68 口げんかと仲直り
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カナン殿下の退室後、カレンディア様はノクスさんを引きずるようにしてティーサロンを出ていった。
(ノクスさん、なんでちょっと嬉しそうなの……?)
二人を見送ったあとに残されたのは、非常に気まずい空気だった。
私は扉の方を向いたまま、後ろを振り向けない。
「リナリエ。こっちを向きなさい」
静かな森の中にいるような、深く落ち着いた声なのに……追い詰められている心地になるのはなぜだろう。
そろそろと後ろを向くと、例によって、美しく完璧な微笑みをたたえるハルジュ様が言った。
「――さあ、全部話してごらん?」
私は観念して、ノクスさんから提案された婚約の話について白状した。
ハルジュ様への想いの部分は伏せたまま……。
私の話を聞いてハルジュ様は目を伏せ、深く息を吐いた。
「リナリエの話はわかった……だが私は承諾できない。私は……君には心から好いた人と一緒になってもらいたい」
「――っ」
ハルジュ様の優しくて残酷な言葉に、胸の奥に引き裂かれるような痛みが走った。
「好きな人と恋をして、愛のある結婚をして……そんな当たり前の幸せを、君には手にしてほしいんだ。そうでないと…………私が諦めきれない……」
最後は口を曖昧に動かすだけで声になっておらず、ハルジュ様がなんと言ったのかはわからない。
心が掻き乱される。私はハルジュ様から顔を背けて、震える声で答えた。
「む、無理です……」
「……なぜ?」
(――だって!)
顔を上げると、ハルジュ様と視線がぶつかった。
なぜか……彼の方が追い詰められているような表情をしていた。
(泣きたいのはこっちよ……)
私はぐっと唇を噛んだ。
本当に好きな人とは、一緒になれない。
だから……別の形でもいいから、ここにいたいだけなのに。
「わたしは……そういう生き方だけが幸せだとは思いません。わたしはここにいる理由が欲しいんです。ノクスさんと婚約すれば、ここにいる理由ができるんです。……もう、わたしのことは……放っておいてください」
私の気持ちを知らないハルジュ様には、きっと理解できない。どういう想いで私がここに立っているのか。
声を絞り出すようにして、半分投げやりな気持ちでハルジュ様に告げた。
「……そうか」
私の言葉を受け止めたあと、ハルジュ様はゆっくりと口を開いた。その声にわずかに冷たさが混じる。
「では、相手は辺境の者なら誰でもいいんだな?」
「……え?」
「――たとえば私でも」
「は……」
「そういうことじゃないのか?」
私はハルジュ様の言葉に耳を疑った。
決してきれいではない感情が、沸々と湧き上がってくる。
どうしてそこでハルジュ様が出てくるの?
私への憐れみで言っているだけならやめてほしい。
それに――
「ハルジュ様には、カレンディア様がいらっしゃいます。……そんなこと、冗談でも仰らないでください」
(――もうあなたには、大切な人がいるでしょう?)
怒りなのか悲しみなのかわからない、ぐちゃぐちゃな感情が私の中で渦巻いている。
私の震える声を聞いて、自分が言ったことに気がついたのだろう。はっとした表情を見せたハルジュ様はすぐに頭を下げた。
「……すまない。私が愚かだった。こんなことを言うつもりじゃなかった……」
彼が肩を落とす姿を見て、私にも冷静さが戻ってくる。
(……よく考えたら、いつも穏やかなハルジュ様がこんなことを言うなんておかしい。きっとそれだけ、わたしを心配してくれてるんだ……)
気がつくとさっきまで渦巻いていた感情はなりを潜め、嬉しさと申し訳なさ、少しの切なさがないまぜになって胸を締めつける。
「わたしも……ごめんなさい。言いすぎました……」
私が小さな声で謝ると、ハルジュ様は頭を上げ、困ったような微笑みを浮かべた。
「じゃあ、これで仲直りしよう。でも……覚えておいてほしい。君は自分の意思でここにいていいし、自由になってもいい。自分が本当に幸せだと思える道を選んでいいんだよ」
ハルジュ様の言葉が、私の心の澱みを優しく押し流していく。
単純だって自分でも思う。でも……私の心をここまで揺さぶる人は、ハルジュ様しかいないから。
(……なんとなく、このまま終わるのも悔しい)
「……じゃあ、カナン殿下の申し出をお受けしても? わたし、緑茶が気に入っちゃいました」
「はあ!?」
「冗談です」
(このくらいの仕返しなら……してもいいよね?)
にやりと笑ったら、ハルジュ様に軽くにらまれて……ふたりで顔を見合わせてくすくす笑った。
(うーん……そうなると、推し友兼旦那は考え直した方がいいか。……カレンディア様の反応も怖い)
ノクスさんはどうなっただろうか。
どうなっても喜んでいそうだけど。
◇
お茶会の翌日。
農地の様子を見に行くと、ノクスさんが野菜の収穫を手伝っていた。
なぜか後ろ姿から、哀愁が漂っているように見える。
「おはようございまーす……」
「……ああ」
私がおそるおそるノクスさんに声をかけると、ノクスさんは返事をした……けれど。
(なんか、元気ない……?)
ノクスさんの頭に、ぺたりと下がった犬の耳が見える。
「今日は……カレンディア様と一緒じゃないんですか?」
(もしかして昨日のことでけんかになっちゃった……?)
ノクスさんにたずねると、彼は横を向いたまま冷気を発した。
「ひっ」
「今日はお嬢様は王弟殿下とカナンと一緒だ」
(つ、ついに殿下のこと呼び捨て……)
カナン殿下のことになると途端に殺気を振りまくノクスさん。
私はその場の空気を変えようとして……口を滑らせた。
「そ、そういえば、ノクスさんとカナン殿下ってなんとなーく横顔が似てるんですよねっ! ノクスさんも王子様みたいでカレンディア様とお似合い……ひいっ、冗談です!」
「あいつと似ているなんて……やめてくれ」
褒め言葉のつもりが逆効果だった。ますます殺気が強くなり、私は大慌てで話題を変える。
「き、昨日はすみませんでした……! あれからカレンディア様とは仲直りできましたか!?」
私も必死だったとはいえ、ノクスさんを巻き込んだ罪悪感はあった。
私が謝るとすぐに殺気は消え、今度は彼の背中に頼りなく下を向く尻尾まで見え始めた。
「まあ……お許しはもらえたが……今日は近くに来るなと言われた」
(あ、置いていかれちゃったんだ……)
「よ、よかったじゃないですか……! お許しいただけなら! ねっ」
いつになく落ち込んだ様子のノクスさんをフォローする。今日の彼は珍しく情緒不安定のようだ。
そんな彼に、私はあらためて(仮)プロポーズの答えを伝えた。
「あの、婚約の話なんですけど……やっぱり、やめておきませんか……?」
昨日の様子だと、いろいろと面倒な未来しか見えない気がする。
私の答えに、ノクスさんはうなずいた。
「奇遇だな。言い出した手前申し訳ないが……俺も同じことを考えていた」
「ですよね! じゃあ、わたしたちは推し友ってことで……」
「ああ」
私がほっと胸をなで下ろすと、ノクスさんがぽつりと呟いた。
「お嬢様があんなにもお怒りになるのは初めて見たな……」
「え……」
無表情のノクスさんの口元が、これでもかというほどゆるんでいる。
(ノクスさん、めちゃくちゃ嬉しそうなんですけど……)
なんだか見てはいけなような気がして、私はそっと視線を外した。




