49 婚約者
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「……リナリエ? こんな暗い部屋で何してるの?」
私は応接室のソファに座っていた。テーブルの反対側には、空っぽのティーカップがひとつ。
マザーに声をかけられるまで、日が沈んでいることにも気づかなかった。
「具合が悪いの?」
マザーが心配そうに聞いてくる。
私は首を横に振り、むりやり口角を上げた。
「いえ、元気です。ちょっと考えごとをしていて……」
ただ、頭がうまく働かないだけだ。
食欲がなかったので、マザーに謝って自室に戻った。そのままベッドに横になり、今日のカレンディア様の話を思い返す。
カレンディア様も転生者だったこと、私を実家に返そうとしてくれていること。
……ハルジュ様と婚約予定だということ。
喜ぶべきことなのに、祝福するべきことなのに、ずっしりと重く暗い気持ちが胸を塞ぐ。
私はいつの間にか、自分がハルジュ様にとって特別な存在なんだと……身の程知らずな考えを持っていたみたいだ。
やっぱり私は、平凡で慎ましい生活の方が性に合っている。
(……そう、きっとそうなんだ。推しは遠くから愛でるのに限る。痛む胸は……気のせいだ)
……そう思わないといけない。
窓辺に置いてある小鳥のおもちゃを横目で眺めた。
あれから一度も動かない。
枕に顔をうずめた。
辺境に緑を取り戻す手伝いは投げ出したくない。これは心からの想いだ。カレンディア様には、それを叶えるまでは辺境にいさせてほしいとお願いするしかない。
(明日からは勘違いしないようにしなくちゃ……)
ハルジュ様とカレンディア様が寄り添って歩くあの光景が、まぶたの裏から離れなかった。
◇
「リナリエちゃん、昨日癒しの聖女様を見たわ」
カレンディア様が修道院を訪ねてきてから数日後、修道院の手伝いに来てくれたナタリスさんが教えてくれた。
「若様と聖女様が街の視察にいらっしゃったの。たしかにとても美しい方ね……私たちでは近寄りがたいくらい」
「そ、そうですか……お二人はどちらへ?」
聞きたくないはずなのに、反射的に聞いてしまい後悔する。
「それが……聖女様、目の見えないお婆さんを治してしまったの。街の人たちは聖女の奇跡だって大騒ぎしていたわ。また来てくれるんですって。……本当にすごい聖術なのね」
「さすがカレンディア様ですよね! わたしも……がんばらなきゃ!」
私は服の胸元をぐっと握りしめ、笑顔を浮かべた。
(そうだ。本物が来たのだから、わたしの癒しに頼る必要はもうないんだ。街の人が喜んでいるのに傷つくなんて間違ってる。わたしは、辺境に緑を取り戻すことだけに全力を注ぐんだ……!)
「リナリエちゃん……」
ナタリスさんは何かを言いたそうにしていたけれど、すぐに野菜の話に戻ったのでほっとした。
◇
ナタリスさんと話をした日から数日が経った。
その日、玄関の掃除をしているところに見覚えのある馬車がやってきた。
(今日は約束していなかったはずなのに……)
馬車から降りてきたのはハルジュ様……とカレンディア様、従者のノクスさんだった。
カレンディア様をエスコートするハルジュ様。隣に並ぶ二人はまるで一枚の絵画のようだった。
(大切な女性に、愛しげな視線を送るハルジュ様の麗しいお顔……尊い、はず……)
……なのに、今まで感じていた、湧き上がってくるような熱は消えていた。
そのとき、こちらに歩いてくるハルジュ様と久しぶりに目が合った。
心臓が大きく跳ねる。
私は慌てて目をそらし、深く礼をした。
「お、お帰りなさいませ! 無事にお戻りになられてよかったです」
深く頭を下げたので、ハルジュ様がどんな顔をしているのかはわからない。少しの沈黙のあと、久しぶりに聞く優しい声が、私の心をざわつかせる。
「……久しぶりだね。留守の間のことは聞いたよ。本当によかった……。今日はマザーと君に、これからのことを相談しにきたんだ」
「顔を上げて」と言われたので、ゆっくりと頭を上げた。それでも、目を合わせることはできなかった。
「先日はありがとう」
ハルジュ様に寄り添うカレンディア様がにこやかな笑顔を浮かべている。
「あ……。こちらこそ、お気遣いをいただきありがとうございました!」
とっさにもう一度深く頭を下げた。
「先日? リナリエに会ったのか?」
「ええ。だって彼女はわたくしのせいでここへ来るようになったようなものだもの……。わたくしは彼女の汚名をそそいで領地に返してあげたいの。それに兄様の婚約者として……これからはわたくしも、彼女のことを気にかけていきたいと思っているのよ」
「——っ。そうか……」
今、顔を上げていなくてよかったと、心底思った。
ハルジュ様たちを応接室へと案内し、マザーに声をかけたあと、自室に聖女の手記を取りに戻った。
辺境伯様は「返すのはいつでもいい」と言ってくれたけれど、これはとても貴重な記録だ。私がずっと持っていていいものではない。
もう内容を暗記するくらい読んだし、今後は私がお城に行くこともないはずだ。
応接室へ戻ると、私はマザーの隣に座り手記をテーブルの上に置いた。
「ずっと借りていてすみません。こちらをお返しします」
「これが始まりの聖女の手記……」
ハルジュ様が手記を手に取り、目を通し始めた。
「わたくしも見たいわ」
カレンディア様も一緒に手記をのぞき込んだ。
仲むつまじく顔を寄せ合って手記を読む二人……。
(そういえば、二人は幼なじみの設定だっけ。本当にお似合いだよね……)
ぼんやり物思いにふけっていると、突然背筋に悪寒が走った。
「!?」
どこかから殺気にも似た冷たい空気が流れてくる。聖霊たちも怯えるように震えている。
目だけを動かして周りを確認すると、従者のノクスさんのところにだけ聖霊たちが近寄らないことに気がついた。
彼はカレンディア様の背後に立ち、先日と同じように微動だにしない。
ただし、視線はカレンディア様と……ハルジュ様の後頭部に釘付けだった。
ハルジュ様の後頭部を冷たい視線で見つめるノクスさん。
絶対に気がついているはずなのに、まったく気にする様子のないハルジュ様。
(これはいったいどういう状況……?)
ちらりと横目でマザーを見ると、私の視線に気づいて引きつった笑いを浮かべている。
(これは……あれかな。ご主人様に近づく人間は全員敵……みたいな)
ゲームでの従者は徹底した悪役令嬢至上主義だった。美男子で忠犬属性というキャラクターが女性に刺さり、実は攻略対象並みに人気があったのだ。
(お嬢様と忠犬か……わかる。需要があるのはすごくわかる。でもハルジュ様まで敵認識っていうのは問題ないのかな……)
そんなことを考えていると、二人が顔を上げた。




