38 『世界を癒す聖者』
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「あとはハルジュとゆっくり話をしなさい」
そう辺境伯様に言われ、応接間にやってきた。
辺境伯様の部屋を出てから今まで、ハルジュ様はほとんど言葉を発しなかった。
何かを考え込んでいるのはわかった。嫌な感じはしなかったので、私は彼が話し始めるまでじっと待った。
「……大伯父上があんなに笑っているのを見たのは、生まれて初めてだった」
ようやく口を開いたハルジュ様は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「出会ってからずっと、よく笑う優しい人だったけど、腹の底から大声で笑うところは見たことがなかった。いつも辺境のために領地を走り回っている人で……本当は苦しかったと、初めて本人の言葉で聞いて驚いた。でも……やっぱりそうかと納得したんだ」
ハルジュ様は辺境のために力を尽くす辺境伯様を見て、尊敬すると同時に心配でたまらなかったんだろう。それを思うと胸が苦しくなる。
「六十年、ずっと……ただ辺境が不毛の土地になっていくのを見続けてきた大伯父上を、君は救ってくれたんだ」
ハルジュ様が座ったまま頭を下げた。
「ここまで来たら、辺境が緑に染まる姿を大伯父上に見せてやりたい。私からも頼む。どうか力を貸してほしい」
さっきから頭を下げられっぱなしでいたたまれない。私はこほんと咳払いをして、「ハルジュ様」と声を低くした。
「頭を上げてください。辺境伯になるお方がそんなにぺこぺこしてはいけません」
「しかし……」
「しかしもおかしもないです。もっと偉そうに『罪を償うために力を使え!』って言えばいいんです。いつもみたいに」
「え……いつもそんな風に見えてたの……?」
思ったよりショックを受けてしまったので慌てて訂正する。
「……今のは冗談ですが。わたしは言いました。辺境の役に立ちたいって。なんのために堆肥の実験を始めたと思っているんですか?」
「リナリエ……」
私は満面の笑みを浮かべてハルジュ様に宣言した。
「ハルジュ様は、辺境のために一緒にがんばろうって言ってくれればいいんです! わたしだってもう辺境の民なんです、か、ら……ね……」
私は最後までかっこよく決めきれなかった。ハルジュ様が近づいてきて、私の両手を取ってひざまずいたからだ。
「リナリエ……君は辺境に遣わされた女神なのか?」
「へ……?」
(え? 今のどこに女神要素が……? 偉そうにお説教めいたことを言っただけだけど……?)
じわじわと手のひらに汗がにじむ。気づかれていないだろうか。
この状況に耐えきれなくなって口を開こうとした瞬間、私の手の甲に柔らかいものが触れた。
「私と一緒に辺境に緑を取り戻そう」
(はぇ? くち……く、口づけ……!?)
ハルジュ様の輝く笑顔を最後に、昨夜から寝不足だった私の視界は暗転した。
◇
気がついてまず見たのは石造りの天井だった。がばっと起き上がってあたりを見回すと、そこは応接間のソファだった。
窓の外の明るさから考えても、そんなに時間は経っていない。
「大丈夫?」
声のした方を見ると、水差しとグラスを持ったハルジュ様が部屋の中に入ってくるところだった。
「突然気を失うように眠ってしまったんだ。また寝不足だったみたいだね」
(それもありますが、あなたがわたしの手に口づけ、なんて反則技を使ったからです……とは言えない)
「あはは……昨夜はうまくいくか緊張して……」
とりあえずごまかして、水を受け取り喉を潤した。
それから、あらためて私の力についての話をするため紙とペンを借り、覚醒の儀で聖具に現れた聖言を書き出した。
――――――
幾多の生命は聖の光によって輝く
生命に在るべき力を与えよ
汝、世界を癒す聖者とならん
――――――
「この聖言をわたしが読み上げると、立会人の聖導師様はしばらく悩んでいました。これまでの聖言の記録に同じものどころか、似たようなものもなかったそうです」
結局その場では答えが出ず、大聖堂からの呼び出しがあったのは数日後だった。
「わたしの聖言は珍しいものだと言われました。そして聖導師様は『世界を癒やす聖者』という一節から、癒しの聖術ではないかと読み解きました」
その後実際に聖術を使ってみると、骨折した兵士の腕や熱病におかされた子どもなど、程度に関係なくあらゆる怪我や病気が治っていく。
数百年ぶりの奇跡だと大騒ぎになり、あっという間に「癒しの聖女」と認められてしまった。
「……実は、王都の兄上から報告があったんだ。カレンディアが癒しの力に目覚めた。彼女に神託があり、大聖堂で確認したところ、元の聖言から一節が変化していたそうだ。彼女は病や怪我だけでなく、古い傷跡や失った手足まで元どおりにした。さらに呪いや魔の力の浄化までできると……」
私は息をのんだ。それほどの力……私なんて比べものにもならない。
「それが千年前にいた癒しの聖女の聖術と一致したため、大聖堂は新たな『癒しの聖女』として認めたそうだ」
ここはざまぁルートの世界だ。カレンディア様が真の癒しの聖術を覚醒させたことに疑う余地はない。
気遣わしげにこちらを見るハルジュ様に向かって、私は軽く微笑みながら首を振った。
「わたしには今日まで神託はありません。わたしの聖言はたぶん最初から、癒しの聖術のことを指していなかったと思うんです。今なら……違った読み解き方ができませんか?」
私たちは紙に書いた聖言を見つめた。
「うーん……。一節目は人間だけじゃなくて、すべての生命……植物にも聖霊にも効果があるって意味だろうね」
「では『生命に在るべき力を与えよ』は? 『元の姿に戻せ』とかなら、怪我や病気をする前の姿を連想しますけど……。在るべき力……?」
私が頭を悩ませていると、ハルジュ様が私の力を受けたときの話をしてくれた。
「君の聖術を受けたあと、無敵になった気分だった。体の奥底からエネルギーが一気に湧き上がって、自分が完璧な状態に生まれ変わったような」
「そういえば……わたしの聖術は、傷を消すというより、傷の治りを異常に速めるような感じなんです。病の場合は治っていく様子は見えないのですが……」
ハルジュ様は顎に手を当てた。
「もしかしたら、その生物が持っている生命力……それを高めることができる……と考えられないかな」
「生命力……生命に在るべき力。それをわたしが与える……」
「そうだね」
生物は怪我や病気をすると、本来持っている生命力――自己治癒力で体を修復する。
私の力は、その生命力を一気に増幅させる効果を持っていると考えれば――
(すでに失われた部分は癒せないことも説明がつく……)
鼓動が早くなっていく。きっと間違っていないという、予感めいたものを感じる。
「最後の一節『汝、世界を癒す聖者とならん』か。突然スケールが大きくなるんだな……」
「わたし……ここだけわかる気がします」
(そう、わたしが目指していることだから)
「聖霊は世界そのものだと、マザーが言っていました。きっと世界というのは聖霊のことで……だから聖霊の宿った大地も癒すことができるって、そういう一節だと思うんです」
「大地を癒す……」
ハルジュ様が私の言葉を繰り返した。その瞳は、聖言の書かれた紙から離れることなく揺れていた。
「君の力の正体がなんとなく見えてきた。しかし……やはりそういった聖術は聞いたことがない。聖霊にまで作用する力なんて……」
紙から目を離したハルジュ様がこちらに顔を向けた。
「辺境の記録室には、過去に覚醒した聖術の記録がすべて揃っている。過去に同じような聖術の覚醒者がいないか探す……根気のいる作業だ。それでもやるかい?」
(どんなに時間がかかっても……それをしないと、わたしはずっと前に進めないままだ)
私はしっかりとうなずいた。
「……わかった。ではさっそく見にいってみようか」
記録室へ向かっている途中で、ハルジュ様の呟きが聞こえた。
「弱ってしまった生命力を増幅させる聖術……もし、弱っていない者に何度もその力を使えば……」
ハルジュ様の言いたいことがわかった。
きっと王太子殿下は、この力で得られる高揚感の虜になってしまったんだ。私が安易に力を使ってしまったから……。
「やっぱりわたしの力のせいだったんですね……」
「それは違う。レオシードが私欲のために聖術を強制した。自業自得の結果だ。君の罪じゃない」
「……でも王族を殴りました。やっぱりわたしは罪人です」
「リナリエ……」
言葉を詰まらせるハルジュ様に、私は努めて明るい声を出した。
「大丈夫です。わたし、償いのためにも、しっかり辺境のお役に立ってみせます!」
(そのためにも、まずは力のことを調べないと)
前を向いて歩いていたので、そのときハルジュ様がどんな顔をしていたかまではわからなかった。




