57 謎の黒い玉
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子どもを助けるために湖に飛び込んで、たどり着いたのは洞窟だった。
ごつごつとした岩肌の洞窟は、まるで石炭でできているかのように真っ黒だ。
森の木も、湖の水も、そしてこの洞窟も……かつて聖霊の森と呼ばれた場所は、あらゆる色を失っていた。
それでも、ランプもないのに周りが見えるのは、ここにも聖霊がいるからだ。明かりを取るのには十分な数の聖霊たちが飛び回っている。
私は顔を動かして自分の状態を確認した。
うつ伏せに倒れ、下半身が小さな池のような水だまりに浸かっている。体を起こしてみると、痛みはなかった。
(こんなところで動けなくなったら……ノクスさんに怒られるどころじゃすまされないわ)
私の聖術は自分には効果がない。怪我がなかったことに安堵のため息がこぼれた。
水から上がり、髪やジャージの水を絞った。全身ずぶ濡れなのに、水の重みは感じなかった。
おそらく湖がこの洞窟とつながっていて、水がこちらに引き込まれるようになっているのだろう。
そうなると、子どももここにたどり着いているかもしれない。洞窟には奥へと続く横穴があるのが見える。
(早く迷子の子を探して戻らないと)
私は立ち上がり、奥へ進んでみることにした。
夏でも洞窟内はかなり涼しく、水で肌に張り付いたジャージがさらに体を冷やしていく。
くしゅん! とくしゃみをすると、プティが肩の上でほんのり光り、私を温めようとしてくれた。
洞窟の奥は真っ暗で、聖霊の光があってもどこまで続いているのかよく見えない。
寒さなのか、それとも恐怖なのか……ぶるりと身体が震えた。
奥に進むにつれて道幅はどんどん狭くなる。背の高い男性なら腰をかがめなくては通れないだろう。
歩きながら周りも確認したけれど、横穴などはなく一本道のようだった。
これなら子どもが迷っていても出会えるはずだ。
五十メートルほど進んだだろうか。
まだ奥に続いていそうだったので、広さを確かめるためにも、洞窟の奥に向かって声をかけてみることにした。
「おーい。助けにきたよー、大丈夫ー?」
私の声が洞窟内に反響する。
すると……
「ママ……?」
奥から返事が聞こえた。
(いた! 無事だった!)
私は胸をなで下ろし、「今行くからね!」と声をかけて奥に進んだ。
さらに数十メートルほど進むと、洞窟の行き止まりにたどり着いた。歩いてきた通路よりも少しだけ広くなった空間は、それでも小部屋ほどの広さしかない。
「……あれ?」
子どもの姿は、どこにもなかった。
おかしい……ここまでの間に、横穴は一切なかった。すれ違えば絶対にわかる。
行き止まりの壁を確認しても、子どもが通れるような穴はない。
子どもを助けたいという焦りは、徐々に恐怖へと変わっていく。肌寒いはずなのに額に脂汗が浮かぶ。
「どこにいるの? ……お願い、出てきて」
私は震える声を絞り出して呼びかけた。
どうか誰かいますようにと……ほとんど願望だった。
次の瞬間、すぐ後ろで「ママ……」と声が聞こえた。
私は鳥肌の立つ腕を抱え込み、おそるおそる振り向いた。……が、誰もいない。
(ま、まさか……)
思わず悲鳴を上げようとしたときだった。
「ひっ…………ん?」
聖霊たちが洞窟の隅を照らし始めた。
目を凝らして見ると、両腕で抱えられるほどの大きさの、丸いものが転がっている。
ゆっくり近づいて、その丸いものをまじまじと見た。石に似ているけれど、石ではない。
「ガラス玉?」
つるんとした表面はガラスのようで、中には黒い水がたっぷりと詰まっていた。
中の水はゆらゆらと波打ち、一定のリズムで波紋を描いている。
私は勇気を出してそっと手を当てた。
(温かい……)
それはガラスのような人工的な硬さとは違っていた。
硬いけど柔らかいような、滑らかだけどざらざらしているような……
私はこの感触に覚えがあった。
「――卵?」
洞窟の行き止まりで、隠れるように転がっていた不思議な黒い玉。
それは直感でしかなかったけれど、なぜか「わたしを呼んだのはこの玉だ」と思った。
「あなた……ママを探していた子?」
そっと話しかけてみるけれど、返事はなかった。
たくさんの聖霊たちが、この不思議な玉を囲むようにして光を点滅させている。それが喜んでいるように見えた。きっと聖霊たちもこの子を助けたかったんだろう。
私は玉を慎重に持ち上げて両腕で抱えた。
ちゃぷん。と、音がするならそんな感じだろうか。
中の水が抱えた動きに合わせて左右に揺れる。
抱えているとほんのり温かく、かすかな震えを感じる。震えは鼓動を刻むように規則的に続いていた。
(……生きてる)
これはきっと生き物の卵だ。でもこんな卵、見たことがない。私は抱いた卵を見下ろし、じっくりと観察した。
(この黒い水……あの湖の色にそっくり。もしかしたらこの卵も、黒の森と同じように変色したのかも)
私は卵があった周辺を見回した。
生き物の巣があったような形跡はなく、無機質な黒い石が転がっているだけだった。
さっきまで聞こえていた声はママを呼んでいた。何かの理由で母親とはぐれ、ここに運ばれてしまったのかもしれない。
私はこの謎の卵を持ち帰って、マザーに見てもらうことにした。長い間黒の森を見てきたマザーなら、これが何か知っているかもしれない。
(それに、あの寂しそうな声……。あんなの聞いたら、こんなところに置いておけない)
あれこれと考えを巡らせていると、プティがふわりと飛んできて卵の上にとまった。
「ねえプティ、これって持って帰っても大丈夫かな?」
私が聞くと、光はぴょんぴょんと跳ねるように上下に動いた。
(プティもいいよって言ってくれてる)
「じゃあここから出なくちゃ。プティは出口なんて......知らないよね?」
今度は「知ってるよ」とでも言うように、プティは一度大きく跳ね、再びふわりと空中に浮かんだ。
そのまま来た通路を戻っていく。
私は卵をしっかりと抱え直し、プティを追いかけて最初にいた場所に戻った。
洞窟の中にいた聖霊たちは、ほとんどが集まっていた。聖霊の光が洞窟中にあふれていて、暗い場所のはずなのに少しも怖くなかった。
プティは予想どおり、最初に私が倒れていた水場にやってきた。
「やっぱりもう一度潜らなきゃだめか……」
外につながる通路がないかと期待したけれど、そこまで都合のいいことは起こらないみたいだ。
私は覚悟を決め、着ていたジャージの上着を脱ぎ、卵をくるんだ。
「みんな……わたしを湖の上まで案内してくれる?」
聖霊たちにたずねると、光が私の周りに集まってくる。
「ふふ。任せたわ」
ジャージでくるんだ卵に耳を当てる。心音は聞こえないけれど、規則正しい震えは続いている。
念のため……そう考えて、卵も一緒に自分の聖力で覆うことにした。
ジャージの上からさらに毛布で卵をくるむように、頭の中でイメージしてから聖術を発動した。
その瞬間――
卵の中の水が、強く波打った。
――ぐんっ!
(あっ――まずい)
自分の中から聖力が一気に吸い出されるような感覚がしたかと思うと……
私の意識は暗闇の中に溶けていった。




