54 王弟殿下と悪役令嬢の幸せ【ハルジュ】
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ハルジュ視点です
<ハルジュ視点>
聖霊王の捜索を一旦切り上げ、捜索隊から先行して森の入口に戻ったところだった。
森の外で笑いながら弁当を分け合っているリナリエとノクスが見えた。
私は視線を二人から離すことができなかった。湧き上がる感情が外に漏れ出さないよう、指先がしびれるほど拳を強く握る。
「……いいのか? 君のお気に入りがほかの人間にあんなに懐いているのは初めて見たが」
自分のことは棚に上げ、隣にいるカレンディアに静かに声をかけた。
カレンディアがノクスを可愛がっているのは子どものころからだ。
ノクスは非常に美しい顔立ちをしているため、メイドや令嬢たちから言い寄られているところを何度も見てきた。しかし常に無表情を貫き、カレンディア以外の女性と親しげに話すところなど見たことがなかった。
それなのにたった数日で、リナリエに心を許すようなそぶりを見せている。
昨日ノクスがリナリエの腰を引き寄せていた光景を思い出し、ぐっと奥歯を噛んだ。
カレンディアもしばらく二人を見つめていたが、こちらに顔を向けてゆったりと微笑んだ。
「ええ、これはわたくしが望んだことなの。ノクスがわたくしを裏切ることは絶対にないわ」
そう言ってからカレンディアは視線を下げ、声を落とす。
「わたくしは悪役令嬢ではないもの。お気に入りを取られたからって、邪魔はしないの」
「悪役……令嬢?」
以前リナリエも似たようなことを言っていた。言葉の意味をカレンディアに問いかけたが、反対に問いを返される。
「……こちらの話よ。それよりも兄様よ。ノクスと派手にやったそうね?」
「……」
私が何も言わないのをいいことに、彼女はおもしろそうに目を細めた。
「リナリエさんとノクス……お似合いよね。彼女はノクスを選ぶかしら?」
カレンディアが意味深に問いかける。彼女の目を見ると、どこか不安げに揺れているようにも見えた。
「……私は彼女の後見人だ。彼女にふさわしい人間を見極めるのは私の役目だが……彼女の意思は尊重する」
「そう……」
私はそう答えるのに精一杯で、カレンディアの視線から逃げるように足元を見つめた。
「……それはそうとして、わたくしたちのこれからも考えないと。婚約が決まったのだから……兄様も納得してくれたわよね?」
「……ああ」
カレンディアの楽しげに話す声が次第に遠くなる。
目を閉じると、あの日、王都での記憶がよみがえってきた――
◆◆
国王である兄からの呼び出しで、王都にやってきた私に提案されたのは……カレンディアとの婚約だった。
「カレンディア嬢が真の癒しの聖女となったことで、彼女への婚姻の申し込みが殺到している。国内の有力貴族はもちろんだが……他国から婚約の打診が来るのも時間の問題だ」
国王の執務室に行くと、兄は大きなため息をついて、一枚の書状を机の上に広げた。
「非公式だが、アズロアに滞在中の南の国の王子が彼女に婚約を申し込んだそうだ。学園の留学生として彼女と親しかったそうだな……さらには彼の父親から、こんな親書まで届いた」
兄の寄越した手紙を見ると、王子の父親である隣国の王から「可能なら息子の恋を後押ししてほしい」という内容が書かれていた。
つまり王家から公爵家に婚約の口添えをしろということだ。しかし王家は、カレンディアの婚姻に口を出すことは禁じられている。
「まだ婚約破棄騒動から日が浅い。彼女の精神的負担を理由に先延ばしにしているが……問題は王子があのパーティに参加していたことだ」
あのとき、実はレオシードに魔が刺していたことが発覚したため、王家はまだ事件の真相を公表できないでいた。
元とはいえ、王位継承者に魔が刺していたなど国の信頼を揺るがしかねない事態だ。兄はいずれ公にするつもりのようだが、国民の不安をあおらないよう、どう説明するか慎重になっていた。
隣国の王子はパーティに出席していたため一部始終を目撃している。もしレオシードの件を交渉のカードに、カレンディアとの婚約を持ち出してくるようなことになれば……。
そう兄が頭を悩ませていたときに、公爵家の方から私との婚約の申し出があったということだった。
「お前なら、王子と対抗できる身分を持っている。それにカレンディア嬢とは幼なじみで昔から仲もいい。彼女からの申し入れとなれば、隣国の話を断る理由ができるんだ。それに……」
兄は気まずそうに声を潜めた。
「カレンディア嬢がいち早くレオシードの異変に気づき、浄化を施してくれたからこそ、ここまで穏便に済んでいる。王家は彼女に恩があるんだ」
創世神の神託を受け癒しの聖女となったカレンディアは、強力な治癒や解呪だけではなく魔を浄化する力まで覚醒した。
おそらくパーティのときにはすでに力を手にしていたのだろう。すぐにレオシードが正気に戻れたのは彼女のおかげにほかならない。
私もカレンディアには辺境の件で相談したいことがある。
だが、なぜ今さら私に婚約の打診など……。
言い知れない不安が胸をよぎる。私の耳に、兄の声がどこか遠くで響いた。
「お前の意思を曲げるような提案をしてすまないが……どうか考えてみてくれないか?」
以前の私なら……王族として、それが国のため、兄のためになるならと受け入れていたかもしれない。
「少し……考えさせてほしい……」
だが私はリナリエと出会ってしまった。
彼女のことを思い出すだけで、胸は切なく締めつけられるのに、幸せな気持ちが満ちあふれる。
この想いを捨てることなどできるのだろうか……。
執務室から王城の自室まで、どうやって戻ってきたのか覚えていない。
そのままソファに体を深く沈めた。目を閉じるたび、リナリエの笑顔が浮かんでは消える。
そして一晩中考え……答えを出した。
――リナリエへの想いを大切にしたい。
王族として愚かな選択だとわかっている。
それでも……私が生きてきて初めて抱いた感情を、どうしても諦めることができなかった。
兄に軽蔑され、王族から除籍されることも覚悟した。
そんなとき、カレンディアから二人で話をしたいと連絡があった。
カレンディアには誠心誠意謝ろうと決意し、彼女と会うことにした。
◆
「兄様、お願い。わたくしとの婚約に同意してくれないかしら」
数日後、カレンディアと顔を合わせた途端、先手を打つように告げられた。
「わたくしたちが幸せになるために、この婚約はどうしても必要なの……」
彼女にわずかに焦りの色が見える。私が断ろうとしていたことに気がついていたのだろう。
私は沈黙を守ったまま、カレンディアを納得させるための言葉を探した。
すると彼女はさらに一歩踏み込んできた。私の心の奥を見透かすように見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……兄様が同意してくれれば、リナリエさんを助けられると言ったら?」
「なっ……」
私は息をのみ、彼女を見た。その瞳は決して冗談などではないと訴えている。
「辺境には届いていないでしょうけれど、今の彼女はこの国で完全に魔女扱いよ。おまけに侯爵領の街を乗っ取ろうとした、なんて話も広がっているわ。王家はまだ真実を伝えられないのでしょう? 今の状況ではわたくしができることは限られている。でも……」
カレンディアは小さく息を吐き、言葉を続けた。
「わたくしたちが手を取り合えば、彼女を救うことだってできる。まずはわたくしの話を聞いてから判断してくれないかしら? ……リナリエさんのために」
リナリエのことを持ち出されれば、私に拒否するすべはない。
私はカレンディアと時間をかけて話し合った。
そして彼女の「必ずリナリエの名誉を回復させる」という言葉を信じ――提案を受けることに決めた。
◆◆
そしてカレンディアを連れて辺境に帰ってきてから、まだ一度もリナリエと二人きりで話をしていない。
ひと月離れている間にリナリエの態度はよそよそしくなり、私を見てくれなくなっていた。
まるで出会ったころのように……いや、あのころよりも遠くに感じる気がする。
自分の選択を後悔してはいけない。これで彼女の心がほかの誰かに向いたとしても……彼女が幸せならば喜ぶべきことなのだ。
そう自分に言い聞かせるしかなかった。
リナリエの輝くような笑顔や、私だけに見せてくれたあの日の涙を思い出す。
(リナリエには笑っていてほしい。たとえそれが私の役目でなくなっても……受け入れるしかないんだ)
握りしめた手のひらに小さな痛みを感じながら、私は目を開けた。
そして二人から距離をとるように、もう一度森の中に引き返した。




