71 謎玉ちゃんの正体
第八章ラストです
「魔物の……卵……?」
カナン殿下の言葉をすぐには理解できなかった。
魔物とは――魔から生まれる悪しき生き物のことだ。
動物が魔に刺されて変化する魔獣とは違い、純粋な魔の力を持つ厄災。そう神話には記されている。
「初めて見たときから嫌な予感がしていたんです。僕の勘はやはり当たっていた。おそらくですが……黒の森や辺境が呪われた原因は、魔物の卵ではないでしょうか」
とっさに私の口から出たのは、否定の言葉だった。
「でも、聖霊たちはあの卵を守ろうとしています。もし魔物の卵なら……教えてくれるはずです」
殿下は首を横に振り、憐れむような目で私を見つめた。
「いいえ……魔の力も聖の力も元は同じ創世神の力です。卵のときは魔物も弱い。魔物は聖霊に庇護を求め、聖霊は創世神の力を感じて無意識に守ろうとするのです」
カナン殿下の言葉に何も言い返せない。
隣にいるハルジュ様を見ると、彼も戸惑うように瞳を揺らしていた。
「僕は聖霊王や魔について、さまざまな文献を調べてきました。あの卵は数千年前、我が国が魔物の被害を受けたときの記録書にあるとおりだ」
強い口調で話すカナン殿下は、自分の考えに確信を持っているかのようだった。
そして、何かを決意したような表情で言葉を続けた。
「卵をこちらに渡してくだされば、我が国で対処します。魔物の卵の記録を持ち、対処方法を知っているのは我が国だけですから」
喉の奥が締めつけられ、うまく呼吸ができない。
(もし……本当に、謎玉ちゃんが辺境の異変を引き起こしているのなら……カナン殿下に渡せば、すべてが解決するの……?)
すぐに我に返り、一瞬でも揺れてしまった自分を殴りたくなった。代わりに、痛みを感じるほどに自分の手のひらに爪を立てる。
(違う。どんなことがあったとしても……あの子を守るんだ)
そのとき、ハルジュ様がわずかに前に出た。
目を向けると、ハルジュ様の横顔にも同じ決意が宿っているように見えた。
「教えていただきありがとうございます。しかし、まだ魔物と決まったわけではない。たとえ魔物だったとしても……必ず我々の力でなんとかします。私たちは初めから覚悟の上で、あの卵を見守っているのです」
「そう、ですか……いや、しかし……」
ハルジュ様の強い視線を受けて、今度はカナン殿下が何も言い返せずに口をつぐんだ。
「それよりも――あなたには聞きたいことがある」
殿下が口を開く前に、ハルジュ様は眼光を鋭くとがらせた。
「あなたはなぜ、これを彼女に贈った」
ハルジュ様がブレスレットを取り出してカナン殿下に見せると、殿下は「ああ、これですか?」と途端に表情を和らげた。
「街で流行っていると聞いて……これはお守りだと聞きました。街へ出たときに運よく見つけましてね。リナリエにぜひとも贈りたいと思い、店主に特別に譲ってもらったんですよ」
「喜んでもらえたでしょうか」とにこやかに笑う殿下に悪意は見えない。
(やっぱり、ただの偶然……?)
私は揺れていた。殿下の言葉を本当に信じてもいいのだろうか……。
そんな殿下に対して、ハルジュ様は冷たく言い放つ。
「これは魔石だ。魅了の魔術が込められている」
「え、魔石……?」
ハルジュ様の言葉に意表を突かれたようで、カナン殿下は一瞬固まった。しかしハルジュ様のただならぬ様子に、殿下の顔色は次第に青ざめていく。
「まさか……本当に……?」
私たちの様子から冗談ではないと悟ったのだろう。殿下は口元を手で覆ったあと、深く頭を下げた。
「すみませんでした……! 知らなかったとはいえ、なんて恐ろしいものを贈ってしまったんだ……」
「あ、頭をお上げください……! わたしは、大丈夫でしたから……」
私は謝罪を受け入れた。
殿下の真剣な顔が、聖霊の話をしていたときの表情と重なる。もう一度、殿下を信じたかった。
(あんなに聖霊を信じていたもの。きっと殿下に悪気はなかったはず……きっと……)
そう自分に言い聞かせた。
ハルジュ様が手に入れたときの状況を事細かに問いかけると、殿下は動揺しながらも素直に答えていた。
殿下は店から離れた場所にいて、実際に買ったのは従者だったようだ。店主はローブで顔を隠しており、別の国から来たと言っていたらしい。
「今の辺境は何が起きるかわからない。御身の安全のため、一刻も早く王都へお戻りになられた方がいい」
ハルジュ様がそう言うと、意外にもカナン殿下はすぐにうなずいた。
「実は明日、ここを発つ予定です。本当はリナリエともっと交流を深めたかったのですが……僕も国に帰る準備をしなくてはなりません。叶うなら君にまたお会いしたい、と伝えたかったのと……魔物の卵のことを思い出して、どうしてもお教えしたかったのです」
それを聞いて私は小さく息を吐いた。
殿下がここに来てから、少しずつ歯車が狂っていくような……そんな違和感が積もっていた。彼を信じたい気持ちは本当だけれど……内心ではほっとしてしまった。
カナン殿下はハルジュ様をまっすぐ見つめ、声を低くして再度忠告した。
「ハルジュ殿。魔物の卵については早急に対応を願います。それが孵れば世界が危機に陥るということを……決して忘れないでいただきたい」
そう言ってカナン殿下は馬車に戻っていった。
カナン殿下が帰ったあと、私たちはもう一度聖堂へ戻った。
「……謎玉ちゃんを森に返そうと思います」
私はカナン殿下の話を聞いてから、ずっと考えていた。
「聖霊たちが森にいる今、ここよりも森の方が安全ではないでしょうか。聖力を与える回数は減ってしまうけど……聖霊たちの側にいる方がこの子も安心する気がします」
ハルジュ様は、カナン殿下に向けていた表情とは正反対の……柔らかな目をしてうなずいた。
「私も同じことを考えていた。彼の言うことを鵜呑みにしたわけではないが……まだ嘘だとも言い切れない。ここに置いておくよりは聖霊に見守っていてもらった方がいいと思う」
私たちは明日の夕方、謎玉ちゃんを森へ返すことを決めた。
その日の夜、私は謎玉ちゃんを自分の部屋に連れてきた。聖力をたっぷりと与えて、そのまま一緒にベッドに潜り込む。
魔物だと言われても実感が湧かない。
あの消えそうだった子どもの声も、自分を守らせるための罠だったの?
腕の中で謎玉ちゃんが震えている。まるで怖がっているかのようだ。
(カナン殿下には申し訳ないけれど、やっぱりわたしは魔物だとは信じられない)
前世の私がカナン殿下のルートをプレイしたのは序盤まで……だから彼についてはほとんど知らない。
カレンディア様なら、殿下が何を考えているのか……ヒントになる情報を持っているかもしれない。
(……ゆっくり二人で話をしたいとお願いしてみよう)
私は不安げに震える謎玉ちゃんをしっかりと抱きしめて、ぬくもりを分け合いながら眠りについた。
<???>
男は店じまいをしながら、今日の客たちの顔を思い出してにんまりと笑った。
「馬鹿な奴らだ……あれが何なのかも知らずに」
この街の人間は呪われた土地に住んでいるくせに、平和ボケしているようなのんきな連中ばかりだ。
だからこそ「魔の力」に対する抵抗が弱い。少しでもその力を取り込めば、簡単に堕ちる奴ばかりだろう。
「それに昨日の客……」
男は何人もの従者を連れた、王族衣装を着た若者を思い出した。
遠くにいて顔は見えなかったが、きっとこの街に滞在中という王子だろう。
シスターへの贈り物が欲しいと従者が言っていたから、とっておきを持たせてやったが……。
最近の黒の森は、騎士団の警備が厳しくなって簡単には入れない。
だがあの卵が修道院にあるという情報は嬉しい誤算だった。
あの元聖女とかいうシスターと卵がいっぺんに堕ちれば……
「きっと我が主もお喜びになる……!」
何年も前から命に従い、少しずつ準備を進めてきた。
ようやくすべてが実を結ぶのだ。すべては我が主のため。
男の虚ろな目が、暗い光を帯びる。
あの甘い声、甘い微笑み……主に褒めていただく至高の時間が待ち遠しい。
「ああ、早く主に会いたい……」
この街でのたねまきはもう十分だろう。そろそろこの街を出て、仕上げに入ろう。
明るく彩られた街の陰――
ひっそりと隠れた路地裏には、男の落とした小さな黒い石が転がっていた。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます
物語も少しずつ核心に近づいてきています
引き続きお楽しみください.☆.。.:*・°




