんなことをしている内に、カエデたちは目的の場所へ到着した。
八森家当主の妻ミノリ――そのフリをしている半妖キキョウの部屋である。




