52 王弟殿下VS悪役令嬢の従者
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足元の薬草に気づかず、滑って転びそうになった私を支えてくれたのはノクスさんだった。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます。助かりま……っ!?」
助けてくれたノクスさんの腕がお腹に回り、背後から抱き寄せられる格好になる。
(え!? 何で? ちょっと近くない!?)
慌てて抜け出そうとしてもびくともしない。
(いやいやいや……こんなところ、誰かに見られでもしたら……)
「……何をしているのかな?」
「ひっ……」
背後から、氷点下まで温度を下げたかのような冷ややかな声が響いた。
振り返らなくてもわかる。そこに立っているのは……ハルジュ様だ。
「リナリエが転びそうでしたので自分が支えておりました。護衛ですので」
絶対零度のハルジュ様の声に縮み上がっている私の気も知らず、ノクスさんが私を抱えたまま悪びれることなく返事をした。
「ふうん…………。それにしても長すぎないか? そろそろリナリエを離してあげたらどうかな?」
「いえ、まだリナリエの足元は不安定です。……リナリエ、このまま少し移動するから足元に気をつけてくれ」
(ちょっと……なんで耳元で言うの……!?)
顔が一気に熱くなる。一刻も早く解放されたくて黙ってうなずいた。
薬草のないところまで抱えられながら移動すると、突然ぱっと腕が離れた。
少し距離を取ってから後ろを振り返ると、ノクスさんの腕を掴んで微笑むハルジュ様がいた。
しかし目の奥は全然笑っていない。
「リナリエを助けてくれてありがとう。でも彼女は繊細で照れ屋なんだ。過剰に触れるのは彼女に負担ではないかな。女性への配慮が欠けているように思う」
「俺の仕事はリナリエの補佐と護衛です。それはあなたが命じられたことですし、彼女に何かあってからでは遅い。俺は使命に忠実に、全力で彼女を助けるまでです。護衛として、今の行動は必要なものであったと判断しましたが」
二人の視線がぶつかり、火花が散ったような気がした。
(……え、何が始まるの……?)
突然ハルジュ様とノクスさんの空気がひりついたものに変わり、二人の言い争いはエスカレートしていく。
「あ、あの……」
「仕事に忠実なのは非常にいいことだが、少し過剰すぎやしないか? それではまるでリナリエに忠誠を誓っているように聞こえるが。君の主人はカレンディアではないのか? そんなにたくさんの主人がいて、忠誠とはなんなのだろうね。君の主はいったい誰なんだ?」
「俺の主はカレンディア様ただ一人です。しかし主に忠誠を誓っているからと言ってリナリエを守らないのはおかしい。守りたい人を守るのは当然ではありませんか? 先ほども言いましたが、リナリエを守るのはあなたが望まれたことです。主への忠誠とは別の話です」
(ん? 結局カレンディア様への忠誠の話なの?)
私は完全に置いてけぼりを食らった気分で、二人のやり取りをただ眺めていた。
口を挟む隙がない。二人も私のことなどすっかり忘れているようだ。
「えっと……」
「……だが、君に下心がないとは言い切れない。女性にみだりに触れるのは紳士的ではない。とっさの行動だったとしても、彼女が嫌がるそぶりを見せたらすぐに離れるべきだ」
「彼女を守るためには不測の事態が起こる可能性も考えるべきです。とっさに触れなければならないこともある。それにリナリエは特に拒絶する態度を見せておりません。この数日で俺たちは信頼関係を十分築いております。王弟殿下のお気を煩わせるようなことはありません」
(え、つまりハルジュ様は、紳士の心構えについて物申したいってことで……合ってる?)
急に二人が揃ってこちらに視線を向けた。
こちらに意識が向くとは思っていなかった私は、肩がびくっと大きく跳ねる。
「リナリエ、嫌なら嫌とはっきり言っていいんだよ?」
「リナリエ、俺を信用していると言ったよな?」
「あ……いや……わたしは……」
なんとか返事をしようとするものの……
「先ほどから君……。リナリエは伯爵令嬢であって、従者の君が簡単に呼び捨てにできる名ではないと思うのだが」
「いえ、遠慮はいらないからリナリエと呼んでほしいと本人から申し出がありました。それに、ジャージなる衣服も贈ってもらいました。彼女とは順調に仲を深めているところなのです」
不毛な論争は終わる気配を見せない。
そう、今ノクスさんが着ているのはジャージだ。畑仕事用にと私がプレゼントしたのだ。ちなみに辺境騎士団の皆さんにもジャージを着てもらってるんだけど……。
それを見て、ハルジュ様がなぜか悔しそうに唇を噛んだ。
「……そうだね。君がジャージを着ていることは気づいていたさ。だがそこに深い意味はない。ただ作業がしやすいようにと優しいリナリエが気を遣ってくれただけだ。それにそのジャージは既製品だろう? 私のジャージはリナリエとデザインを揃えた特注品だ」
「それは存じておりますが、そもそもそのジャージはリナリエからの贈り物ではなく、殿下自らがお作りになったと聞き及んでおりますが。そこにリナリエの気持ちはないのでは?」
二人が再び私の方に視線を向けた。
「「リナリエ、どうなんだ?」」
「…………ご想像にお任せします……」
私は途中から気がついていた……たぶんこの言い争いにたいした意味はない。息ぴったりなこの二人、実はものすごく気が合うんじゃないだろうか……。
おとなげない二人に呆れながらも、気がつくと口元はゆるんでいた。
(久しぶりに、ハルジュ様のこういう姿を見たな……)
最近いろいろなことがありすぎて、ずっと気を張り詰めてばかりだった。こうして飾らないハルジュ様を見るだけで、心が柔らかく解けていくのだから――。
(もう、気持ちをなかったことにするのは無理かぁ。困ったなぁ……)
私はずきずきと痛む胸を押さえながら、しばらく続いた二人の戦いを黙って見守った。




