65 隣国の王子がやってきた
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第八章 スタートです
夏も終わりを迎えるころ。
今日は修道院の畑で、秋冬野菜への植替え作業をしていた。野菜の観察をしていると、表の方から騒がしい音が聞こえた。
いつもの訪問者とは明らかに様子が違う。慌ててエントランスへ向かうと、ちょうどマザーと出くわした。
二人でそおっと入口の扉を開けると、いつも見ている領城の馬車のほかに、とんでもなく豪華な馬車が到着したところだった。
それは王都でも見たことがないような八頭立ての馬車だった。深紅の車体には金細工が輝き、屋根には翼を広げた黄金の鳥が飾られている。
マザーと二人、ぽかんと口を開けて眺めていると、領城の馬車からノクスさんが一人で降りてきた。
次に豪華な馬車の扉が開かれ、異国の服を着た男性が降りてきた。
その男性のエスコートで降りてきたのは……カレンディア様だった。
続けてハルジュ様がひっそりと出てきた。
男性と並んで歩いてくるカレンディア様は、珍しく扇で口元を隠している。
その後ろには無表情のハルジュ様、そしてその後ろには……
「ひっ……!」
男性を凍らせてしまいそうなほど、冷たい視線を向けているノクスさんがいた。
何がなんだかわからないけれど……あの男性は知っている。
中性的な美貌を持つ異国の男性は、南国カルミノード王国の王子殿下だ。
現在アズロア王国に留学中で……ざまぁルートの攻略対象の一人だった。
王子殿下は金糸の刺繍が施された黒色の衣服に、美しい錦の織物を肩にかけている。
紺色の長髪を金の髪留めでひとつに結び、首元にはいくつもの宝石が輝いていた。
あまりのまぶしさに思わず目を細め、慌てておじぎをして出迎えた。
「顔を上げてください」
気品を漂わせた甘く柔らかなテノールで、王子殿下が声をかけてきた。
顔を上げると、殿下はふわりと微笑んだ。
「突然の訪問ですみません。僕はカナン・ヴィン・カルミノード。今は留学生としてアズロアに滞在しております。今回は親しくさせていただいてるカレンディア嬢のご厚意で、辺境領を視察させていただくことになりました」
王子殿下はカレンディア様を蕩けるような目で見つめている。
目元だけがかろうじて見えるカレンディア様は……たぶん、微笑んでいる。
さらにその背後からは凍てついた空気が吹きつけてくる。
私とマザーは引きつった笑いを浮かべるので精一杯だった。
(どうして修道院に……?)
私は前世、彼だけ攻略できていなかった。たしかミステリアスな王子様、という設定だったはずだ。
今世では同じ時期に学園に通っていたけれど、一度も話をしたことはなかった。
(見た限りでは、とても品のある方のようだけど……)
マザーが一歩進み出て礼をした。
「私はシスターをしております、モリノと申します。こちらは同じくシスターのリナリエです。それで……本日はどのようなご用で……?」
マザーが王子殿下に要件をたずねると、彼はマザーを見て瞳を輝かせた。
「実は、僕は聖霊王信仰について非常に興味がありまして、各国の聖霊王について調べているのです。ここにはアズロア王国で唯一の聖霊王を信仰する聖堂があるそうですね。今回の留学を終える前に、貴国の聖霊の森と聖堂を一目見たかったのです」
「……そういうことなんだ。すまないが、案内をお願いできないだろうか?」
ようやくハルジュ様が口を開いた。
そのお顔にいつもの輝きはなく、疲労の色が見える。殿下の急な滞在に翻弄されていることが想像できた。
さっそく案内をお願いしたいという殿下を連れて、私たちは黒の森の入口へ向かった。
殿下は森の中には入れないため、森の外でマザーやハルジュ様の説明を熱心に聞いていた。
辺境の外でこんなにも聖霊や聖霊王に関心がある人がいるなんて意外だった。
話を聞いていると、殿下の国にも聖霊王の言い伝えはあるものの、こちらと同じように辺境の一部でしか語られていないらしい。
「僕は国民に聖霊王の信仰を広めたいんです。そして聖霊とともに暮らす国を作りたい」
殿下は寂しそうに「まだ僕には聖霊の加護はないのですが」と笑った。
その話を聞いて、胸に熱いものが込み上げる。その想いはきっと聖霊に伝わるはず……殿下の夢が叶いますようにと強く願った。
聖堂に案内するため、森から戻ってきたときだった。
「あれは!? 貴国の辺境領では作物が育たないと聞いていましたが……?」
(しまった……!)
遮るものが何もない修道院の畑の緑は、遠くからでもよくわかる。
辺境で植物が育つようになったこと、それが再生の聖術によるものだということは、まだ公表する予定ではなかった。少しずつ再生を進めて、ある程度実績ができてからの予定だったのに……。
「実は辺境伯の長年の研究によって、ようやく育てることに成功したのです。……研究途中のため公にはしていませんが」
ハルジュ様はとっさにそれらしい理由でごまかした。
王子殿下は疑うことなく「素晴らしいことです」と感動している。
(聖術について知られなかったのはよかったけど……)
今までが順調だった分、少しずつ予定が狂っていく感覚が、なんとなく落ち着かなかった。
最後に聖堂を案内した。
聖堂の中に入ると……なぜか聖霊がほとんどいない。いても小さな光の玉の子が、隅の方で隠れるように浮かんでいるだけだった。
私とマザー、ハルジュ様はこっそり顔を見合わせた。二人も怪訝そうな表情を浮かべている。
(聖霊たち、どうしたんだろう……?)
「これが貴国の聖霊王ですか……」
異変に気づいていない王子殿下は祭壇の前まで来ると、聖霊王の像を仰いで感嘆のため息をついた。
そして、視線を下げると「えっ」と息をのんだ。
「シスター……これは何ですか?」
王子殿下が指したのは、謎玉ちゃんだった。
嫌な予感がした。
「ええと、この玉から不思議な力を感じるので、ここにお祀りしています……」
私は思わず口を開いていた。
いつからあるのか、どこにあったかと、殿下はしつこく聞いてきた。本当のことを言いたくなくてごまかしてみたけれど、信じてもらえたかはわからない。
話を終えると、ずっと柔らかく微笑んでいた殿下の顔つきが固くなっていた。
「突然こんなことを言うのは申し訳ないのですが……僕は聖術を持っていませんが、負の気配を感じることができます。この玉からはそれを感じる……ここに置いておくのは良くないと思います」
「それは……」
プティたちの話では、謎玉ちゃんは何かの理由で黒く変色しているようだった。でもそれだけで「良くないもの」と決めつけるのには賛成できない。
「ここには聖霊の加護もありますし、悪いものと決まったわけではありません。もし悪しきものであれば……カレンディアが浄化を行うでしょう」
私が答えられずにいると、ハルジュ様が言葉をつないだ。
「そうでした! ここには美しい聖女がいるのでしたね」
殿下は再び溶けそうなほど甘く微笑んでカレンディア様を見つめ始めた。
カレンディア様は扇越しに微笑み返し、背後では猛吹雪が吹き荒れている。
(良くないものの気配はわかるのに、殺気は感じないのかな……)
私は殿下の意識がそれたことに、ほっと息を吐いた。
その後は謎玉ちゃんのことたを聞かれることもなく、殿下はカレンディア様とノクスさんとともに帰っていった。
ハルジュ様はマザーと話をするために修道院に残ったので、私は先日拾った黒い石を彼に見せた。
「これなんですけど……」
「これは……聖石に似ているね。こんな黒い石は見たことがないが……ヨータに聞いてみれば何かわかるかもしれないな」
手のひらに乗せて石を眺めるハルジュ様に、心配になっていたことをたずねた。
「ハルジュ様、聖霊たちは……?」
「ああ、みんな森にいるようだ。理由は教えてくれなかった」
ハルジュ様は疲れた顔を隠すことなく、大きなため息をついた。
「カナン殿下は急にやってきたんだ。辺境の視察だと言っているが、おそらくカレンディアへの求婚も目的のひとつだろう。私たちが正式な婚約を交わす前に、なんとかカレンディアへアピールしたいんだろうな。ここまで来るとは予想外だった」
「そうですか……」
(ハルジュ様も、カレンディア様とほかの男性が一緒にいるのを見るのはつらいよね。その気持ちなら、わたしもちょっとわかるから……)
彼の憂いを帯びた横顔に、胸の奥がかすかに疼いた。
ハルジュ様がマザーの元へ向かったあとも、私はしばらく謎玉ちゃんの側にいた。
この子が悪いものだとは思えない。でもあの王子殿下の真剣な表情は、でたらめを言っているようにも見えなかった。
「あなたはいったい、なんなんだろうね……」
問いかけに答える声はない。
胸のざわめきはしばらく消えなかった。




