2 牢の中の聖女
薄暗い牢の中を見渡した。
狭い牢内には古い木製の寝台が一つあるだけ。
寝台と言えるのかも怪しいただの木の台に、おそるおそる腰を下ろした。動くたびにギシギシと音がするけれど、とりあえず壊れることはなさそうだった。
冷たい寝台の上で体を丸め、静かに目を閉じた。
(全部思い出した。――わたしは転生者だ)
前世の最後の記憶は、高校の友人たちと卒業パーティをした帰り道だ。横断歩道に突っ込んできた、トラックのヘッドライトのまぶしい光に包まれて……。
私はそのまま帰らぬ人となってしまったんだろう。
今まで忘れていた前世の家族、友人たちの顔が思い浮かんだ。
突然の別れでどれだけ悲しませてしまっただろうか。もう二度と会うことができない事実に、寂しくて切なくて……胸が張り裂けそうなほど痛んだ。
そして、この世界でリナリエ・メルダールとして生まれて、十八年を過ごしてきた記憶もちゃんと存在している。
王族に危害を加えてしまった私は……罪人だ。メルダール伯爵家は罪人を出した家として、苦しい立場に置かれてしまうかもしれない。
今世でもまた、大好きな家族と別れなくてはならないのか……。
(前世でも、今世でも……親不孝者でごめんなさい)
目を閉じていても次々と涙があふれ、嗚咽が止まらない。
石の壁に囲まれた寂しい場所で、私は泣き続けた。
◇
いつの間にか眠ってしまっていたようで、顔に当たる光で目が覚めた。
昨夜は気づかなかったけれど、牢の中には小さな格子窓があり、そこから朝日が入ってきていた。まだ春は始まったばかりなうえ、ここは牢の中。朝の冷たい空気に体がぶるりと震えた。
寝台から起き上がって耳を澄ましても物音は聞こえない。
そういえば……護衛兵が朝になったら着替えと朝食を持ってくると言っていた。
私は寝台の上で膝を抱え、誰かが来るのを待つことにした。
涙が枯れるまで泣き尽くしたからか、不思議と気持ちは落ち着いていた。
家族のことを考えるとつらくてしかたないけれど、今の私ではみんなの幸せを願うことしか選択肢はない。それならどうにかして、辺境追放を回避する方法を考えないと。
冷静になった頭で、私は昨夜の断罪イベントについて、もう一度整理することにした。
――ここは前世でプレイした乙女ゲーム『SACRED STELLAR~聖なる乙女と魔の乙女~』の世界で、私はヒロインの聖女だ。
ゲームは王立学園に入学するところから始まる。
ヒロインの私が攻略対象たちと学園生活を過ごし、さまざまなイベントを通して聖女として成長していく。
そして最終イベントの卒業パーティで私を何度も陥れようとしてきた悪役令嬢を断罪。好感度が一番高い攻略対象とハッピーエンドを迎える王道ストーリーだ。
つまり牢にいる時点で、私はハッピーエンドから外れてしまったということ。
じゃあここは攻略失敗のバッドエンドの世界かというと……それも違う。
このゲーム最大の特徴は、悪役令嬢がヒロインに逆転する追加要素だ。
本編の攻略後に、ある条件を満たすとプレイできる特別シナリオ――それが『ざまぁルート』と呼ばれていた。
ざまぁルートでは悪役令嬢が主人公となり、本編とは別の攻略対象たちと絆を深めながら、心変わりした王太子と悪役令嬢を陥れた真の悪役である聖女に立ち向かう。
もちろんラストの断罪イベントで、悪役令嬢の方から王太子との婚約を破棄する。
そして攻略対象の一人とハッピーエンドになるわけだけど……。
そこまで考えて大きくため息をつく。
(小説なんかでおなじみの、悪役令嬢ざまぁ物語がゲームでプレイできるって、かなり話題になったんだよね……)
どこからかひんやりとした空気が流れてきて、たまらず膝をきつく抱え直す。
赤いドレスが嫌でも目についた。
王太子の婚約破棄宣言といい、着ているドレスの色といい……どう考えてもすべてがざまぁルートを指している。
そして……本編でもざまぁルートでも、悪役になった方は辺境の修道院へ追放されてしまう。
まさに今、私は断罪されて牢に入っている。
「転生者ってこういうとき、ピンチを切り抜けられるんじゃないの……?」
小さく呟いた言葉は、薄暗闇に消えていく。
頭を振って弱気になりそうな思考を追い払い、さらに考えを巡らせた。
(でもゲームの設定と現実の状況って、全部同じではないんだよね……)
ゲーム本編のリナリエは、明るく素直で困っている人を見過ごせない、ヒロインの王道みたいな性格だった。
でも現実の私は、献身的な性格だったけれど対人スキルは皆無。まともに話せるのはメルダール家の人たちだけだった。
だから今思い返してみても攻略対象はおろか、学園でまともに話したことがあるのは先生たちくらい。
(……こんな性格で恋愛ゲームなんて成立するわけないじゃない。なのになんで……)
そもそも、俺様タイプの王太子のことは苦手だった。
怪我もしていないのに、よく癒しの力を使わされていた。
そなたの力は素晴らしい、ずっと隣にいてくれればいい……そんな感じのことを言われたから、笑ってごまかしていた記憶がある。
(まさか、曖昧な態度をとっていたせいで、わたしが王太子のことを好きだって勘違いされていたってことなのかな……)
思わず額に手を当てた。
(……結局、自業自得ってこと?)
学園に入学してから今までずっと、すべての行動が裏目に出ていたことにようやく気がついた。
あきらかにゲームと現実の違いはあるのに、実際こうしてざまぁされてしまっている。
(これって『ゲームの強制力』……なの?)
私は手足を投げ出して、寝台へ仰向けに倒れ込んだ。
今のところ、自分の行動がざまぁに向かってまっしぐらだった、ということがわかっただけ。
それでも記憶を頼りに追放回避のヒントを探した。
(あれ……?)
最近の記憶を思い出していると、一部だけ、記憶にもやがかかったように思い出せないところがあった。
卒業パーティの一か月前……階段で足を滑らせて気を失ってからの記憶が、ない。
次に思い出せるのは卒業パーティの当日、真っ赤なドレスに着替え終わった私。
学園寮まで迎えが来て、パーティが始まっているのに控室に待機させられている。
パーティ終盤、ようやく現れた王太子に癒しの力を使わされて、会場に連れていかれたところで断罪イベントが始まった。
そして王太子の婚約破棄宣言をきっかけに、前世の記憶が戻った――。
おかしいのは、行動だけが映像のように記憶に残っていて、自分がそのとき何を思っていたのか、何を考えていたのか……わからない。
まるで自分の音声だけが消えてしまったかのような……。
(記憶がない一か月の間に、わたしに何があったの……?)
そのとき、コツン……と石造りの牢内に靴音が響いた。
はっと考えるのをやめて体を起こした。誰かが来たみたいだ。
コツン、コツン、と靴音はこちらに向かって近づいてくる。
――コツン。
靴音は私のいる牢の前で止まった。




