39 辺境の記録室
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記録室の扉は、領城にある礼拝堂の奥にひっそりとあった。
「リナリエにはまだ伝えていなかったね。……私の聖術のこと」
祭壇にある聖霊王の像を眺めていると、静かな礼拝堂にハルジュ様の声が響いた。
「私は生まれつき聖霊が見える。辺境伯に選ばれる条件の一つだが、最も重要な条件は、ある聖術を覚醒するかどうかなんだ」
「前に言っていた特別な聖術……ですか?」
(あのときは聞かずにいたけれど……)
「そう。聖霊と心を通わせ、聖霊の力を直接借りることができる聖術。『聖霊使役』というんだ」
「聖霊使役……」
「聖霊を使役しているのか、聖霊に使役されているのか、わからないときがあるけど」
そう言ってハルジュ様は笑った。
(聖霊がお願いを聞いてくれるって言っていたのは、やっぱり本当だったんだ……)
毎日聖霊を見ているおかげで、マザーが言っていたとおり、それぞれ意思を持っているのがわかってきた。今ではなんとなくだけど、彼らが言いたいことがわかるときもあるのだ。
……ご飯のことに関しては特に。
「聖霊と話ができるなんて、うらやましいです」
ハルジュ様にそう伝えると「君もすっかり聖霊に夢中だね」と嬉しそうに目を細めた。
今日も笑顔がまぶしくて、胸の奥がむずむずした。
「さて、これで君は私の大事な秘密をまたひとつ……知ってしまったわけだ」
「え?」
私も声が聞こえないかな、なんて考えながら耳を澄ませていると、不穏な台詞が聞こえてくる。
「わたしが教えてって言ったわけじゃないですよね!?」
慌てて声を上げると、ハルジュ様がふふっと吹き出した。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。私が話したかったんだ。さあ、中に入るよ」
またからかわれたことを抗議する前に、ハルジュ様は記録室の扉の前で何かを呟いた。
すると扉が一瞬光り、カチャリと鍵の開く音が聞こえた。
「この記録室の扉は聖霊にしか開けられない。リナリエはいつでも入れるように聖霊に伝えておくからね」
扉が開くと、私は吸い込まれるように中に足を踏み入れた。
応接間ほどの広さの記録室には、天井まで届くほど高い書棚が並んでいた。書棚は壁に沿って四方を取り囲むように配置され、本がぎっしりと収められている。
「記録室は一階ごとに百年間の記録が保管されている。百年の節目になると階が増えるそうだ。そしてこの一階にまた新しい記録が保管されていく。どういう仕組みなんだろうね……」
ハルジュ様は部屋の中央にある白い螺旋階段の前まで進み、手すりに手をかけながら上を見上げた。
同じように見上げても、はるか上の最上階なんて当然見えない。
(外から見ても、領城に塔はなかったはずなのに……不思議……)
「聖術の記録はこっちだ」
ハルジュ様についていくと、白い背表紙の本がずらりと並ぶ書棚の前に来た。
「ここにリナリエの記録もあるよ」
見せられたのは私が聖術を覚醒した年の記録で、私の名前や覚醒した聖術についての情報が記録されていた。
「この記録は本当の聖術がわかったらマザーに書き直してもらおう。さて、ここからどうやって探していくかだが……私が君の聖術について調べていたことは聞いてる?」
私はうなずいた。二人はこの膨大な記録から探そうとしてくれていた。これ以上、頼ってばかりではいけない。
「そのときはとりあえずマザーの記憶を頼りに、百五十年前までの聖術の記録は手当り次第に確認していたんだけど……残念ながら似たような聖術は見つからなかった。でも今回で聖術の具体的な予測がついた」
「手当たり次第って……そんな大変な作業を……」
申し訳なさに肩を落としていると、「そうでもないよ」と気軽な口調で返事が返ってきた。
「調べるうちにおもしろくなっていろいろと目を通したから、ここ三百年くらいの歴史なら頭に入ったしね。珍しい聖術は、その時代に起きた大きな出来事や災害に合わせて覚醒するといわれているだろう?」
「……そして」と言いながら、ハルジュ様の美しい新緑の瞳がまっすぐ私に向けられた。
「今、この国で起きている大きな出来事なんて一つしかない。リナリエ。私は……君のその力は、この地を救うために与えられたものだと思っている」
「え……」
どう返事を返せばいいのかわからず、言葉に詰まった。
だって今までずっと王都にいて、辺境との関わりなんて少しもなかったのに――。
(そもそもわたしは悪役ヒロインとしてざまぁされて、罪人として修道院にいるはずで……)
運命から逃れられずに、ここに来た。そしてここで、自分の力が癒しの聖術ではないとわかった。
(これは偶然? それとも……)
戸惑う私を見つめる視線がふとゆるんだ。
「まぁ、あくまでもそうだったらいいな、という私の願望だけどね。混乱させたね」
「いえ……」
本当にそうならいい。でも簡単に答えを出すのは……怖い。私はハルジュ様から目をそらし、意味もなく書棚の背表紙を目で追った。
(今はとにかく、自分の力を知らないと……)
「とりあえず、君の力が関係しそうな大きな災害や事件があった時代を調べて、その年代に覚醒した聖術を調べていこうと思う」
ハルジュ様は螺旋階段に私を促した。
「ここ三百年の間にそういった異変は起こっていない。四百年前から探し始めよう」
ハルジュ様に「階段を使うときは行きたい階層を思い浮かべて」と言われ、「四百年前の階層へ」と念じながら階段を上る。
次の階に着いてから階段を見下ろしてみると、一階分しか上っていないはずなのに、階段はさらにその下の階へと伸びていた。
「初めてここに来たときは何度も階段の上り下りをしたよ」
ハルジュ様が懐かしそうに笑う。何も考えずに使うと、普通の階段のように次の階へ移動するだけらしい。
私たちは歴史の資料を手分けして確認し始めた。大部分は辺境の歴史だけれど、国内で起きた大きな出来事もきちんと記されていた。過去の王国と辺境の結びつきなど、興味深い内容が数多く記録されていて、つい夢中になってしまいそうだ。
「リナリエ、これを見てくれ」
探し始めて間もなく、ハルジュ様に呼ばれた。
渡された資料に目を落とす。
「世界的な凶作による侵略戦争……」
「この時代で有名な出来事だからね。植物に関係する大きな事件といったらこれだろう」
四百年前、世界的な飢饉が起きたときに、アズロア王国の食料を狙って南の隣国が起こした戦争だ。
でも戦争は一週間も経たずに終わる。戦争開始と同時に大洪水が隣国を襲ったからだ。
これは平和を愛する創世神が隣国に与えた罰だと言われている。
歴史上、侵略や戦争を起こした国は必ず罰を受けているようで、この世界では今でも他国への侵略や戦争は禁忌になっている。
「実は隣国に狙われたのはこの辺境だったんだ。世界で唯一、ここだけが不作をまぬがれていたから。植物や土地の回復に関係する聖術を覚醒していた者がいるかもしれない」
調べてみると、たしかにこの年代は植物を成長させる聖術を覚醒している人が多かった。
でも結局、私と同じような聖術の記録はなかった。
「今日はここまでにしよう」
懐中時計を見てハルジュ様が言った。
「ここにいると時間がわからなくなるから、時計は必須だよ」
ハルジュ様と記録室を出ると、外はもう日が落ちて薄暗くなっていた。
(今日は祈りの時間に間に合わないな……)
祭壇の前に行き、心の中で祈りだけでも捧げておく。
「君はもう心もシスターだね」
「え?」
「今、祈りを捧げただろう? 聖霊がすごい勢いで君の周りに集まってる。今日はここで夕食をとらないか? マザーに許可はもらっているから」
料理人が作る領城の夕食は、庶民的なメニューのはずなのに彩りも味も抜群だった。
聖霊のために用意してもらった食事は祈りを捧げたら一瞬で消えた。
(いつもよりスピード早くない……?)
もっと料理の腕を上げようと、ひそかに決意した瞬間だった。
「いつ記録室に来てくれてもいいから。いつも私が付き添えるわけではないけど……」
帰りの馬車の中。
ハルジュ様がどうにも心配だ、という表情をするので、私は軽く胸を張った。
「全然大丈夫です。お気遣いいただいて本当にありがとうございます。……わたし、ちゃんとこの力を使いこなせるようになりますから」
膝の上に置いた手に力を込める。
(自分が間違った道に進まないように、正しい使い方を身につけないと)
「……無理はしないようにね」
ハルジュ様が小さく呟いた言葉は、内心で意気込んでいた私には届かなかった。




