35 癒しの聖女の正体
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四章ラストです
「……さっきは取り乱してごめん。この結果を大伯父上に報告したい。大伯父上に畑を見せてあげたいんだ」
グラスを手に戻ってきたハルジュ様が、先ほどの様子から一転、落ち着いた調子で言った。
二人でベンチに座り、水を飲みながら話をした。
「実はこのところ、大伯父上の調子があまり良くなくてね。ずっと眠っているときもある。でも、このことを報告すればきっと元気になるはずだ。ここへ連れてくる準備もあるから、しばらく観察には来られないかもしれない」
(本当は辺境伯様のことで大変なのに、わざわざ来てくれてたんだ……)
ハルジュ様は次期辺境伯だ。ご高齢の辺境伯様に代わって任されている仕事はたくさんあるはず。気にしなくても大丈夫だと、私は笑顔でうなずいた。
「畑のことは任せてください。毎日様子を報告しますから」
ハルジュ様は「ありがとう」と言って、もう一度嬉しそうに畑を見たあと、領城に帰っていった。
ハルジュ様がいなくなったあと、私は畑に水をまきながら発芽したばかりの植物たちを眺めた。
水滴が双葉の上でふるふると震えている。まだまだ小さな芽だけれど、この辺境でたしかに生まれた生命だ。
「大きく育ってね」
そっと声をかけると、返事をするように双葉が揺れた。
◇
――薬草堆肥は辺境の大地に植物を芽吹かせることができる。
辺境の植物が失われてから百年、ついに解決方法が見つかったかもしれない。
このまま成長を見守って、辺境に緑を取り戻す、第一歩を踏み出すんだ……!
――そう思ったのに。
今、実験は新たな壁に直面していた。
植物たちの成長が止まってしまったのだ。
ミニトマトの種は発芽してから数日は成長を見せていた。でも十センチほど伸びたあと、ぴたりと伸びなくなってしまった。
苗の方も伸びた気がしたのは初めだけ。それから成長している様子はない。
聖星花も同じだった。
丸くて可愛い葉をつけるところまでは成功したのに、花が咲かない。
(成長が止まってもう一週間……これが限界なの?)
今日の畑の様子も昨日と同じ。成長をやめてしまった植物たちが風に揺れているだけ。
前世も今世も農業について勉強したことはないから、作物の育て方に関する知識は持っていない。何をしたら植物を成長させることができるかなんてわからない。
発芽した畑を見せて大喜びだったマザーも、今は気遣ってくれているのがわかる。さすがのマザーも農業については専門外。二人であれこれ考えてもいい知恵は浮かばなかった。
(農業の専門書を探すか、農業に詳しい人を紹介してもらうか……)
ハルジュ様には約束どおり毎日様子を報告している。
あれからハルジュ様は辺境領の執務にかかりきりで、畑には来られていない。
辺境伯様の具合はなんとか持ち直し、今はゆっくりと回復を待っている状態だという。
一方こちらは『変化ありません』の報告ばかり。そんな手紙にもハルジュ様は丁寧に返事を返してくれる。
(結局わたし、まだ何もできていない……)
そんなことをぐるぐると考えながら畑に水やりをしていると、ミニトマトの苗の前で力なく漂っている聖霊を見つけた。
(この子、消えかかってる。聖力を分けてあげなきゃ――)
◆
――マザーから聖力のコントロールの練習を勧められてから、私は聖霊を相手に練習を続けていた。
きっかけは練習方法に悩んでいたときに、光が消えそうな聖霊を見つけたことだった。
聖霊たちは祈りを捧げたあとの聖力の宿った食事を食べるし、聖術を使ったときも反応が大きい。そもそも聖霊は、創世神様の聖なる力の欠片から生まれた存在だ。
(もしかしたら、聖霊は聖力をエネルギーにできるのかも)
そう考えて試しに聖術を使ってみると、弱かった聖霊の光はたちまち膨れ上がり、強い光を放つようになった。
それからは光の弱い聖霊を見つけるたびに、自分の聖力を分け与えた。
そのうち、力の加減で聖霊の光の強さが変わることに気がついて、聖力コントロールの練習をさせてもらうことにしたのだった。
◆
目の前にいる聖霊は、ミニトマトの葉の上に止まり動かなくなった。
私は聖霊に人差し指をかざし、聖力の強さを意識しながら聖術を使った。
(指一本。十分の一をイメージ……)
聖霊は少し回復したけれどまだ元気はない。私は指を二本、三本と増やしながら、力の強さを変えていく。
四本目の指を増やしたとき、立てた小指がミニトマトの苗に触れた。
「えっ……」
――それは突然のことだった。
ミニトマトの苗たちがぐんぐん伸び始め、葉が生い茂ったかと思うと、黄色い花が咲き始めた。
それだけでは止まらなかった。
みるみるうちに花が閉じ、みずみずしい真っ赤なミニトマトが鈴なりに実り始めたのだ。
隣に植えた聖星花も同じで、白く輝く小花があっという間にあたりを埋め尽くした。
いつの間にか元気になった聖霊は、キラキラと光りながら聖星花の上を飛び回っている。
聖霊の光を受けた聖星花は、まるで地面で瞬く星のようだった。
何が起きたのかわからなかった。
でも、突然植物が成長した理由で、思い当たるのはひとつしかない。
(わたしの力のせい……?)
小指が苗に触れた瞬間に、力が勝手に苗に流れていくのを感じた。
苗から地面を通して、畑に残った植物全部に行き渡るのも……。
目の前で奇跡が起きている。それなのに、私の指先は冷たくなっていった。
――癒しの聖術は植物には使えない。
もし、植物を成長させたのが私なら……私の力は癒しではないことになる。
もちろん人を治癒できる限り、植物を育てる聖術でもありえない。
そもそも辺境伯様の研究書に、辺境の土地では植物を成長させる聖術は効果がなかった、と書いてあった。
(じゃあこの力は……いったいなんなの?)
しばらく思い出すことがなかった「魔女」という罵声と嫌悪の視線が頭をよぎる。
(――違う。聖霊が側にいてくれる限り、わたしは魔女じゃない)
そう思おうとした瞬間、耳元で声が聞こえた。
『じゃああなたの正体は……?』
「――!」
私は息をのんだ。周りを見ても誰もいない。でも聞き間違いではなく、はっきりと聞こえた。
それに……今の声は。
(わたしの……声?)
姿が見えなくてもわかる。それは聞き慣れた私の声だった。その声がもう一度聞こえた。
『本当に魔女にならないと思ってる? そんな保証はあるの? ……あなたはこの世界の悪役なのに?』
(だから……そうならないようにがんばってる)
冷え切った指先を握りしめて、見えない声の主に返事を返した。
『みんな優しくしてくれるからって、自分が悪役だってこと忘れてない?』
(うるさい。ちゃんとわかってる……)
『そんな怪しい力を使ってたら、またみんなにあの目で見られるよ……』
耳の奥で声が響く。頭がずきずきと痛み始めた。
『ねえ、リナリエ。階段から落ちたあとの失くした記憶。わたしが教えてあげるね……』
頭を振っても声は消えない。それどころかどんどん大きくなっていく。
『あの日、目覚めたあと……わたしは自分を諦めたの。わたしの近くにいるとみんな、少しずつおかしくなっていく。望んでいないのにわたしは被害者になって、勝手に誰かが悪者にされていくの。何度違うって言おうとしても、誰にもわたしの声なんて届かなかった。だからわたしはいない方がいいって……消えてしまいたいって思ったの……』
悲痛な私の声が、心の一番深い場所を黒く染めていく。そのとき感じた絶望が、今になって押し寄せる。
(つらい、苦しい、悲しい……あのとき、わたしはこんな思いを抱えていたの……?)
苦しみの色をにじませていた私の声が、急にふふっと笑った。
『そしたらね……魔がわたしの中に入ってきたの。わたしは喜んで身体を譲った。そうして消えたはずだったのに……パーティの日に今のあなたが出てきた。この意味、わかる?』
(嫌だ……聞きたくない)
拒絶したくても、私の声はそれを許してくれない。
記憶がなかったのは、魔に身体を渡したから……?
そして、今の私が出てきたのは……
『リナリエ……あなたは、魔から生まれたのかもね?』
「違う……! そんなの……わたしは信じない!!」
「リナリエ?」
振り返るとマザーが驚いた顔で立っていた。
今朝まで成長していなかった畑の植物が、見事な実や花をつけている。
その前で叫んでいる私の様子がおかしなことに気がついたのだろう。
マザーははっとした表情を浮かべたあと、心配そうに近づいてきた。
「マザー……」
「どうしたの? そんな泣きそうな顔して……。それにこの畑……何があったの?」
マザーの顔を見ることができない。
下を向くと、こらえきれずにこぼれた涙が、点々と地面に染み込んでいく。
「マザー……わたしって、いったい何者なの?」




