77 悪役ヒロイン、ママになる
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目を開いて飛び込んできたのは、大粒の涙をこぼすハルジュ様のお顔だった。
(ええーー!! な、泣いてる……!?)
初めて見る大号泣のハルジュ様の貴重な姿を目に焼きつけようと、思わず凝視してしまう。
こんなときでも美しい……場違いな感動を覚えていると、ハルジュ様に力の限り抱きしめられた。
「リナリエ!!」
嗚咽を漏らして泣いているハルジュ様の姿を見て、のんきに考えていたことをすぐに後悔した。
「ごめんなさい……また無茶をしてしまいました……」
私はおそるおそる手を回し、震えるハルジュ様の背中をそっとなでた。
「そうだよ……! 目を開けたら、君がどこかに行ってしまって……悪夢だったと思ったら、本当に君は息をしていなくて――っ!!」
ハルジュ様の悲痛な声が、私の胸に深く突き刺さる。
(そんなことになっていたなんて……)
ここに戻ってこられたのは本当に奇跡だったんだと、私はやっと理解した。
「ごめんなさい……」
再び戻ってこられた喜びと、あのまま死んでしまっていたら……という恐怖が、ようやく実感になって追いついてきた。
視界が歪み、涙が頬を伝う。
私は何度も謝り、ハルジュ様は何度も「よかった」と繰り返す。
私たちはしばらく抱き合って泣いた。
「意識を失っていたとき、不思議な森の中にいたんです」
二人とも落ち着いてから、私は森の中の出来事をハルジュ様に話し始めた。
「そこにいたのは聖霊王様で……実は聖霊王様は、百年前から魔のせいで死にかけていたそうで……」
「……ちょっと待って。百年前から? それって……」
「……はい。どうやら、黒の森になったのも、辺境で植物が育たなくなったのも、聖霊王様が行方不明だったのも……」
「全部、聖霊王が魔に侵されていたのが原因ということか……。にわかには信じがたいが、それも神託のひとつだとすれば……それはきっと夢ではないだろう」
ハルジュ様は腕を組んで深く息を吐いた。
「それで? どうして聖霊王ともあろうお方が魔に侵されるようなことに……?」
「あっ!! 謎玉ちゃん!! 卵はどうなりました!?」
ハルジュ様の言葉で謎玉ちゃんのことを思い出し、卵を置いていた場所を見た。
そこにはガラスのような透明な殻が散らばっていて、中身は空っぽ……。
「みゃあん」
間近くから子猫のような可愛い鳴き声が聞こえた。
驚いて自分の足元を見ると、小さな青竜の子が丸くなってこちらを見つめていた。
(これが聖霊王様……!?)
「か……可愛い!!」
抱きかかえてなでてみると、ゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。本当に子猫みたいだ。
「ハルジュ様、この子が聖霊王様です」
「……は?」
私が聖霊王様をハルジュ様の前に差し出すと、聖霊王様……竜の子は「みゃ」と可愛く返事をした。
「冗談だよね……? いやでも、竜は聖霊王の象徴でもあるし……でもまさか……」
ハルジュ様は目を白黒させて呟いている。
「それが……」
私はハルジュ様に聖霊王様から聞いたことを説明した。
聖霊王様が新しい体に再生するため、卵になっていたこと。
そこを魔に見つかってしまったこと。
死にそうだったところを、私の聖術で無事に再生できたこと。
そして……
「聖霊王様……魔の味がお好きらしくて……甘い果物の味がするらしいんです。それで……百年間、ずっとお腹を壊してたって……」
私はハルジュ様から視線をそらし、聖霊王様のたてがみを自分の指に巻きつける。自分のことじゃないのに、非常に話しづらい。
(ほら、ハルジュ様がぽかんとしてる……)
「……それ、聖霊王の自業自得って言わないか? 結局丸ごと絵本と同じじゃないか……。そもそも卵になってたなんて、誰もわかるわけないだろう…………なぁ」
ハルジュ様は竜の子の鼻をつつきながら大きなため息をついた。竜の子はふがふがと鼻息を荒くして、ハルジュ様の指を一生懸命舐めている。
(待って、可愛すぎない……!?)
二人の仕草に悶えそうになり、思わず聖霊王様を抱く手に力が入る。力の加減を間違えたのか「ぎゅ」と潰れたような声が聞こえたので、慌てて優しく抱き直した。
「そ、それで聖霊王様、三千年前と同じ失敗をしたって言ってました。きっとそのときも、始まりの聖女が聖霊王様と大地を再生させて……」
「その歴史がそのまま絵本として語られ続けてきたわけか……」
歴史の記録では「辺境で異変が起きた」という内容だけが残され、「異変の原因」までは記録がなかった。
でも実際は、絵本としてちゃんと辺境で語り継がれていたのだ。
聖霊王様が生まれ変わった今、辺境は「あるべき姿」に戻る――。
私は最後にとっておきの報告をするため背筋を伸ばした。
真剣に伝えたいのに……胸の奥がむずむずして、自然と頬がゆるんでしまう。
そんな私を見て、ハルジュ様は不思議そうに首を傾げる。
私は顔を引きしめ、こほん、と小さく咳ばらいをした。
「聖霊王様に頼まれたんです。辺境の大地を再生するのに、私の力を貸してほしいって」
ハルジュ様が目を丸くする。
結局、まじめな顔ができたのはここまでで……
「黒の森はもうすぐ聖霊の森に戻ります! もう『辺境の呪い』は解けたんです!」
私が満面の笑顔で伝えると、ハルジュ様の眉は下がり、新緑の瞳に涙が浮かぶ。
「君は……本当に……」
そう言って、私の肩に顔をうずめてしまった。
私は飛び跳ねそうになるのをぐっとこらえ、ハルジュ様が落ち着くまでそのままでいた。
首や頬に当たるハルジュ様の柔らかい髪が、くすぐったくも心地良い。伝わってくるぬくもりに、あらためて生きている喜びを噛みしめた。
「リナリエには情けないところを見せてばかりだ」
しばらくすると、ハルジュ様が照れくさそうに顔を上げた。
その表情があまりにも可愛くて……心拍数が急上昇を始める。
(え……その顔、無理……! 尊すぎる……!!)
「ハルジュ様は情けなくなんかないです! 前世でも、今世で出会ってからもずっと、いつだってわたしのヒーローです!!」
口をついて出た言葉に、慌てて口を押えるもすでに遅し。ハルジュ様の顔を見ると、彼は口元を片手で覆い「そ、そうか。ヒーロー……」と呟いている。
(よかった……『前世』の方には気づかなかったみたい)
聞かれていなくてほっとしたのはいいけれど……私が言った「ヒーロー」という言葉に、ハルジュ様は顔を真っ赤にしている。
(ちょっと、いつまで照れてるの……!?)
ハルジュ様につられて、私の顔はもう沸騰寸前だった。
「わ、わたし……ママになるんです!!」
「…………は?」
思考が空回りしすぎた結果、いろいろと省略した言葉が口から飛び出した。
一瞬にしてハルジュ様の表情が抜け落ちる。
恥ずかしさをごまかすための言葉は、意図しない方向で抜群の効果を発揮してしまった。
「ちょっ! ちがっ……違いますよっ!! そうじゃなくて!! この子の母親になるように言われたんです! だから、これからはこの子を守っていかなきゃって……」
私はハルジュ様の勘違いに気づいて、大慌てで言い直した。
「あ……そういうこと……」
ハルジュ様は気の抜けたような顔で特大のため息をついた。
(そんなに驚かせちゃったかな……)
はらはらしながら見ていると、もう一度深く深呼吸したハルジュ様が顔を上げた。
先ほどとは打って変わって、真剣な表情で私をまっすぐに見つめてくる。
どこか緊張感のある瞳に、何か大事なことを言おうとしているのだと気がついた。
私はごくりとつばを飲み込む。
ハルジュ様が口を開いて、また閉じ、数秒の間を置いたあと、言葉を紡いだ。
「――その子の父親は私だ」




