37 辺境伯様の夢
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マザーと話をして、私はハルジュ様に相談することを決めた。
『畑の苗が成長しました。それと私の聖術について相談したいことがあります』
小鳥を飛ばすとすぐに返事が返ってきた。
何度か手紙を交わし、二日後に領城を訪問することになった。
◇
領城を訪問する前日、畑の土を二つの植木鉢に移し、そこにミニトマトと聖星花の種を植えた。
(明日はわたしの力を見てもらう。それで聖術の記録を調べる許可をもらえるようにお願いする……)
それだけのことなのに、その夜はほとんど眠ることができなかった。
翌日、昼過ぎに領城から迎えの馬車が来た。
顔なじみの御者に挨拶をし、二つの鉢植えと一緒に馬車に乗り込む。
領城に到着すると、外でハルジュ様が待っていた。
「久しぶりだね」
「こんにちは。今日はお時間を作っていただきありがとうございます。どうしても……見てもらいたいものがあるんです」
馬車から降ろした土だけの鉢植えを見て、ハルジュ様は戸惑っていた。
「成長した苗じゃないのかい?」
葉が生い茂っているのを想像していたに違いない。困惑気味の声に私はうなずいた。
「はい、あとで説明しますね」
いつもと違う私の様子に気がついたのか、ハルジュ様は何も聞かずに辺境伯様の元へと案内してくれた。
「大伯父上はリナリエが来るのを心待ちにしていたんだ。君の口から直接畑の様子を話してあげて」
ハルジュ様が辺境伯様の私室の扉をノックすると、中にいた家令のレイブさんが扉を開けてくれた。
辺境伯様はベッドではなく、窓辺の椅子に身を沈めるように座っていた。
「今日はお時間をいただきありがとうございます。お加減はいかがですか?」
辺境伯様に挨拶をする。
辺境伯様は親しげな笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。
「久しぶりだね。君が誠実に祈りの日々を過ごしていると聞いているよ。それに……畑のことも聞いている。君が来ると聞いて、今日は嘘のように体が軽い。ぜひ話を聞かせておくれ」
ハルジュ様とレイブさんが辺境伯様の側のテーブルに鉢植えを置いた。
「……これは?」
「はい。これが、黒の森の薬草から作った堆肥を混ぜた土です」
私は辺境伯様に土作りのことから説明した。辺境伯様は私の話を聞きながら、時折感心した声を上げる。
「領主になって六十年になるが、大地の聖霊に目を向けようなど、考えたこともなかった。君の方が辺境伯に向いているかもしれんな」
「いえ! 本当に偶然なんです……」
苦笑いを浮かべる辺境伯様にも、ハルジュ様と同じように答えておいた。
「それから種と苗を植えて……唯一緑を保っていた薬草堆肥を見守っていたら、種が芽吹いたのです」
辺境伯様は大きくうなずき、鉢植えに目を向けた。
「ああ、話は聞いている。それを聞いてどれだけ嬉しかったか……これが、辺境の大地をよみがえらせてくれる土なのだな」
「でも、そのあと……植物の成長が止まってしまったんです。わたしは農業に詳しくありません。どうしたらいいのかわからなくて……」
「それについて報告を受けてから、農業の専門家を呼ぼうかと大伯父上と相談していたんだ」
それまで黙っていたハルジュ様が教えてくれた。
(ハルジュ様も一緒に考えてくれていたんだ……。やっぱりわたし……ハルジュ様の期待に応えたい)
私は大きく深呼吸をして、鉢植えに近づいた。
そのとき肩に聖霊が止まった。一瞬、光の中に小さな女の子の影が見えた。
(ミニトマトの子だ……今日もついてきたんだね)
あの日消えそうだったこの子は、よく私についてくるようになった。きっと今も私を励ましてくれている。
「植物が成長するきっかけをくれたのは聖霊でした。……見ていて、もらえますか?」
私は鉢植えにそっと手を近づけた。指先が震える。それでも手は引かなかった。
人差し指を立て、鉢植えの土に聖力を込める。
私の指先から白い光があふれた途端、鉢植えの中で種が目を覚ました。
双葉が姿を現し、ぐんぐんと成長していく。
ミニトマトが黄色い花を咲かせ、瞬く間に赤い実が鈴なりに実る。
窓から差し込む光の中で、聖星花の白い花びらが静かに揺れていた。
その場にいた誰も、声を出すことはなかった。
(信じられないよね……わたしだって、この力が何なのかわからない)
「……わたしは、癒しの聖女ではありませんでした。癒しの聖術で植物は成長させられません」
今まで積み上げてきた癒しの聖女として誇りも、全部無意味なものになった。
結局、偽物聖女としての運命どおりだ。
(それでも……少しは生き方を自分で選べると、信じたい)
「わたしはこの力で辺境をよみがえらせるお手伝いをしたいです。でもこの力が何なのか……わかりません。だから力の正体を突き止めたいんです。どうか聖術の記録を調べさせてもらえませんか」
沈黙が続く。修道服を握りしめて答えを待った。
「……ミニトマトを……食べてもいいかな?」
しばらくして、辺境伯様が静かに口を開いた。
「これは辺境伯様に差し上げるために持ってきました」
私がうなずくと、辺境伯様は慎重にミニトマトを摘み取り、口に運んだ。ゆっくりと噛みしめたあと、ぽつりとこぼした。
「……うまいな。辺境の大地で育った野菜は格別だ……」
「辺境伯様……」
こちらを見て笑った辺境伯様の目尻から、涙がひと粒こぼれ落ちた。
「リナリエ嬢、こちらへ」
辺境伯様の椅子の前まで行くと、しわの刻まれた大きな手が私の手を包み込んだ。
「ずっと夢を見てきた。ここで育った野菜を食べ、花を愛でることを。同時に叶わない夢だとも思っていた。私の生きている間には無理だろうと、諦めたくなったのは一度や二度じゃない」
「大伯父上……」
辺境伯様の後ろに立つハルジュ様の瞳は揺れていた。
「その、夢が……今、目の前で叶った。ありがとう……本当に……長かった……」
声を震わせる辺境伯様の肩に、ハルジュ様がそっと手を置いた。
「大伯父上も私も、君には本当に感謝している」
頭を下げるハルジュ様を慌てて止める。
「わたしは辺境のためにやれることをやっただけで……」
「いや、君には感謝してもしきれない。これでいつ死んでも悔いはない」
「大伯父上!?」
「辺境伯様!?」
「ジュスト様!?」
辺境伯様の発言にハルジュ様、私、レイブさんの声がきれいに揃う。
「冗談だよ。リナリエ嬢のおかげで、まだ死ぬわけにはいかなくなってしまった」
「洒落になりません……」
軽く笑う辺境伯様に、疲れた表情のハルジュ様。でも二人は本当に嬉しそうだった。
「リナリエ嬢」
辺境伯様に名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばした。
「君の想いはよくわかった。ハルジュにも手伝わせるから思う存分調べるといい」
「あ……ありがとうございます!」
ハルジュ様をちらりと見ると、笑顔の彼と目が合った。
その瞬間……何日もずっと強張っていた肩の力がどっと抜けていった。
(よかった……)
辺境伯様も水を得た魚のように、生き生きとした様子で今後のことを考え始めている。
「すぐに農地の復興計画を立てなければな。力を貸してくれるかい?」
「は、はい! よろしくお願いします」
そんな辺境伯様を見て、私はもう一度心を奮い立たせた。
「辺境伯様、わたしの力を使わせてもらえませんか?」
「私に? だが……」
「病気や怪我を癒すつもりではないんです。たぶん、少しだけ……できることがあるんです」
ハルジュ様やマザー、ナタリスさん。今思い返せば王都でも……力を使ったあとの様子を思い出して考えたことがある。それは聖霊たちに力を使うようになって、ほぼ確信に変わった。
「わかった」
私は辺境伯様の手を取り、負担がかからないようにゆっくりと力を込めていく。
徐々に力を強くしていくと、一瞬だけ、辺境伯様の体をまぶしい光が包み込んだ。
「どうですか?」
「「!?」」
私が問いかけると辺境伯様が突然立ち上がり、そこにいたみんなが息をのんだ。
「杖を」
辺境伯様の一声で、レイブさんが慌てて部屋の奥から杖を持ってきた。
辺境伯様が杖を手に力強い足取りで歩き出す。バルコニーへとつながる大きな窓を開けると、初夏の爽やかな風が吹き込んできた。
「気持ちのいい風だ。今なら走り出せそうだな」
辺境伯様がニカッと笑った。
「リナリエ……」
「わたしの力、みんなに元気を与えることができるみたいで。辺境伯様にはまだまだ働いてもらわないといけませんからね」
私を呼んだハルジュ様に向かって、辺境伯様のまねをしてニカッと笑った。
「ははは! リナリエ嬢のおかげで、死ぬどころか老体に鞭打って働くことになってしまった!」
辺境伯様は大声で笑う。
「笑いすぎて涙が出てきた」と言いながら、羽織っていたガウンの袖で顔を覆い、肩を震わせた。




