45 聖霊王と聖霊の森
⟡.·*.いつもお読みいただきありがとうございます⟡.·*.
街に出かけた次の日、ハルジュ様は王都へ旅立った。
国王陛下から至急相談したいことがある、と呼び出しがあったそうだ。
笑って「いってらっしゃい」を伝えたけれど、その日の夕食は食べても味があまりしなかった。ひと月くらい会わないのなんて、以前は何も思わなかったのに……。
早くあの笑顔が見たくて、無事に戻ってきてほしくて、手紙につい『早く帰ってきて』なんて書こうとしてしまった。
ハルジュ様がいなくても、一日はあっという間に過ぎていく。どこか物足りなさを感じながら、あの日の時計塔でのことを思い出しては顔が熱くなる……そんな日々を送っていた。
◇
記録室通いを始めて三週間ほどが経った。今日はマザーと一緒だ。
ようやく千年前の記録探しを始めたけれど、いまだに同じような聖術の記録は見つかっていない。
(このまま見つからなかったら……)
時折よぎる考えを振り払って、ひとつひとつ記録に目を通していく。
次の記録を取ろうとすると、目の前で聖霊がぐるぐると回り始めた。
この子はミニトマトにいた聖霊だ。消えかけていたのを助けてからすっかり懐かれてしまった。
なんだか愛着が湧いてしまって、今では「プティ」と名前をつけて呼んでいる。
(いつも記録室に来ても、わたしが記録を探している間はふらっとどこかに飛んでいくのに……)
「どうしたの?」
話しかけても返事は聞こえない。でも今は何かを伝えたいように見える。
プティは回りながら、私の視線を部屋の中央へ向けるように動いた。
「……ついてこいってこと?」
そうたずねると、プティは螺旋階段の方へ飛んでいった。
「マザー、なんだか聖霊がついてこいって言ってるみたいで……」
「まあ、どうしたのかしら」
別の場所で記録を見ていたマザーに声をかけ、 一緒に螺旋階段へ向かった。プティは私たちを待っていたかのように上の階へと飛んでいく。私たちも後について階段を上った。
「あら? ここは最上階ね」
(え? 何も考えずに上ったけど……もしかして、プティが?)
最上階――国が興った、三千年前の記録が眠る部屋。私がまだ来たことのない部屋だった。
階下と同じように窓がない白い部屋で、書棚が壁を取り囲んでいる。中央の階段はここで終わり、上に続く階層はない。
そう思いながら、何気なく天井を見上げて……私は息をのんだ。
そこには記録室の天井一面に碧く広がる泉があった。深く澄んだ泉の水面は、驚愕に染まる私の顔を鏡のように映している。
隣にいるマザーの笑った顔もはっきり見えた。
「決して水が落ちてくることはないのよ。不思議よねぇ……」
信じられない光景にしばらく立ち尽くしていると、マザーが「あそこ」と声を上げた。
顔を戻し、マザーの指す方を見た。すると書棚の前でプティが光を点滅させながら、跳ねるように動いている。
「ここ?」
プティに近づき、書棚を眺めた。
そこには今まで見てきた、どの年代よりも古い記録が並んでいた。ふとその中に、一冊だけ新しい記録があるのに気がついた。
その記録を手に取ると、ほかがあまりにも古くて新しく見えていただけだった。
歴史を感じさせるその記録の表紙を確認する。
「『聖霊王と聖霊の森』……?」
その本は、ハルジュ様が初めてのお出かけでプレゼントしてくれた絵本だった。
よく見ると二千五百年ほど前の日付が記されている。
(ん? ここは三千年前の階層なのに……)
「すごいわ! こんなに昔からあるなんて……これは初版本かもしれないわね。年号が違うけれど……誰かがこの階層に収めたのかしら?」
マザーが目を丸くしている。その間も、プティは読めとばかりに光を点滅させていた。
(このお話ならもう何度も読んだけど……)
そう言いかけてはっとした。マザーの方を見ると、彼女も表情を強張らせていた。
(これは、ただのおとぎ話じゃなかったの……?)
私は、震える指で表紙をめくった――
――――――
世界がまだ神さまの光と影だけだったころ、神さまはよっつのけんぞくを作りました。
けんぞくとは神さまの子どものような存在です。
ひとつは、黒いはがねのように固いこうらを持った、大きな体のやさしい亀
ひとつは、赤く美しいつばさを持った、かしこい鳥
ひとつは、青くすんだうろこを持った、好奇心おうせいな竜
ひとつは、白い体に鳥のくちばしとつばさを持った、ゆうかんな獅子
よっつは神さまの庭で一緒に遊びました。
聖霊をたくさん作って庭をいっぱいにし、山を作って川を流して森を育てました。
そうして仲良く遊んでいると、神さまが「人間を仲間に入れてあげよう」と言いました。
「人間は小さくて弱いから、お前たちが守ってあげなさい」
「悪いことをしたらちゃんとしかって、いいことをしたらたくさんほめてあげなさい」
よっつは神さまの庭をわけっこして、聖霊を作りながら人間を見守ることにしました。
ひとつは、大きな山になって
ひとつは、深い森になって
ひとつは、風の吹く砂の湖になって
ひとつは、高いがけの岩山になって
好奇心おうせいな竜は、人間と遊びたくてしかたがありません。
神さまにないしょで人間の姿になり、聖霊の森で一緒に遊ぶようになりました。
竜が聖霊をたくさん作ってあげると、人間はおいしいものをたくさんくれました。
竜は楽しくてとても幸せでした。
ある日、ひとりの人間が竜に黒い果物をあげました。
竜は食べたことのない果物だったので、よろこんで食べてみました。
それは中まで真っ黒な実でしたが、とても甘くてとろりと溶けてしまうようなおいしい果物でした。
次の日、竜はおなかをこわしてしまいました。
黒い果物は、神さまの影が作った悪い果物だったのです。
竜は病気になってしまいました。
たくさんの人間が薬をくれましたが、竜にはききませんでした。
竜が住んでいる聖霊の森はかれてしまいました。
すると、森の外の草も花も、みんなみんな、かれてしまいました。
竜は泣きました。神さまに「黒い食べ物には気をつけなさい」と言われたことを忘れてしまっていたのです。
神さまは竜がかわいそうになったので、毎日竜のおみまいに来てくれていた女の子と男の子に、「竜を助けてほしい」とお願いをしました。
男の子には聖霊とお話ができる方法を、女の子には元気になるおまじないを教えてあげました。
男の子は聖霊とお話をして、竜が病気になった理由を教えてもらいました。
そして黒い果物を渡した悪い人間をつかまえて、二度と悪いことができないようにしました。
女の子は一生けん命、竜のかんびょうをしました。
男の子は聖霊が教えてくれた病気にきく草をとってきて、女の子が「元気になりますように」とおまじないをかけて竜に食べさせました。
とても苦い草でしたが、優しい女の子と男の子がくれた薬だったので、竜は一生けん命食べました。
すると竜はピカピカキラキラと光り、たちまち元気になったのです。
男の子と女の子はよろこび、竜はお礼を言いました。
竜が元気になったので、森は元どおりの青々とした森になりました。
森の外では女の子がおまじないをかけて、草も木も、動物も人間も、みんな元気になりました。
男の子は竜がおなかをこわさないように、悪い人間が二度とこないように、聖霊と一緒に森を守ることにしました。
男の子と女の子は竜と聖霊の住む森で、みんなでずっとずっと仲良くくらしました。
――――――
絵本を閉じても、まだ心臓がうるさいくらいに音を立てている。
「リナリエ……これを読んでみて」
私はマザーから手渡された古い資料に目を落とした。その記録はところどころ字が消え、ページが破れてしまっていた。
「この記録のこと、もっと早くに思い出していたら……ごめんなさい」
そこには、建国前に聖霊の森で起きた異変を救った兄弟のことが書かれていた。かろうじて読める部分を目で追っていく。
「建国前の記録は本当に少なくて……聖霊の森を救ったあと、兄は創世神の祝福を受けてアズロア王国を建国した。そして弟は聖霊王の加護を与えられ、辺境の守り手となった。この絵本の男の子は弟の方よ」
(絵本は、建国の歴史をモチーフにしていた……)
「じゃあ、この女の子も実在する……?」
知ってしまったら、もう後戻りはできない。期待と不安が入り混じる中、私はおそるおそる聞いた。
するとマザーは資料の次のページを指し示した。
そこに書かれていたのは、一人の女性のことだった。
ほとんど読めなかったけれど、兄弟とともに聖霊の森を救い、創世神から初めて聖術を授かった『始まりの聖女』という言葉だけはわかった。
読み進めていくと、私は一つの記述に目が釘付けになった。
それは、その女性の容姿について――
「小麦色の肌、漆黒の髪……輝く、黄金の瞳――?」




