19 聖霊についての授業
聖霊の話を聞くのは午後の時間を使うことになった。
食堂に戻り二人で朝食をとる。マザーは「とってもおいしいわ!」と喜んでくれた。
朝食後は修道院の掃除だ。
毎日一部屋か二部屋を順番に掃除していくという。今日はエントランスを二人で掃除した。
マザーが何十年もひとりで掃除していたのを思うと、小さく胸が疼く。
(これからはわたしがたくさん動いて、マザーに楽をしてもらおう……!)
掃除に夢中になっているとすぐにお昼になった。
昼食はいつも朝作ったものを温め直していて、祈りもその場で捧げればいいそうだ。今日はスープの残りをシチュー風にアレンジした。祈りを捧げてから昼食を頂く。
「私たちは聖霊の食事をおすそ分けしてもらっているの。聖堂の掃除も聖霊に気持ちよく過ごしてもらうため。聖霊のために奉仕する、それがこの修道院のルールよ」
二人で食器を片づけながら、マザーの言葉に耳を傾ける。
先ほどの不思議な出来事が頭に浮かんだ。
(本当に聖霊は……いる?)
午後は基本的に自由時間になる。
私たちは修道院の中にある、小さな礼拝堂にやってきた。
マザーの私室の隣にある礼拝堂は普段は使われていない。これからはここでマザーの授業を受けることになった。
小窓から日の光が入り、時折空中で光の粒がキラリと反射する。
祭壇には小さな聖霊王の像が静かにたたずんでいた。
「リナリエは聖霊のこと、どういう風に教わったかしら?」
マザーは穏やかな声で私に問いかけた。
「えっと……聖霊は、創世神からこぼれ落ちた聖なる力の欠片の呼び名で、創世神の眷属である聖霊王がそれを管理している。聖霊王はその欠片から空気や水、土などの自然を創り、国を護っていると……」
私は今までに教わった神話の解釈を思い出しながら、マザーの問いに答えた。
マザーは私の答えにうなずいた。
「そうね。それがこの世界の常識になっている。でも本当は少し違う。聖霊王の役目は聖霊を育てることなの」
「育てる?」
「そう。聖霊王は聖なる力の欠片から聖霊を生み出し、育て、世界に送り出す。聖霊は空や大地に溶け込んで世界を巡り、この世界に恵みを与える」
(聖なる力の欠片から、聖霊を生み出して育てる? まるで生きているみたいな言い方……)
思わずマザーにたずねていた。
「聖霊って……生き物なんですか?」
「自然そのもの、という考え方もあるけど、聖霊王が作り出した生命……という意味ではそうね。ちゃんと意思も持っているのよ」
王都では、聖霊は創世神の力の別名だと学んだ。聖霊が生きているなんて誰の口からも聞いたことはない。今まで学んできたことと違う話に、私は首を傾げた。
「そんな話……聞いたこともありませんでした。なぜでしょうか」
「長い年月で少しずつ真実が失われていったの。昔は聖霊が見える人もたくさんいたけれど、今では聖霊の存在を信じ、姿を見ることができるのは辺境の民だけ」
再びマザーの口から驚くような言葉が飛び出す。つい前のめりになって声を上げた。
「見える? 辺境の人は聖霊が見えるの?」
「聖霊の加護をもらえればね。辺境は聖霊の生まれる場所だから、聖霊の加護を持つ人が何人もいるわ」
聖霊が見える、と聞いて心が躍った。
辺境に来てから、私の知らなかった世界がどんどん広がっていく。
「マザーにも見えるんですか?」
「ふふふ。私たちの周りにたくさんいるわよ」
マザーにつられて周りを見回してみる。
(うーん……。部屋の様子はさっきと変わらない。何か特別な契約が必要とか?)
「わたしも……見えるようになりますか?」
おそるおそる聞いてみると、マザーから思いもよらない返事が返ってきた。
「聖霊を心から信じ、愛する気持ちが彼らに届けばね。でもあなたの場合は……もう見え始めてるんじゃないの?」
「え?」
(どういうこと? わたしには何も見えていないけど……)
ここ、とマザーが窓辺を指差した。
するとタイミングを合わせたかのように、マザーの指の先で光の粒がキラリと光った。
「まさか……この光が、聖霊……?」
「ほら、やっぱり見えてる。この子は小さいけれど、こういう光があたりにいっぱい浮かんでいるわ」
(なんだろうとは思ってたけど、これ、聖霊だったの……?)
聖霊の光に感動する私の隣で、マザーは頬に手を当てた。
「リナリエの場合はなんて言ったらいいか……懐かれ方がすごいのよねぇ……」
「?」
マザーは頬に手を当てたまま、上から下まで私を眺めている。自分の体を見たけれど、何かが付いているわけでもなさそうだった。
「うん、きっとすぐ見えるようになるわね。もしかしたら若様と同じように、聖霊の姿まで見えるようになるかも」
( え、若様って……)
「ハルジュ様も見えるんですか?」
「あら、あなたに伝えてないの? 若様は聖霊に選ばれた特別な存在よ。生まれつきとても強い聖霊の加護を持ってる。歴代の辺境伯はみんなそうなの」
「そういうことか……」
今までのハルジュ様の不思議な言葉が、私の中でゆっくりと形になっていく。
ハルジュ様が言っていた「見えないものが見える」というのはきっと聖霊のことだ。今思い返すと、聖霊の言葉もわかっているような気がするけれど……。
( あのとき、ハルジュ様が迷わず『魔女じゃない』って否定してくれた彼らって……)
信頼できる二人が「聖霊はいる」と言っているのだ。もう聖霊の存在を疑う余地はなかった。
「それにしても……あの子、あなたに嫌われたくないみたいねぇ」
「ふぇ?」
さっきの小さな光を目で追いかけているとマザーがぽつりと呟いた。
(あの子って……?)
「次期辺境伯のことも聖霊のことも……あなたに知られて、あなたの態度が変わってしまうのが不安で言えなかったのよ、きっと。ほらあの子、人と関わるのが下手でしょう?」
マザーの言葉から、なんとなくハルジュ様のことなんだとわかった。でも……
(まさか人見知りのわたしじゃあるまいし……。それって本当にハルジュ様のこと?)
ぽかんとして聞いていると、マザーは小さくため息をついた。
「あの子もかわいそうな子なのよ。聖霊の加護が強すぎて……人を信じきれないの。だからこんなにも他人を気にかけているのは初めて見たわ」
(わたしは旅の間のハルジュ様のことしか知らないから、マザーの言いたいことは全然ピンとこないけど……)
だけど、これだけは言える。
「ハルジュ様はずっとお優しかったですし、何度も助けていただきました。わたしはハルジュ様を信頼しています。ハルジュ様の方はわかりませんが……わたしがハルジュ様を嫌いになることはありえません」
「ふふふ、そうね。だからあの子も、あなたのことを大切にしたいのね……。あの子のこと、信じていてあげてね」
私ができる精一杯の反論をしてみるけれど、マザーから返ってきた言葉はやっぱりピンとこなかった。
夕方になって、二人で夕食の準備をしてから聖堂で夕べの祈りを捧げた。
私は前世のオムライスを披露した。この世界では見ない料理にマザーは驚いていたけれど、ひと口食べて大絶賛していた。
夕食が終われば一日のおつとめが終わる。
お風呂に入り、寝支度を整えてすぐにベッドに潜り込んだ。
慣れない仕事に体はくたくただったけれど、思っていたよりもずっと心は軽かった。
この日常が明日からも続いていく。
旅立ちの前に感じていた不安は、いつの間にか消えていた。
ベッドの中でまどろんでいたときに、ようやく思い出した。
「わたし、今日誕生日だった……」
悪役ヒロインとして追放されて迎えた、辺境の修道院での一日目。
私は十九歳になった。




