48 悪役令嬢の目的
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――カレンディア様が修道院へやってきた。
私は血の気が引いていくのを感じながら、ジャージの土ぼこりを払って淑女の礼をしようと頭を下げた。そこでようやくスカートではないことに気がついて、ますます青ざめた。
「お、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません!」
「ふふ、大丈夫よ。顔をお上げになって」
鈴を転がすような澄んだ声が聞こえ、おそるおそる顔を上げると、優雅にたたずむ女神様がいた。
長い睫毛に縁取られた空色の瞳、匂い立つようなバラ色の頬。小さな顔に完璧なスタイル……。
まさに「ヒロイン」にふさわしい。
思わず見惚れていると、カレンディア様はにこりと笑顔を浮かべた。
「そのお召し物……よくお似合いで素敵だわ。どこかでお買いになったの?」
(え……? ジャージのこと……?)
まさかジャージを褒められるとは思わず、戸惑いながら答えた。
「ええと……これはジャージといいまして……畑仕事をしやすいように仕立ててもらいました」
「ジャージ……そうなの……」
カレンディア様は何かを考え込み始めてしまったけれど、こんな場所にいつまでも立たせたままではまずいと気がついた。
「あの! ここではドレスが汚れてしまいますので、どうぞ応接室の方へ……」
「ありがとう。ではお言葉に甘えて」
気品に満ちた微笑みを浮かべるカレンディア様。
本当に……何から何まで美しい。
(やっぱり、わたしなんかとは全然違う……)
私は応接室に案内しお茶を出したあと、急いで修道服に着替えた。
応接室に戻ると、カレンディア様は庶民が飲むようなお茶を、貴族令嬢のお手本のような所作でたしなんでいた。
彼女の後ろには、一分の隙もない完璧な姿勢で立つ従者がいる。
見覚えのある黒髪黒目の美青年――彼はゲーム本編で悪役令嬢の手足となって動く脇役キャラだった。
そんな従者は私が部屋に入ると、こちらをちらりと見ただけですぐに視線を前に戻した。
「……お待たせしました。あの、本日マザーは不在にしていて……」
「いいのよ。今日は貴方に会いにきたの。座ってちょうだい」
(やっぱりそうですよね……)
諦めてとぼとぼとソファに向かうと、カレンディア様が従者に声をかけた。
「ノクス。外に出ていてちょうだい。わたくしはリナリエさんとお話がしたいの」
「しかし」
「ふたりきりで、お話したいの」
従者のノクスさんは少し渋る様子を見せただけで、すぐに部屋の外へと向かった。
……扉を閉める直前、一瞬だけ鋭くにらまれたけれど。
「さて」
カレンディア様はティーカップを置き、こちらにきれいな顔を向けた。
「今日はね……貴方に、きちんと謝ろうと思ってきたの」
「……え?」
思いもよらない言葉に、すぐに反応ができなかった。
「卒業パーティの日……貴方を巻き込まずに済めばよかったのだけれど。きっとあのときよね……記憶が戻ったのは」
「な、なにを……」
背筋に冷たい汗が伝う。
(この方は、何を言っているの……?)
私が返事を返せずにいると、彼女から決定的な一言が投げかけられた。
「貴方……転生者でしょう?」
「――!!」
「ジャージも洗濯機も、貴方が前世の記憶を思い出して作ったのよね?」
カレンディア様の瞳は、それを確信しているのだと告げていた。きっとごまかすことはできない。
そのまなざしに縛りつけられているかのように、私は身動きひとつできなかった。
(それを知っているということは……)
「まさか、カ、カレンディア様も……」
「ええ、わたくしも転生者なの」
自分でたずねたのに、信じられない思いでカレンディア様を見つめた。
王太子の一件以外、彼女とはほとんど関わりがなかった。
彼女がいつ前世の記憶を思い出したのかはわからないけれど、きっとざまぁルートで何もしない私を見ておかしいと思ったのだろう。
(そんな……じゃあ、あのパーティのときも、断罪イベントが起こるって知っていたの……?)
カレンディア様は私が思い浮かべた疑問に答えるかのように、あの日の話を始めた。
「あの日……貴方をざまぁするつもりはなかったの。悪意があるのだったらまだしも、実際の貴方はただの内気な令嬢なのだもの」
カレンディア様は苦笑した。
「わたくしは王太子と婚約破棄したかったの。だから申し訳なかったけれど……あの場を利用させてもらって、すぐに貴方の無実を訴えるつもりでいたのよ。でも予想外のことが起きて、結局貴方は追放されてしまって……まあ、あれで貴方が転生者かもって気がついたのだけど。あのとき助けられなくて……ごめんなさいね」
想像していなかった事実を、頭の中で必死に整理した。
つまり最初から……カレンディア様は私を断罪する気はなく、私は何もしなければ断罪を回避できていたということだ。
私はただ呆然とするしかなかった。
そんな私を見て、カレンディア様は優しく目を細める。
「今回はね、貴方を助けるために来たの。もう安心していいわ。領地に帰れるよう、わたくしが貴方の無実を訴えるから」
「領地に……帰る……?」
(辺境を……離れることになるの?)
突然大切なものを取り上げられてしまったかのような、強い喪失感が胸をえぐった。
今までずっと家に帰りたいと望んでいたはずだったのに……どうしても素直に喜ぶことができなかった。
「あの、わたし……王太子殿下に危害を加えてしまったのは事実で……その罪は償わないと……」
「それについてはもう気にしなくていいのよ。あれ、すごくいい音だったわね。とってもすっきりしたわ」
ふふふ、とカレンディア様が楽しそうに笑った。美しく優しい笑顔のはずなのに、今はそれが恐ろしく見える。
「わたくしもしばらく辺境に滞在するから。わたくしたちが和解した姿を見せれば、周りは何も言えなくなるわ」
「しばらく……こちらに滞在されるのですか?」
頭の中で、誰かが「これ以上は聞いてはだめだ」と引き止めてくる。
それなのに……口が勝手に動いていた。
「しばらくというか……将来的に、が正しいかしら。ふふふ、まだ内々に決まっただけなのだけれど――」
カレンディア様が言葉を切り、満面の笑みを浮かべた。
「わたくし、ハルジュ兄様と婚約することになったの」
頭を重いもので殴られたような衝撃が走った。
「婚……約……?」
「ふふふっ! 実はね……」
カレンディア様はそれまで完璧だった貴族令嬢の雰囲気を崩し、とっておきの話を披露するかのように声を弾ませた。
「王弟殿下はずっとわたくしの憧れだったの! まさか夢が叶うなんて!!」
頭が真っ白になった。
この世界のカレンディア様が選んだのは、攻略対象の誰かではなかった。
(――ハルジュ様、だったんだ)
今までも、彼に婚約者がいてもおかしくないと思ったことはある。そのときも漠然とした寂しさを感じたけれど……。こうしてはっきりと聞かされた今、感じる痛みは比べ物にならない。
「貴方のことは必ず領地に返してあげるわ。まだ辺境はわからないことだらけだから、いろいろ教えてね。ふふふ」
それは今の私にとっては……すべてを失うことと同じだった。
王都を追放されたときよりもはるかにつらい宣告に、私は彼女を見つめたまま、もう言葉を発することができなかった。
カレンディア様が満足げに微笑んでいると、扉をノックする音がした。
彼女が返事をすると、扉が開きノクスさんが顔をのぞかせた。出ていったときとは違い、私の方には見向きもせずに、カレンディア様に視線を送り続けている。
「あら、今の声……外に聞こえてたかしら? うちの従者がしびれを切らしているみたい。過保護すぎるのがたまにきずなのよね……。今度は城にいらして。もっとお話しましょう」
カレンディア様がゆっくりと立ち上がる。
私はただ座ったまま、頭を下げることしかできなかった。




