64 しのび寄る影
第七章 ラストです
洗濯物を干そうと伸ばした右手に、ふと目が留まった。
その薬指には、昨日ハルジュ様にもらった指輪がある。
手のひらを返して指輪を光にかざす。
シルバーの台座にはめ込まれた緑色の石が、朝日を受けてきらめいている。
(ハルジュ様の瞳の色みたい)
まっすぐこちらを見つめる新緑の瞳を思い出して、顔が熱くなる。
(……わたし、何してるんだろ)
ふいに冷静になり、浮かれている自分にため息をついて、いそいそと洗濯物の続きを済ませた。
朝のお勤めのあと、街の農地に向かう。集まった騎士たちはすでに作業を進めていた。
その中にノクスさんの後ろ姿もあった。
一昨日のことを謝ろうと、おそるおそる近づいたけれど……
「ひっ」
ノクスさんの周りだけ、草が生えても枯れてしまうのではないかと思うほど、重苦しい空気が漂っている。
(この空気の中に一歩でも踏み込んだら……恐ろしいことになる予感がする)
ぶるりと身を震わせて、離れた場所から声をかける。
「お、おはようございまーす……」
「……ああ」
短い返事が返ってきた。
「あの、ちょっとその殺気をしまってほしいなー、なんて……」
「……」
空気が少し軽くなった気がして、そろりと近づいた。聖霊たちも「こわかったねー」と言いながら集まってくる。
ものすごく不機嫌なのを隠そうともしないノクスさん。
(これって、わたしが約束を守らなかったから怒ってるんじゃないよね……?)
もしそうなら土下座程度では済まないかもしれない。びくびくしながら、それでも決心してノクスさんに話しかけた。
「あの……一昨日は本当にすみませんでした……。王都の使者の……ひぃ! さ、殺気漏れてます!」
「……すまない。気が立っているんでコントロールが難しくてな」
ノクスさんは特大のため息をついて苛立ちの理由を話し始めた。
「場をわきまえない身の程知らずの御仁から、お嬢様に会いに辺境まで来ると連絡があった。数日後に到着するそうだ。王弟殿下との婚約話を聞いて、なりふり構っていられなくなったんだろう。図々しい」
最後は吐き捨てるように言葉を切り、また大きなため息をついている。
(なんだか関わらない方がよさそうだけど……)
一昨日の引け目もあり、声だけはかけておくことにした。
「な、何か困ったことがあれば協力しますから。……できそうなことだけね」
私がそう言うとノクスさんにじろりと見られた。
「な、なに?」
「……リナリエは何もしない方がいい。一昨日の話も聞いた。君が動くとややこしいことになりそうな気がする」
「うっ……すみません……」
ノクスさんに痛いところをつかれ、私は身を縮こませた。でもノクスさんは私よりも別のことが気にかかっているようだった。
「あの御仁には用心した方がいい」
「そ、その御仁とは……」
「来ればわかる」
それっきり、ノクスさんは黙って作業を始めた。私はその後に続きながらも、変な胸騒ぎがおさまらなかった。
◇
今日は午後から領都の街の代表――市長さんのお邸へと向かう。
いよいよ街の農地の準備が整い、辺境再生プロジェクトがスタートするのだ。その打ち合わせに私も呼ばれたのだけど……。
迎えの馬車には、ハルジュ様と……カレンディア様、ノクスさんが乗っていた。
(ちょっと! 同乗なんて聞いてないんですけど!?)
半ばむりやり馬車に押し込まれ、私はノクスさんの隣に座った。
「……殿下。にらむのをやめてもらえませんか」
「……ふん」
ハルジュ様は今日はご機嫌斜めのようで、ノクスさんから苦情が入ると、ぷいっと窓の方を向いてしまった。
和やかとはいえない空気の中、落ち着かなくてもじもじしていると、突然カレンディア様から声がかかった。
「素敵な指輪ね。誰かからの贈り物?」
「はいっ!?」
ふいうちの質問に動揺した私は、思わず一瞬、ハルジュ様をちらりと見てしまった。
ハルジュ様はあいかわらずそっぽを向いたまま。でも気のせいか、耳の先がほんのり赤く染まっているような……。
すぐに視線を戻すと、カレンディア様が無表情でこちらをじいっと見つめている。
(まずい。これ、バレてない……?)
「あ、え、は、ははは……」
「…………右手の薬指に指輪をはめる意味ってご存知?」
笑ってごまかす私にカレンディア様はにっこりと笑う。
けれど、瞳は鋭い光を帯びていた。
「いいえ……」
この世界でも、左手の薬指に結婚指輪や婚約指輪をする習慣はある。でもそれ以外の意味は知らない。前世の記憶にも、そういう知識は持っていなかった。
「……全然伝わってないじゃない……」
私が慌てて首を横に振ると、カレンディア様はぼそりと何かを呟いた。
「え?」
「なんでもないわ。その指輪は着けておいた方がいいわ。……これから騒がしくなりそうだから」
そう言ったきり、カレンディア様も口を閉ざしてしまった。
街に着くと、カレンディア様はノクスさんを連れて集会場へ向かった。今日はそこで治療会を行うそうだ。
それを聞いても、私の心はもう落ち込むことはなかった。
(わたしには、目指していることがあるから)
私とハルジュ様は市長さんを訪ねた。
市長のハーベスさんは、灰色の髪と青い瞳のおおらかな男性で、いつもにこにこと笑っているのが印象的だ。
なんと辺境伯様の前任の家令さんで、辺境伯様の話になると延々と語るタイプの辺境伯様推しである。
これまで市長さんも一緒に準備を進めてきた。今日は最終確認……数日後、農地に再生の聖術を使う。
農地を見た街の人たちの驚く顔と喜ぶ顔が目に浮かぶ。今は不安よりも期待の方が大きかった。
打ち合わせを終えてから、街の食堂へ向かった。食堂には多くの人が出入りするので、ハルジュ様は情報収集のために寄ることが多いそうだ。
「若様、いいところへ来てくださった」
カウンター席に座ると店主がハルジュ様に声をかけてきた。どことなく不安そうな表情をしている。
「実は最近、街の雰囲気が妙なんです……」
詳しく聞くと、大きな犯罪はないものの、盗みや若者同士のけんかなど、ちょっとした事件がここ最近急に増え始めたらしい。警備隊の巡回を強化したけれど、街の中には不安が広がっているという。
街の巡回に騎士団も派遣することをハルジュ様が約束すると、店主はようやくほっとしたようだった。
さらに街からの帰り。馬車に乗り込むなり、カレンディア様が驚くことを口にした。
「治療会の参加者の中に、魔に刺されていた人がいたわ」
「えぇっ!!」
「まだ本人に自覚はなかったの。浄化はしたから大丈夫。魔はどこにでもいるから特別おかしなことではないけれど……」
「いや、この土地じゃ魔が刺す人間が出ることはほとんどない。食堂の店主の話といい……調査が必要だな」
街の雰囲気が変わりつつある……見えない何かがじわじわと迫ってくるようで、私の中にも言いようのない不安が広がっていく。
農地の再生が街の活気を取り戻してくれることを願うばかりだ。
◇
修道院に戻り、夕食の準備を始めようとしたところでプティが珍しく慌てて飛んできた。
「森がへんなの! みんなこわがってる」
「え? でもまた一人で行ったら……」
「はやくーー!!」
聖霊たちが私をぐいぐい押すので、しかたなくついていった。
「こっちこっち!」
プティが森の中に呼ぶので、私は立ち止まった。
「プティ、私は一人では森の中に入れないよ。みんなと約束したもの」
「すぐそこなのー!」
聖霊たちはいつになく真剣な様子だった。何かが心の隅に引っかかる。
「……わかった」
私は森の中に足を踏み入れた。
歩きながら周囲を警戒するけれど、おかしな様子はなかった。聖霊たちは森の境界線に沿って進んでいく。
五分ほど歩くと、何かを遠巻きに取り囲むようにして聖霊が集まっていた。
「リナきた!」
「リエー! こわいよー」
私に気づいた聖霊たちが近寄ってくる。
「あれ! 外に持ってって! みんなこわがってるから」
プティの指差す場所に目を凝らした。
よくよく見ると、真っ黒な石がひとつ転がっている。
小指の爪ほどの小さな石は、月のない夜の闇のように……光など簡単に飲み込んでしまいそうな、暗い色をしていた。
(聖石……に似てる?)
「——っ!」
触れると一瞬、ぞっとする冷たい何かが体を走った。
思わず手を離し、もう一度こわごわ触れると、今度は何も起きなかった。
「これ、持ってて大丈夫なの……?」
「リナは黒いの大丈夫だから!」
「よかったねー」と言いながら元気に飛び始めた聖霊たちに聞いても、この石が何かはよくわからない。
私は拾った石をポケットに入れ、暗くなる前に急いで修道院へ引き返した。
ポケットがやけに重く感じた。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
拾い物に始まり拾い物に終わる
リナリエ拾い物章でしたね……
リナリエが拾った不思議なアイテムは?
謎?の四角関係の行方は?
辺境は無事に再生できるの?
次章もますます盛り上がっていきます!
引き続きお楽しみください(^o^)




