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73/96

73 卵争奪戦

⟡.·*.いつもお読みいただきありがとうございます⟡.·*.

 乱れた呼吸を整えて、私もすぐに光のトンネルを抜けた。


 トンネルの向こうでは、激しい戦闘が行われて――

 いなかった。


 すでに黒犬は一匹も見当たらない。

 周囲を見回すと、黒いローブの影が十人ほどに増えていた。


 心臓が跳ね上がる。恐怖に身がすくみそうになったけれど、妙な違和感を覚えた。

 ローブを着た男たちが全員、無防備にも立ち尽くしている。


(違う。全員、動けないんだ……)


 よく見ると、男たちの腰から下は、土の山に埋まっていたり、氷漬けになっていたりと……ありえないことになっていた。


 苦痛にうめく男たちの声が、あちこちから聞こえてくる湖のほとりで……

 ただ一人、笑顔で「おかえり」と手を振る美しい青年。


「他の場所ならまだしも、聖霊が住むこの森で、私に挑もうとするのが間違いだったね」


(これが、ハルジュ様の聖術の本領……)


 ——聖霊を通じて自然を操ることができる力。


 相手は何が起こったのか理解する間もなく、手も足も出なかったに違いない。騎士たちは襲撃者を確保するため、それぞれ動き始めている。


 それを見て、私は安堵のあまり全身の力を失い、その場に座り込んでしまった。


「騎士団を連れてきてくれてありがとう。こいつらを運ぶには人手が必要だったんだ」


 ハルジュ様は座り込む私に手を差しのべる。

 歯を見せて笑うその顔は、どっきりに成功して喜ぶ少年のようで……。


 私は嬉しさと悔しさが入り混じった心地で、差しのべられた手をぎゅうっと力いっぱい掴んだ。


(意地悪な人……! こんなの……ますます好きになっちゃうじゃない!)


 痛がればいいのに、と力を込めた手は、ちっとも効果がなかった。


「わっ!」


 ぐいっと引っ張り上げられ、反動で思いきりハルジュ様の胸に飛び込んでしまった。


「心配かけてごめんね」


 耳元で優しい声がする。

 私は込み上げる涙を必死にこらえて、わざと怒ったような声で返事をした。


「……もうハルジュ様の心配はしてあげません」

「ええ? それは嫌だな」


 くすくす笑うハルジュ様の胸が上下する。

 心地よいぬくもりが名残惜しいけれど……ここは私がいていい場所じゃない。


 私はするりと抜け出してハルジュ様に背を向ける。


「無事でよか――っ!?」

「リナリエっ!!」


 突然、私の足元に矢がかすめた。

 ハルジュ様がとっさに引き寄せてくれていなければ……確実に矢は当たっていた。


 ハルジュ様は私を胸に抱き、矢が飛んできた方向に矢よりも早い風の刃を飛ばした。


 悲鳴とともに聞こえたのは、どさりと木の上から人が落ちる音……きっと矢を放った襲撃者だ。


 私は再びハルジュ様の胸の中に戻ってきてしまった。

 けれど、今度は恐怖に震えが止まらなかった。


「聖霊は!?」


 ハルジュ様の声に応えたのはひとりだけだった。


「ハルぅ……ごめんね。すっごく大きい黒いの持ってる人間がきて、みんなこわいの。ぼくたちかくれてるから……」


 聖霊たちがここまで怯えてしまっていると、ハルジュ様の聖術で同時に捕らえるのは難しい。


 勇気のある聖霊たちが襲撃者のいる場所を教え、ハルジュ様は迅速に指示を出す。そしてハルジュ様と騎士たちが、森に潜んでいる新たな襲撃者を捕らえに走り出した。


 それとほとんど同時だった。


 どこかから甲高い笛の音が聞こえると、森の中から黒いローブの襲撃者とともに、何人もの男女が現れた。


 それは、見覚えのある――街の人たちだった。


(なんで街の人がこんなところに……!!)


 私は息をのんで彼らを見つめる。でも……どこか様子がおかしいことに気づいた。

 みんなぼんやりとしていて、こちらを見ていないのだ。

 

 それなのに襲撃者を隠すように前に出てくるので、騎士たちは思ったように剣を振るうことができないでいた。


「リナリエはここに隠れているんだ」


 私を木の陰まで連れてきたハルジュ様は、そう言って騎士たちの元へと走っていった。


 私は木の陰に隠れ、震える膝を必死に抱え込んでいた。指先が冷たくなり、祈るように組んだ手の感覚さえ消えていく。


(誰かが怪我をしたら、わたしがなんとかしなきゃ……)


 逃げ出したくなる本能を懸命に抑えこみ、私は目をそらさずに戦いを見つめ続けた。


 その時だった。


『――ママ、助けて……』


「……謎玉ちゃん?」


 あの子どもの声――謎玉ちゃんの声が私を呼んだ。

 嫌な汗が背中を流れ、呼吸も浅く乱れていく。


(あの子は安全な場所に隠したはず……)


 どうか間違いでありますようにと願いながら、バスケットを隠した方向に目を向けた。


 すると、木のうろへと続く小道から、黒いローブの影が現れた。

 距離があるはずなのに、はっきり見えたその手には――謎玉ちゃんが抱えられていた。


 それを見た瞬間、かっと全身の血が煮えたぎる。


「――だめ!! 謎玉ちゃんを返せ!!」


 さっきまで感じていた恐怖は消え去り、私は木陰から飛び出した。

 何かを考える間もなく男を追いかける。


(あの子は渡さない!!)


 いつの間にか夕日は沈み、あたりは暗闇に包まれていく。聖霊がほとんど隠れてしまっているため、わずかな光を頼りに男の背中を追った。


「リナリエ!!」


 逃げた男を追いかけて森の中に入ると、後ろからハルジュ様の声が聞こえた。


「あの男が……!! 卵が!!」

「――っ!! 待て!!」


 説明にもなっていない私の言葉で、ハルジュ様は男の目的に気がついてくれた。


 二人で男の後ろ姿を追った。


 複雑な木立の影が男の姿を隠すたび、謎玉ちゃんの声が私たちを呼んだ。

 何度も見失いかけては姿を捉え、なかなか男との距離を縮められない。


 走り続けていると、急に開けた場所に出た。


 そこは、たった今までいた湖のほとりだった。

 離れた岸辺では、騎士団が襲撃者と今も交戦を繰り広げている。


 聖霊たちが、男が逃げられないようにしてくれたのだとすぐに気づいた。

 謎玉ちゃんをさらった男は逃げることをやめたのか、湖の縁に立っていた。


 立ち尽くすだけの男を不審に思いながらも、男との距離を急いで縮める。

 すると男は……恐ろしいものをローブの中から取り出した。


 それは今まで見てきた石とはあきらかに違う。

 林檎ほどの大きさもある、巨大な黒い石だった。


 男はそれを、謎玉ちゃんに近づけた。


「やめてーーーー!!」


 もつれて転びそうになる足を必死に前に出しながら、喉の奥が裂けるほどの悲鳴を上げた。


 私の目の前で、謎玉ちゃんはみるみると漆黒に染まっていく。

 あんなに魔を取り込んでしまったら……どうなるかわからない。


「私が行く!!」


 ハルジュ様が剣を手に猛然と駆け抜け、男に斬りかかった。


 それは一瞬のことだったのに、まるで時間の流れを忘れてしまったかのように、すべてがゆっくりと映った。


 男はハルジュ様の剣が届く直前、魔石と謎玉ちゃんを湖に投げ捨てた。


 一瞬ハルジュ様がそれに気を取られ、剣の振りがわずかに乱れる。


 ふわりと広がるローブが距離感を狂わせ、男のローブをハルジュ様の剣先がかすめた。


 謎玉ちゃんが黒い湖の中に消えていく――


(絶対に死なせない!!)



 私は無我夢中で湖の中に飛び込んだ。

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