20 植物を育てるには
修道院で生活を始めて一週間ほどが経った。
日々の生活にも慣れてきて、一日のおつとめもひととおりできるようになった。ただし洗濯だけは上達しない。私は洗濯スキルが壊滅的みたいだ……。
「今日は少し出かけてくるわ。夕方には帰ってくるから、午後はのんびりしてちょうだい」
二人で朝食をとっているとマザーが言った。
ここに来てからは毎日お祈りと掃除、マザーの授業という生活が続いていた。今日の午後は久しぶりのお休み、というわけだ。
「このあたりを歩いてみてもいいわよ。なーんにもないけど。でも森に入るのはやめましょうね」
「さすがに……とても入れません」
「あら、そうだったわね。リナリエは怖がりだものね」
ふふふっ、とマザーは笑う。
(これは初めて会ったときのことを言ってるよね……)
私は「うう」とうなってパンの残りにかぶりついた。
昼食後、することがなくなった私は、あたりを散歩してみようと修道院の裏手に向かった。
向こうに黒の森が見える。ここから森の入口までは歩いて五分くらいの距離だとマザーに聞いた。
森は今日も真っ黒な葉を茂らせて、地平線を覆い隠すように広がっている。それが視界の先の先の……ずっと先まで続いているのだ。この国の北から南の端まで、森の境界線は続いているという。
想像しただけで鳥肌が立つ。私はなるべく森を見ないようにして歩いた。
聖堂の裏手に回ると、少し離れた場所に木があった。修道院の裏口からも聖堂の入口からも、ちょうど隠れて見えない位置に立っていたので今まで気づかなかった。
その木を見て目を疑った。
(黒の木がここにあったなんて……)
木陰を作っている背の高い木は、それ自体が真っ黒で影と同じ色をしている。落葉を拾ってみたけれど、色が黒い以外は普通の葉っぱだった。
幹にそっと手を当ててみた。ごつごつとした木の感触も普通の木と変わらない。色だけがおかしいのだ。
森から離れたところにたった一本……自然に生えたとは考えにくい。ずっと昔に誰かが森の木をここへ植えたのかもしれない。
建物を除けば、ここには空の青・森の黒・地面の茶色の三色しかない。
(この異様な景色にも、だんだん慣れてくるのかな……)
ぼんやり景色を眺めながら、そんなことを思った。
修道院の裏手の広場に戻ってきた。広場にはもちろん何もない。……土以外は。
その中で気になる場所があった。
ちょうど自分の部屋と同じくらいの広さを、白い石でぐるりと囲っている場所があるのだ。よく見ると少しだけほかの土と色も違う。
白い石は土の中に埋められ、表面だけをのぞかせている。
石で囲まれた場所の土を触ってみた。頑張れば手で掘ることができるくらいには柔らかかった。
(やっぱり……きっとここは畑だったんだ)
緑がなくなる前は、修道院で自給自足の生活をしていたのかもしれない。
立派な畑なのに……なぜか辺境では植物が育てられない。
(なんで育たないんだろう……。ただ『呪いのせい』って言われても、なんかしっくりこないんだよね……)
黒い森や植物が育たない土地など、異常が起きていることも事実だ。でも辺境で過ごすようになっても、どうしても「呪われた地」という言葉が結びつかない。
(ここに来て日が浅いから、まだ実感が湧かないだけかもしれないけど……)
マザーの授業を受けてふと考えたことがあった。
聖霊は自然の源のような存在で、大地にも溶け込んでいる、とマザーは言っていた。そして黒の森になってからは聖霊の力が弱まり、数が減り続けているとも。
もし……聖霊が力を失っているだけだとしたら。
土の中の聖霊が元気になれば、植物も育つのではないだろうか――
(……なんて、専門家が聞いたら笑われて終わりだよね。でも……)
『できないと思っても、やってみると意外とできちゃうこともあるのよ』
マザーの言葉が頭の中で繰り返し響いている。
自分の中で「やってみたい」という想いが膨らんでいく。
「どうせ時間はたっぷりあるんだし、気になることはやってみよう」
手についた土を払って立ち上がり、そのまま自分の部屋へと戻った。
(ここはメルダール家の出番ね)
私は机に向かい、父に手紙を書いた。
ハルジュ様からは内容に問題がなければいつ手紙を送っても構わない、と許可をもらってある。
手紙を書き終わってから、送り方を聞いていないことに気がついた。
(マザーが帰ってきたら聞いてみよう)
そううまくいくとは思っていない。
けれど……自分の意思で「やってみたい」と思えたことで、目の前がぱっと開けたような気がした。
夕食の準備をしているとマザーが帰ってきた。夕食は今日もマザーリクエストのオムライスだ。
あれから二日に一回はオムライスを作っているけれど、聖霊たちが気に入っているので問題ないそうだ。……単にマザーが食べたいだけのような気もする。
(そういえば卵がなくなりそうだった。あとで手紙の出し方と一緒に聞いてみよう)
「マザー、もうすぐ卵がなくなりそうなんです」
夕食をとりながらマザーに報告した。
「あら、じゃあ補充してもらわないとね」
「そういえば……ここの食材はどこで手に入れるんですか?」
街に行けばそれなりに新鮮な野菜も手に入るらしいけれど、ここの倉庫には日持ちする食材が多い。
ちなみに倉庫には冷気を作る術具がついているので、前世の冷蔵庫のような保存ができる。
私がたずねるとマザーは食事の手を止め、食堂の壁に掛けてあるカレンダーを見た。
「街の市場で買うこともあるけど、この歳だと運ぶのが大変でしょう? 二週間に一度、行商が通ってくれているの。次は来週ね。食材以外も頼めば持ってきてくれるわよ」
(なるほど……それならマザーも困らない)
「じゃあ欲しい食材を確認しておきますね。それと……あとで相談があるんです」
片づけを終えたあと、マザーが淹れてくれたお茶を飲みながら、思い切って打ち明けた。
「あの、わたし……裏の広場で、植物を育ててみたいんです」
「まあ……」
「たぶん無理だってことはわかってます! まぁダメ元……失敗するのは承知のうえで、試してみたいことがあって……。やってみようかなって……」
マザーは私をじっと見つめた。視線が痛くて、だんだんと声がしぼんでいく。
「いいでしょうか……?」
おそるおそる様子をうかがうと、マザーは瞳を輝かせていた。
「いいじゃない!」
「はぇ? 無理なのは前提ですけど……いいんですか?」
マザーは目尻のしわを深めて笑った。
「やりたいことはやればいいのよ! 裏の広場は昔は畑だったの。どんどん使ってちょうだいね」
「あ、ありがとうございます……!」
「うふふ、結果が楽しみねえ」
困らせてしまうかもと心配していた私は、にこにこしているマザーを見てほっと胸をなでおろした。
「えっと、それでいくつか聞きたいことがあって……実家に手紙を書いたんですが、出し方がわからなくて……」
「手紙なら行商が来たときに預けてもいいけど……街に行って出した方が早いわね。郵便局があるから。他には?」
「あと、植物の種は辺境で手に入りますか?」
「植物の種……」
マザーは考え込んだ末、困ったように言った。
「ここでは種や苗は買う人がいないから……。行商に頼むのが確実だわ。今なら手紙を飛ばして、間に合えば持ってきてくれるかも」
「それで大丈夫です! 種を植えるのはまだ先ですから」
「じゃあ欲しいものを書いていきましょう!」
いつの間にかマザーの方が楽しそうに計画を立てている。
そんな彼女に、私はもう一つだけお願いをした。
「最後の相談なんですが……わたし、黒の森に行ってみたいです」
勇気を出して口にすると、マザーは目を丸くした。
「あら! 怖がりさんがどういう心境の変化かしら?」
「こ、怖がりじゃあ……ありますけど……。わたし、薬草のことを学びたいんです」
私がやりたいことのためには黒の森の薬草が必要だった。もちろん辺境で役に立てるようになりたい、というのもある。黒の森の薬草はどのくらい種類があって、どんな効果を持つのかを学びたい。
そう説明すると、マザーは優しく微笑んだ。
「あなたの準備ができたら、薬草について教えるつもりだったわ。行商が来る前に薬草採取に行く予定だったし、明日から薬草についても勉強しましょう」
「はい! 頑張ります!!」
「ふふ、じゃあまずは街にお出かけね。案内役を手配するから、その子の予定がつく日に行ってらっしゃい」
辺境に来て初めてのお出かけが決まった。案内役はどんな人だろう?
人と会うのはまだ少し不安だけど、マザーの知り合いならきっといい人だ。
仲良くなれるといいな……。




