36 マザーのお役目
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第五章スタート リナリエの力の秘密に迫ります
おぼつかない足取りの私の手を引き、マザーは聖堂の扉を開けた。
聖霊たちはいつもどおり、光を放ちながら聖堂の中を飛び回っている。
さっき元気を取り戻した聖霊はずっと私の周りを飛んでいたけれど、聖堂に入ると仲間たちの元へふわりと戻っていった。
マザーは一番後ろのベンチに私を座らせ、隣に腰を下ろした。彼女はしばらく聖霊たちを見つめたあと、おもむろに口を開いた。
「ここはいつでも美しいわね。昔からずっと変わらない。私の大好きな場所」
マザーが聖霊を何よりも愛しているのは知っている。彼女の言葉に私は小さくうなずいた。私もここが大好きだから。
「私はもう百五十年、この聖堂で聖霊を見てきたわ」
「……え?」
戸惑う私を見て、マザーは無邪気に笑った。
「ふふふっ。思ったよりおばあちゃんで驚いたでしょう?」
「ほ、本当に……?」
「私の聖術はね、『長命の聖術』というの。他の人よりちょっと長い命を頂いたのよ。たぶん四百年くらい」
軽い口調でマザーは言うけれど、四百年は「ちょっと」じゃない。私は目を丸くして彼女を見つめた。
「この聖術を持つ人は特に何かができるわけではないの。ただ、長い寿命に合わせてたくさんのことを覚えていられるように、物覚えはよくなるわね」
マザーが話すのに合わせて、次第に心が落ち着いていく。
「そしてね……私の生まれるずっと昔から、長命の聖術を覚醒した人は、歴史の管理人としての役目を与えられてきたの」
「歴史の管理人……?」
「簡単にいうと、この王国の歴史を記録に残し、その記録を管理することを任された人よ」
(マザーはなんでも知っていると思っていたけど、全部実際に見てきたことだったんだ……)
そんな国にとって大事な役目を持つ人が、どうして辺境にいるんだろう?
私の疑問にマザーは答えてくれた。
「歴史の管理人は何人かいるの。王家の歴史を記録する者、各領地の歴史を記録する者、そして辺境領の歴史を記録する者。それぞれに管理人がいるのよ」
「マザーは辺境領の歴史の管理人ってことですか……?」
マザーのカナリア色の瞳がキラリと光る。
「そういうこと。私は辺境の出身ではないの。昔はまだたくさんの人が聖霊を信じていてね、私も小さなころからずっと聖霊に憧れていたわ。だからこのお役目を聞いたとき、自分から辺境領に行きたいって立候補したの」
「辺境は人気がなかったからすぐに希望が通ったわ」とマザーは笑った。
ただの聖霊を愛する優しいシスターだと思っていた。まさかそんな大きな役目を負っていたなんて……。
驚きで言葉を失う私を、マザーはまっすぐに見つめた。
「辺境で管理している記録はね、辺境の歴史だけじゃないの。もうひとつの重要な記録……この国で覚醒した聖術の記録よ」
「――!」
(マザーは、わたしの力の正体を知っている……?)
縋る思いでマザーを見つめ返す私を見て、彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。
「残念ながら、私はあなたの問いに対する答えを持っていないの。ごめんなさいね」
マザーにそんな顔をさせたかったわけじゃない。私はむりやり微笑んで首を振った。
「私はね、あなたに怪我を癒してもらったとき、あなたの力が単なる癒しの聖術ではないことに気がついた。だから過去に似たような聖術を覚醒した記録がないか調べているのだけど……まだ見つけられていないわ。今回の植物の件も含めて、少なくとも私が生まれてから同じような力を持つ者はいなかった」
マザーの言葉に、私はふと気がついた。
黒の森で黒犬に襲われたあたりから、マザーは出かけることが多くなった。
(もしかしてマザーがよく出かけるようになったのは、記録を探してくれていたから……?)
気づけば勝手に口が動いていた。
「わ、わたし……わたしも調べたい。自分が何者なのか……この力が何なのか……知りたいんです」
それがどんな答えになるとしても、今はただ自分の正体を確かめたい。
私が震える声で告げると、マザーは優しく目を細めた。
「ではハルジュ様にお願いしなさい。記録室は領城にあるのよ」
「あ……それは……」
その名前を聞いた途端、私は言葉を飲み込んだ。
私の聖術が癒しではないことを、ハルジュ様が知ってしまったら……。
ためらう私の気持ちを見透かすようにマザーは言った。
「ハルジュ様もあなたの力がただの癒しではないことに気づいているわ。ときどき記録を探すのを手伝ってくれているのよ」
「ど、どうして……」
マザーもハルジュ様もいつもどおりで、そんな様子には少しも気がつかなかった。
(どうしてこんなによくしてくれるの? わたしは悪役で……魔から生まれてきたかもしれないのに)
「こんな……何者かもわからないわたしのために――」
「リナリエ」
マザーの声が聖堂に響いた。
「これだけは覚えておきなさい。あなたが自分を信じられないなら聖霊を信じること。聖霊は正しい者を絶対に間違えたりしない」
マザーの瞳がまっすぐに私を射抜いた。
ずっと耳から離れなかった「見えない私」の声が、だんだん遠くなっていく。
「あなたが未知の力に不安を抱くのはわかる。でも聖霊たちがこんなにも喜んでいる限り、それは創世神から与えられた祝福なの。聖霊たちと私が断言するわ。見てごらんなさい」
そう言って、マザーは微笑んで周りを見回した。
つられて周りを見ると、たくさんの聖霊が私たちの周りに集まってきていた。
ひときわ大きく光っている聖霊が、私の周りをくるくると元気よく飛び回っている。
私を励ましてくれているみたいにも見えた。
(この子……たぶんさっきのミニトマトの苗にいた聖霊だ)
マザーの顔も、聖霊たちの光も、ぼやけて見えなくなる。
目頭が熱い。気がつくとマザーの温かい腕の中にいた。
「マザー……わたしっ……」
「リナリエは魔女なんかじゃないわ。たとえ何者だって構わない。あなたは私の可愛い愛弟子よ」
しばらくの間、聖堂には私のすすり泣く声だけが響いていた。




